202手目 影のブレイン
「聖ソフィアが負けた?」
私の声にまっさきに反応したのは、火村さんだった。
火村さんは控え室の椅子を並べて、そこに寝っ転がっていた。
「はいはい、負けました。悪うございました」
これはふてくされてますね。
とはいえ、なんと声をかければいいのかも分からなかった。
風切先輩もこの場では話しにくかったのか、昼食にみんなを誘った。
キャンパスを出て、商店街のほうへ向かう。
その道中で、風切先輩は説明をしてくれた。
「聖ソフィアは赤山学園と当たったんだ。並びもよくなかった」
私は事情を察した。
「じゃあ、春の私たちとおなじ感じで……?」
「さすがに聖ソフィアは3−4負けに抑え込んでる……が、B以下の場合、個々人の勝ち星はほとんど意味がない。大切なのはチームの勝ち数だ」
「頭ハネがあるから、ですね」
C、Dの昇級・降級ルールは、いたって簡単だった。
チームの勝ち数が多いところから昇級。同数の場合は順位が上のチームが昇級。
私たちが苦労している原因も、ここにあった。
個々人の勝ち星も考慮してもらえるなら、もっと楽に昇級できる。
春だって、最終戦をまえに昇級が確定しているはずだった。
「というわけで、聖ソフィアも善戦したが、負けは負けだ」
「ですね……ところで、風切先輩、それについてなにか困ったことでも?」
先輩は、オヤッという顔をした。
「ん……勘がいいな」
いやぁ、風切先輩、意外と顔とか態度に出るタイプじゃないですか。
穂積お兄さんのほうが、なに考えてるのかわかんないときが多い。
「部全体と関係することだ。さきに店を決めよう」
商店街についた私たちは、ファーストフード店を選んだ。
混んでるかな、と思いきや、そうでもなかった。
これはあれかな、平日に大学生が来るお店なのかも。今日は日曜日だ。
私たちはてきとうに注文をして、席についた。
風切先輩はハンバーガーの包みをひらきながら、
「現状については三宅のほうが詳しい。三宅から説明してもらえないか?」
と頼んだ。
コーラを飲んでいた三宅先輩は、カップをテーブルにおいた。
「とりあえず、おつかれさま、だ。1回戦はみんなのおかげで快勝だった」
どうもどうも。
三宅先輩の采配もよかった。
失礼かもしれないけど、三宅先輩vs栗林くんだと、ちょっと危なかったと思う。
「で、風切からもう聞いたかもしれないが……全体の流れはかんばしくない」
私たちは顔を見合わせた。
察しがついたひとはいなかったようだ。
ララさんはジュースをチューチューしながら、
「なにがキビシイの? 勝ってるんだよ?」
とたずね返した。
「正直なところ、聖ソフィアには勝って欲しかった」
いやいや、敵に肩入れしてどうするんですか。
と思ったのもつかの間、穂積お兄さんだけは納得顔で、
「1敗が2校以上出そうってこと? 僕たちより上位陣で?」
と解釈した。
三宅先輩はうなずきかえした。
「そうなんだ……赤山は、悪くて1敗だと思う。うちが一発入れるかどうか、だ」
私はおどろいて質問した。
「赤山ってそんなに抜けてるんですか? 春にBから降級してるんですよね?」
いくら元B級とはいえ、降級した以上はどこかに弱点があるはずだ。
そもそも、Bの最下位校>Cの大学という関係は成り立たない。
プロだって、棋士の実力はA>B1>B2>C1>C2という単純な不等号じゃない。
ところが、三宅先輩は意外な返答をした。
「1回戦で赤山の偵察に行ってみたら、メンバーが春とかなり違ってた。しかも、もうひとつ誤算があった……赤山のオーダーは、かなりひねってきてるんだ。春はなにも考えずに並べた感じだったんだが、秋のはよく練られてる」
穂積お兄さんは、ふんふんとうなずきながら、
「Cのオーダーの癖を読んだひとが、赤山にもいるわけだ。春に気づかなかったのに秋になって気づいた、ってことは、ブレイン役が変わったと考えられるね」
と分析した。
三宅先輩はここで嘆息した。
「春のチームと秋のチームは、べつものだと考えたほうがいい。事前予想は聖ソフィアとの昇級争いだったが、本命を赤山学園に切り替える。データも集めなおす」
聖ソフィアに勝って欲しかったという、三宅先輩のコメントの意味が分かった。
初戦の事故で赤山に黒星がつけば、あとの展開は変わったはずだ。
私たちは聖ソフィアとは一回戦っている。手のうちは聖ソフィアのほうが読みやすい。
ただ、楽観的なメンバーもいた。ララさんだった。
「ララたちが聖ソフィアに勝てば、聖ソフィアは2敗でしょ。赤山が全勝でも、ララたちが1敗で昇級できる可能性はあるよ」
「まあ、その可能性はなくはないが、1敗がもう一校いると……」
そのときだった。ふいに知らない男子の声が聞こえた。
「すみません、ちょっとよろしいですか?」
ふりかえると、異様にファッショナブルな男子がひとり、こちらを見ていた。
白のシャツにカーキ色のゆったりした秋服。下はグレーのワイドパンツだった。全体的にスラッとした印象を与えるAラインシルエットというコーデだ。首には金のネックレスをしていて、その先にはハート形のリングがついていた。さらに特徴的なのがヘアカラーで、黒髪に赤いラインが入っている。顔だちは……なんていうの、ビジュアル系? 男性用の化粧をしている気がした。まつ毛もしっかり手入れしてある。
バンドのお兄さんかしら。年齢は私たちと同じくらいにみえた。
その男子は、あまり表情を変えずに、
「僕たちのテーブル、席が1個足りないんです。貸していただけませんか?」
と言って、空いている席をゆびさした。
そういうのは店員さんに頼んだほうがいいんじゃないかなぁ。備品だし。
とはいえ、ことわる理由もないような……って、だれか返事してくださいな。
奇妙なことに、三宅先輩はしばらく口をひらかず、男子を見つめていた。
男子はもういちど、
「もしかして先客がいます?」
とたずねた。
「あ、いや……かまわない」
「ありがとうございます」
ファッショナブルな男子は、椅子を持って奥の席へ移動した。
いつの間にか、店内はいっぱいになっていた。
どうやら、後発の将棋部が押しかけているらしかった。
アップルパイを食べていた大谷さんは、三宅先輩に、
「さきほどのかたは、赤山の脇くんですね」
と確認した。
三宅先輩はハッとした。
「ああ……大谷、知り合いだったのか?」
「全国大会でお見かけしたことがあります。高校のときから衣装に凝ったかたでした」
えッ、さっきのが赤山のエース?
私は思わず、奥の席を見てしまった。
9人の男子が、2つのテーブルと椅子を占拠していた。
ずいぶん狭そうだけど、上機嫌で談笑している。
風切先輩も、チラリと横目で盗み見た。
「……俺は高校将棋とは縁がなかったから知らないんだが、どういうタイプだ?」
「拙僧も話をしたことはありません。ただ、県幹事をなさっていたことは覚えています」
「どこのだ?」
「M重だったかと」
風切先輩は、じっと虚空をにらんだ。
「高校で県幹事をやってたエース、ね……影のブレインは、どうやら判明したな」
○
。
.
「負けました」
「ありがとうございました」
私は一礼して、チェスクロを止めた。
初日3回戦の東洋文化大学との対戦を終えて、肩の荷が降りる。
感想戦もそこそこに、対戦相手の男子は席を立った。
そして、うしろで見ていた仲間に話しかける。
「いやぁ、こりゃうちが降級か」
「下2校が昇級候補だとキツイな」
会場内の大学生たちは、だんだんと掃けていく。
私は盤駒とチェスクロの数を確認して、部屋を出た。
このキャンパスは都ノとちがって、いかにも理系って感じの施設だった。
天井の配管がごちゃごちゃしている。
ところどころ、放射線のマークもあった。
控え室では、風切先輩と穂積お兄さんが、なにやらミーティング中。
ほかのメンバーは、今日の棋譜を思い出しつつ記録していた。
なんだかんだで、私のところが最後だったみたいね。三宅先輩だけ見当たらないのは、勝敗の報告に行っているのだろう。
窓際に座っていたララさんは、うんと背伸びをして、
「めんどくさ〜い、これ毎回やらないとダメ?」
と、風切先輩にたずねた。
「Aになったら棋譜取り係がつく。それまでは我慢だ……と、裏見、お疲れさん」
「お疲れさまでした」
「さっそくで悪いが、棋譜の清書を頼む」
了解、と。
松平の横が空いていたから、そこへ腰をおろす。
「松平、おつかれさま」
「おつかれ。勝ったか?」
「ええ、松平は?」
「俺も勝った。これでチームは7−0だ」
絶好調じゃないですか。1日目の成績は、
こうなった。
3位、7位、8位との対戦だから、まだ気は抜けない。
でも、当初の予想よりはだいぶ押している。
私が鼻息を荒くしていると、松平はシャーペンで符号を書き込みながら、
「なぁ、裏見、ちょっと気になることを耳にしたんだが……」
とつぶやいた。
私は軽く身構えた。
「まさか、のえ……例のイタズラ?」
「いや、赤山学園についてだ」
なんだ、びっくりした。
「赤山がどうかしたの?」
「ほかの大学からの又聞きなんだけどな……お家騒動があったらしい」
「お家騒動? ……内紛ってこと?」
私はそこまで言って、ふとある可能性に気づいた。
「もしかして、赤山は補強したんじゃなくて、内紛でメンバーが変わったとか?」
「そこまではわからん。とりあえず、なにかゴタゴタがあったらしい」
んー、あいまいな情報。
「それ、三宅先輩たちにも伝えた?」
「もちろんだ。風切先輩にも、な。ふたりとも『可能性はある』だと」
そりゃ可能性ならなんだってあるわよね。
私はそんなことを考えつつ、棋譜をとった。
「……そういえば、聖ソフィアは?」
「さっき帰ったぞ」
「聖ソフィアの2回戦と3回戦の成績、知ってる?」
「2回戦が関八に5−2勝ち、3回戦が東海道に6−1勝ち」
あっちもギアを入れてきた感じか。
やっぱり聖ソフィアも層は厚いのよねぇ。
松平は、さらに追加情報もくれた。
「今日の時点で、赤山学園、房総、都ノが全勝だ。1敗が修身と聖ソフィア」
「……三宅先輩の言うとおり、けっこうキツイわね」
「ああ、うちは1敗したら脱落だろうな……と」
松平は頭をかいた。
「しまった。端の突き捨てを書き忘れた」
「矢印引いて、つけ足しとけば?」
「だな」
こうして清書が終わった頃には、ほかの大学はほとんど帰っていた。
外に出ると、閑散としたキャンパスが広がる。
9月になって、だんだんと日没が早くなっていた。
正門を出て、そのまま駅へと向かう。改札口のまえで、三宅先輩は、
「さてと……俺と風切と重信は、ちょっと飲んで行こうかと思うんだが……」
と言って、私たちのほうをみた。
「1年生は未成年だから飲めないよな……どうする?」
解散でいいんじゃないかしら。
とくに穂積さんは、
「あした1限あるぅ」
と言って、早く帰りたいみたいだった。
私も疲れたし、初日3連勝で打ち上げ、っていうのもやり過ぎよね。
三宅先輩もそれで了承した。
「じゃあ、ここで解散にするか。おつかれさん」
「おつかれさまでしたぁ」
三宅先輩たち3人は、居酒屋のある裏路地へ消えた。
私たちは改札を通って、ホームにあがる。
どこに並ぶか思案していると、ふいに声をかけられた。
「都ノじゃん」
ふりかえると、栗林くんがひとりで立っていた。
私はちょっとおどろいて、
「こんにちは……どうしたの?」
と尋ねた。
「どうしたって……駅前で先輩たちと飯食ってた。都ノも打ち上げの帰りか?」
私たちは、棋譜を記録していたことと、そのあと軽い反省会をしたことを告げた。
すると、栗林くんは急に黙り込んだ。
「……そうか、うらやましいよな、そういうの」
「修身もまだ1敗でしょ。昇級の芽は……」
「いや、そういうんじゃなくてさ、純粋に部活としていいよな、って」
その場にいた私たちは、栗林くんのセリフを理解できなかった。
栗林くんは、「聞き流してくれ」とことわってから、ひとりでしゃべり始めた。
「俺、いまの部に不満があるわけじゃないんだけど……なんかちがうんだよね。先輩は優しくて、部室の雰囲気は和気あいあいとしてる……ようするにアットホーム。俺が入学前に予想してたのは、もっと……なんていうのかな、ガツガツしてるイメージだった。大学将棋の仕組みは知らなかったけど、大きな大会で優勝するとか、そういうさ。入ってみたら、なんか定期的に大会があるだけで、目標も『とりあえずBに上がる』とかいう曖昧なやつで……しかも、特別なことはなにもしてないんだ。さっきの夕飯のときも、将棋の話なんて、ほとんどしなかった。夏休みになにしてたとか、そういう雑談。だから都ノの雰囲気はうらやましいし……あと、赤山の脇も尊敬する」
ホームのアナウンスが入る。
列車が近づいてきた。
栗林くんはしゃべりすぎたと思ったのか、いったん口を閉じた。
「悪い、なんか変な話をしたな……忘れてくれ」
列車が滑り込む。
栗林くんはべつの列へ向かおうとした。
松平があわてて引き止める。
「脇を尊敬してるって、どういうことだ?」
栗林くんは顔だけふりむいた。
「そのうち赤山と当たるんだろ。そのとき分かるさ」
栗林くんの姿は、降りる客の群れに消えた。
去り際に、がんばれよ、と、そう言ってくれたような気がした。