216手目 同郷対決
というわけで、秋の個人戦2日目。
都ノからの参加メンバーは、女子4人、男子2人。1日目に敗退した三宅先輩と星野くん、それに最初から辞退の穂積お兄さんの姿はなかった。個人戦では、じぶんの出番がない場合は欠席してよし。このルールは、2日目以降も適用される。
三宅先輩は「部長なのにいいのか?」と気にしていた。風切先輩はOKを出した。
だいぶ忙しそうだったものね。ここは休憩して欲しい。
会場は治明のリベルタタワー。ガラス張りの綺麗な高層ビル。
私たちは9階の大教室にあつまっていた。
対局会場は、ひとつうえの10階。2フロアも使ってぜいたく。
私たちは早めに来て、見晴らしのいい窓ぎわを占拠した。
準備をしていると、聖ソフィアの火村さんが話しかけてきた。
「あら、香子、なかなかいい席をとってるじゃない」
こらこら便乗して席取りは禁止。
風切先輩も、
「おーい、火村、このへんはもうほかの大学で埋まってるぞ」
と注意した。
火村さんはすねたように腕組みをして、
「そんなの、見れば分かるわよ」
と答えてから、
「だいたい、あたしは明るいところ、そんなに好きじゃないしぃ」
とつけくわえた。UVカット系?
どうやら単に話しかけただけらしい。ここは私が対応。
「女子も開幕だし、おたがいにがんばりましょうね」
火村さんはするどい爪を立てて、わなわなとふるえた。
「速水萠子には、春のおみまいをたっぷりしてあげるわ」
私怨だと思うんですけど。
っていうか、トーナメントで特定の選手を狙い撃ちするメリットなし。
火村さんは思い出し怒りをやめて、あたりをキョロキョロした。
「そっち、人数すくなくない?」
私は事情を説明した。
火村さんは、あんまり納得しなかったみたいで、
「それって応援はどうするの?」
とたずねてきた。
それはですねぇ、部内でもちょっと議論があった。
最終的に風切先輩の「将棋は個人競技」という意見がとおった。
「将棋は個人競技、ねぇ。まちがってはないけど、応援はだいじでしょ」
それはそう。理由づけとしては微妙な気がする。
ただ、私たちは大学生だ。じぶんの時間はじぶんで決める。
そういうモットーでいこうというのが、都ノのスタイル。
「ま、香子たちの決めごとに、とやかく言う気はないわ。じゃ、またあとで」
火村さんは、きびすを返しかけた。ふと立ち止まる。
「できれば決勝で会いましょ。あたしは1回戦シードだから、そこんとこよろしく」
○
。
.
抽選が始まった。
私は女子の会場でクジを引く。
3番だった。お相手は──なんと、冴島先輩。
応援団服に身をつつんだ、ボーイッシュな女性に声をかけられた。
「よぉ、裏見、ひさしぶりだな」
「すみません、春にあいさつしたっきりで……」
冴島先輩は笑った。
「いいって。オレも応援団でいそがしかったからな」
冴島先輩は駒桜市出身。私と同郷だ。1コ上。
高校卒業後は晩稲田に進学して、そこの応援団に所属している。
あいかわらずゲンキに日焼けしてますね。
2年生だからたいへんなんじゃないかな、と予想。体育会はとくに。
「雑談ってわけにもいかねぇから、とりあえず座ろうぜ」
ですね。
席番号が決まったひとから、どんどん座っている。
私たちは入り口付近の席に座った。
駒をならべる。
「来期からBなんだろ」
「え、あ、はい」
将棋の話題から入ってくるのか。
もうちょっとカジュアルな話かと思った。
先輩らしいといえば、らしいけど。
「冴島先輩はAですよね。Aってどんな感じですか?」
先輩はうしろ髪をかいて、
「オレじゃあレギュラーはムリなんだよなぁ」
と苦笑いした。
んー、冴島先輩が14人のレギュラーになれないのか。
晩稲田のレベル、かなり高い。
「オレが振り駒でいいか?」
「あ、どうぞ」
冴島先輩は豪快にふった。
オモテが3枚で、先輩の先手。
幹事の八千代先輩から指示が出る。
「対局準備は、よろしいでしょうか? ……では、はじめてください」
「よろしくお願いします」
一礼して、私はチェスクロを押した。
冴島先輩はモミ手をしながら、
「いやぁ、マジでひさしぶりに裏見と指すなぁ」
と言い、2六歩と突いた。
3四歩、2五歩、3三角、7六歩。
先手が手損する角換わりか──受けて立つ。
2二銀、7八金、8四歩、3三角成、同銀、6八銀。
すこし組み立てがむずかしい。
先手の方針がみえてこない。
私はどうとでも対応できるように、7二銀と上がっておいた。
4八銀、3二金、4六歩、6四歩、3六歩。
ん? ……先手の態度があいまい。
腰掛け銀とは断定できないかも。
私は7四歩と突くかどうか迷った。7三銀の可能性について考える。
けど、ここから後手が棒銀っていうのは、ちょっと。
「……6三銀」
「3七桂だ」
まさかの右四間? ……なわけないか。このかたちで右四間はムリ。
私は、4七銀〜5六銀と出てくる方向で決め打った。
かたちをあいまいにしてるのはブラフだと予想。
最終的に腰掛け銀になるはず。
4二玉、4七銀、7四歩、4八金、7三桂。
「2九飛」
んー、居玉のママか。
後手から攻めてこい、ってこと?
私は8五歩、7七銀としてから、8一飛と引いた。
部分的には同型になりつつある。
1六歩、1四歩、9六歩、9四歩、6八玉、6二金、6六歩。
「5四銀」
「5六銀」
私はここで小考。口もとに手をあてて考え込む。
4四歩と突けば同型。6五歩と突けば開戦。
4四歩なら、先手から4五歩かな、と思う。
せっかくだから攻める順を考えましょう。
6五歩、同歩、同銀が第一感。
なんだけど、このかたちだとマズい。
以下、6五同銀、同桂、6六銀、6四歩に6三歩の打ち込みがある。
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
よって、6五歩、同歩、同桂の一択。
「6五歩」
「そうこなくっちゃな。同歩」
以下、同桂、6六銀、6四歩、5八玉、3一玉、7七桂。
いきなりぶつけてきた。
同桂成だと、こっちの主張がなくなる。
私は4四歩と突いた。先手から6五桂なら便乗できる。
ここで冴島先輩は長考。
私はお茶のペットボトルをあけた。一服する。
4五歩が本命かしら。攻め合いを読む。
ところが、冴島先輩の手はちがっていた。
「6九飛」
うーん、積極果敢。
私は読みを白紙にもどす。
これは次に6五桂、同歩、同銀以下の清算を狙ってるわよね。
最後に6三歩で止めることは可能。6筋を突破されることはない。
となると、そのほかの先手の動き……こんどこそ4五歩かしら。
私はじっくりと手順を追う。
対局会場は静まりかえり、駒とチェスクロの音だけが聞こえた。
「……8六歩」
ここを突き捨てておく。
冴島先輩はこの手をみて、
「同歩、同飛、8七歩、8一飛の手渡しか」
と読んだ。
それもある。それもあるんだけど──
冴島先輩はすぐに8六同歩と取った。
同飛、8七歩、8一飛、6五桂。
先手は攻勢に出た。
同歩、同銀直、同銀、同飛、6三歩。
「2四歩」
先手も突き捨てを入れてきた。
こちらの方針に影響なし。
私は同歩と取る。
「4五歩」
たたみかけるような歩突き──これを待っていた。
私は持ち駒にゆびをのばす。
「4六桂」
「ん?」
冴島先輩の手がとまった。
「7五歩じゃないのか……」
冴島先輩は椅子にもたれかかった。腕組みをしてうつむく。
読みなおしている雰囲気だ。
4六桂に代えて7五歩も、じっさいに考えた。
同歩なら7六角で王手飛車。
本譜は4九玉と逃げないかぎり、この筋はなくなっている。
でも──
冴島先輩の長考はつづいた。
6八玉だと思うのよね。4七玉は2九角、4六玉、4五歩となったとき、先手の飛車が角のラインに入ってしまっている。収拾がつかないはず。
冴島先輩はのこり15分を切ったところで、6八玉と寄った。
私は1分使って7五歩。
冴島先輩はあたまをかいた。
「マジでそれかぁ」
単に7五歩ではなく、4六桂を入れてからの7五歩。
王手飛車のスジをわざと消してある。
でも、こっちのほうが強烈だと読んだ。
一番のポイントは、王様が8筋に接近していることだ。
8七飛成からの挟撃になれば勝ち。
「……」
「……」
冴島先輩は1分ほど考えた。
「こいつはオレっぽくないから、あんまりやりたくないんだよなぁ……6六飛」