21手目 入玉模様
パシリ
桂打ちか……私は、土御門先輩に、この手の成否をたずねた。
「同桂か5九玉か5八玉かの3択じゃが……5八玉、8九桂成に5六銀と引いて、7七歩成、同銀、同桂成、同金、8七歩成、同歩、7六銀、同金、8七飛成は一局か。5九玉以下で同じ変化になっても、難解そうじゃ。但し、5九玉の場合は、最後の8七歩成、同歩に7六桂と捨てて、次に6八銀と打つ筋が生じておる」
「それって、後手が危険過ぎませんか? 4三銀と打ち込まれて負けのような……」
土御門先輩は扇子をひらきなおして、顔を仰いだ。
「このかたちで4三銀は、成立せんもんじゃがな」
「3二銀成、同金、4三歩成を放置すると、さすがに危なくなりますよね? 7七歩成はいつでも入りそうですから……5六銀に3七馬、同角、4四銀とか、どうですか?」
【参考図】
私の提案に、土御門先輩はパチリと扇子を鳴らした。
「なるほど、9一角成はぼんやりしておるし、2六角、7七歩成、4四角、同飛、同飛、4三歩、8四飛の攻め合いは、7八とと金のほうを取って、後手が指せそうじゃ。次の3七金が詰めろじゃからな。7七歩成に4四角ではなく同銀ならば、同桂成、同金、8七歩成、同歩としてから、自陣に手を戻して良しに見える。7三角以下、長引きそうではあるが、一考の余地ありじゃろう」
私たちは、5九玉のバージョンも調べて、いろいろと読みを深めた。
だけど、駒音にふりかえると、違う手が指されていた。
取った……松平は、同歩成とする。
同銀、同桂成、同金、8七歩成、同歩のあと、松平は持ち駒の銀を空打ちした。
「7六銀ッ!」
うわ、突っ込んだ。同金、8七飛成と進む。
いやあ……これは……どうだろう……宮台さんが7七同桂としたときは、チャンスだと思った。でも、この局面になってみると、後手はいかにも駒が足りない。桂馬だけで、どうやって攻めるつもりなの。
私は、松平の横顔を見た。険しい表情。でも、弱気にはなっていない。
「7七銀」
「8九龍」
松平は、さっきの長考で先まで読んでいたらしく、すぐに龍を入った。
宮台さんは、7九に合駒をしかけて、手をとめた。
「打てんじゃろうな。8七桂で、駒を取られるだけじゃ」
土御門先輩は、扇子で口もとを隠し、私にそう囁いた。正論。ここで7九に何を打っても、8七桂〜7九桂成で、攻めを加速するだけになってしまう。
「5八玉」
宮台さんは、王様を単に逃げた。5五桂、5九桂。
先手が、いきなり危なくなったように見える。
「土御門先輩、これ、イケそうじゃないですか?」
「んー、際どい……際どいぞ。9九龍と拾わねば、駒が足らん」
局面は終盤に入った。持ち時間は、宮台さんが8分、松平が7分。追いついた。
でも、攻めている松平のほうが、ちょっと忙しいかもしれない。
「先輩なら、どう攻めますか?」
「4七歩と打診するか、あるいは、単に9九龍じゃろ」
「4七歩、同桂、同桂成、同金、5五桂の打ち直しのほうが、厳しそうです」
「いやいや、それは4七歩、同桂に3七馬で即死じゃ」
【参考図】
あ、詰めろになっちゃった。
「4七歩には、同金しかないんですね。同金、同桂成、同飛までは確定ですか」
「いずれにせよ、そこで9九龍じゃろう。一回は先手に首を預けねばならん」
先手にいい手があると、ダメってことか。当たり前と言えば、当たり前。
パシリ
松平は、4七歩と打った。
うっかり同桂と……しないか。宮台さんは同金と取って、同桂成、同飛、9九龍。
土御門先輩の指摘が当たった。
「先手から攻める手って、ありますか? 4六香を受けないと、終わりますよ?」
「うーむ……攻防一体で、4六桂と打つか?」
【参考図】
ああ……これは、ありそう。
「ただ、5五金と催促されて、3四桂から突っ込むしかないのぉ」
「跳ねたら、4六香ですよ?」
「放置は4五金じゃから、しかたあるまい。4六桂、5五金、3四桂、4六香。これが詰めろではないから、4二桂成とするか、あるいは、4三桂と打ち込むか、どちらかで攻めるのが本線じゃ」
「4三桂は、同金左、同歩成、同金に手がなくて、先手負けじゃありませんか?」
土御門先輩は目を細めて、頬に扇子を添えた。
「それは危ない。2七飛じゃ」
「飛車を逃げるなら、4五金と取れますよ?」
「2二銀と打って、どうする?」
「2二銀? タダ捨てですか?」
「同銀なら、5三角成じゃぞ」
【参考図】
「同金は4二金の一手詰みじゃし、3二玉は4二金、3三玉、4三馬までじゃ。4二歩は4三馬と取って、4九銀、6八玉で詰まんから、やはり後手の負けよの」
ご、5三角成なんてあるのか。気づかなかった。
「2二銀に、4一玉は、どうですか?」
「それは3三銀成、同桂、5三角成以下、詰めろ詰めろで迫られて負けじゃ」
このひと、強過ぎぃ!
「じゃから、4三桂には4一玉の一手じゃろ……お、指したぞ」
盤面を見ると、宮台さんは4六桂と打っていた。
以下、5五金、3四桂、4六香、4三桂。
「4一玉」
セーフ。松平は、正しいほうへ逃げた。
宮台さんは背を引いて、腕組みをする。攻めあぐねている感じだ。
4六桂で大長考したから、残り時間も、ほとんどなくなっていた。
ピッ
1分将棋になった。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「4二桂成ッ!」
突っ込んだ。次に3四銀とされたら、負けと読んだみたい。
同金、2七飛、4五金。
宮台さんは、自分の王様に手をかけた。
「6八玉」
ん? これは? ……あ、7九龍の必至を回避したのか。
今度は、松平が大きく息を吐いた。チェスクロが鳴り、1分将棋になる。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ! パシリ!
松平は、1八馬と引いた。飛車に当てる。
宮台さんはしばらく迷ってから、59秒で8八銀打といなした。
「いやあ」
松平は、前髪をかきあげる。この仕草は、なにか決断の前兆。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「8九龍ッ!」
飛車を取らなかった。9九金と打たせるためだろう。
その金打ちを見てから、松平は2七馬と飛車を回収した。
一見、9九龍、同銀、2七馬のほうが得に見えるけど、後手は飛車を渡した瞬間に詰めろが掛かるから、5一飛、3二玉、3一飛成で詰んでしまう。
「今のやりとりは、上手かったわい。金を手放したのは痛手じゃ」
土御門先輩も、感心のご様子。
「8九金」
宮台さんも、負けじと龍を回収。これで、後手玉には詰めろがかかった。
「一回、王手をかけますか? 2八飛とか?」
「いや、すなおに逃げたほうが良さげじゃ。3二玉じゃろ」
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ! パシリ!
3二玉。これで後手は安泰。
ただ、先手も左側に逃げられるから、どちらも入玉の気配が漂ってきた。
「6一飛」
宮台さんは、入玉を急がずに、詰めろをかけた。
松平は、4一桂と打つ。宮台さんは前後に揺れながら、自陣と敵陣を見比べる。
角の逃げ場所を探してるっぽいけど、もうないのよね。
相入玉なら、松平の点数勝ちなんじゃないかなあ。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「5一桂成」
パシリと、力強い駒音。宮台さんは、あくまでも寄せるつもりのようだ。
松平は2八飛と打って、7九玉に2六馬とした。
これは詰めろ……じゃないのか。松平、ちょっと悠長。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「9一飛成ッ!」
宮台さんの飛車成りに、土御門先輩の目が光った。
「……決着じゃ」
「え?」
土御門先輩はなにも答えず、扇子で肩を叩いて、その場を去った。
決着? どういうこと? 先手勝ち? 後手勝ち?
混乱する私のよこで、松平は身じろぎもせずに盤面を見つめていた。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ! パシリ!
馬入り。これはさすがに詰めろ。6八銀、7八玉、6九馬まで。
宮台さんは7八金としかけて、手を引っ込めた。
「同飛成で入玉できなくなるか……6八香」
松平はその手を見て、かすかにうなずいた。
「2九飛成」
……………………
……………………
…………………
………………
宮台さんの顔が青くなる。
「必至……だと……?」
違う。7八金は5八馬、8七銀は9七角、9八金は6九馬、8九玉、6八馬(このとき7九に打つ駒がない)で詰むけど、9七銀がある。6九馬、8八玉、8七銀、9九玉で詰まない……詰まないけど……7八馬で完璧に寄りだ。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「ま、負けました……」
宮台さんは、頭を下げた。松平も一礼する。
「ありがとうございました」
勝利――松平、ベスト64、2日目進出を決めた。
「中途半端に攻めないで、入玉を目指すんだった」
それが、宮台さんの第一声。松平は、ちょっと疲れたような感じで、
「その場合は、点数勝負に持ち込む予定でした。こっちは大駒が3枚あるので」
と答えた。
「飛車を渡したのがマズかったか。3四桂跳ね以外にあったかな?」
「どうでしょうか……あのあたりは、最善で迫られてるな、って印象でしたが……」
ふたりとも疲労困憊しているらしく、駒はあまり動かされなかった。中盤を浅く検討して、そのままお開きになる。だいたい、土御門先輩の解説通りだったかな。
席を立った松平に、私は声をかけた。
「2日目進出、おめでと」
肩を回していた松平はふりかえって、親指を立てた。
「どうだ、俺もやるだろ?」
「ま、そういうことにしときましょ」
「冷たいなぁ……ところで、風切先輩は?」
知らない、と答えかけたところで、先輩は姿を現した。噂をすれば影だ。
先輩は教室内を見回して、私たちを発見すると、そのままこっちに向かって来た。
「松平、どうだった?」
「勝ちました」
風切先輩は、特におどろいた様子もなく、
「良かったな。復帰から2人通しゃ、上出来だ」
と褒めてくれた。
「ってことは、風切先輩も勝ちですね?」
「なんだなんだ、そんなに信用がないのか?」
松平が返答に困ると、風切先輩はポケットに手を突っ込んで笑った。
「ハハハ、冗談だ。このあと、つっちーたちと飲みに行くけど、行くか?」
「つっちー? ……ああ、土御門先輩ですね。大学合同ってことですか?」
「いや、親しい面子だけだ……が、都ノは全員呼んでくれるらしい」
情報収集の意味もあるんだろうと、風切先輩は付け加えた。
「裏見は、どうだ? もこっちも来るぞ」
「私たち、まだ二十歳じゃありませんけど?」
「べつに、ソフトドリンクでもいいんだ。雰囲気だけでも味わっとけ」
私と松平はちょっとだけ相談して、OKすることにした。
明日からは講義も始まるし、早めに帰りたいとだけ条件づけしておく。
「了解。それじゃ、移動しよう。1日目は、閉会式もない。勝手に解散するだけだ」
勝敗の報告を終えて、私たちは教室を出た。控え室へ向かう途中で、私は立ち止まる。
「先輩たちは、先に行っておいてください」
私はそう言って、もと来た道を引き返した。
「おーい、裏見、どこ行くんだ?」
こらこら、松平、女の子の行き先を、いちいち確認しちゃいけませんよ。
場所:2016年度 春季個人戦1日目 3回戦
先手:宮台 浩二
後手:松平 剣之介
戦型:角換わり腰掛け銀
▲7六歩 △8四歩 ▲7八金 △8五歩 ▲7七角 △3四歩
▲8八銀 △3二金 ▲2六歩 △7七角成 ▲同 銀 △4二銀
▲4八銀 △7二銀 ▲4六歩 △6四歩 ▲4七銀 △6三銀
▲5八金 △5二金 ▲6八玉 △4一玉 ▲3六歩 △9四歩
▲9六歩 △5四銀 ▲1六歩 △1四歩 ▲5六銀 △6五歩
▲7九玉 △3一玉 ▲3七桂 △6二飛 ▲4七金 △4四歩
▲8八玉 △7四歩 ▲1七香 △3三銀 ▲1八飛 △2四銀
▲4八飛 △7三桂 ▲2五歩 △3三銀 ▲2八飛 △8二飛
▲2六飛 △4二金右 ▲7九玉 △5二金 ▲2八飛 △4二金右
▲2六角 △6四角 ▲4八飛 △8四飛 ▲4五歩 △7五歩
▲同 歩 △4五歩 ▲同 桂 △同 銀 ▲同 銀 △8六歩
▲同 歩 △8五歩 ▲4四歩 △1九角成 ▲3七金 △8六歩
▲8八歩 △7六歩 ▲6八銀 △8五桂 ▲6九玉 △7七桂打
▲同 桂 △同歩成 ▲同 銀 △同桂成 ▲同 金 △8七歩成
▲同 歩 △7六銀 ▲同 金 △8七飛成 ▲7七銀 △8九龍
▲5八玉 △5五桂 ▲5九桂 △4七歩 ▲同 金 △同桂成
▲同 飛 △9九龍 ▲4六桂 △5五金 ▲3四桂 △4六香
▲4三桂 △4一玉 ▲4二桂成 △同 金 ▲2七飛 △4五金
▲6八玉 △1八馬 ▲8八銀打 △8九龍 ▲9九金 △2七馬
▲8九金 △3二玉 ▲6一飛 △4一桂 ▲5一桂成 △2八飛
▲7九玉 △2六馬 ▲9一飛成 △5九馬 ▲6八香 △2九飛成
まで126手で松平の勝ち