20手目 ビミョーな駆け引き
「よっしゃ、2回戦突破ッ!」
松平は教室の片隅で、ガッツポーズした。
「最後、ヒヤヒヤしたわよ」
終盤の入り口は楽勝ペースだったのに、最後は一手違いなんだもの。
「あ、安全勝ちを狙ったからな……ところで、三宅先輩は?」
三宅先輩は負けたと、私は伝えた。松平は、右手で髪の毛をくしゃくしゃにした。
「そうか……残念だな。全員突破だと良かったんだが」
「強豪に当たっちゃったみたいだし、しょうがないわ。3回戦に集中しましょ」
「風切先輩は?」
「土御門先輩に声をかけられて、どこかに行っちゃった」
飲み会の相談かしら。私たちも誘われているのか、イマイチ分からない。
「次の相手のデータ、あるか?」
私は観戦中に、となりもチェックしておいた。相手は房総商科大学の3年生で、眼鏡をかけた小太りのひとだった。他の学生と話している感じからして、レギュラークラスなのは間違いない。3回戦に進出したことも、それを証明していた。
「房総商科って、Dクラスだよな?」
「みたいね。三宅先輩からもらった資料に、星マークがついてるから」
「風切先輩も言ってたが、Dでも弱いわけじゃないんだな。棋風は?」
「普通に居飛車党みたい。1回戦と2回戦が、両方対抗型だったわ」
ふたりで相談していると、肝心の対戦相手に声をかけられた。
「きみたち、都ノのひとだよね?」
松平は一歩前に出て、そうだと答えた。
「僕は、房総商科で部長をやってる宮台だよ。よろしく。きみたち1年生?」
宮台さんは、いきなりのタメ口だった。
どうやら、都ノには2年生以下しかいないという情報が、広まっているらしい。
あいかわらずの情報網で、なんだか警戒してしまう。
松平は、よろしくお願いします、と付け加えた。
「ああ……きみが松平くん?」
「はい」
「主将か部長にあたるひとって、だれかな? そっちの女の子?」
「いえ、彼女は違います。三宅って言う2年生の男子です」
ああ、そう、と宮台さんは答えて、眼鏡を拭き始めた。
「ひとつ質問なんだけど、聖ソフィアときみたちって、どっちが上?」
「上? ……上ってなんですか?」
「団体戦の順位だよ。きみたちのうち、どっちかが9位で、どっちかが10位だよね?」
松平は、返答に窮した。そう言えば、聖ソフィアも、Dクラスからやり直しだ。ということは、うちと同じで、下のほうから参加のはず。でも、上下がよく分からない。
松平は、すなおに知らないと答えた。
「あ、そうなんだ……まあ、特例だからね。きみたちは、今日来てるので全部?」
松平は、答えなかった。どうみても、探りを入れる質問だったからだ。
「見たところ、団体戦の人数に足りないみたいだけど? それとも、隠し球が……」
「えー、時間が押してますので、そろそろ着席してください」
幹事が、大声で指示を出した。3回戦の準備が始まる。
松平と宮台さんは、雑談をやめて対局席へと向かった。
椅子を引いて、駒を並べる。
「対局準備の整ったところから、順次、振り駒してください」
松平は宮台さんに、振り駒をゆずった。
「じゃ、やらせてもらうね……ほいっと」
歩が3枚。宮台さんの先手。
「対局準備のできていないところは、ありますか?」
幹事は、教室内を見回した。3回戦で、もうだいぶ選手が減っている。観戦者のほうが多いくらいだ。私もそのなかに混じって、教室の隅っこで待機。
「支障はありませんね? では、始めてください」
「よろしくお願いします」
対局者が一斉に頭を下げて、チェスクロが次々に押された。
会場内の戦型チェックを済ませてから、私は廊下に出た。
すると、三宅先輩にばったり遭遇して、
「裏見は、ここへ残ってていいぞ」
と言われた。
「3回戦のチェックは、しないんですか?」
「俺がやっておく」
「でも、先輩は対局後ですし……」
「裏見には、ずっとやってもらってるからな。それに、自分の目で確認しておきたい」
部長の責任ってわけか。私はお礼を言って、先輩の好意に甘えた。
さっきの教室へもどり、松平のうしろについて、観戦する。
角換わり……か。
私が戦法を確認した途端、松平は6五歩と伸ばした。積極的。
以下、7九玉、3一玉、3七桂、6二飛、4七金、4四歩、8八玉、7四歩と進んだ。
序盤だから、指し手が速いわね。
ちょっと変則的な駒組みだと思う。先手も後手も。
パシリ
宮台さんは、1七香と上がった。こっちも積極的。
「3三銀」
「1八飛」
ふぅん、先手は端攻めか……松平は、しばし長考。おそらく、2七角を読んでいるのだろう。2七角、1九飛、3八角成なら、先手がちょっと困りそう。でも、2七角に4八飛と寄る手がある。馬を作れないで立ち往生しちゃうから、これは後手がイヤかな。
「2四銀」
松平も、角は打たなかった。端攻めに備える。
「4八飛」
宮台さんは端攻めを諦めて、4筋に飛車を転換。ただ、これも金が邪魔で、攻めるのはむずかしそう。先手が苦心してる感じ。
松平のほうは7三桂と跳ねて、攻めの体勢を整えた。
「んー」
宮台さんは、すこし斜めに構えて、盤面を睨んだ。
「工夫するか……2五歩」
3三銀、2八飛、8二飛。
お互いに飛車をもどったけど……まだ攻められないわね。
手詰まりになっている気がする。千日手含みかなあ。
2六飛、4二金右、7九玉、5二金、2八飛、4二金右。
「なんじゃ、ここは千日手か?」
スッと背後に人影が現れて、私はびっくりした。
ふりかえると、狩衣の美少年。一瞬、平安時代にトリップしたような錯覚。
「つ、土御門先輩、驚かさないでください」
「すまんすまん。驚かすつもりはなかったんじゃがな」
先輩はふところから扇子を取り出して、パッとひらいた。桜の絵柄だった。
「熱心に観ておるが、彼氏か?」
なんで勝手にカップリングするかな。セクハラよ、セクハラ。
「部員を応援してるだけです」
「そうかそうか」
先輩は涼しげに、パタパタと顔を仰いだ。どうも拍子抜けするわね。
「土御門先輩なら、ここからどう攻めますか?」
「駒組みの段階で失敗しておるように見えるが……打開するなら、角打ちかの」
「敵陣に角打ちですか?」
「自陣じゃ。先手なら2六角と打ってみたいぞ」
攻め駒を追加しないといけないってことか。私もその順で考えてみる。
パシリ
あ、指した。
ほほぉ、対局者も、同じ結論に至ったみたい。
以下、6四角、4八飛、8四飛。
後手の角打ちは、先手の攻めに対処するためかしら。
「4五歩」
宮台さんは、力強く開戦した。
これは、取れないわよね。同歩、同銀、同銀、同桂、2二銀は、いくらなんでも後手がもたないと思う。無視して反撃するしかない。7五歩とか。
「7五歩、同歩、4五歩、同銀、同銀、同桂みたいな感じですか?」
「して、その続きは?」
「2二銀と逃げて……先手は、6二銀と打ちたいです」
この攻めは、相当キツいはず。4三金左と受けても、5三銀不成、同金寄、同桂成、同金に同角成と切って、同角、4三金と絡み付けば、ほとんど寄りに近いからだ。あとは5六金で飛車先を通せば完勝。
土御門先輩は、口もとに扇子を当てて、ふむふむと首を縦に振った。
「その順は、後手潰れに見える……が、わしなら、同桂に2二銀とはせず、4四歩と受け止めておきたいところじゃ」
「3三桂成を許容するんですか? 同金右、4六歩で?」
「3三桂成には、同金ではなく同桂としたいかの。次に2五桂と跳ねて、歩を入手してから8六歩、同歩、8五歩、同歩、同桂は、どうじゃ?」
【参考図】
ふむふむ、そういう反撃があるのか。これなら、7五歩の突き捨てが活きて来る。
「3三同桂に4四角とは出られませんし、先手失敗っぽいですね」
私たちが見当をつけたところで、パシリと駒音がした。
7五歩が指されている。以下、同歩、4五歩、同桂と進んだ。
こっちか。意味は、すぐに分かった。同銀、同銀に4四歩は、同桂の場合と違って4四同銀と突っ込める。以下、同銀、同角、1九角成のときに1一角成があるから、この場合は角出が成立しているのだ。
つまり、さっき土御門先輩の指摘した、8六歩以下の継ぎ歩が本命になるはず。
「とはいえ、この流れでは、4五銀、同銀、8六歩、同歩、8五歩に、同歩と取らんじゃろう。おそらくは、なにか攻めの手を見せると思うぞ」
「攻めの手……4四銀は、どうですか?」
「いやあ、無理じゃろ。8六歩、8八歩、8五桂のほうが速いわい」
【参考図】
む、確かに。
「3三銀成から銀を渡すと、さすがにもたんぞ」
「そうですね……だとすると、なにか別の手を……受けますか?」
土御門先輩は、扇子をパチパチしながら、
「受けると言っても、このかたちではのぉ」
とつぶやき、目を細めた。
ああでもない、こうでもないと相談していると、後手が動いた。
4五同銀から、同銀、8六歩、同歩、8五歩。
予想通りの継ぎ歩だった。
宮台さんは息をついて、ペットボトルのコーラを飲んだ。
「ふぅ……4四歩」
ほほぉ、これが答えですか。
でもでも、ひと目、指したい手がある。
松平は1分ほど考えて、その一手を指した。1九角成だ。
さすがに見落としではなかったらしく、宮台さんは3七金と寄った。
「3七角もありましたよね?」
「ふぅむ……むずかしいところじゃな……ここから厳しく指すなら、8六歩、8八歩に7六歩と叩き、6八銀とへこませてから、8五桂じゃ。7六歩に同銀は、6四桂で痺れる。8五桂に対して、先手は適当な受けがないように見えるわい」
「え? ってことは、後手優勢ですか?」
土御門先輩は、狩衣の袖に、その細い腕を突っ込んだ。
「しかーし、そこで6九玉と早逃げする手がある」
「早逃げしても、もたなくないですか? 7七歩成からで」
「それは、歩が足りていないように見える」
「そうですか? 7七歩成、同桂、同桂成、同銀、8五桂……あ、8六銀」
【参考図】
土御門先輩は、閉じた扇子をひらひらさせた。
「おそらく、それで切れ筋じゃ。このときにな、後手に角があると、続く虞がある。それを見越しての3七金じゃろう。3七角、同馬、同金は、角を手持ちにして危ないのじゃ」
むむむ、松平、ピンチ?
私が心配するなか、局面は進んだ。
8六歩、8八歩、7六歩、6八銀、8五桂。
「6九玉」
宮台さんは、時間攻めでもするかのように、早逃げした。
ここで、なにかいい手があれば――松平は、真剣な表情で考える。
1分……2分……3分……じ、時間を使い過ぎじゃない?
宮台さんは15分残してるけど、松平はもう10分を切りそうだった。
数字が【9:17】になったところで、ようやく松平は動いた。
「これしかないか」
松平はそう呟いて、持ち駒へと手を伸ばした。