表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第33章 2016年度秋季団体戦1日目(2016年9月25日日曜)
202/486

202手目 影のブレイン

「聖ソフィアが負けた?」

 私の声にまっさきに反応したのは、火村ほむらさんだった。

 火村さんは控え室の椅子を並べて、そこに寝っ転がっていた。

「はいはい、負けました。悪うございました」

 これはふてくされてますね。

 とはいえ、なんと声をかければいいのかも分からなかった。

 風切かざぎり先輩もこの場では話しにくかったのか、昼食にみんなを誘った。

 キャンパスを出て、商店街のほうへ向かう。

 その道中で、風切先輩は説明をしてくれた。

「聖ソフィアは赤山あかやま学園がくえんと当たったんだ。並びもよくなかった」

 私は事情を察した。

「じゃあ、春の私たちとおなじ感じで……?」

「さすがに聖ソフィアは3−4負けに抑え込んでる……が、B以下の場合、個々人の勝ち星はほとんど意味がない。大切なのはチームの勝ち数だ」

「頭ハネがあるから、ですね」

 C、Dの昇級・降級ルールは、いたって簡単だった。

 チームの勝ち数が多いところから昇級。同数の場合は順位が上のチームが昇級。

 私たちが苦労している原因も、ここにあった。

 個々人の勝ち星も考慮してもらえるなら、もっと楽に昇級できる。

 春だって、最終戦をまえに昇級が確定しているはずだった。

「というわけで、聖ソフィアも善戦したが、負けは負けだ」

「ですね……ところで、風切先輩、それについてなにか困ったことでも?」

 先輩は、オヤッという顔をした。

「ん……勘がいいな」

 いやぁ、風切先輩、意外と顔とか態度に出るタイプじゃないですか。

 穂積ほづみお兄さんのほうが、なに考えてるのかわかんないときが多い。

「部全体と関係することだ。さきに店を決めよう」

 商店街についた私たちは、ファーストフード店を選んだ。

 混んでるかな、と思いきや、そうでもなかった。

 これはあれかな、平日に大学生が来るお店なのかも。今日は日曜日だ。

 私たちはてきとうに注文をして、席についた。

 風切先輩はハンバーガーの包みをひらきながら、

「現状については三宅みやけのほうが詳しい。三宅から説明してもらえないか?」

 と頼んだ。

 コーラを飲んでいた三宅先輩は、カップをテーブルにおいた。

「とりあえず、おつかれさま、だ。1回戦はみんなのおかげで快勝だった」

 どうもどうも。

 三宅先輩の采配もよかった。

 失礼かもしれないけど、三宅先輩vs栗林くりばやしくんだと、ちょっと危なかったと思う。

「で、風切からもう聞いたかもしれないが……全体の流れはかんばしくない」

 私たちは顔を見合わせた。

 察しがついたひとはいなかったようだ。

 ララさんはジュースをチューチューしながら、

「なにがキビシイの? 勝ってるんだよ?」

 とたずね返した。

「正直なところ、聖ソフィアには勝って欲しかった」

 いやいや、敵に肩入れしてどうするんですか。

 と思ったのもつかの間、穂積お兄さんだけは納得顔で、

「1敗が2校以上出そうってこと? 僕たちより上位陣で?」

 と解釈した。

 三宅先輩はうなずきかえした。

「そうなんだ……赤山あかやまは、悪くて1敗だと思う。うちが一発入れるかどうか、だ」

 私はおどろいて質問した。

「赤山ってそんなに抜けてるんですか? 春にBから降級してるんですよね?」

 いくら元B級とはいえ、降級した以上はどこかに弱点があるはずだ。

 そもそも、Bの最下位校>Cの大学という関係は成り立たない。

 プロだって、棋士の実力はA>B1>B2>C1>C2という単純な不等号じゃない。

 ところが、三宅先輩は意外な返答をした。

「1回戦で赤山の偵察に行ってみたら、メンバーが春とかなり違ってた。しかも、もうひとつ誤算があった……赤山のオーダーは、かなりひねってきてるんだ。春はなにも考えずに並べた感じだったんだが、秋のはよく練られてる」

 穂積お兄さんは、ふんふんとうなずきながら、

「Cのオーダーの癖を読んだひとが、赤山にもいるわけだ。春に気づかなかったのに秋になって気づいた、ってことは、ブレイン役が変わったと考えられるね」

 と分析した。

 三宅先輩はここで嘆息たんそくした。

「春のチームと秋のチームは、べつものだと考えたほうがいい。事前予想は聖ソフィアとの昇級争いだったが、本命を赤山学園に切り替える。データも集めなおす」

 聖ソフィアに勝って欲しかったという、三宅先輩のコメントの意味が分かった。

 初戦の事故で赤山に黒星がつけば、あとの展開は変わったはずだ。

 私たちは聖ソフィアとは一回戦っている。手のうちは聖ソフィアのほうが読みやすい。

 ただ、楽観的なメンバーもいた。ララさんだった。

「ララたちが聖ソフィアに勝てば、聖ソフィアは2敗でしょ。赤山が全勝でも、ララたちが1敗で昇級できる可能性はあるよ」

「まあ、その可能性はなくはないが、1敗がもう一校いると……」

 そのときだった。ふいに知らない男子の声が聞こえた。

「すみません、ちょっとよろしいですか?」

 ふりかえると、異様にファッショナブルな男子がひとり、こちらを見ていた。

 白のシャツにカーキ色のゆったりした秋服。下はグレーのワイドパンツだった。全体的にスラッとした印象を与えるAラインシルエットというコーデだ。首には金のネックレスをしていて、その先にはハート形のリングがついていた。さらに特徴的なのがヘアカラーで、黒髪に赤いラインが入っている。顔だちは……なんていうの、ビジュアル系? 男性用の化粧をしている気がした。まつ毛もしっかり手入れしてある。

 バンドのお兄さんかしら。年齢は私たちと同じくらいにみえた。

 その男子は、あまり表情を変えずに、

「僕たちのテーブル、席が1個足りないんです。貸していただけませんか?」

 と言って、空いている席をゆびさした。

 そういうのは店員さんに頼んだほうがいいんじゃないかなぁ。備品だし。

 とはいえ、ことわる理由もないような……って、だれか返事してくださいな。

 奇妙なことに、三宅先輩はしばらく口をひらかず、男子を見つめていた。

 男子はもういちど、

「もしかして先客がいます?」

 とたずねた。

「あ、いや……かまわない」

「ありがとうございます」

 ファッショナブルな男子は、椅子を持って奥の席へ移動した。

 いつの間にか、店内はいっぱいになっていた。

 どうやら、後発の将棋部が押しかけているらしかった。

 アップルパイを食べていた大谷おおたにさんは、三宅先輩に、

「さきほどのかたは、赤山のわきくんですね」

 と確認した。

 三宅先輩はハッとした。

「ああ……大谷、知り合いだったのか?」

「全国大会でお見かけしたことがあります。高校のときから衣装に凝ったかたでした」

 えッ、さっきのが赤山のエース?

 私は思わず、奥の席を見てしまった。

 9人の男子が、2つのテーブルと椅子を占拠していた。

 ずいぶん狭そうだけど、上機嫌で談笑している。

 風切先輩も、チラリと横目で盗み見た。

「……俺は高校将棋とは縁がなかったから知らないんだが、どういうタイプだ?」

「拙僧も話をしたことはありません。ただ、県幹事をなさっていたことは覚えています」

「どこのだ?」

「M重だったかと」

 風切先輩は、じっと虚空をにらんだ。

「高校で県幹事をやってたエース、ね……影のブレインは、どうやら判明したな」


  ○

   。

    .


挿絵(By みてみん)


「負けました」

「ありがとうございました」

 私は一礼して、チェスクロを止めた。

 初日3回戦の東洋とうよう文化ぶんか大学との対戦を終えて、肩の荷が降りる。

 感想戦もそこそこに、対戦相手の男子は席を立った。

 そして、うしろで見ていた仲間に話しかける。

「いやぁ、こりゃうちが降級か」

「下2校が昇級候補だとキツイな」

 会場内の大学生たちは、だんだんとけていく。

 私は盤駒ばんこまとチェスクロの数を確認して、部屋を出た。

 このキャンパスは都ノみやこのとちがって、いかにも理系って感じの施設だった。

 天井の配管がごちゃごちゃしている。

 ところどころ、放射線のマークもあった。

 控え室では、風切先輩と穂積お兄さんが、なにやらミーティング中。

 ほかのメンバーは、今日の棋譜を思い出しつつ記録していた。

 なんだかんだで、私のところが最後だったみたいね。三宅先輩だけ見当たらないのは、勝敗の報告に行っているのだろう。

 窓際に座っていたララさんは、うんと背伸びをして、

「めんどくさ〜い、これ毎回やらないとダメ?」

 と、風切先輩にたずねた。

「Aになったら棋譜取り係がつく。それまでは我慢だ……と、裏見うらみ、お疲れさん」

「お疲れさまでした」

「さっそくで悪いが、棋譜の清書を頼む」

 了解、と。

 松平まつだいらの横が空いていたから、そこへ腰をおろす。

「松平、おつかれさま」

「おつかれ。勝ったか?」

「ええ、松平は?」

「俺も勝った。これでチームは7−0だ」

 絶好調じゃないですか。1日目の成績は、

 

挿絵(By みてみん)

 

 こうなった。

 3位、7位、8位との対戦だから、まだ気は抜けない。

 でも、当初の予想よりはだいぶ押している。

 私が鼻息を荒くしていると、松平はシャーペンで符号を書き込みながら、

「なぁ、裏見、ちょっと気になることを耳にしたんだが……」

 とつぶやいた。

 私は軽く身構えた。

「まさか、のえ……例のイタズラ?」

「いや、赤山学園についてだ」

 なんだ、びっくりした。

「赤山がどうかしたの?」

「ほかの大学からの又聞きなんだけどな……お家騒動があったらしい」

「お家騒動? ……内紛ってこと?」

 私はそこまで言って、ふとある可能性に気づいた。

「もしかして、赤山は補強したんじゃなくて、内紛でメンバーが変わったとか?」

「そこまではわからん。とりあえず、なにかゴタゴタがあったらしい」

 んー、あいまいな情報。

「それ、三宅先輩たちにも伝えた?」

「もちろんだ。風切先輩にも、な。ふたりとも『可能性はある』だと」

 そりゃ可能性ならなんだってあるわよね。

 私はそんなことを考えつつ、棋譜をとった。

「……そういえば、聖ソフィアは?」

「さっき帰ったぞ」

「聖ソフィアの2回戦と3回戦の成績、知ってる?」

「2回戦が関八かんぱちに5−2勝ち、3回戦が東海道とうかいどうに6−1勝ち」

 あっちもギアを入れてきた感じか。

 やっぱり聖ソフィアも層は厚いのよねぇ。

 松平は、さらに追加情報もくれた。

「今日の時点で、赤山学園、房総ぼうそう、都ノが全勝だ。1敗が修身しゅうしんと聖ソフィア」

「……三宅先輩の言うとおり、けっこうキツイわね」

「ああ、うちは1敗したら脱落だろうな……と」

 松平は頭をかいた。

「しまった。端の突き捨てを書き忘れた」

「矢印引いて、つけ足しとけば?」

「だな」

 こうして清書が終わった頃には、ほかの大学はほとんど帰っていた。

 外に出ると、閑散としたキャンパスが広がる。

 9月になって、だんだんと日没が早くなっていた。

 正門を出て、そのまま駅へと向かう。改札口のまえで、三宅先輩は、

「さてと……俺と風切と重信しげのぶは、ちょっと飲んで行こうかと思うんだが……」

 と言って、私たちのほうをみた。

「1年生は未成年だから飲めないよな……どうする?」

 解散でいいんじゃないかしら。

 とくに穂積さんは、

「あした1限あるぅ」

 と言って、早く帰りたいみたいだった。

 私も疲れたし、初日3連勝で打ち上げ、っていうのもやり過ぎよね。

 三宅先輩もそれで了承した。

「じゃあ、ここで解散にするか。おつかれさん」

「おつかれさまでしたぁ」

 三宅先輩たち3人は、居酒屋のある裏路地へ消えた。

 私たちは改札を通って、ホームにあがる。

 どこに並ぶか思案していると、ふいに声をかけられた。

「都ノじゃん」

 ふりかえると、栗林くんがひとりで立っていた。

 私はちょっとおどろいて、

「こんにちは……どうしたの?」

 と尋ねた。

「どうしたって……駅前で先輩たちと飯食ってた。都ノも打ち上げの帰りか?」

 私たちは、棋譜を記録していたことと、そのあと軽い反省会をしたことを告げた。

 すると、栗林くんは急に黙り込んだ。

「……そうか、うらやましいよな、そういうの」

修身しゅうしんもまだ1敗でしょ。昇級の芽は……」

「いや、そういうんじゃなくてさ、純粋に部活としていいよな、って」

 その場にいた私たちは、栗林くんのセリフを理解できなかった。

 栗林くんは、「聞き流してくれ」とことわってから、ひとりでしゃべり始めた。

「俺、いまの部に不満があるわけじゃないんだけど……なんかちがうんだよね。先輩は優しくて、部室の雰囲気は和気あいあいとしてる……ようするにアットホーム。俺が入学前に予想してたのは、もっと……なんていうのかな、ガツガツしてるイメージだった。大学将棋の仕組みは知らなかったけど、大きな大会で優勝するとか、そういうさ。入ってみたら、なんか定期的に大会があるだけで、目標も『とりあえずBに上がる』とかいう曖昧なやつで……しかも、特別なことはなにもしてないんだ。さっきの夕飯のときも、将棋の話なんて、ほとんどしなかった。夏休みになにしてたとか、そういう雑談。だから都ノの雰囲気はうらやましいし……あと、赤山の脇も尊敬する」

 ホームのアナウンスが入る。

 列車が近づいてきた。

 栗林くんはしゃべりすぎたと思ったのか、いったん口を閉じた。

「悪い、なんか変な話をしたな……忘れてくれ」

 列車が滑り込む。

 栗林くんはべつの列へ向かおうとした。

 松平があわてて引き止める。

「脇を尊敬してるって、どういうことだ?」

 栗林くんは顔だけふりむいた。

「そのうち赤山と当たるんだろ。そのとき分かるさ」

 栗林くんの姿は、降りる客の群れに消えた。

 去り際に、がんばれよ、と、そう言ってくれたような気がした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
cont_access.php?citi_cont_id=891085658&size=88
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ