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凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第35章 2016年度秋季団体戦3日目(2016年10月9日日曜)
208/487

207手目 Prestissimo

 観葉植物で仕切られた、おしゃれなレストラン。

 すこしばかり値が張るけど、そのぶん知り合いの顔はなかった。

 私の目のまえには、ほうれんそうとキノコのピザが一枚。

 ドリンクのオレンジジュースは、しぼりたての果肉入り。

 ナイフとフォーク、それにピザ生地のさくさくという音。

 あまりにも静かな昼食。

 息がつまりそうな空気に、風切かざぎり先輩はタメ息をついた。

「おいおい、お通夜つやじゃないんだから、もうちょっとなんか話そうぜ」

 そう言われましてもですね。

 7回戦の東海道とうかいどう戦は、5−2で勝利。

 いよいよ次は赤学あかがくとの全勝対決だ。

 これで緊張するなっていうほうが無理だと思う。

 ここでララさんが手をあげて、

「次はララ出るの?」

 とたずねた。三宅みやけ先輩は、

「迷ってる」

 と答えた。

 ララさんはベーコンピザをほおばりながら、

「あんまり直前だと、心の準備ができないよ〜」

 と言った。

 そうなのよねぇ。私も6番席か7番席かが決まっていない。

 しかも、決まってないだけならともかく――わきくんと当たる可能性があるのだ。

 脇くんは春に、下の端のほうで出ていた。だから真ん中より上、というのが三宅みやけ先輩たちの読みだったんだけど、これは外れてしまった。赤学は春と似たオーダーを採用している。つまり、うちとおなじでC級の癖を見抜いたわけだ。

 脇くんを風切先輩が仕留めるのはムリになっていた。

 私はジュースを飲んで、ひとこと、

「私が6番席ならララさんが抜けで、7番席なら三宅先輩が抜けですよね?」

 と確認した。

 三宅先輩はうなずいた。

「その予定だ」

 ここで星野ほしのくんがコメントした。

「すみません、先週3連敗してるので、僕アウトのララさんインでもいいような……」

 これにはララさんが、

「ダメダメ、部室の成績で決めなきゃ。かけるのほうがいいよ」

 と言った。

 なぁんか押し付け合いみたいな感じになってるのよねぇ。

 三宅先輩もこれはよくないと思ったらしく、

「オーダーの責任は俺がとる。もうすこし待ってくれ」

 と答えた。

 そのあとは、東海道戦をすこしふり返って、ランチは終わった。

 会計を済ませてレストランを出る。

 他校を警戒して遠目の場所を選んだから、ちょっと歩かないといけなかった。

 歩道がせまい。3、4人のグループに分散した。

 私は、大谷さん、ララさん、松平まつだいらで、ナイトクラブのメンバーになっていた。

 松平は低めの声で、

「このまえの脇との会話、先輩たちには伝えてないけど、いいんだよな?」

 と言った。私はうなずいて、

「4人で話し合ったとき、そういう結論になったでしょ」

 と小声で答えた。

 ところが、ララさんはまだ納得していないらしく、

「でもさぁ、あのワッキーの台詞、ブラフじゃないと思うんだよねぇ」

 と言いながら、両腕を後頭部に回して、体を左右にゆらした。

 私はちょっと声を落とすように催促してから、

「確証がないわ。なにか誤った印象を植えつけようとしたのかもしれないでしょ」

 と指摘した。

「そうかなぁ……ひよこは、どう思う?」

「それについては先日お話ししたとおりです。脇くんの発言がブラフだと、拙僧は思っていません。しかし、先輩たちにお伝えする内容でもなかったと考えています」

 そうそう、わざわざ伝えるようなエピソードでもない。

 私たちはその話題を、それっきりにした。


  ○

   。

    .


 C級の対局テーブルは、満員御礼だった。

 他大の偵察がわんさか駆けつけていた。私たちは人混みをかきわけて進む。

 というか、オーダー交換前くらいは自重してくださいな。

 とりあえず三宅先輩のあとに続く。

 私たちが1番テーブルに到着したとき、向かいの席にはひとが座っていた。

 脇くんだった。

 三宅先輩は、

「っと、遅れて悪い」

 と形式的に謝った。脇くんは肩をすくめて、

「まだセッションまで時間があります」

 と答えた。

 三宅先輩は眉をひそめる。

「セッション?」

「……いえ、なんでもありません」

 ふたりはオーダー表をひらいた。

 私たちは直前で、じぶんたちの順を教えてもらっていた。

 あとは赤学がどう出てくるか、だけ。

都ノみやこのからどうぞ」

「ああ、わかった……そのまえにちょっと確認していいか?」

 三宅先輩の問いかけに、脇くんは「はい」とだけ答えた。

「そっちは部長と主将が来てないみたいだが、代理の許可は取ってあるんだよな?」

 この質問には、事情を知っている私のほうがドキリとした。

 一方、脇くんは眉ひとつ動かさなかった。

「はい」

「そっか、ならいい……都ノ、1番席、副将、穂積ほづみ八花やつか

「赤山学園、1番席、副将、増田ますだ皓平こうへい

「2番席、三将、松平まつだいら剣之介けんのすけ

「2番席、三将、藤原ふじわら健士けんじ

「3番席、四将、星野ほしのかける

「3番席、五将、岩井いわい綾斗あやと

「4番席、五将、風切かざぎり隼人はやと

「4番席、六将、宮内みやうち慶也きょうや

「5番席、七将、大谷おおたにひよこ

「5番席、八将、川名かわなゆう

「6番席、八将、裏見うらみ香子きょうこ

 このとき、脇くんは一瞬だけ微笑んだようにみえた。

「6番席、十将、わき聖司せいじ

 ぐぅ、当たった。

「……7番席、九将、三宅みやけじゅん

「7番席、十一将、西河にしかわ哲郎てつろう

 まわりの偵察組はササッとメモをとって退散した。

 都ノと赤学のメンバーも、それぞれの席に散った。

 私と脇くんは6番席にむかう。

 椅子を引いたところで、脇くんは、

「裏見さん、セッションの話はほかの部員にしなかったんだね」

 とつぶやいた。

 私はドキリとする。でも、罪悪感をおぼえるようなことでもないと考えた。

「あれは先輩たちに伝えることじゃないと思ったから」

「なるほどね……」

 脇くんは着席して、駒をならべはじめた。

 会場のざわつきが消えていく。

 今回の幹事は八千代やちよ先輩だった。

「1番席は振り駒をお願いします」

 穂積ほづみさんが振り駒。

「都ノ、偶数先ぐうすうせんッ!」

 よし、先手をとれた。

 ほんとうは関係ないけど、気分が少しまえむきになる。

 気持ちに積極性を持たせるいいきっかけだ。

 会場内は静まりかえり、対局開始の合図を待つ。

「……それでは、始めてください」

「よろしくお願いしますッ!」

 私たちは一礼する。

 脇くんがチェスクロを押した。

 私は気持ちを落ち着けて、力強く7六歩と開けた。

 脇くんはすぐには指さず、純白のタンブラーの位置を調整した。

「……今回は裏見うらみさんの音に乗っていこうか。8四歩」

 そういう盤外戦術は禁止。これは将棋。

 2六歩、8五歩、7七角、3四歩、8八銀、3二金、7八金、7七角成。


挿絵(By みてみん)


 角換わりだ。

 同銀、2二銀、4八銀、6二銀、4六歩、4二玉、4七銀、7四歩。

 王様の移動が早い。3三銀も5二金も入れずに、居玉を先に避けてきた。

 これは速攻態勢とみました。

 私は5六銀と出て、3四と7四の歩にプレッシャーをかけた。

 3三銀、9六歩、7三銀、6六歩、8四銀、5八金。

「prestissimo……7五歩」


挿絵(By みてみん)


 ッ!! 超速攻の棒銀ッ!?

 しまった、これは予想してなかった……って、顔に出しちゃダメ。

 とはいえ、手なりで対応できる状況でもなかった。

 私はじぶんを落ち着かせる。

 脇くんは澄まし顔で、タンブラーのコーヒーを飲んでいた。

 さすがに研究手でしょ……ただ、かたちは棒銀。それ以外のなにものでもない。

 だったら棒銀に対応していけばいい。2二に角の援護はいない。

「……6七銀」

 上部を厚くする。雁木がんぎのかまえ。

 脇くんも即潰れはないと判断したらしく、9四歩と伸ばした。

 これもそんなに脅威じゃないのよね。

 ふつうの棒銀は2二に角がいるから、端攻めがけっこう強烈。

 今はおたがいに手持ち。さすがに4四角の打ちなおしとかはないし。

「6八玉」

 居玉は回避する。

 5二金、1六歩、1四歩、4五歩、3一玉。


挿絵(By みてみん)


 ……動きようがなくなった気がする。

 7九玉としてみる? ……いや、それよりもこっちがいいか。

「4八飛」

 私はチェスクロを押した。

 この手はすぐに仕掛けるんじゃなくて、ちょっと手待ちの方針。

 そもそも、飛車以外はもうほとんど動けない。7九玉も危険だ。

 脇くんはコーヒーを飲みながら、静かに盤を見すえた。

 私は2二玉、2八飛のもどりを本命に読む。

 2分ほど経って、脇くんはタンブラーをおいた。

「裏見さんは、率先して音を引っ張っていくタイプじゃないのかな」

 私は思考を乱されて、すこしばかりとまどった。

「なんの話?」

「じゃあ僕の音に乗ってきてよ……9五歩」

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