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凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第4章 2016年度春季個人戦1日目(2016年4月17日日曜)
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20手目 ビミョーな駆け引き

「よっしゃ、2回戦突破ッ!」

 松平まつだいらは教室の片隅で、ガッツポーズした。

「最後、ヒヤヒヤしたわよ」

 終盤の入り口は楽勝ペースだったのに、最後は一手違いなんだもの。

「あ、安全勝ちを狙ったからな……ところで、三宅みやけ先輩は?」

 三宅先輩は負けたと、私は伝えた。松平は、右手で髪の毛をくしゃくしゃにした。

「そうか……残念だな。全員突破だと良かったんだが」

「強豪に当たっちゃったみたいだし、しょうがないわ。3回戦に集中しましょ」

風切かざぎり先輩は?」

土御門つちみかど先輩に声をかけられて、どこかに行っちゃった」

 飲み会の相談かしら。私たちも誘われているのか、イマイチ分からない。

「次の相手のデータ、あるか?」

 私は観戦中に、となりもチェックしておいた。相手は房総ぼうそう商科大学の3年生で、眼鏡をかけた小太りのひとだった。他の学生と話している感じからして、レギュラークラスなのは間違いない。3回戦に進出したことも、それを証明していた。

「房総商科って、Dクラスだよな?」

「みたいね。三宅先輩からもらった資料に、星マークがついてるから」

「風切先輩も言ってたが、Dでも弱いわけじゃないんだな。棋風は?」

「普通に居飛車党みたい。1回戦と2回戦が、両方対抗型だったわ」

 ふたりで相談していると、肝心の対戦相手に声をかけられた。

「きみたち、都ノみやこののひとだよね?」

 松平は一歩前に出て、そうだと答えた。

「僕は、房総商科で部長をやってる宮台みやだいだよ。よろしく。きみたち1年生?」

 宮台さんは、いきなりのタメ口だった。

 どうやら、都ノには2年生以下しかいないという情報が、広まっているらしい。

 あいかわらずの情報網で、なんだか警戒してしまう。

 松平は、よろしくお願いします、と付け加えた。

「ああ……きみが松平くん?」

「はい」

「主将か部長にあたるひとって、だれかな? そっちの女の子?」

「いえ、彼女は違います。三宅って言う2年生の男子です」

 ああ、そう、と宮台さんは答えて、眼鏡を拭き始めた。

「ひとつ質問なんだけど、聖ソフィアときみたちって、どっちが上?」

「上? ……上ってなんですか?」

「団体戦の順位だよ。きみたちのうち、どっちかが9位で、どっちかが10位だよね?」

 松平は、返答に窮した。そう言えば、聖ソフィアも、Dクラスからやり直しだ。ということは、うちと同じで、下のほうから参加のはず。でも、上下がよく分からない。

 松平は、すなおに知らないと答えた。

「あ、そうなんだ……まあ、特例だからね。きみたちは、今日来てるので全部?」

 松平は、答えなかった。どうみても、探りを入れる質問だったからだ。

「見たところ、団体戦の人数に足りないみたいだけど? それとも、隠し球が……」

「えー、時間が押してますので、そろそろ着席してください」

 幹事が、大声で指示を出した。3回戦の準備が始まる。

 松平と宮台さんは、雑談をやめて対局席へと向かった。

 椅子を引いて、駒を並べる。

「対局準備の整ったところから、順次、振り駒してください」

 松平は宮台さんに、振り駒をゆずった。

「じゃ、やらせてもらうね……ほいっと」

 歩が3枚。宮台さんの先手。

「対局準備のできていないところは、ありますか?」

 幹事は、教室内を見回した。3回戦で、もうだいぶ選手が減っている。観戦者のほうが多いくらいだ。私もそのなかに混じって、教室の隅っこで待機。

「支障はありませんね? では、始めてください」

「よろしくお願いします」

 対局者が一斉に頭を下げて、チェスクロが次々に押された。

 会場内の戦型チェックを済ませてから、私は廊下に出た。

 すると、三宅先輩にばったり遭遇して、

裏見うらみは、ここへ残ってていいぞ」

 と言われた。

「3回戦のチェックは、しないんですか?」

「俺がやっておく」

「でも、先輩は対局後ですし……」

「裏見には、ずっとやってもらってるからな。それに、自分の目で確認しておきたい」

 部長の責任ってわけか。私はお礼を言って、先輩の好意に甘えた。

 さっきの教室へもどり、松平のうしろについて、観戦する。

 

挿絵(By みてみん)


 角換わり……か。

 私が戦法を確認した途端、松平は6五歩と伸ばした。積極的。

 以下、7九玉、3一玉、3七桂、6二飛、4七金、4四歩、8八玉、7四歩と進んだ。

 序盤だから、指し手が速いわね。

 ちょっと変則的な駒組みだと思う。先手も後手も。

 

 パシリ

 

 宮台さんは、1七香と上がった。こっちも積極的。

「3三銀」

「1八飛」


挿絵(By みてみん)


 ふぅん、先手は端攻めか……松平は、しばし長考。おそらく、2七角を読んでいるのだろう。2七角、1九飛、3八角成なら、先手がちょっと困りそう。でも、2七角に4八飛と寄る手がある。馬を作れないで立ち往生しちゃうから、これは後手がイヤかな。

「2四銀」

 松平も、角は打たなかった。端攻めに備える。

「4八飛」

 宮台さんは端攻めを諦めて、4筋に飛車を転換。ただ、これも金が邪魔で、攻めるのはむずかしそう。先手が苦心してる感じ。

 松平のほうは7三桂と跳ねて、攻めの体勢を整えた。

「んー」

 宮台さんは、すこし斜めに構えて、盤面を睨んだ。

「工夫するか……2五歩」

 3三銀、2八飛、8二飛。


挿絵(By みてみん)


 お互いに飛車をもどったけど……まだ攻められないわね。

 手詰まりになっている気がする。千日手含みかなあ。

 2六飛、4二金右、7九玉、5二金、2八飛、4二金右。

「なんじゃ、ここは千日手か?」

 スッと背後に人影が現れて、私はびっくりした。

 ふりかえると、狩衣かりぎぬの美少年。一瞬、平安時代にトリップしたような錯覚。

「つ、土御門先輩、驚かさないでください」

「すまんすまん。驚かすつもりはなかったんじゃがな」

 先輩はふところから扇子を取り出して、パッとひらいた。桜の絵柄だった。

「熱心に観ておるが、彼氏か?」

 なんで勝手にカップリングするかな。セクハラよ、セクハラ。

「部員を応援してるだけです」

「そうかそうか」

 先輩は涼しげに、パタパタと顔を仰いだ。どうも拍子抜けするわね。

「土御門先輩なら、ここからどう攻めますか?」

「駒組みの段階で失敗しておるように見えるが……打開するなら、角打ちかの」

「敵陣に角打ちですか?」

「自陣じゃ。先手なら2六角と打ってみたいぞ」

 攻め駒を追加しないといけないってことか。私もその順で考えてみる。

 

 パシリ

 

 あ、指した。

 

挿絵(By みてみん)


 ほほぉ、対局者も、同じ結論に至ったみたい。

 以下、6四角、4八飛、8四飛。

 後手の角打ちは、先手の攻めに対処するためかしら。

「4五歩」

 宮台さんは、力強く開戦した。

 これは、取れないわよね。同歩、同銀、同銀、同桂、2二銀は、いくらなんでも後手がもたないと思う。無視して反撃するしかない。7五歩とか。

「7五歩、同歩、4五歩、同銀、同銀、同桂みたいな感じですか?」

「して、その続きは?」

「2二銀と逃げて……先手は、6二銀と打ちたいです」

 この攻めは、相当キツいはず。4三金左と受けても、5三銀不成、同金寄、同桂成、同金に同角成と切って、同角、4三金と絡み付けば、ほとんど寄りに近いからだ。あとは5六金で飛車先を通せば完勝。

 土御門先輩は、口もとに扇子を当てて、ふむふむと首を縦に振った。

「その順は、後手潰れに見える……が、わしなら、同桂に2二銀とはせず、4四歩と受け止めておきたいところじゃ」

「3三桂成を許容するんですか? 同金右、4六歩で?」

「3三桂成には、同金ではなく同桂としたいかの。次に2五桂と跳ねて、歩を入手してから8六歩、同歩、8五歩、同歩、同桂は、どうじゃ?」


【参考図】

挿絵(By みてみん)


 ふむふむ、そういう反撃があるのか。これなら、7五歩の突き捨てが活きて来る。

「3三同桂に4四角とは出られませんし、先手失敗っぽいですね」

 私たちが見当をつけたところで、パシリと駒音がした。

 7五歩が指されている。以下、同歩、4五歩、同桂と進んだ。

 

挿絵(By みてみん)


 こっちか。意味は、すぐに分かった。同銀、同銀に4四歩は、同桂の場合と違って4四同銀と突っ込める。以下、同銀、同角、1九角成のときに1一角成があるから、この場合は角出が成立しているのだ。

 つまり、さっき土御門先輩の指摘した、8六歩以下の継ぎ歩が本命になるはず。

「とはいえ、この流れでは、4五銀、同銀、8六歩、同歩、8五歩に、同歩と取らんじゃろう。おそらくは、なにか攻めの手を見せると思うぞ」

「攻めの手……4四銀は、どうですか?」

「いやあ、無理じゃろ。8六歩、8八歩、8五桂のほうが速いわい」


【参考図】

挿絵(By みてみん)


 む、確かに。

「3三銀成から銀を渡すと、さすがにもたんぞ」

「そうですね……だとすると、なにか別の手を……受けますか?」

 土御門先輩は、扇子をパチパチしながら、

「受けると言っても、このかたちではのぉ」

 とつぶやき、目を細めた。

 ああでもない、こうでもないと相談していると、後手が動いた。

 4五同銀から、同銀、8六歩、同歩、8五歩。

 予想通りの継ぎ歩だった。

 宮台さんは息をついて、ペットボトルのコーラを飲んだ。

「ふぅ……4四歩」


挿絵(By みてみん)


 ほほぉ、これが答えですか。

 でもでも、ひと目、指したい手がある。

 松平は1分ほど考えて、その一手を指した。1九角成だ。

 さすがに見落としではなかったらしく、宮台さんは3七金と寄った。

「3七角もありましたよね?」

「ふぅむ……むずかしいところじゃな……ここから厳しく指すなら、8六歩、8八歩に7六歩と叩き、6八銀とへこませてから、8五桂じゃ。7六歩に同銀は、6四桂で痺れる。8五桂に対して、先手は適当な受けがないように見えるわい」

「え? ってことは、後手優勢ですか?」

 土御門先輩は、狩衣の袖に、その細い腕を突っ込んだ。

「しかーし、そこで6九玉と早逃げする手がある」

「早逃げしても、もたなくないですか? 7七歩成からで」

「それは、歩が足りていないように見える」

「そうですか? 7七歩成、同桂、同桂成、同銀、8五桂……あ、8六銀」


【参考図】

挿絵(By みてみん)


 土御門先輩は、閉じた扇子をひらひらさせた。

「おそらく、それで切れ筋じゃ。このときにな、後手に角があると、続く虞がある。それを見越しての3七金じゃろう。3七角、同馬、同金は、角を手持ちにして危ないのじゃ」

 むむむ、松平、ピンチ?

 私が心配するなか、局面は進んだ。

 8六歩、8八歩、7六歩、6八銀、8五桂。

「6九玉」


挿絵(By みてみん)


 宮台さんは、時間攻めでもするかのように、早逃げした。

 ここで、なにかいい手があれば――松平は、真剣な表情で考える。

 1分……2分……3分……じ、時間を使い過ぎじゃない?

 宮台さんは15分残してるけど、松平はもう10分を切りそうだった。

 数字が【9:17】になったところで、ようやく松平は動いた。

「これしかないか」

 松平はそう呟いて、持ち駒へと手を伸ばした。

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