201手目 華麗なる挟み撃ち
私の桂跳ねをみて、栗林くんはけげんそうな顔をした。
「へぇ、意外と過激なんだな」
そう言って、栗林くんは長考に入った。
私も続きを読む。残り時間は、私が19分、栗林くんが20分。
同歩は8八角成で私の勝ちだから、龍を逃げる一手だろう。先手から7七桂とぶつけても、私のほうは5七桂不成と飛び込めるからノープロブレム。
問題は、龍をどこに逃げてくるか。一番可能性が高いのは8七だ。8七龍は5七の地点を横利きで守っている。すぐには5七不成とはできなくなる。だから、そこでさらに6六角と飛び出して、9九角成をみせる。
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
私の第一感は、この流れだ。
6六角の次の手は、いろいろとありそう。5八金左、9九角成、9一角成とか。これが一番単純な攻め合いかな。5八金左については、7八の銀が浮かないように、6八金とする可能性もありそう。6八金、9九角成、7七桂、同桂成、同銀のとき、5八に金がいると8六歩と打たれて困る。それに、5八金左の場合は、9九角成以下のどこかで、7九飛と打ちおろすことも可能だ。
ここで栗林くんが動いた。
「けっこうめんどくさいか……8七龍」
本命がきた。
「6六角」
「んー、そうくるよな。6八金だ」
そっちか……読んである手にはなった。
ここで9九角成とするかどうか……なんだけど、よくよく考えてみると、先手には龍がある。このまま香車の取り合いに持ち込むのは、よくない気がしてきた。最終的に先手有利で収まる可能性が高い。例えば、9九角成、9一角成と取り合ったあと、私がなにか指したあとで6七歩と収めてしまえば、盤石になるような。
私は方針を変更することに決めた――攻める手はないかしら。
私が長考をはじめると、栗林くんは頃合いと思ったのか席を立った。
すぐうしろで観戦していた部員に、なにやら飲み物の注文をした。
栗林くん自身は、ほかの対局を観に行く。
けっこう細かいのね……と、そんなこと考えてる場合じゃない。
攻めるなら、パッと見、第一感で指したい手がある。8六歩だ。
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
叩いて9九角成、というわけじゃない。それは先手の龍のアドバンテージが残る。
8六同龍に5七桂不成と突っ込む順を考えていた。もちろん、これは両取りじゃない。4八金か5八金と立って逃げることができる。でも、そこで9九角成、9一角成、7九飛なら? ふつうなら6九金で飛車が死ぬけど、5七に桂馬がいる限りは死なない。先手はいったん5七金直と桂馬を払う必要がある。そのあいだに8九馬――あ、全然ダメか。同銀でまったく続かなくなる。さすがに香車と桂馬だけじゃ、先手玉は寄らな……ん?
私は今の順に、ある手を付け加えてから読みなおした。
「これは成り立って……」
「失礼」
栗林くんがもどって来た。
私は前傾姿勢になっていたことに気づいた。
背筋を伸ばし、サッと8六歩と叩いた。チェスクロを押す。
栗林くんはその手をみて、
「ふぅん」
と言い、それから腕組みをした。
「なにかありそうな手だな」
「……」
「ま、取るしかないか。同龍」
私は1五歩と突いた。
さすがの栗林くんも反応する。
「マジか……? アグレッシブ過ぎるだろ」
いやいや、採算はあるから。
ちょうどそのとき、控えの部員が、注文した飲み物を持ってきた。
アルミ缶のブラックコーヒーだ。
栗林くんはそれを受け取って、さっそくキャップを開けた。
プシュと軽い音が立つ。
栗林くんはちょっと迷っているようにみえた。つまり、即取りするかどうかだ。
私と栗林くんの読みは、そんなに噛み合っていない。
だったら、読む時間を節約するために即取りしてもおかしくはなかった。
ただ、栗林くんはチームの対局を観に行っていた。見た目とちがって、けっこう繊細なところがあるんじゃないかと、私はそう予想していた。
案の定、栗林くんはここで1分使った。
「……同歩」
私は同香と走る。
「さすがにそれは謝らないぞッ! 同香ッ!」
私は5七桂不成と飛び込んだ。
5八金右、1七歩、1九歩。
「9九角成」
栗林くんは、私の狙いにようやく気づいた。
「馬切りする気か……」
正解。
栗林くんはコーヒーを飲んで、しばらく考え込んだ。
「……9一角成」
私は7九飛とおろす。
栗林くんは5七金直と取った。
ここからがさっきと違う。
端を入れていなかったら、次の手がなくて後手終了。
だけど、今回は端を絡めることができる。
1八歩成、同歩、8九馬、同龍。
「1六桂」
これだ。
栗林くんもおそらく途中で察したのだろう。
8九銀じゃなくて8九龍と取ったのは、その証拠だ。
「めんどくさくなったな……1七玉」
そこしかないわよね。
1九玉は7八飛成で即死する(次の2八銀で詰みだから王手龍取り)。
私は8九飛成で飛車龍交換に応じる。
以下、同銀、3九飛、5八飛、8九飛成。
よし、銀をゲット。
5九香、8五龍、5五香、1四歩。
栗林くんは、ちょっとイヤそうな顔をした。
「チッ、マジでめんどいことになったな」
1四同香、7六龍、6六歩、1五歩、1二香成。
栗林くんは、端を反撃してきた。
これは放置すると2二角で厄介かも。
私はいったん3三銀と上がって、7七歩、8五龍ともどした。
攻め駒を攻める。
さすがに先手からも対応があった。
「4六金」
ぐぅ、中央に3段ロケットが。
とはいえ、すぐに突っ込まれる心配はない。5三香成、同銀、同飛成、同金、同香成の突撃は、2八銀、2六玉、2五飛、3六玉、3五歩、同金、同龍で詰む。後手は馬筋を活かせるかたちになっていない。
もちろん、さすがにこのうっかりは期待していない。
私は3二金で上部を厚くした。
栗林くんも2六歩でふところを広げてきた。
私は3九銀でプレッシャーをかける。
2五歩、2八桂成、2六玉、4四香、4五桂。
うーん、この打ち返しがあるなら、即取りしかないか。
同香、同金、4四歩、4六金と押し返して、私は3八成桂と入った。
「さすがに切れてきたんじゃないか。同飛だ」
そういう盤外戦術をしない。
とは言ったものの、すぐに寄せる順はないっぽい。
3九の銀も質に入ってしまった。
「……8八龍」
これなら、どう? 3九飛には6八龍よ。しかも6八龍は詰めろ。1六金、3六玉に2七銀という簡単な詰みがある。先手の王様は狭い。
「1五玉」
だぁ、端を開拓してきた。
私は2四歩から追い返しにかかる。
同歩、同銀、同玉、2三銀、1五玉、1二銀。
成香を回収して、入玉を阻止した。
「2四桂」
くぅ、金銀の位置。
2三銀、2五歩、3三金で、栗林くんは拠点を作りなおした。
C級上位のレギュラーだと、あっさり折れてくれない。
ただ、困っているのは栗林くんも変わらないようだ。
さっきからちょくちょく手が止まっている。
「……」
「……」
勝負所になった気がする。
先手も後手も一気に寄る可能性が出てきた。
それに、時間もあまりない。
ここまでの細かい応酬で、私がのこり5分、栗林くんが3分になっていた。
「……5三香成」
栗林くんは攻めを選択した。
同銀、同香成、同金、3二香(!)、同銀、1二桂成。
そっち? あくまでも入玉狙い……ってわけじゃないか。2二の封鎖だ。
私は1三香、2六玉、2二香と打って、攻防に利かせた。
「おっと、それは詰めろがかかるぜ。5一銀」
さすがに百も承知。
私は4三金左と受ける。
7三馬、3三銀、2二成桂、同玉、2四香。
これは……先手さすがに切れてるのでは?
あんまり寄せられる恐怖心が湧かない。
とはいえ、慎重に。
2三歩、同香成、同玉、7四馬、6三桂、4一角。
「3二桂」
私は持ち駒でがっちりと受けた。
ここで栗林くんの手が止まった。
ピッ
栗林くん、秒読みへ。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「6五馬ッ!」
これは手がない宣言だ。
再反撃ィ! 私も残り時間を使って読む。
ちょうど秒読みに入ったところで、だいたいの目処がついた。
「2四香」
1七桂、2五香、同桂、2四香、3六玉、2五香、2六歩。
どんどん盛り上がる。
2四銀、5八飛、3五歩、2七玉、2六香、3八玉。
……………………
……………………
…………………
………………詰んだわね。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「2八香成」
ちょっと複雑だけど、詰んでる。
以下、4九玉、4八香、5九玉に7九龍と入って、6九香、6七桂、同金、4九香成、同玉、6九龍、5九歩、4八香、同飛、同銀成、同玉、3八飛、5七玉、5九龍まで。最後、5七に王様が逃げても、飛車2枚で詰むところがポイントかな。
栗林くんは、6七桂と打たれたところで、詰みに気づいた。
「都ノ、ここまで強かったのか……負けました」
「ありがとうございました」
一礼して終了。
栗林くんのコメントを待つ。
「最後、あっさり土俵を割っちまったな」
「途中はけっこう難しかったと思うわ」
「どのへんで悪くした?」
私は対局をふりかえる。
「4一角に3二桂と受けたところで、栗林くんは6五馬ってしたでしょ」
「あぁ、あれは手がなかったんだよな。なにかあったか?」
「個人的にイヤなのは、4一角のまえに7八金かしら」
【検討図】
「冷静に弾かれると、龍の逃げ場所が意外とむずかしいのよね」
龍が移動すると、先手は飛車の負担が軽くなる。受けもしやすい。
とはいえ、これでもまだ後手がいいと思う。
私はそう付け加えた。
そのあと、私たちは中盤のまわりを検討して、席を立った。
うしろで観戦していた風切先輩と目が合う。
「あ、お疲れさまです……どうでしたか?」
「6−1で勝った」
わお、大勝じゃないですか。端っこだから戦況が分かりにくかった。
となりの大谷さんが早めに勝ったっぽいのは、なんとなく気づいてたけど。
ところが、風切先輩の表情はちょっと浮かなかった。
「なにかトラブルでもありましたか?」
まさか6勝1敗のうちの1敗が風切先輩、ってオチじゃないでしょうね。
風切先輩はかるくタメ息をついた。
「いや、トラブルじゃないんだが……まあ、控え室に行けば分かる」
場所:2016年度 秋季団体戦1日目 1回戦
先手:栗林 光生
後手:裏見 香子
戦型:先手向かい飛車
▲7六歩 △8四歩 ▲1六歩 △8五歩 ▲7七角 △3四歩
▲6六歩 △1四歩 ▲8八飛 △6二銀 ▲4八玉 △4二玉
▲3八玉 △3二銀 ▲2八玉 △3一玉 ▲3八銀 △7四歩
▲7八銀 △5二金右 ▲8六歩 △同 歩 ▲同 飛 △同 飛
▲同 角 △8二飛 ▲8七飛 △6四歩 ▲同 角 △8七飛成
▲同 銀 △7三桂 ▲7八銀 △8七歩 ▲8一飛 △8八歩成
▲同飛成 △6五桂 ▲8七龍 △6六角 ▲6八金 △8六歩
▲同 龍 △1五歩 ▲同 歩 △同 香 ▲同 香 △5七桂不成
▲5八金上 △1七歩 ▲1九歩 △9九角成 ▲9一角成 △7九飛
▲5七金直 △1八歩成 ▲同 歩 △8九馬 ▲同 龍 △1六桂
▲1七玉 △8九飛成 ▲同 銀 △3九飛 ▲5八飛 △8九飛成
▲5九香 △8五龍 ▲5五香 △1四歩 ▲同 香 △7六龍
▲6六歩 △1五歩 ▲1二香成 △3三銀 ▲7七歩 △8五龍
▲4六金 △3二金 ▲2六歩 △3九銀 ▲2五歩 △2八桂成
▲2六玉 △4四香 ▲4五桂 △同 香 ▲同 金 △4四歩
▲4六金 △3八成桂 ▲同 飛 △8八龍 ▲1五玉 △2四歩
▲同 歩 △同 銀 ▲同 玉 △2三銀 ▲1五玉 △1二銀
▲2四桂 △2三銀 ▲2五歩 △3三金 ▲5三香成 △同 銀
▲同香成 △同 金 ▲3二香 △同 銀 ▲1二桂成 △1三香
▲2六玉 △2二香 ▲5一銀 △4三金左 ▲7三馬 △3三銀
▲2二成桂 △同 玉 ▲2四香 △2三歩 ▲同香成 △同 玉
▲7四馬 △6三桂 ▲4一角 △3二桂 ▲6五馬 △2四香
▲1七桂 △2五香 ▲同 桂 △2四香 ▲3六玉 △2五香
▲2六歩 △2四銀 ▲5八飛 △3五歩 ▲2七玉 △2六香
▲3八玉 △2八香成 ▲4九玉 △4八香 ▲5九玉 △7九龍
▲6九香 △6七桂
まで152手で裏見の勝ち