204手目 年上の気負い
こ、これは――
私が盤面を凝視していると、利根さんは、
「べつに奇策じゃないよ。県大会の決勝もこれで勝ったしね」
とつぶやいた。
なるほど……裏芸ってことか。
私が調べた棋譜には載っていなかった。高校の分までは調査しなかったからだ。
気を取りなおして対応する。
6六歩、5二玉、7九玉、4二玉、4五銀。
まえに出て牽制。
これで4筋には居づらくなるはず。
案の定、利根さんは5二玉、5六角に6一玉と移動を始めた。
私はここで小考。
利根さんが右玉なら、主導権はこちらにある。
「……2四歩」
「強いな。前評判どおりの攻め将棋か」
同歩、3四銀、同銀、同角、7二玉、5六角。
利根さんは1分ほど考えて、5五銀と置いてきた。
ぐッ……短期決戦になりそう?
私のところが早く終わると、全体に影響が出そう。いいか悪いかはともかく。
ただ、団体戦でそういうのを考慮して指したくない。
私は3八角と深く引いた。
利根さんは4六銀と出てくる。
反動を利用した攻めだ。もたれかかって指す方針とみました。
とりあえず突き放す。
「7五歩」
クリンチをほどく一手。これは無視できないでしょ。
パシリ
……………………
……………………
…………………
………………んッ!?
私は声をあげかけた。
もたれかかるどころか、殴ってきてるじゃない。
チャンスかつピンチ、というのが第一感。ここで利根さんの狙いをはずせば、私のほうが有利になる。反対に、先手がつぶされてしまうリスクもあった。将棋は攻めてるほうが押し切りやすいから。
慎重に読むタイミングだ――私は長考に入った。
利根さんはもういちどペットボトルの水を飲んで、席をたった。
ほかの対局を確認しに行ったらしい。
あるいは、歩きながら考えるタイプなのかもしれない。
……………………
……………………
…………………
………………なるほど、なんとなくわかってきた。
これ、右をどう受けきるか、よりも、角をどう追い払っていくか、のほうが重要だ。
右を受けるだけなら、2七飛で簡単に受かる。後手が攻めを継続するなら6五歩しかないと思う。たぶん。以下、6五歩、同歩だとハマる。
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
これは7五歩、7四歩、同銀、6四歩と伸ばしたときに6五歩で止まる。
あるいは、6五桂と強く跳ねられても困るかも。次に5七銀成がある。
ただ、後者は後手がムリしすぎかな、という印象。
いずれにせよ、現局面から2七飛、6五歩、同歩とはしたくない。6五歩に対してなにかべつの手を指す必要がある。問題は、動かせる駒があんまりないことだ。
やるとしたら……4五桂くらい?
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
次に4七歩で銀が完全に死ぬ。3七銀成の銀桂交換をさせないのが狙いだ。
とはいえ、こっちの桂馬も4四歩で死ぬのよね。
4四歩、7四歩、同銀、7五歩と打診してみる?
これが本線な気がしてきた。
私もペットボトルのキャップをあける。お茶をひとくち飲んでリフレッシュ。
そのあいだに、利根さんも戻ってきた。
表情からは、チーム全体の形勢はわからない。あたりまえといえばあたりまえ。
私はペットボトルをおいて、2七飛とあがった。
利根さんはかるくうなずいて、6五歩と突いた。
以下、4五桂、4四歩、7四歩、同銀。
同銀に代えて4五歩、7三歩成、同角も微妙にあるかなと思ったけど、なかったか。
私は7五歩と打って、銀の進退をたずねた。
一見、同銀〜6六銀のすりこみがあるようにみえる。
けど、同銀、7四歩、6六銀、7三歩成、同金、6六銀と取り返す手がある。
以下、同角、7七銀の打ちなおしでどうか、というのが私の読み。ちょっと気になるのは、同角成、同桂、4五歩の2枚換えに持ち込む手順があること。これに対しては6五桂と跳ね返して、金に当てる順を考えている。先手よりも後手の玉頭のほうが弱いはず。
利根さんもむずかしいと感じているらしく、だいぶ悩んでいた。
悩むなら6三銀と引くかな、という気がする。経験則的に。
パシリ
引いたッ!
私は力強く、5六歩と突く。
ここからは角の追い回しゲーム!
6四角、7六銀打、3七歩、2九角、4五歩。
右は押し込まれたけど、後手はこれ以上なにもできない。
私は6五歩と伸ばして、角の頭を狙う。
同桂、同銀(駒損解消)、7五角、6六歩、6四歩、7六銀引。
さあさあ、もう引く場所は1箇所しかなくなったわよ。
「ここしかないか……9三角」
「9五歩」
よし、ポイントを稼いだ。
取っても取らなくても、端が破れることは確定した。
利根さんはあごに手をあてて、考え込み始めた。
まちがいなく苦しいと思っている。
でも、こういうときは暴れてくるから、安心してはいけない。
「……7五歩」
これは? ……角の逃げ場所を作る気か。
私は6七銀と引いて、8六歩、同歩、8四角を許容した。
そのまま9四歩と取り込む。
「8八歩」
うーん、めんどくさくなってきた。
同玉なら7六桂、7九玉、8八歩と打ちなおすつもりだと思う。
ちなみに、7六桂、同銀右、同歩、同銀は、3八銀の余地が残るからよくない。
「同玉」
すなおに応じる。
敵が暴れてきたときは、変にひねらないほうがいい。
7六桂、7九玉、8八歩。
私は4七歩で銀を殺した。
8九歩成、同玉、6五歩、4六歩で銀桂交換。
さすがというかなんというか、簡単には駒得させてくれない。
「6六歩」
「同銀直」
「……こうだな」
ん〜……私はひたいにこぶしをあてた。
もしかして、むずかしくした?
6五銀、6四歩で歩切れにさせてから、7四銀と食いちぎる?
……………………
……………………
…………………
………………
いやいや、とにかく変なことはしない。
利根さんは、私が暴発するのを待っている。
右玉にしたのも、私の焦燥を狙っていたんじゃないかしら。後づけ推理。
「5七銀」
「6七歩」
??? じぶんから歩切れにしてきた?
これ、後手はもう打つ駒がないから、同金で切らせてもいいのでは?
だって、6七金と上がれば、8六桂も空ぶるし……なにかあるの?
私は混乱してきた。
利根さんの食いさがりは、なにか算段があるようにみえたからだ。
チェスクロを確認すると、私の残り時間は8分、利根さんは10分。
ただの時間攻め?
私はお茶を飲んで、じぶんをおちつかせた。
心理戦は受けつけない。棋理で考える。それしかない。
……………………
……………………
…………………
………………これかッ!
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
6七金、8六桂、同銀、9五角ッ!
これだッ! 先手が潰れかけている。
利根さんの狙いを看破した私は、6七同金ではなく6九歩を選択した。
「……8六桂」
「同銀」
「読まれてるっぽいな……9五角」
はい、読んであります。
私は冷静に8七歩と打った。
8六角、同歩、9四香にも、8七金とおちついて対処する。
9九香成、7八玉、6四香。
あッ……そうくるんだ。
てっきり3八銀の一択かと思っていた。
まあ、この香打ちも必然か。6七玉とすれば、先手玉は一気に安泰だ。
「5五歩」
利根さんはここで小考。
持ち時間が並ぶ。ふたりとも1分になった。
後手はもうほとんど手がないはず。
ピッ
利根さんが先に秒読み。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
パシリ!
そう、それしかない。
私は9四角と王手する。シンプルだけど厳しい王手だ。
利根さんは歩しかないから、8三歩と受けた。
9二銀、8二飛と進む。
あわてて銀を逃げる必要はない。9二飛には8四桂の王手飛車がある。
私は必殺の一手をはなつ。
利根さんはメガネの奥で目を見開いた。
「な、なんだそれは?」
利根さんはメガネをなおし、盤面を確認した。
そしてアッとなった。
「よ、4四飛の受けがないのかッ!」
正解。2三歩、4四飛のとき、4三に打つ駒がなにもない。
そのまま4一飛成と成り込める。これは後手敗勢だ。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「2九銀不成ッ!」
2一飛成、7四銀、3二龍、6八歩成、同歩、6七歩。
利根さんは、がむしゃらに攻めてきた。
6六桂、6八歩成、7七玉、6六香、同銀、5六角。
くぅ、まさかの詰めろ。
おなじく1分将棋に入っている私はあせった。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「8三銀不成ッ!」
「同銀ッ!」
利根さんはノータイムだった。
詰みを警戒している証拠。
だけど、詰むの?
私はどちらかというと5六の角を抜きたい。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ! パシリ!
継続手がこれしか思い浮かばない。
利根さんは一瞬迷ってから、8一玉と即逃げした。
うわッ、わっかんない。
パッと見、9三桂? ……ん? 詰んでる? 詰んでるっぽい?
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ! パシーン!
私は9三の地点に桂馬を放り込んだ。
9一玉、8一金、同飛、同桂成、同玉。
「8二香ッ!」
じぶんの名前のついた駒を打って、私はチェスクロを押した――勝った。
左右のどちらに逃げても8一飛までだし、同玉は6二龍で決まる。
利根さんはくちびるを結んで、それから肩を落とした。
「6一が正解だったか……負けました」
「ありがとうございました」
一礼して終了。
私はほかの対局を確認したかった。けど、失礼だからやめた。
利根さんは顔をおおって、しばらく悶絶。
でも、表情はどこかうれしそうで、
「まいったなぁ、裏見さん、大会慣れしすぎだよ」
と、よくわからない褒め方をされてしまった。
「あ、いえ、そういうわけでは……」
「で、6一玉だった? 龍に近づくから避けたんだけど?」
感想戦が始まる。私たちは局面をもどした。
【検討図】
まあ……これも詰むとしたもんでしょ。
「ひとめ、7二金と打ちます」
「同銀、同桂成、同金、同角成、同飛、7三桂、7一玉、8一金だよね」
「同桂成のときに同飛って取れませんか?」
同飛だとあとが続かない可能性が……ないか。
これも詰みだ。
「すみません、どのみち詰んでますね。同飛、同角成、同玉、8二飛です」
【参考図】
以下、同玉に6二龍の一間龍に持ち込んで詰みだ。
利根さんはうなずきながら、
「この時点で取る順を変えてもダメだね。じゃあ、これは?」
と言って、最初の7二金に同銀ではなく同飛をしめした。
「そうですね、これも同桂成、同飛で……」
「同飛じゃなくて同玉じゃない?」
ん、その手があるのか……8四桂、6三玉……ん? これだと詰まない?
……………………
……………………
…………………
………………あれ? 詰まない?
その瞬間、頭上から男性の声が聞こえた。
「さっきとおなじ手順で詰むよ」
見あげると、入江会長が腕組みをして立っていた。
びっくりする私をよそに、利根先輩は、
「ああ、たしかに、8三角成、同玉、8二飛、同玉、6二龍でおなじか」
と応じた。
私も確認する――なるほど、詰んでるわね。
入江会長と利根さんはおなじ3年生で仲がいいのか、感想戦にくわわってきた。
「序盤もチラッと見たけど、利根くん、ふつうに指したほうがよかったよ」
「いや、僕はふつうに指したから」
「そうかな? 暴発待ちにみえたけど?」
利根さんはバツが悪そうな顔をした。
やっぱりそうだったのか。
と、そのときだった。左のほうで席が湧いた。
ひとだかりのなかから三宅先輩が飛び出し、7番席へもどろうとした。
私はあわてて引き止める。
「なにかありました?」
「松平が勝って4−3だッ!」
よっしゃあああああッ! っと、いけない、いけない。
私は利根さんのほうへ向きなおる。
案の定というかなんというか、利根さんはちょっと残念そうな顔をしていた。
ため息をつく。
「年上が気負ったのはよくなかった……というのも後出しか。将棋ってむずかしいね」
場所:2016年度 秋季団体戦2日目 5回戦
先手:裏見 香子
後手:利根 大雄
戦型:後手右玉
▲7六歩 △8四歩 ▲2六歩 △8五歩 ▲7七角 △3四歩
▲8八銀 △3二金 ▲7八金 △7七角成 ▲同 銀 △2二銀
▲4八銀 △6二銀 ▲2五歩 △3三銀 ▲4六歩 △7四歩
▲4七銀 △4二玉 ▲3六歩 △7三桂 ▲6八玉 △6四歩
▲3七桂 △6三銀 ▲4八金 △8一飛 ▲2九飛 △1四歩
▲1六歩 △9四歩 ▲9六歩 △7二金 ▲5六銀 △6二金
▲6六歩 △5二玉 ▲7九玉 △4二玉 ▲4五銀 △5二玉
▲5六角 △6一玉 ▲2四歩 △同 歩 ▲3四銀 △同 銀
▲同 角 △7二玉 ▲5六角 △5五銀 ▲3八角 △4六銀
▲7五歩 △5五角 ▲2七飛 △6五歩 ▲4五桂 △4四歩
▲7四歩 △同 銀 ▲7五歩 △6三銀 ▲5六歩 △6四角
▲7六銀打 △3七歩 ▲2九角 △4五歩 ▲6五歩 △同 桂
▲同 銀 △7五角 ▲6六歩 △6四歩 ▲7六銀引 △9三角
▲9五歩 △7五歩 ▲6七銀 △8六歩 ▲同 歩 △8四角
▲9四歩 △8八歩 ▲同 玉 △7六桂 ▲7九玉 △8八歩
▲4七歩 △8九歩成 ▲同 玉 △6五歩 ▲4六歩 △6六歩
▲同銀直 △7四桂 ▲5七銀 △6七歩 ▲6九歩 △8六桂
▲同 銀 △9五角 ▲8七歩 △8六角 ▲同 歩 △9四香
▲8七金 △9九香成 ▲7八玉 △6四香 ▲5五歩 △3八銀
▲9四角 △8三歩 ▲9二銀 △8二飛 ▲2四飛 △2九銀不成
▲2一飛成 △7四銀 ▲3二龍 △6八歩成 ▲同 歩 △6七歩
▲6六桂 △6八歩成 ▲7七玉 △6六香 ▲同 銀 △5六角
▲8三銀不成△同 銀 ▲8四桂 △8一玉 ▲9三桂 △9一玉
▲8一金 △同 飛 ▲同桂成 △同 玉 ▲8二香
まで143手で裏見の勝ち