203手目 オーダーの責任
【先手:稲田弥(関八学院) 後手:裏見香子(都ノ)】
「負けました」
「ありがとうございました」
対局を終えた私は、しばらく感想戦をしてから席を立った。
松平のところも対局が終わっていたから、声をかける。
「おつかれ。どんな感じ?」
「裏見が勝ってたら4−2。ペース的には5−2っぽい」
終わっていないのはララさんのところか。
対局をのぞいてみると、ララさん勝勢だった。
「そういえば、裏見、三宅先輩が呼んでたぞ」
「私を?」
「ああ、ここの応援は俺たちでやっとくから、裏見は控え室にもどってくれ」
了解。
ほんとはララさんの応援をしたいけど、いったん控え室へもどる。
都ノの席は、大教室の一番すみっこだった。
会場の大学は一緒。でも今回は朝早く来て、他校に偵察されにくい場所をとってある。
三宅先輩のほかに、風切先輩と大谷さんも着席していた。
私の存在に気づいた三宅先輩は、となりに席をすすめてくれた。
「どうだった?」
「勝ちました」
「よし、これでチーム勝ち確定だな」
「応援はしなくていいんですか?」
「すまん。3−2で裏見とララが勝勢だから、先にもどった。相談したいことがある」
なんのことか、私にはすぐにはわからなかった。
けど、テーブルのうえに広げられたオーダー表をみて、私は事情を察した。
「次はいよいよ房総戦ですね」
「昼休憩に話し合ってもよかったんだが、飲食店で相談していると、他の学校に聞かれるおそれがある。そのまえに大筋を決めておきたい」
ここで大谷さんが割り込んだ。
「拙僧と裏見さんを呼び出した理由は、なんですか?」
三宅先輩はペンをまわしながら、
「団体戦で陣頭指揮をとった経験者でかためた。この4人で決める」
なるほど、主将経験者を集めたわけか。
私も大谷さんも、高校のときに将棋部の主将をつとめている。
ただ、大谷さんはこれに対して、
「船頭多くして船、山に登る、では?」
と疑問を呈した。
三宅先輩は、
「風切と俺で1時間相談したが決まらなかった、知恵を貸してくれ」
と頼んだ。
うーん、どうだろう、大谷さんが言ってることにも一理あるような。
大谷さんもなんだかんだで折れない性格だから、
「この手の議論は、堂々めぐりするのが常です。先輩がたよりもよい案を、短時間で思いつけるとは思いません」
と反論した。
私も同意。「Aはどうだ?」「Aにはこういうデメリットがあって」みたいに、議論済みのことを説明しなおすハメになるパターンが多い。
三宅先輩はペンまわしをやめて、頭をかいた。
「わかった、それもそうだ。じゃあ単刀直入に、裏見のコンディションを訊きたい。房総のトップと当たって勝てる自信は、どれくらいある?」
ご、ご指名ですか。
私は房総のオーダーを思い出す。
「えっと、一番強いのは……利根さん、でしたっけ?」
「そうだ。春の個人戦ベスト32に入ってる3年生だ」
たしか、純粋居飛車党。
県代表の経験はないけど、県内の大きな大会での優勝経験はアリ、だったかな。
穂積お兄さんのつくってくれたデータに、目はとおしてある。
三宅先輩は先を続けた。
「県代表になったことはないが県大会で優勝経験あり、キャリア的に裏見とおなじだ」
そのとおり。
私も県代表になれたことはないけど、県大会で優勝したことはある。
つまり、棋歴では互角。
「……勝てなくはない、と思います」
「率直な申告として?」
「はい。棋譜もならべてみましたが、読みのレベルも似ていると感じました」
三宅先輩と風切先輩は、ちらりと目を合わせた。
「どうする、風切? 裏見vs利根でいくか?」
「……」
風切先輩はすぐには答えなかった。
足を組み、しばらく考え込む。
「……三宅、大学からすこし離れた喫茶店で、最終調整をしよう。裏見、大谷、すまんがほかのメンバーには、昼食をとっておいてくれるように言ってくれ。オーダーは昼食休憩後に発表する。全責任は、俺と三宅で負う」
○
。
.
はぁ〜、なんかプレッシャーかかる。
注文したサンドイッチに、私は手をつけられなかった。
これをみた穂積さんは、
「香子、さっきから食べてないけど、どうかしたの? お腹が痛いとか?」
と訊いてきた。
私はとりあえずコーヒーだけ飲んで、
「次の対局、けっこう大一番な気がする」
と答えた。
穂積さんはたまごサンドをほおばりながら、
「そういえば、次ってC級2位の房総なのよね。勝てるのかなぁ?」
と言った。
上3人を順番に出して戦えば、都ノが楽勝だと思う。
房総のトップは私レベルだけど、都ノのトップは風切先輩だ。
つまり、うちが風切・大谷・私、房総が利根+2人なら、3−0まである。
けど、あそこまで三宅先輩がなやんでいるということは――4番手以降が微妙、なんだと思う。つまり、7人制だと3−4になる可能性があるのだろう。房総は風切先輩と大谷さんのところを捨てて、私に利根さんをぶつけ、さらにほかで3勝して4−3を狙ってくる公算が高かった。
ララさんはグリーンスムージーを飲みながら、
「香子もひよこも、ララがかっこよく詰ませるところ、ちゃんと見てなかったでしょ〜」
とグチった。
「ごめんなさい、あのときは三宅先輩に呼ばれてたから」
「ジョーダン。次、そんなにヤバいの? 純も隼人も隠れてミーティング中でしょ?」
うーん、どこまでしゃべっていいんだろう。
私がなやんでいると、大谷さんは澄まし顔で、
「そのあたりは三宅先輩と風切先輩に任せましょう。拙僧たちは全力を尽くすのみです」
とまとめてくれた。
そう、これはもうあのふたりに任せるしかない。
すこしだけ気がラクになった私は、サーモンサンドイッチを口にはこんだ。
○
。
.
控え室にもどったとき、あたりはだいぶ騒がしくなっていた。
全9戦の折り返し地点ということで、各校ともに気合が入っているのだろう。
三宅先輩と風切先輩は、先にもどっていた。
私の顔をみて、三宅先輩はすぐに駆けより、小声でささやいた。
「裏見vs利根だ。あいてがトリッキーでないかぎり当たる」
……きましたか。
私は力強くうなずいた。
「わかりました」
「オーダーの責任は俺と風切が持つ。いつもどおり指してくれ」
私たちは対局会場へ移動した。
どの列も先頭テーブルは、すごい人だかりだった。
あいてのチームから、メガネにチェック柄のシャツの少年が出てくる。
「都ノのかたですね……もう交換しますか?」
三宅先輩は「ああ」と答えた。
ふたりとも席につく。
房総の代表者からすぐに読み上げ始めた。
「房総、1番席、副将、飯野望」
「都ノ、1番席、副将、穂積八花」
「2番席、四将、上原喜平」
「2番席、三将、松平剣之介」
「3番席、五将、山田高」
「3番席、四将、星野翔」
「4番席、七将、内山孝典」
「4番席、五将、風切隼人」
「5番席、十将、安田章仁」
「5番席、七将、大谷雛」
「6番席、十一将、利根大雄」
「6番席、八将、裏見香子」
「7番席、十二将、塚野弘」
「7番席、九将、三宅純」
当たった。
私たちはそれぞれ対局席に向かう。
あいての利根さんは、テーブルについていた。
天然のウェーブがかかった髪型で、黒ぶちのメガネをかけていた。
服装は、ワンポイントの白い開襟シャツで、いたってシンプル。
「失礼します」
私が座るあいだも、利根さんは黙って対局準備を続けた。
チェスクロを確認し、駒を並べ終えていた。
私は急いで自陣の駒をならべる。
「ああ、そんなにあわてなくていいよ」
利根さんは静かにそう告げてから、腕組みをして、じっと目を閉じた。
闘志が伝わってくる。房総も、この6番席を天王山とみている証拠だった。
会場に幹事の声がひびく。
「1番席は振り駒をしてください」
穂積さんがサッと振った。
「都ノ、偶数先ッ!」
先手だ。
幹事は腕時計で時間をはかりはじめた。
「対局準備は、よろしいでしょうか? 13時30分から開始します」
はりつめた静寂。
せき払いの音だけが聞こえる。
「……それでは、はじめてください」
「よろしくお願いします」
利根さんがチェスクロを押して、対局開始。
私は7六歩と突いた。
8四歩、2六歩。
利根さんは、この2六歩にかるく反応した。
「過去の棋譜から、振り飛車もあるかな、と思ったけど……受けて立つよ」
8五歩、7七角、3四歩、8八銀、3二金、7八金、7七角成。
角換わりになった。
同銀、2二銀、4八銀、6二銀、2五歩。
「飛車先を詰めるのか。3三銀」
利根さんはなにかあると思ったみたいだけど、ノータイムで銀をあがった。
ここで時間を使わないあたりが手慣れている。
4六歩、7四歩、4七銀、4二玉、3六歩、7三桂。
このまま腰掛け銀の進行かな。
とにかく利根さんの手が早い。これは準備している感があった。
6八玉、6四歩、3七桂、6三銀、4八金、8一飛。
ん……この段階で飛車引き?
なくはないけど……なんかあやしい。
利根さんはこの手を指してから、ペットボトルのキャップを開けた。
ミネラルウォーターを飲んでいる。
私は30秒ほど考えて、2九飛と合わせた。
1四歩、1六歩、9四歩、9六歩、7二金、5六銀。
利根さんは、キュッとビニール盤のうえで金をすべらせた。
こ、このあやしげな動きはッ!?