表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第35章 2016年度秋季団体戦3日目(2016年10月9日日曜)
207/487

206手目 セッション

「ワッキーが友だちづれなんて、めずらしいな」

 ヒゲのおじさんはそう言って、カウンターに寄りかかった。

 カラフルなリンゴ模様のシャツを羽織り、くすりゆびには金の指輪をはめていた。

 いかにも常連さん、というイメージ。

 よく日焼けしていたけど、お腹はちょっと出ぎみ。

 わきくんはあいさつもせずに、

「ちょっとね」

 とだけ答え、私たちのプライバシーには触れなかった。

 おじさんも不干渉主義なのか、私たちにはあまり関心を示さなかった。

 脇くんだけをみて、

「ワッキー、こんど俺とセッションしてくれよ」

 と、いきなり注文をつけてきた。

 脇くんはメロンソーダのアイスをかき混ぜながら、

「アオキさんなら、僕なんかと組まなくても、あいてが見つかるでしょ」

 と言った。

 アオキさんはくちびるをすぼめて、しぶそうな顔をした。

「俺がだれと組むかは、俺が決めることだろ」

「だったら、僕がだれと組むかは僕が決めること、じゃないですかね」

 ひやりとするような軽口。

 それにもかかわらず、アオキさんは豪快に笑った。

「ハハッ、そりゃそうだ……で、どうだ? そろそろ前の曲が終わるぜ?」

 脇くんは頬づえをついて、そっと目を閉じた。

「今、そういう気分じゃないんですよね……なんか乗らないっていうか……」

「どうしたらノッてくれる?」

「すくなくとも『言葉』じゃないですよね、この業界では」

 アオキさんは、グラスを持った手のひとさしゆびを立てて、脇くんをゆびさした。

「そのとおりだ」

 アオキさんはグラスを飲み干し、ゆっくりと奥のダンススペースへ移動した。

 いままで演奏されていた音楽が、ちょうど終わった。

 アオキさんは、ドラムを叩いていた青年となにやら話して、交代してもらう。

 シャーンとシンバルの音が鳴り、新しい演奏が始まった。

 さきほどの落ち着いた曲調から、アップテンポに変わった。

 おどっていたひとたちも、すこしばかりダイナミックになる。

 脇くんは目を開けて、フッと笑った。

「アオキさんらしい曲だね」

 うーん、さっきから会話の糸口がつかめない。

 なにか言わないといけないと思ったのか、松平まつだいらが返事をした。

「たしかに、陽気そうなひとだったな」

「いや、あのひとはさみしがり屋なんだよ。この曲だってそうだろう?」

 松平は返答に窮した。

 私もフォローできない。

 脇くんは苦笑した。

「ごめん、僕とこんな会話してもおもしろくないよね」

 松平は、「いや」と即座に否定した。

「こういうのははじめてだから面食らってるが、雰囲気は楽しい」

「そっか……大谷おおたにさんは、なんだか僕と会話したがってるようにみえるね」

 私たちの視線が、大谷さんに集中した。

 大谷さんは大谷さんで、まったく臆することなく、

「はい、このような禅問答、拙僧はキライではありません」

 と答えた。

 ま、まあ、禅問答っていえば禅問答だけど、なんかちがうような。

 脇くんはひと口飲んで、グラスをおいた。緑色の液体がゆれる。

「大谷さんと話すのは、はじめてかな。高校の全国大会では見かけたのに」

「男子と女子に分かれていましたし、親しい者同士でかたまる傾向がありますので」

「だね……僕はひとりっきりだった」

「会場のかたすみで、音楽をお聞きになられていました。今でもおぼえています」

 大谷さんは、ずいぶんとくつろいでいるようにみえたと、そうつけくわえた。

 脇くんはこのコメントがなぜか気にいったらしく、

「へぇ……『くつろいでる』って表現、おもしろいな。じっさいにそう見えたの?」

 とつっこんできた。

「はい、拙僧にはそう見えました」

「じゃあ、いまの僕はどうみえる?」

 やっかいな質問だな、と思いきや、大谷さんは即答した。

「はしゃぎたくなる気分を、おさえていらっしゃるようにみえます」

「ジャズハウスで静かにクリームソーダを食べてる男子が、そうみえるの?」

「はい」

 曲調がまた変わる。こんどは一転しておだやかなメロディ。

 となりのテーブルの男女も、ドラムとサックスの音に耳を傾けていた。

 大谷さんは会話をつづける。

「さきほどセッションとおっしゃっていたのは、なんですか?」

「セッションっていうのは共演のこと。英語のsessionは『集会』の意味だしね」

「拙僧たちにおかまいなく、ご演奏なさってはいかがですか」

 そうそう、音楽を聴いてるだけで落ち着くし、脇くんの演奏を聴いてみたい。

 なんの楽器が得意なのかも気になる。

 ところが脇くんは、

「さっきも言ったけど、今は気分じゃないんだよね……大谷さんならわかるだろう?」

 と、意味深な問いをかえした。

 大谷さんは、しばらく真顔になった。

「……なんとなく……いえ、出すぎた真似をいたしました。拙僧の話は以上です」

 そのあと私たちは、ありきたりな会話に終始した。

 将棋の話は禁止。団体戦の話もいっさいなし。

 好きな音楽とか、大学での勉強とか、どこに遊びに行ったとか、そういうこと。

 脇くんはM重出身だけど、東京ではよく遊んでいたらしい。ずいぶんくわしかった。

 さらに意外だったのは、彼の学部。

 社会情報学部という、あんまり聞いたことのない学部だった。

 松平も興味をしめして、

「それはなにをする学部なんだ?」

 とたずねた。

「はやりのデータサイエンスに近いかな。統計とかアプリ開発とかしてる」

 風切かざぎり先輩と穂積ほづみお兄さんがいたら、なんかノッてきそうな話題だった。

 風切先輩とか、めちゃくちゃくいつきそう。

 アッという間に時間はすぎて、8時になった。

 明日は月曜だから、そろそろおひらきにする。

 会計のところで、ボーイ服を着た店員さんに、

「学生証はお持ちですか?」

 と訊かれた。一瞬ドキリとした。20歳未満はおことわりだったとか?

 でもそれは杞憂きゆうで、学割が効くという話だった。

 松平が出そうとすると、脇くんは、

「僕の知り合いなんだから、そこは僕にツケといてよ」

 と言った。

 店員さんはにこりともしないで、

「わかった。ワッキーのツケで」

 と答えた。

 いや、それはちょっと……私たちはちゃんと払うと告げた。

 脇くんはゆずらなかった。

「僕が誘ったんだし、時間をとってもらったからいいよ。どうしてもっていうなら、ドリンク代だけおいてって」

 なるほど、そういう妥協点ですか。

 それなら、ま、いっか、ということで、私たちはドリンク代だけ払った。

 と言ってもこれがけっこう高い。グレープフルーツジュース1杯600円。

 お店から出ると、ネオンがまぶしかった。

 大通りからは離れた一角。近くで電車の通過する音が聞こえた。

 私たちは脇くんにお礼を言って、駅の方向へむかおうとした。

 ところがここで、ララさんは近道しようと言い出した。

「駅はこっちの方角でしょ。まっすぐ行けばぶつかるよ」

 これには松平が難色をしめす。

「東京って、そういうときに意外とつながらなかったりしないか?」

 そうそう、なぜか袋小路ふくろこうじになってるとか。工事してるところも多いし。

 でもララさんは、

「そういうのもアレじゃん、えーと……ワンちゃんも歩けば棒にあたる?」

 とかなんとか言って、そそくさと歩き始めた。

 しょうがないからついていく。そして――案の定、駅につかなかった。

 とちゅうでフェンスが現れて、それ以上は進めなくなったのだ。

 ララさんは笑って、

「Ahaha, estrada japonesa é complicada……もどろっか」

 といい、くるりと反転。

 もう、ララさん、自由すぎぃ。

 もういちどお店のほうへ向かう。

 ちょうど曲がり角というところで、大谷さんが私たちをひきとめた。

「お待ちを」

 先頭を歩いていた松平がふりかえる。

「どうした? 忘れ物か?」

「お店のまえで、脇さんがどなたかに絡まれています」

 私たちはいっせいに、曲がり角から顔をのぞかせた。

 すると、入り口のすぐ近くで、脇くんともうひとりの男性が対峙していた。

 緊張が走ったのもつかのま、松平は闇のなかで目をほそめて、

「ん……あいつ、赤学あかがくの将棋部員だな。春の個人戦でみたぞ」

 とささやいた。

 私も目を凝らしてみると、大学生っぽかった。ラフなシャツを着ている。

 え、ってことはもしかしてミーティング中?

 この状況、間接的なスパイになってるのでは?

 大谷さんも、

「あまり聞き耳をたてるのはよろしくありません」

 と、ほかのメンバーをたしなめた。

 ところが、松平はふたたび目をほそめて、

「いや、ちょっと待て……やっぱりなんか揉めてる」

 と言った。

 たしかに、ここまで話し声が聞こえてくるようになった。

 トーンからして、絡んでいる男性は怒っているっぽい。

「なんでダメなんだ?」

 と、いかにも凄みのある声が聞こえた。

 それに対して、脇くんの声もすこし大きくなった。

「なんでもなにも、オーダー表に載ってないんだから出られませんよ」

「……ほんとうに載せなかったのか?」

「あたりまえでしょう。そういう約束だったんですから」

 なになに? やっぱりスパイみたいな状況になってるのでは?

 オーダーの話は機密中の機密だ。

 私はほかのメンバーに小声で、

「移動したほうがよくない? そこの脇道、駅前につながってないかしら?」

 とたずねた。

 ほかのメンバーが反応するよりも早く、絡んでいる男性のほうが、

「いくらなんでもメチャクチャだろッ! 部を分裂させた責任をとれるのかッ!」

 とさけんだ。

 部を分裂させた? ……あッ!

 

  ほかの大学からの又聞きなんだけどな……お家騒動があったらしい

 

 そうかッ! 松平が聞いたうわさって、部の分裂だったんだッ!

 松平も思い出したらしく、

「なるほどな……脇と上級生が揉めて、派閥争いってわけか……」

 とつぶやいた。

 そうだ、そうにちがいない。ファーストフード店で会った赤学のメンバーが、妙に少なかったこと、下級生ばっかりのようにみえたことも、説明がつく。おそらく上級生と下級生で分裂して、今出てるメンバーは下級生だけなんだ。

 私たちはうわさの真相に到達してしまった。

 それをよそに、会話はエスカレートしていく。

「責任? 責任ってなんですか? 昇級したらなにかご褒美でも?」

「ふざけるな。おまえのせいで部員の3分の1が辞めたんだぞ」

「でもチームは首位ですが?」

「そういう問題じゃない」

「そういう問題じゃない? 4月に僕を勧誘するとき、なんて言いましたか? Aに上がれるチームを目指してるって、そう言いましたよね? でも結果はどうです。練習はおざなりだし、チーム目標もあいまい。おまけに、オーダー表に載せる14人の選出が不公平でしたよね? 選抜戦もせずに上級生を優先させた」

「それは……おまえ、大学のサークルなんだぞ?」

「大学のサークルだから、なんなんです?」

 あいての男性は、言葉につまった。

「……わかった。好きにしろ。その代わり……」

「部内の役職は大学に登録してあるとおり、ですか。それこそどうでもいいです。就活で部長を名乗るなりなんなり、どうぞお好きなように」

 男性はなにかぼそぼそと言ったけど、それは聞き取れなかった。

 脇くんは表情ひとつ変えず、その上級生が帰っていくのを見送った。

 そして、サッとこちらにふりむいた。

「そんなところで聞いてないで、出て来なよ」

 ぎくぅ。やっぱり退散したほうがよかったじゃないですか。

 あせる私たち。だけど、ここで逃げ出してもしょうがない。

 松平は気まずそうに頭をかきながら、曲がり角を出た。

「すまん……盗み聞きするつもりはなくて……その……」

「そっちは行き止まりだよ。大通りから帰ったほうがいい」

 松平は、「ああ……すまん」と言って、ふたたび先頭を歩こうとした。

 ところが、数メートルと進まないうちに、脇くんから話しかけてきた。

「セッションっていう英語にはね、大学の学期や学年という意味もあるんだ」

 私たちはその場から動けなくなった。

 そんな私たちをみて、脇くんはほほえむ。

 その笑みは、店内での冷笑的な仕草と、どこかちがっていた。

「だとすれば、秋学期の団体戦もまた、セッションなわけだね……都ノのメンバーとは、いいセッションができる気がする。楽しみにしてるよ」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
cont_access.php?citi_cont_id=891085658&size=88
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ