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凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第4章 2016年度春季個人戦1日目(2016年4月17日日曜)
22/486

21手目 入玉模様

 パシリ

 

挿絵(By みてみん)

 

 桂打ちか……私は、土御門つちみかど先輩に、この手の成否をたずねた。

「同桂か5九玉か5八玉かの3択じゃが……5八玉、8九桂成に5六銀と引いて、7七歩成、同銀、同桂成、同金、8七歩成、同歩、7六銀、同金、8七飛成は一局か。5九玉以下で同じ変化になっても、難解そうじゃ。但し、5九玉の場合は、最後の8七歩成、同歩に7六桂と捨てて、次に6八銀と打つ筋が生じておる」

「それって、後手が危険過ぎませんか? 4三銀と打ち込まれて負けのような……」

 土御門先輩は扇子をひらきなおして、顔をあおいだ。

「このかたちで4三銀は、成立せんもんじゃがな」

「3二銀成、同金、4三歩成を放置すると、さすがに危なくなりますよね? 7七歩成はいつでも入りそうですから……5六銀に3七馬、同角、4四銀とか、どうですか?」


【参考図】

挿絵(By みてみん)


 私の提案に、土御門先輩はパチリと扇子を鳴らした。

「なるほど、9一角成はぼんやりしておるし、2六角、7七歩成、4四角、同飛、同飛、4三歩、8四飛の攻め合いは、7八とと金のほうを取って、後手が指せそうじゃ。次の3七金が詰めろじゃからな。7七歩成に4四角ではなく同銀ならば、同桂成、同金、8七歩成、同歩としてから、自陣に手を戻して良しに見える。7三角以下、長引きそうではあるが、一考の余地ありじゃろう」

 私たちは、5九玉のバージョンも調べて、いろいろと読みを深めた。

 だけど、駒音にふりかえると、違う手が指されていた。


挿絵(By みてみん)


 取った……松平まつだいらは、同歩成とする。

 同銀、同桂成、同金、8七歩成、同歩のあと、松平は持ち駒の銀を空打ちした。

「7六銀ッ!」

 うわ、突っ込んだ。同金、8七飛成と進む。


挿絵(By みてみん)


 いやあ……これは……どうだろう……宮台みやだいさんが7七同桂としたときは、チャンスだと思った。でも、この局面になってみると、後手はいかにも駒が足りない。桂馬だけで、どうやって攻めるつもりなの。

 私は、松平の横顔を見た。険しい表情。でも、弱気にはなっていない。

「7七銀」

「8九龍」

 松平は、さっきの長考で先まで読んでいたらしく、すぐに龍を入った。

 宮台さんは、7九に合駒をしかけて、手をとめた。

「打てんじゃろうな。8七桂で、駒を取られるだけじゃ」

 土御門先輩は、扇子で口もとを隠し、私にそう囁いた。正論。ここで7九に何を打っても、8七桂〜7九桂成で、攻めを加速するだけになってしまう。

「5八玉」

 宮台さんは、王様を単に逃げた。5五桂、5九桂。


挿絵(By みてみん)


 先手が、いきなり危なくなったように見える。

「土御門先輩、これ、イケそうじゃないですか?」

「んー、際どい……際どいぞ。9九龍と拾わねば、駒が足らん」

 局面は終盤に入った。持ち時間は、宮台さんが8分、松平が7分。追いついた。

 でも、攻めている松平のほうが、ちょっと忙しいかもしれない。

「先輩なら、どう攻めますか?」

「4七歩と打診するか、あるいは、単に9九龍じゃろ」

「4七歩、同桂、同桂成、同金、5五桂の打ち直しのほうが、厳しそうです」

「いやいや、それは4七歩、同桂に3七馬で即死じゃ」


【参考図】

挿絵(By みてみん)


 あ、詰めろになっちゃった。

「4七歩には、同金しかないんですね。同金、同桂成、同飛までは確定ですか」

「いずれにせよ、そこで9九龍じゃろう。一回は先手に首を預けねばならん」

 先手にいい手があると、ダメってことか。当たり前と言えば、当たり前。

 

 パシリ

 

 松平は、4七歩と打った。

 うっかり同桂と……しないか。宮台さんは同金と取って、同桂成、同飛、9九龍。

 土御門先輩の指摘が当たった。

「先手から攻める手って、ありますか? 4六香を受けないと、終わりますよ?」

「うーむ……攻防一体で、4六桂と打つか?」


【参考図】

挿絵(By みてみん)


 ああ……これは、ありそう。

「ただ、5五金と催促されて、3四桂から突っ込むしかないのぉ」

「跳ねたら、4六香ですよ?」

「放置は4五金じゃから、しかたあるまい。4六桂、5五金、3四桂、4六香。これが詰めろではないから、4二桂成とするか、あるいは、4三桂と打ち込むか、どちらかで攻めるのが本線じゃ」

「4三桂は、同金左、同歩成、同金に手がなくて、先手負けじゃありませんか?」

 土御門先輩は目を細めて、頬に扇子を添えた。

「それは危ない。2七飛じゃ」

「飛車を逃げるなら、4五金と取れますよ?」

「2二銀と打って、どうする?」

「2二銀? タダ捨てですか?」

「同銀なら、5三角成じゃぞ」


【参考図】

挿絵(By みてみん)


「同金は4二金の一手詰みじゃし、3二玉は4二金、3三玉、4三馬までじゃ。4二歩は4三馬と取って、4九銀、6八玉で詰まんから、やはり後手の負けよの」

 ご、5三角成なんてあるのか。気づかなかった。

「2二銀に、4一玉は、どうですか?」

「それは3三銀成、同桂、5三角成以下、詰めろ詰めろで迫られて負けじゃ」

 このひと、強過ぎぃ!

「じゃから、4三桂には4一玉の一手じゃろ……お、指したぞ」

 盤面を見ると、宮台さんは4六桂と打っていた。

 以下、5五金、3四桂、4六香、4三桂。

「4一玉」


挿絵(By みてみん)


 セーフ。松平は、正しいほうへ逃げた。

 宮台さんは背を引いて、腕組みをする。攻めあぐねている感じだ。

 4六桂で大長考したから、残り時間も、ほとんどなくなっていた。


 ピッ

 

 1分将棋になった。

 

 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!

 

「4二桂成ッ!」

 突っ込んだ。次に3四銀とされたら、負けと読んだみたい。

 同金、2七飛、4五金。

 宮台さんは、自分の王様に手をかけた。

「6八玉」


挿絵(By みてみん)


 ん? これは? ……あ、7九龍の必至を回避したのか。

 今度は、松平が大きく息を吐いた。チェスクロが鳴り、1分将棋になる。

 

 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ! パシリ!

 

 松平は、1八馬と引いた。飛車に当てる。

 宮台さんはしばらく迷ってから、59秒で8八銀打といなした。

「いやあ」

 松平は、前髪をかきあげる。この仕草は、なにか決断の前兆。

 

 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!

 

「8九龍ッ!」

 飛車を取らなかった。9九金と打たせるためだろう。

 その金打ちを見てから、松平は2七馬と飛車を回収した。

 一見、9九龍、同銀、2七馬のほうが得に見えるけど、後手は飛車を渡した瞬間に詰めろが掛かるから、5一飛、3二玉、3一飛成で詰んでしまう。

「今のやりとりは、上手うまかったわい。金を手放したのは痛手じゃ」

 土御門先輩も、感心のご様子。

「8九金」

 宮台さんも、負けじと龍を回収。これで、後手玉には詰めろがかかった。

「一回、王手をかけますか? 2八飛とか?」

「いや、すなおに逃げたほうが良さげじゃ。3二玉じゃろ」


 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ! パシリ!

 

 3二玉。これで後手は安泰。

 ただ、先手も左側に逃げられるから、どちらも入玉の気配が漂ってきた。

「6一飛」

 宮台さんは、入玉を急がずに、詰めろをかけた。

 松平は、4一桂と打つ。宮台さんは前後に揺れながら、自陣と敵陣を見比べる。

 角の逃げ場所を探してるっぽいけど、もうないのよね。

 相入玉なら、松平の点数勝ちなんじゃないかなあ。

 

 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!

 

「5一桂成」

 パシリと、力強い駒音。宮台さんは、あくまでも寄せるつもりのようだ。

 松平は2八飛と打って、7九玉に2六馬とした。


挿絵(By みてみん)


 これは詰めろ……じゃないのか。松平、ちょっと悠長。

 

 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!

 

「9一飛成ッ!」

 宮台さんの飛車成りに、土御門先輩の目が光った。

「……決着じゃ」

「え?」

 土御門先輩はなにも答えず、扇子で肩を叩いて、その場を去った。

 決着? どういうこと? 先手勝ち? 後手勝ち?

 混乱する私のよこで、松平は身じろぎもせずに盤面を見つめていた。

 

 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ! パシリ!


挿絵(By みてみん)


 馬入り。これはさすがに詰めろ。6八銀、7八玉、6九馬まで。

 宮台さんは7八金としかけて、手を引っ込めた。

「同飛成で入玉できなくなるか……6八香」

 松平はその手を見て、かすかにうなずいた。

「2九飛成」


挿絵(By みてみん)


 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………

 宮台さんの顔が青くなる。

「必至……だと……?」

 違う。7八金は5八馬、8七銀は9七角、9八金は6九馬、8九玉、6八馬(このとき7九に打つ駒がない)で詰むけど、9七銀がある。6九馬、8八玉、8七銀、9九玉で詰まない……詰まないけど……7八馬で完璧に寄りだ。

 

 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!

 

「ま、負けました……」

 宮台さんは、頭を下げた。松平も一礼する。

「ありがとうございました」

 勝利――松平、ベスト64、2日目進出を決めた。

「中途半端に攻めないで、入玉を目指すんだった」

 それが、宮台さんの第一声。松平は、ちょっと疲れたような感じで、

「その場合は、点数勝負に持ち込む予定でした。こっちは大駒が3枚あるので」

 と答えた。

「飛車を渡したのがマズかったか。3四桂跳ね以外にあったかな?」

「どうでしょうか……あのあたりは、最善で迫られてるな、って印象でしたが……」

 ふたりとも疲労困憊しているらしく、駒はあまり動かされなかった。中盤を浅く検討して、そのままおひらきになる。だいたい、土御門先輩の解説通りだったかな。

 席を立った松平に、私は声をかけた。

「2日目進出、おめでと」

 肩を回していた松平はふりかえって、親指を立てた。

「どうだ、俺もやるだろ?」

「ま、そういうことにしときましょ」

「冷たいなぁ……ところで、風切かざぎり先輩は?」

 知らない、と答えかけたところで、先輩は姿を現した。噂をすれば影だ。

 先輩は教室内を見回して、私たちを発見すると、そのままこっちに向かって来た。

「松平、どうだった?」

「勝ちました」

 風切先輩は、特におどろいた様子もなく、

「良かったな。復帰から2人とおしゃ、上出来だ」

 と褒めてくれた。

「ってことは、風切先輩も勝ちですね?」

「なんだなんだ、そんなに信用がないのか?」

 松平が返答に困ると、風切先輩はポケットに手を突っ込んで笑った。

「ハハハ、冗談だ。このあと、つっちーたちと飲みに行くけど、行くか?」

「つっちー? ……ああ、土御門先輩ですね。大学合同ってことですか?」

「いや、親しい面子だけだ……が、都ノみやこのは全員呼んでくれるらしい」

 情報収集の意味もあるんだろうと、風切先輩は付け加えた。

裏見うらみは、どうだ? もこっちも来るぞ」

「私たち、まだ二十歳はたちじゃありませんけど?」

「べつに、ソフトドリンクでもいいんだ。雰囲気だけでも味わっとけ」

 私と松平はちょっとだけ相談して、OKすることにした。

 明日からは講義も始まるし、早めに帰りたいとだけ条件づけしておく。

「了解。それじゃ、移動しよう。1日目は、閉会式もない。勝手に解散するだけだ」

 勝敗の報告を終えて、私たちは教室を出た。控え室へ向かう途中で、私は立ち止まる。

「先輩たちは、先に行っておいてください」

 私はそう言って、もと来た道を引き返した。

「おーい、裏見、どこ行くんだ?」

 こらこら、松平、女の子の行き先を、いちいち確認しちゃいけませんよ。

場所:2016年度 春季個人戦1日目 3回戦

先手:宮台 浩二

後手:松平 剣之介

戦型:角換わり腰掛け銀


▲7六歩 △8四歩 ▲7八金 △8五歩 ▲7七角 △3四歩

▲8八銀 △3二金 ▲2六歩 △7七角成 ▲同 銀 △4二銀

▲4八銀 △7二銀 ▲4六歩 △6四歩 ▲4七銀 △6三銀

▲5八金 △5二金 ▲6八玉 △4一玉 ▲3六歩 △9四歩

▲9六歩 △5四銀 ▲1六歩 △1四歩 ▲5六銀 △6五歩

▲7九玉 △3一玉 ▲3七桂 △6二飛 ▲4七金 △4四歩

▲8八玉 △7四歩 ▲1七香 △3三銀 ▲1八飛 △2四銀

▲4八飛 △7三桂 ▲2五歩 △3三銀 ▲2八飛 △8二飛

▲2六飛 △4二金右 ▲7九玉 △5二金 ▲2八飛 △4二金右

▲2六角 △6四角 ▲4八飛 △8四飛 ▲4五歩 △7五歩

▲同 歩 △4五歩 ▲同 桂 △同 銀 ▲同 銀 △8六歩

▲同 歩 △8五歩 ▲4四歩 △1九角成 ▲3七金 △8六歩

▲8八歩 △7六歩 ▲6八銀 △8五桂 ▲6九玉 △7七桂打

▲同 桂 △同歩成 ▲同 銀 △同桂成 ▲同 金 △8七歩成

▲同 歩 △7六銀 ▲同 金 △8七飛成 ▲7七銀 △8九龍

▲5八玉 △5五桂 ▲5九桂 △4七歩 ▲同 金 △同桂成

▲同 飛 △9九龍 ▲4六桂 △5五金 ▲3四桂 △4六香

▲4三桂 △4一玉 ▲4二桂成 △同 金 ▲2七飛 △4五金

▲6八玉 △1八馬 ▲8八銀打 △8九龍 ▲9九金 △2七馬

▲8九金 △3二玉 ▲6一飛 △4一桂 ▲5一桂成 △2八飛

▲7九玉 △2六馬 ▲9一飛成 △5九馬 ▲6八香 △2九飛成


まで126手で松平の勝ち

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