太宰治虫の計略
※今回は太宰くん視点です。
東西線の駅を出る。夜のとばりは、すでに降りきっていた。
繁華街からみる街並みは、どこか殺風景。
東京の夜空には、星がない。ただぼんやりと明るいだけだ。
ひとごみが小道具にみえてくる。
なぜだろう? こんな気持ちは、以前もどこかで感じた。
「いやぁ、なかなか手強いメンツでありましたな」
又吉はメガネをなおしながら、ニヤニヤしていた。
着古した学ランが、夜風にゆれた。
「して、太宰殿、だれが対抗馬になりそうでありますか?」
「又吉は、だれだと思った?」
僕は質問を質問でかえした。
又吉は笑って、
「あいかわらずの韜晦趣味でありますな。吾輩の見立てでは、松平殿ですぞ」
「なるほど、ね……第一印象だとそうかも」
「と、もうしますと?」
「たしかに、松平くんは求心力がありそうだよね。あの場ですら、もう松平派っぽいひとがいたし……とくに磐くんかな。だけど、松平くんは高校で地区の役員をしたことがないんだ。県でも市でも、ね。これは調べてある」
又吉は、「ほうほう」と、古びたあいづちを入れて、
「さすがは太宰殿ですな。高校で幹事をやったことがあるかどうかは、会長えらびの条件になっている、というわけですか。しかし……」
と、言葉をにごした。
僕は又吉の言いたいことを察した。
「もちろん、風切先輩も役員経験はないよ。風切先輩が会長にえらばれたら、これまでの伝統はくつがえされるわけだ。それでも、対抗馬は松平くんじゃないと読んでる」
又吉はうで組みをした。
ああでもないこうでもないと、首をひねる。
「……では、だれが対抗馬でありますか?」
「大谷雛さん」
又吉は、ぽかんと口を開けた。
「大谷殿でありますか?」
「大谷さんが不適切な理由って、なにかあるかな? 一人称が『拙僧』だから? 衣装が変わっているから? でも、そういうところしかないよね。彼女は冷静沈着だし、T島の幹事長も経験しているし、適任だと思うよ。顔もひろい」
「では、なぜ松平殿を呼んだのでありますか?」
「風切先輩が今回の騒動を部員に話しているかどうか、さぐりを入れたんだ。松平くんの反応からして、話していないみたいだね。風切先輩は、あんまりひとと相談しないタイプなのかな。もしそうなら、僕が会長にえらばれるのは、すごくむずかしくなると思う」
又吉はうんうんとうなずいて、
「やはり朽木殿を会長に推したほうが、よろしそうですな」
とコメントした。
んー、それは一見、もっともらしいんだけど──
「先輩が会長になることに、僕は反対なんだよね」
又吉は、すこしばかり動揺した。
「……理由を教えていただけますかな?」
「朽木先輩は、リーダー職に向いてないと思う……あ、そこの理由から説明が必要かな。朽木先輩は、橘先輩がなにかコメントすると、必ず『考えておく』って返すだろう。アレはダメだよ。部員ひとりひとりの発言権は平等なんだ。部全体で総意が固まりかけているときですら、橘先輩がなにか言うと、急に考慮されるよね」
又吉は困惑しきりだった。
「まあ……その……御台所サマなどと呼ばれているのは、事実でありますが……」
「主将選のときだって、雲行きがあやしかったらしいじゃないか」
朽木先輩は、晩稲田の現主将だ。
でも、選挙のときには、反対派がかなり押していたらしい。
僕はまだ高校3年生だったから、詳細は知らない。
けど、橘先輩に対する反発だったという証拠が、いくつかあった。
又吉はようやく冷静になった。
「つまり、太宰殿はこうお考えなのですな。朽木会長になった場合、再来年度の人事は、橘殿の意向で決まってしまうのではないか、と?」
「指名はさすがにムリだろうね。でも、候補をしぼらせるのは簡単だよ。リストアップのときに、橘先輩はかならず口出しする。賭けてもいい」
どこかで怒鳴るような声が聞こえた。
学生街ではありがちな光景だ。僕たちはスルーした。
又吉は近道をやめて、大通りを歩こうと言い始めた。
こういうときに性格が出るよね。
「帰るまえに、僕は大学へ寄るよ」
「こんな時間に、でありますか?」
「部室に用事があるんだ」
さっきまでの会話もあったからか、又吉は腰が引けていた。
「わ、吾輩は用事がありませんので、もうしわけないのですが……」
「いいよ、ここで分かれよう。それじゃ、またあした」
僕はコンビニのまえを通って、いくつかの飲み屋をスルーする。
しばらく歩くと、学生会館の正門がみえた。
守衛さんは本を読んでいた。
こんばんは、とあいさつしておく──ん? 部室の明かりがついてる?
だれだろうか。もしかすると、大会からもどった部員がいるのかな?
僕は東建物へ入って、エレベータで5階にあがる。
文化部がひしめきあっているフロアだった。
念のため、ノックしたほうがいいかな。
コンコン
すると、意外な人物から返事があった──橘先輩だった。
「どなたですか?」
もういちど声が聞こえた。
さて、どうしたものか。
といっても、入らないほうが不審だよね。
僕はドアをあけた。
「こんばんは、太宰です」
和風の部室。将棋の本と盤駒が、たたみのうえに散らかっていた。
橘先輩は、本棚のまえに立っていた。いつものメイド服。
コスプレイヤーと勘違いされるんじゃないかな。
守衛さんには顔をおぼえられてるらしいけど。
橘先輩は、ぶ厚い棋譜ファイルをひらいていた。
プラスチック製で、A4書類なら500枚は閉じられるタイプだ。
「個人戦の予習ですか?」
「ええ……太宰さんは、どうしてこの時間に部室へ?」
「大会の見学に行ってました。勝ち残りメンバーの棋譜でも見ようかな、と」
「どなたが残ってらっしゃいます?」
僕は手帳をひらいて、めぼしいところをあげた。
それを聞き終えた橘先輩は、
「ぼっちゃまの敵ではありませんね」
とコメントした。
んー、なんかこう、的確にヘイトを買う発言をしてくる。
なんでだろうね。
彼女の性格なのか、前のめりな忠誠心なのか、それともほかの原因なのか。
心理学をかじってる僕は、シロウト診断をしたくなる。
個人的には、【転嫁性攻撃行動】か【ストレス障害】だ。
転嫁性攻撃行動というのは、いわゆる八つ当たり。
ストレス障害というのは、イライラや不安で攻撃的性格になること。
まあ、シロウト診断だけどね。当たるも八卦、当たらぬも八卦。いずれにせよ、橘先輩の性格がもとからこうだとは、思えなかった。仮にそうなら、朽木先輩専属のメイドにはなれなかったはずだ。大学に入るまえのどこかで、こじれたんじゃないかな。その原因、気になるね、僕は。
「太宰さん、棋譜をごらんになられないのですか?」
「あ、そうですね、だれのにしようかな、と……ところで、主将は?」
「ぼっちゃまはアルバイトです」
なるほどね。
僕はドアに手をかけた。
橘先輩は、この動作をみとがめた。
「どちらへ?」
「ようするに、主将のあがりを待ってるわけですよね。邪魔しないうちに帰ります」
「……」
僕は橘先輩の表情をみずに、そのまま退室した。
うしろ手でドアを閉める。
エレベータに向かい、ボタンを押した。
待機時間のあいだに、さきほどの手帳をみる。
挟んであったコピー用紙をひらいた。
【昭和六十三年度 関東大学将棋連合 日誌】
九月二十六日(月)
夏休みの郵便物を整理
・暑中見舞い 別表
・大会会場の利用料金請求書(一通)
・関西将棋連合会長の御手様から親書
王座戦の準備について打ち合わせしたし
幹事会に提出すること 済
・匿名の手紙 甲
三部制移行に対する反対意見書
幹事会に提出すること 済
・匿名の手紙 乙
大会交通費の一律不支給決定に関する異議申立
幹事会に提出すること 済
以上
付記 匿名での異議申立は認められない旨の決議
同年十月一日(土)の臨時総会にて
正直、これじゃあ分からないんだよね。
と、エレベータが来た。
僕は乗りこむ。エントランスのある2階のボタンを押した。
すぐに到着する。ラウンジで、知り合いの学生ふたりがしゃべっていた。
僕は手だけふって、そのまま建物から出た。
秋風が心地いい。でも、視線は古い日誌に釘づけだった。
執行部の部屋にはこっそり忍びこんだから、この年度しかコピーできなかった。
聖生に関する手がかりはゼロ。
おかしくないかな。変な暗号が送られてきた、という記録すらない。
もしかして、年度に関する情報がまちがってる?
そんなことがあるんだろうか?
だとすれば、ほかのファイルも総ざらいしないといけない。
そのためには、執行部にもぐりこむ必要がある。
どうやって? 会長になる?
僕は、それよりも簡単な方法を考えた。
会長になりたいふりをして、べつの立候補者と妥協すればいい。
会長はあきらめるから、会計でもやらせてくれとかなんとか。
今日は、そのための仕込みだった。みんな引っかかったかな?
大谷さんが会長で、僕が会計か──悪くはないなぁ。不安はあるけど、ね。