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凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第38章 2016年度秋季個人戦3日目(2016年10月30日日曜)
229/486

225手目 外科的療法

挿絵(By みてみん)


 端角はしかくが打たれた。

 たちばな先輩は、静かにチェスクロを押す。

 三和みわ先輩も雑談をやめて、じっくりと考え始めた。

 うーん、どうなんだろう、この手。

 私は太宰だざいくんに、

「どう思う?」

 とたずねた。

 太宰くんはのんきな調子で、

「そうだね、橘先輩の雑用力には定評があるから」

 と答えた。

 そういう話じゃない。

 もっとも、橘先輩の雑用力は異常で、10秒将棋でも雑用ができるのだ。

 こまでそれをみたときは、びっくりしてしまった。

 メイド将棋指しの鑑?

 まあ、そういうことはおいといて、局面の評価を知りたい。

 ちょっとくらいはじぶんで考えますか。この手は、4三歩成の空き王手を狙っている。3七歩成は間に合わない。7二玉と寄るのは、3五歩で銀が死ぬ。先手は桂馬が生きているうちに、暴れるつもりだろう。

 三和先輩はうなずいて、持ち駒の角を手にした。

「これしかないか。3五角」


挿絵(By みてみん)


 そうそう、これしかないと思う。

 3五の地点を封鎖しつつ、4三歩成の王手を回避。

 橘先輩は3五同角、同銀、2四歩、同歩を入れてから、1七角と打ちなおした。

 意外と手が続く。後手は空中分解しそうだ。

 しかも現状、銀を助ける手はひとつしかない。

「5五飛」

 三和先輩は飛車を走った。

 綱渡りになる。

 橘先輩は、4七金で飛車にプレッシャーをかけた。

 3七歩成、4三歩成、同金、4六金、5三飛、3五金。


挿絵(By みてみん)


 こ、これは……穴熊の暴力?

 やりすぎに見える。

 のこり時間は、先手の橘先輩が5分、三和先輩が8分。

 三和先輩もここで手をとめた。

 それもそのはずで、2八と、4四歩みたいな攻め合いが見えるからだ。

 後手玉は、あいかわらず角筋にいる。守り駒もないに等しい。

 太宰くんは、

「派手な将棋だなあ」

 と、観戦者目線。

 私の予想では、2八とと入るはず。

 そのあと、3、4筋をどこまで支えきれるか。

 戦線が崩壊したら後手の負け。維持したら勝ち。

 けっきょく、三和先輩はのこり5分まで考えて、2八とと取った。

 橘先輩はノータイムで4四歩と打つ。

「4二金」

「3四歩です」

 三和先輩のゆびは自陣をとおりすぎて、2八のと金にそえられた。

「外科的に治療しようか。2七と」

 

挿絵(By みてみん)


 おっと、これは強い。

 自陣の脅威になっている角を、根元から切除する方針だ。

 橘先輩はこれを予期していなかったらしい。とぼしいのこり時間を消費した。

「……3三歩成」

「同桂」

 橘先輩は4三銀と打ち込んだ。

 4一歩、3一銀のひっかけ。

 三和先輩はここで1七と。

 太宰くんはこれをみて、

「駒割りは、先手の銀銀に対して後手が飛車角桂。実質的に先手の角桂損かな」

 と冷静に評価した。

 4二銀不成、同歩、同銀不成。

 三和先輩は飛車を走りなおす。

「5五飛」


挿絵(By みてみん)


 橘先輩は、かるくくちびるを噛んだ。

 飛車を捕獲しないと、さすがに後手玉は寄らない。

 

 ピッ……ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!

 

 橘先輩は4六金と打った。

「むりやり殺してきたか……じゃあ、切る」

 三和先輩は、3五飛と切った。

 華麗なメスさばきで、先手の攻撃は切り刻まれてしまった。

 同金、4八飛。

 橘先輩はここで3二飛と打った。

 三和先輩、最後の長考。

 

 ピッ……ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!

 

 パシリ


挿絵(By みてみん)


 見切った?

 後手玉は寄らないという意思表示だ。

 橘先輩は59秒ぎりぎりまで考えて、3三銀不成と王手した。

「4二歩」

 軽快な合駒あいごま

 同飛成は5二金とはじかれて、あとが続かない。

 橘先輩は4二銀不成で、かたちをもどした。

 三和先輩は盤面をするどくにらむ。

 

 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!

 

 パシリ


挿絵(By みてみん)


 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………うまいッ!

 同歩は5五角で寄る。例えば6五同歩、5五角、4三歩成なら、8八銀成、同玉(同銀は同角成と切って詰み)、7九角、同玉、6八金、同銀、8八金、6九玉に、5七桂、同銀、7八飛成、5九玉、3七角成、4八合駒、5八銀の全軍躍動で詰み。

 

 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!

 

 橘先輩は5四歩と垂らした。

 同金、5八歩で受けにまわる。

 7七桂成、同銀、6七角、7八桂。

「6九銀」


挿絵(By みてみん)


 これはもう……どうしようもないっぽい。

 後手玉にせまる方法がなかった。

 橘先輩は背筋をのばす。

 

 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!

 

「負けました」

 橘先輩は頭をさげた。

「ありがとうございました」

 三和先輩も一礼して、チェスクロを止める。

 しばらく沈黙が続いた。

 作法どおり、橘先輩のコメントから感想戦。

「6五桂が、見事すぎました」

「ここ数局で会心だったかな。ただ、とちゅうは先手がよかったんじゃない?」

「正確に指せばそうかもしれませんが、攻めが細すぎたように思います」

 そういうの、あるわよね。

 ソフト的には優勢でも、攻めが細すぎて、人力だとムリってパターン。

 今回は難所で橘先輩に時間がなかった。

 序盤の千日手のおさそいが、なんだかんだで効いていた。

 三和先輩は局面をもどしながら、

「個人的には、4四歩のところで4四銀とゴリ押しされたほうが困ったかな」

 とコメントした。


【検討図】

挿絵(By みてみん)


「これは相手できないから、4八飛、4三銀成、同飛寄と読んでた」

「それは3四金の開き王手がありませんか?」

「私の読みだと、3四金、5二玉、4三金、同玉は、入玉含みになるから悪くない」

 三和先輩と橘先輩の感想戦を聴きながら、私はふむふむとうなずいていた。

 やっぱり勉強になる。大局観も、実践的な指し方も。

 そのうち、氷室ひむろvs児玉こだま戦も終わった、

 どうやら氷室くんが勝ったらしい。

 私は和室の結果が気になった。

 あんまり持ち場(?)を離れないほうがいいかしら。

 そんなことを思っていると、入江いりえ会長が顔をのぞかせた。

傍目はためくん、こっちはどうだい?」

 記録をとっていた八千代やちよ先輩は、

「終わりました。三和さんと氷室くんが残っています」

「了解。このまま決勝戦と3位決定戦に入ろう」

 入江会長は、決勝戦をこの会議室、3位決定戦を和室でやると告げた。

 八千代先輩は、選手に相談がなかったのを気にしたのか、

「いちおう、確認をとったほうがよろしいのでは?」

 とたずねた。

「氷室くんの健康管理があるから、決勝はこっちだよ。それに、和室を希望した土御門つちみかどくんと大谷おおたにさんは、ふたりとも3位決定戦だ」

「あ、失礼いたしました。では、そのように手配します」

「再開は15時からでよろしく」

 んー、大谷さん、負けちゃったのか。

 私は壁の時計をみた。14時25分。

 まだだいぶ時間があるわね。

 とりあえず、大谷さんのようすをみるため、会議室を出た。

 フロアには他校の生徒がたむろしていた。

 大谷さんもいた。私は話しかける。

「おつかれさま、どうだった?」

「負けてしまいました。ところで、そちらはどうでしたか?」

 大谷さんが訊いているのは、対局結果だけじゃないように感じられた。

 でも、とりあえずは対局結果を答える。

「三和先輩と氷室くんの勝ち」

「ということは、三和vs速水はやみ風切かざぎりvs氷室ですか」

 その組み合わせを聞いて、私はふとと思い当たることがあった。

「そっか……風切先輩、ついに公式戦で氷室くんと再戦するのね」

「さきほどのようすだと、メンタル面では問題ないようです」

 そう願いたい。

「して、ほかになにかありましたか?」

「うーん……私が気づいたことは、とくに……あッ」

 私は、太宰くんもおなじ目的で来ているらしいことを伝えた。

「太宰くんがですか……熱海あたみ以来、彼はこの件にご執心のようですね」

「もっとまえから調べてるっぽくない?」

「たしかに……」

 そのときだった。

 風切先輩が和室から出てきた。

 私たちは会話をやめて、勝利をねぎらった。

「先輩、おつかれさまです。決勝進出おめでとうございます」

「サンキュ、で、俺のあいては?」

「氷室くんです」

 私の心配は杞憂きゆうだった。

 風切先輩は真顔になって、

「よーし、今回こそ決着をつけてやる」

 と、意気込みをみせてくれた。

 ところが、ここで横槍がはいった。

 観戦に来ていた大河内おおこうちくんが、急に話しかけてきたのだ。

「もうしわけありません。氷室くんが、風切先輩を呼んでいます」

「ん? 俺を? なんの用事だ?」

 大河内くんはメガネをクイッとさせながら、

「それはうかがっていません」

 と答えた。

 なんだかよくわからない雰囲気。

 風切先輩は不審がりつつも、会議室に入った。私たちもあとに続く。

 氷室くんはすでに着席していた。

 風切先輩は、

「15時から再開だろ?」

 と確認した。

 氷室くんは椅子に座ったまま、返事をする。

「風切先輩、お願いがあります」

「なんだ? 会場変更か?」

「ひとつ賭けてもらいたいことがあります」

 室内が騒然そうぜんとした。

 その場にいたメンツは、おたがいに顔を見合わせる。

 風切先輩からは、喜怒哀楽の表情が消えた。じっと氷室くんをみすえる。

「……なにをだ?」

「もし僕が勝ったら、先輩は会長になるのをあきらめる……そう約束してください」

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