205手目 ナイトクラブ
ふいぃいいいいい……つかれた。
盤と駒の数が合っているか、その確認をようやく終えた。
三宅先輩に結果を報告する。
先輩はチェックリストにメモをとった。
「……よし、おつかれさん」
「今日は打ち上げとかありますか?」
私の質問に、三宅先輩は顔をあげた。
「したいか?」
「いえ、そういうわけじゃないんですけど……やる雰囲気かな、と」
房総戦に勝って、チームはなんとなくお祭りムード。
ただ、三宅先輩は浮かない顔をしていた。
「山場はいちおう来週だ」
そうなのよねぇ。2位の房総に勝ったのは、たしかに大きい。
それと、都ノの追い風になっていることが、もうひとつあった。
2日目を終えた時点で、2位の房総と3位の修身が2敗しているのだ。
どちらも都ノと赤学に負けている。
「聖ソフィアは1敗のままですか?」
「ああ、聖ソフィアは3日目が修身→房総→うち、だ」
そっか……ライバル同士の潰し合いがかなりあるわけか。
3日目の都ノは、東海道→赤学→聖ソフィア。さすがに3連敗はしないと思う。そう思いたい。修身、房総、聖ソフィアも潰し合いだし、負けたところから順次脱落の流れ。
三宅先輩はチェスクロをかばんにしまいながら、
「というわけで、聖ソフィアは昇級がかなり厳しいと思う」
とつけくわえた。
その言い方に、私のセンサーがひっかかる。
「やっぱりいっしょに上がりたい……ですか?」
三宅先輩は腕組みをした。じっと虚空を見つめる。
夕暮れどきの大教室は、赤く染まりかけていた。
「……部長としての立場ではノーだな」
「Cに残って欲しい、と?」
「いや、部長としては『都ノが昇級できれば他は関係ない』だ」
そこはストイックなわけか。
私が納得しかけたところで、三宅先輩は先を続けた。
「ただ、俺個人としては、聖ソフィアにはがんばってもらいたいな、と思う。おなじDを戦ったメンツだし……裏見の場合は、火村とよく遊んでるのもあるよな」
バレてたか。まあ、バレてあたりまえではある。
大谷さん、ララさんたちも巻き込んで遊んでるし。
それになあ、火村さん、今日はぜんぜん顔を見せなかった。へこんでるのかしら。
Bに上がれなかったら将棋をやめる、とか言いださなきゃいいけど。
そう思った瞬間、入り口に風切先輩が顔をのぞかせた。
「おーい、会場の撤収、終わったぞ」
風切先輩たちは、対局会場のテーブルをなおす手伝いをしていた。
こういうのも学生がやらないといけないから、大変。
まあ、高校のときの大会運営で慣れてるけどね。
私たちは荷物を持って、電電理科大学まえの広場にあつまった。
三宅先輩からあいさつが入る。
「おつかれさま。今日はほんとによくがんばってくれたと思う。赤山はまだ全勝だし、聖ソフィア、修身、房総の昇級の目がなくなったわけでもない。3日目もよろしく頼む」
三宅先輩は風切先輩へ顔をむけた。
「隼人からなんかあるか?」
「俺か? いやべつに」
三宅先輩はちょっと拍子抜けした顔。
風切先輩は、
「なんかいい忘れてること、あったか?」
と尋ねかえした。
「そういうわけじゃないんだが……主将からのエールというか……」
「エール?」
「ほら、来週にむかっての意気込みとか……ないか?」
三宅先輩の説明に、風切先輩は苦笑した。
「悪い……やっぱ俺は主将にむいてないな」
「べつに非難してるわけじゃない。コメントがないなら、それはそれで……」
「なんというか、俺にとって将棋はやっぱり個人競技なんだよなぁ」
そのセリフに、三宅先輩はシビアな表情を浮かべた。
風切先輩は笑って続ける。
「いや、そんな深刻な顔しないでくれ。団体戦がキライってわけじゃないんだ。ただな、ペア将棋をしてるわけでもないし、けっきょく指してるのはひとりひとりだろ? ルールであとから勝敗を合算する、って言ってるだけだ。ああ指せ、こう指せっていうほど、俺は将棋を分かってないしな」
なんとなくしんみりした雰囲気になる。
三宅先輩は咳払いをして、
「……なかなかいいエールだったんじゃないか」
と褒めた。風切先輩はまた笑う。
「そうか? 俺もまんざら捨てたもんじゃないな」
「おまえが主将でじっさいよかったよ……それじゃ解散。おつかれさん」
○
。
.
30分後、私は松平、ララさん、大谷さんの4人で、駅前の家電量販店にいた。
松平のイヤホンが壊れたとかで、帰る方向もいっしょだし同伴。
「んー、どれがいいかな……」
松平はさっきから15分くらい悩んでいた。
どれもあんまり変わらないと思うのよねぇ。
カタログスペックは違っても、人間の耳で聞き分けられるかというと疑問。
松平が時間をかけるから、ララさんと大谷さんはうしろの試聴機で遊んでいた。
「ん〜このリズムいいねぇ、ひよこも聴く?」
「拙僧、激しい音楽はめまいがしてきます。お経は入っていないのですか?」
「オキョウ? 新しいアーティストの名前?」
「ひとつお聞かせいたしましょう。如是我聞、一時仏在、舎衛国、祇樹給孤独園、与大比丘衆、千二百五十人倶……」
「あ、なんかそのリズムいいねぇ。ネットで聴ける?」
うしろはうしろで、よくわからないことになっている。
私は松平の横にならんで、ザッと品ぞろえを確認した。
LEDのついたまっしろな棚で、目がチカチカしてくる。
「……この『当店売れゆきNo1』じゃダメなの?」
「裏見、そういうのを買うタイプなのか?」
「そういうわけじゃないけど……売り上げで1位なら、不良品をつかまされる可能性は減るでしょ。不具合とかは、すぐにネットで広まるし」
「たしかに、安心感はあるよな。ただ……」
「なかなかいいアドバイスだね」
滑舌のいい男の声が聞こえて、私たちはふりかえった。
というのも、その声には聞き覚えがあったからだ。
そして、その記憶はまちがっていなかった。
前髪に赤いラインの入った、バンドマンみたいな少年が立っていた。
松平はちょっと動揺して、
「あ、赤学の脇……?」
と、いきなり呼び捨て。こらこら。
「こんばんは、都ノのひとたちだよね」
「……ああ」
「このまえは椅子を貸してくれてありがとう」
松平は、あれは店の椅子だからとかなんとか、無難な返事をした。
それから、
「脇は、どうしてここに?」
と尋ねた。脇くんは商品棚のまえに立って、
「ここの3階がミュージックショップになってるから、立ち寄っただけ」
と答え、さっきのイヤホンを見た。
「いい感じのブランドじゃないかな。値段も手頃だし」
「……」
「どうしたの? デザインが気に入らないとか?」
「……イヤホンを勧めるために声をかけてくれたのか?」
脇くんはくすりと笑った。
「ごめんごめん、迷惑だったかな」
「いや、そういうわけじゃない……サンキュ」
私たちはお会計を済ませて、退店。
外はもう暗くなり始めていた。人通りの質が変わり始める。
サラリーマンは駅に消え、おしゃれをしたひとたちがたむろしていた。
松平はパッケージを開けて、さっそく視聴した。
「……ん、いい感じだな」
脇くんは、整った眉毛を浮かせて微笑む。
「お気に召してなにより……ところで、都ノは今から打ち上げ?」
松平はイヤホンをカバンにしまいながら、
「いや、俺の買い物につきあってもらっただけだ。そろそろ帰る」
と答えた。
「せっかく都内へ出てきてるんだから、遊ばないともったいないと思うな」
「遊ぶって言ってもなぁ。場所も知らないし」
「あ、そうなんだ。じゃあ、僕が行きつけの店に行かない?」
なんかあやしい勧誘。
松平も不穏に感じたのか、行き先をたずねた。
「すぐ近くのクラブだよ」
「クラブ? ……ダンスして酒を飲むところか?」
「シンプルに言うと、そうだね」
これを聞いたララさんは、大いに乗り気になって、
「ヤッホー! 大学生はそうでなくっちゃ!」
と、その場で小躍りした。
こらこら。お酒はダメ、と遠回しにことわっておく。
「べつに飲まなくてもいいんだよ。こども連れとかもいるし……どう?」
私たちは顔をみあわせる。
ララさん的には、行くことで決まってるっぽかった。
彼女だけ置いて帰る、というのも冷たいので、全員参加を表明。
「それじゃ、こっちだよ」
はたから見ると、なんだかポン引きされたみたい――ま、いっか。
○
。
.
ペンキで白く塗ったコンクリートの壁。
木製のテーブルと、天井からぶらさがった電飾。
その明かりに照らされて、ファッショナブルなひとびとがたむろしている。
グラスを片手に、立ったまま語り合う若者たち。
テーブルについてぼんやりと音楽を聴いているおじさん。
なにやら外国の言葉で話している3人の男女。
奥の暗がりには、踊っているひとたちの姿がみえた。
音楽はジャズっぽくて、思っていたようなクラブハウスとはちがっていた。
「狭いけど、そこのカウンターでいいかな?」
脇くんに案内されるまま、私たちはカウンター席についた。
正面には色とりどりのお酒がならんでいる。
ララさんはこういうお店が初めてじゃないらしく、すぐにメニューをチェックした。
「ん〜カクテルにしよっかなぁ」
ちょっとちょっと、私はララさんをとめる。
「ダメでしょ。お酒は20歳になってから」
「え? なんで? ララ、ブラジル人だし、ブラジルは18歳からオッケーだよ?」
ん、そうなの? ……こういう場合って、どうなるのかしら?
私たちの会話を聞いたバーテンダーさんは、
「ああ、お嬢ちゃん、悪いね、日本にいる以上は20歳からなんだよ」
と教えてくれた。
ララさんはチェッと軽く舌打ちをした。
「そっかぁ……じゃあ、ソフトドリンクのシークサワーで」
私たちもメニューを見て、めいめい注文を決めた。
場所代が入ってるのかなぁ、ちょっと高い気がする。
私はグレープフルーツ、松平はコーラ、大谷さんはウーロン茶。
脇くんだけは注文をしなかった。松平はこれに気づいて、
「注文しないのか?」
と尋ねた。脇くんはスマホをいじりながら、
「僕のはいつも決まってるから」
と返事をした。
それはアレですか、「マスター、いつもの」ってやつですか。
しばらくして、頼んでいない脇くんのまえにグラスが置かれた。
バニラアイス入りのメロンソーダだった。
「じゃ、お先に……ん? どうしたの?」
みんなの視線を受けて、脇くんはスプーンをとめた。
「もしかして、こどもっぽいもの食べてるから変に思った?」
私たちはあわてて否定した――けど、ちょっとだけ思ったかも。
メロンソーダって、お子様ランチとおなじような分類になっている。私のなかで。
そのあと私たちのテーブルにも、次々とドリンクが運ばれてきた。
まずはひとくち……ふむ、味はふつうね。
あと、スナックのおつまみがついてきた。
「ララ、ちょっと踊って来よっかな」
ララさんは椅子から飛び降りて、薄暗いダンスホールへ足を運んだ。
リズムに合わせて軽快に体をうごかす。
すぐにほかのひとたちに溶け込んで楽しみはじめた。
松平はスナックをかじりながら、
「ララはいいよなぁ、こういうの慣れてそうだし」
と言った。
ま、いいかどうかは置いといて、人生楽しそうではある。
それにしても、脇くん、ぜんぜん話しかけて来ないわね。私たちから情報収集するつもりなのかな、と思って、けっこう警戒してたんだけど。
黙々とメロンソーダを楽しんでいる脇くん。
そこへ、体格のいいヒゲの男性が、いきなり話しかけてきた。
「よぉ、ワッキー、今日は友だちづれか?」