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凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第37章 2016年度秋季個人戦2日目(2016年10月23日日曜)
225/487

222手目 詰めろ逃れの詰めろ

「4六歩だ」


挿絵(By みてみん)


 朽木くちき先輩は拠点を作った。

 ただ、これもすぐにどうこうなるわけじゃない。

 3七金寄、4二銀と、慎重な手が続く。

 ここで風切かざぎり先輩は2度目の長考。

 私の右どなりにいる松平まつだいらは、

「先手から動きそうだな」

 とつぶやいた。

 私はこれに反応して、

「動くところある?」

 とたずねた。松平は考え込む。

「……ダメだな、わからん。速水はやみ先輩はどう思います?」

 あ、こら、格上に逃げるな。

 速水先輩は表情を変えずに、

隼人はやとのお手並み拝見、ってところね」

 と、はぐらかしたような回答だった。

 うーん、速水先輩に解説してもらうのが一番なんだけど──っと、動いた。

 

 パシリ

 

挿絵(By みてみん)


 これは……攻めを誘った手だ。

 放置なら銀を盛り上がっていける。

 朽木先輩は「そうか」と言って、かるく息をついた。

「……8六歩」

 同歩、5五歩、9七桂、6五桂。

 風切先輩は、駒音高く出た。

 盤面が一気にうごく。

 6六銀、5六歩、5八歩、6四歩、8五歩。

 朽木先輩は8一飛と引いた。

 7四飛、5一飛。


挿絵(By みてみん)


 ……微妙じゃない?

 飛車の成り合いは、先手不利のような。

 風切先輩は、さらにまえへ出た。4四歩。

 同金に6五銀と食いちぎる。

 手の意味はわかる。同歩は4四飛のスライドがあるからできない、というわけだ。

 でも、取らなければいいだけで、朽木先輩は5七歩成と成り込んだ。

 同歩、同飛成、4八角。

 

挿絵(By みてみん)


 朽木先輩はこの手にひるまなかった。

「龍を逃げれば6五の銀が助かる、という寸法か。なら切るまでだ。同龍」

 同金、6五歩、4九歩。

 この手をみた大谷さんは、

「先手は端攻めに賭けていますね。ただ、拙僧としては先手を持ちたくありません」

 と言った。

 うーん、端攻め一本じゃムリなのでは。

 いずれにせよ、後手のほうが手は簡単になったと思う。

 私がそのことを告げると、大谷さんは、

「後手も手が悩ましいように思います。さしあたり5五角かと思いますが……自陣に馬を紐づけるか、それとも4七歩成からそのまま攻め込むか、2通り考えられます。受けるか攻めるかの判断が、むずかしい局面になりました」

 んー、私だったら攻めるかも。

 朽木先輩はどうかしら。あまり棋風がわからない。

 のこり時間は、おたがいに10分ほど。

 朽木先輩はおちついて考えていた。有利を意識しているわけではなさそう。

「……5五角」

 風切先輩は5六歩と催促した。


挿絵(By みてみん)

 

 9九角成なら受け、4七歩成なら攻め。

 どちらにも大きな穴は見つからない。

 朽木先輩は手を伸ばす。ゆびさきが乗ったのは、4六の歩だった。

「4七歩成」

 駒がひっくりかえされる。

 風切先輩は、すこしまえのめりになった。

 9九角成をメインに考えていたのかしら。

 いずれにせよ、このと金は取れないわよね。5六歩の意味がなくなる。

 案の定、風切先輩は5五歩で角を取った。

 3七と、同玉、4五金、2八玉。

 

挿絵(By みてみん)


 朽木先輩は4七歩とたたく。

 3八金、5七角成。

 速水先輩は、この手をみて、

「あ、そうするんだ……」

 とつぶやいた。

 私はこれを聞き逃さなかった。

「速水先輩、なにか問題でも?」

「いえ、べつに」

 ほんとぉ?

 ただ、私もちょっと気になるのよね。

 5四角と打てば、金の両取りでしょ。

 朽木先輩がそこを見落としているとは思えない。

 無視して1六歩とするつもりかしら。


【参考図】

挿絵(By みてみん)


 5七の馬で左右挟撃。

 3二角成とするヒマも4五角とするヒマも、あんまりないっぽい。

 そうなると、5七角成はなかなかきびしい手だ。

 風切先輩は5四角と打った。

 1六歩、1三歩(やっぱり金は取れない)、1七銀。


挿絵(By みてみん)


 端攻めに賭けていたはずの先手が、逆に端攻めを受ける展開。

 同香、同歩成、同玉、1四香、1六銀打。

 先手もギリギリになってきた。

 同香、同銀、1三桂。

 朽木先輩は手をもどした──いや、攻め駒の追加か。

 でも危なくない? 3二角成がいきなり詰めろになるわよ?

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………あ、もしかして2五桂から詰む?


【参考図】

挿絵(By みてみん)


 1八玉は1六香以下、2八玉は3七銀以下で詰むわよね。

 でも、単純に2五同歩で詰まないっぽい。

 ということは、3二角成としてもだいじょうぶ?

 私があれこれ考えていると、風切先輩は1三同桂成と取った。

 同香、1五歩。

 朽木先輩はここで、2五桂のタダ捨てをはなった。

 同銀、2九銀──風切先輩は、スッと金をスライドさせる。


挿絵(By みてみん)


 え?

 これにはギャラリーが反応した。

 ダメダメ、中立性。

 けど、3九馬の詰めろで終わりでは?

 3九馬、3二角成は、1五香、1六合駒、2八馬から詰んでしまう。

 3二角成に1四歩と伸ばしても、1五歩が再度詰めろだ。

 私は大谷さんに話しかけた。

「これ、3九馬で負けじゃない?」

「……そう見えます」

 まさか風切先輩──会長になりたくなくて試合放棄?

 いや、先輩にかぎって、それはないはず。

 そもそも会長職が賭けられてるって話は、絶対にウソだ。

 当事者のメンツが、それっぽくないもの。

 なにか異常なことが起きている。それはまちがいない。でも賭け将棋じゃない。

 対局テーブルのまわりには、人だかりができていた。

 速水先輩は、腕組みをしたまま無表情。

 私はダメもとで訊いてみる。

「速水先輩なら、どう指されますか? 3九馬とか?」

「3九馬でいいなら、爽太そうたはとっくに指してるわよね」

 またそういう韜晦とうかいを──ん? そういえば、ずいぶん考えてるわね。

 朽木先輩をみやる。

 右手を椅子につき、左手を口もとにあてて長考していた。

 もしかして3九馬じゃない? それとも、そのあとを読んでるだけ?

 私たちは次の手を見守った。

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………あ、指す。


 パシリ

 

挿絵(By みてみん)


 さ、3九馬じゃなかった。

 私は大谷さんに、

「3九馬じゃなかったわね。こっちのほうが厳しいのかしら?」

 とささやいた。

 大谷さんは、

「もしや、3九馬は後手負けだったのでは?」

 と答えた。

「でも詰めろでしょ?」

「7一飛成〜1四桂で、詰めろ逃れの詰めろになるかと」

 

【参考図】

挿絵(By みてみん)


 ……ん、そうか、香車を走れなくすれば、3九馬は詰めろじゃなくなる。

 しかもこれは、2二桂成、同玉、3二角成以下の詰めろにみえる。

 複雑だけど、たぶん詰んでいるはず。まず、3二角成に同銀なら、3一銀、3三玉、3四銀、同玉、2五金、3三玉(4四玉は5四飛、3三玉、3四金まで、4三玉は4二飛、5三玉、7三龍、6三合駒、5四香まで)、6三龍、4三合駒、3四飛まで。詰む。

 もし3二角成に同玉なら、3三香と放り込んで、同玉、3一龍、3二合駒、4二銀、4四玉、5四金まで。香車を取らずに4三玉と逃げても助からない。

 そうか、詰めろ逃れの詰めろがあるんだ。

 大谷さんは冷静に、

「朽木先輩も、指されたあとで気づいたのではないでしょうか」

 たぶんそうだと思う。でないと、ここでの長考は説明がつかない。

 しかも、これって──手をほとんど変えられないんじゃない?

 風切先輩はペットボトルを開けた。

 ギャラリーのなかにも、だんだんと気づき始めたひとがいる。

 太宰だざいくんは、そっかぁという顔をしているし、ばんくんも感心したような表情だった。

 とくにそわそわし始めたのが、対面のたちばなさんだった。

 一方、風切先輩は、どっしりとかまえて読んでいた。

 のこり3分を切ったところで、1六香と合駒する。

 朽木先輩はふたたび長考。

 4分あった持ち時間が、3分、2分と減っていく。

 そのまま1分将棋に突入した。

 

 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!

 

 パシリ!

 

挿絵(By みてみん)


 同玉、1三香、1五歩、3一金。

 朽木先輩が手をもどした。

 風切先輩は2九金として、銀のタダ取り。

 

 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!

 

 朽木先輩は4四金と逃げた。

 6三角成、1五香、2七玉、4六馬。

 風切先輩は持ち駒の飛車を手にした。

「1四飛」


挿絵(By みてみん)


 朽木先輩は、すこし強めに口を閉じた。

 けど、すぐにいつもの上品な表情になった。

「これで飛車損以上か……僕の負けだな。投了する」

 ギャラリーがざわついた。

 入江いりえ会長から注意が入る。

 それからしばらくのあいだ、だれも口をきかなくなった。

 朽木先輩は腕組みをして、ジッと盤面をみつめている。

「……3九馬と入ったほうがよかったか?」

 感想戦が始まった。

 局面がもどされる。

 朽木先輩は3九馬と入りながら、

「7一飛成、3一銀右、1四桂、同香も考えた」

 と告げた。

 

【検討図】

挿絵(By みてみん)


 風切先輩は後ろ髪をさわりつつ、

「俺はこっちを読んでた。あと、3一銀左はなかったか?」

「3一銀左には1四香、同香、同歩、1五歩、1二香、同玉、1三歩成、同玉、1四飛がイヤだった。が、本譜よりはマシだったかもしれない」

 感想戦は淡々と進んだ。

 後手は攻めたのが微妙で、9九角成のほうがよかった、という結論になった。

 まだベスト4ということもあって、閉会式はなし。

 控え室にもどると、ララさんもいた。

 ララさんはスマホから顔をあげて、

「あ、どうだった?」

 とたずねてきた。

 私は、

「風切先輩が3日目進出よ」

 と答えた。

「Oh, parabéns」

 ララさんは、座っていたテーブルからおりた。

「あれ? 隼人はやとはあんまりうれしそうじゃないねぇ?」

 こらこら、そこは触れない。

 とはいえ、風切先輩もじぶんの態度を気にしていたらしく、

「ああ、悪い、どうも疲れちまってな」

 とだけ答えた。

 ララさんは事情を知らないから、すなおにそれを信じた。

「そっか、じゃあ今日はこれで解散だね。Vejo você amanhã!」


  ○

   。

    .


 翌日、午前中の講義を終えた私は、部室に寄ることにした。

 盤駒とチェスクロを返さないとね。

 ドアを開けると、風切先輩と松平がいた。

 ふたりは私の姿をみると、急に会話をやめた。

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………あやしい。

「秘密の話でした?」

 私がカマをかけると、松平はなにかいいわけをしようとした。

 ところが、風切先輩がこれを制した。

裏見うらみ、松平から例の件を聞いたって、ほんとうか?」

「例の件?」

 私は首をかしげた。けど、すぐに思い当たることがあった。

「もしかして、来年度の会長の件ですか?」

「そうか、知ってるのか……どこまで知ってる?」

 私は松平に視線をむけた。

 松平は「言ってもいい」という雰囲気で、アイコンタクトしてきた。

 私は風切先輩に向きなおる。じぶんが知っている情報を話した。

 風切先輩はそれを聞き終えると、タメ息をついた。

「話に尾ひれがついてるな。昨日の4回戦で、ギャラリーが変だと思ったんだ」

「じゃあ、会長職の話はウソなんですね?」

 風切先輩は気まずそうに口ごもる

「いや、まあ、なんというか……ん?」

 スマホの振動音。

 風切先輩はポケットからスマホをとりだした。

 そして目を見開く。

「朽木から電話……だと?」

場所:2016年度 秋季個人戦2日目 男子4回戦

先手:風切 隼人

後手:朽木 爽太

戦型:先手四間飛車vs後手居飛車穴熊


▲7六歩 △8四歩 ▲6六歩 △3四歩 ▲7八銀 △6二銀

▲6七銀 △5四歩 ▲1六歩 △1四歩 ▲6八飛 △4二玉

▲3八銀 △5二金右 ▲4六歩 △5三銀 ▲4八玉 △3二玉

▲5八金左 △8五歩 ▲7七角 △7四歩 ▲3九玉 △6四銀

▲2八玉 △9四歩 ▲7八飛 △4二金上 ▲9六歩 △8四飛

▲5六歩 △7三桂 ▲5七金 △3三角 ▲3六歩 △4四歩

▲2六歩 △4三金右 ▲2七銀 △2二玉 ▲3七桂 △1二香

▲4七金 △1一玉 ▲2五桂 △2四角 ▲4五歩 △2二銀

▲4四歩 △同 金 ▲3八金 △5三銀 ▲5九角 △3二金

▲7五歩 △同 歩 ▲1五歩 △同 歩 ▲4五歩 △4三金引

▲7五飛 △7四歩 ▲7八飛 △4六歩 ▲3七金寄 △4二銀

▲6五歩 △8六歩 ▲同 歩 △5五歩 ▲9七桂 △6五桂

▲6六銀 △5六歩 ▲5八歩 △6四歩 ▲8五歩 △8一飛

▲7四飛 △5一飛 ▲4四歩 △同 金 ▲6五銀 △5七歩成

▲同 歩 △同飛成 ▲4八角 △同 龍 ▲同 金 △6五歩

▲4九歩 △5五角 ▲5六歩 △4七歩成 ▲5五歩 △3七と

▲同 玉 △4五金 ▲2八玉 △4七歩 ▲3八金 △5七角成

▲5四角 △1六歩 ▲1三歩 △1七銀 ▲同 香 △同歩成

▲同 玉 △1四香 ▲1六銀打 △同 香 ▲同 銀 △1三桂

▲同桂成 △同 香 ▲1五歩 △2五桂 ▲同 銀 △2九銀

▲2八金 △1五香 ▲1六香 △同 香 ▲同 玉 △1三香

▲1五歩 △3一金 ▲2九金 △4四金 ▲6三角成 △1五香

▲2七玉 △4六馬 ▲1四飛


まで135手で風切の勝ち

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