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凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第33章 2016年度秋季団体戦1日目(2016年9月25日日曜)
200/486

200手目 秋季団体戦、開幕

 秋季団体戦の会場は、首都農業大学の郊外キャンパスだった。

 残暑がきびしい季節で、私たちは日陰を歩く。

 フェンス越しにみえる農場に、星野ほしのくんは目をキラキラさせた。

「うわぁ、さすがですね、都ノみやこのよりも立派な圃場ほじょうです」

 たしかに、都会にしてはだいぶ大きい農場だった。

 お米ではなくて、ネギとかインゲンマメを作っているようだ。

 松平まつだいらも理系つながりで興味があるのか、

「大量生産してるわけでもないし、これってなにが目的なんだ? 体験学習か?」

 と尋ねた。

 星野くんはわざとらしくタメ息をつく。

けんちゃん、わかってないなぁ、これは実験だよ」

「実験……?」

「ほら、このうねをラインにして、右と左でネギの大きさがちがうだろう」

 松平はフェンスの向こうにあるネギを見比べた。

「なるほど、たしかにちがうな。品種か?」

「品種はおなじだと思う。肥料だよ。片方にはあげて、片方にはあげてないんだ」

 対照実験ってやつね。中学の理科で習った。

 私たちがそんな会話をしていると、うしろのほうから声をかけられた。

「きみ、いいねぇ、農業のセンスあるよ。うちに転学しない?」

 こらぁ、星野くんをたぶらかすのは誰ですか。

 ふりかえると、首都農業の将棋部のひとたちだった。春に当たったから覚えている。

 向こうも私たちのことを覚えているらしく、先頭の男子が気さくに挨拶あいさつしてきた。

「部員増えたの? 春より人数多いよね?」

 こらこら、詮索せんさくをかけない。

 私たちが黙っていると、首都農業の男子は笑った。

「情報は漏らさないってわけか。都ノはCでも昇級候補だもんな」

 なんと答えていいのかわからない。

 でも、無視は失礼だから、三宅みやけ先輩が返事をした。

「春は楽しかったぞ。またどこかで指せるといいな」

「おいおい、いいのか? うちと指すとなると、そっちが残留でうちが昇級、あるいは、うちが残留でそっちが降級のパターンしかないぜ?」

 三宅先輩は、この返しに困って頭をかいた。

「いや、まあ、個人戦とか……」

「冗談だよ。個人戦とかコンパとか、いくらでもあるよな。逆にいえば、団体戦がすべてじゃないんだから、うちはうち、都ノは都ノで、実力通りのクラスに収まればいいんじゃないか。うちはCとDを行ったり来たりはできても、Bは無理だ……応援してる」

 私たちは微笑ほほえんだ。

 おたがいにほとんど知らない大学だけど、なんとなく気持ちがかよった気がした。

 けど、すぐにその男子は真顔になって、星野くんに話しかけた。

「でさぁ、このネギなんだけど、定植前ていしょくまえリンさんびょう施用しようって言って……」


  ○

   。

    .


 大講義室に集まった、将棋好きの大学生たち。

 私たちが陣取ったのは――なんと、聖ソフィアのとなり。

 挑発目的でとなりにしたわけじゃない。ネギ談義で遅れた私たちのために、聖ソフィアはなぜか場所を取ってくれていた。火村ほむらさんは、

「べつにあんたたちのために取っておいたんじゃないんだからね」

 なーんて言ってたけど、やっぱりツンデレ? ……じゃないと思う。

 ちょっとやられちゃった感がある。

 三宅先輩と風切かざぎり先輩も、うしろのほうでひそひそ話。

「おい、三宅、これってうちに新入部員がいるかどうかの偵察じゃないか?」

「しょうがないだろ。もうここしか空いてなかったんだ。それにどうせバレてる」

 まあ、バレてそうではある。なんかよくわかんないけど、聖ソフィアは情報が早い。このまえの熱海合宿のときに、星野くんとララさんはA級校に目撃された。そこから情報が漏れていても、まったくおかしくはなかった。

 しかたがないので、とりあえず準備に専念する。

 9時を回ったところで、ようやく幹事が顔を出した。

「C級の抽選をおこないます。1203講義室に代表者のみ集合してください」

 三宅先輩は打ち合わせをやめて、そのまま教室を出て行った。

 私はだれかの視線を感じる――左手のほうをみた。

 火村さんが列を挟んで、こちらをじっと観察している。

「火村さん、なにみてるの?」

「んー、都ノのオーダーを予想してるの」

 正直なことで、と思ったとたん、火村さんは席を立って私のとなりに座った。

「ちょっと、さすがにライバル校同士でしょ」

「ほかの大学だってダベってるじゃない……それより、月曜日に有縁坂うえんざかに行った?」

 私は電池交換の手をとめた。

 びっくりして火村さんのほうへ顔をむける。

「もしかして行ったの?」

「なんか開店記念日だったけど、並んでたら入れたわ」

 じつはあの日、私たちも偵察に行こうかと悩んでいた。

 けど、佐田さだ店長の罠なんじゃないかってことで、行かなかったのだ。

 それが正解だったのかどうかわからない。火村さんの情報は貴重だった。

 私は好奇心丸出しなのを悟られないようにしながら、

「で、どうだった? なにか新メニューでも出てた?」

 とさぐりを入れた。

 火村さんは椅子にもたれかかって、ちょっとかっこつけたポーズをとる。

「ふつうのイベントだったけど……気になる顔も見かけたわね」

 私はドキリとした――もしかして、聖生のえるJr?

「だれ?」

香子きょうこ、なんか急に食いついてきたじゃない」

「そ、そういうわけじゃないけど……」

「日センのあの女」

 ……速水はやみさん?

「速水さんのこと? べつに速水さんがいてもおかしくないんじゃない?」

 ちがうちがうと、火村さんはひとさしゆびを振ってみせた。

「あいつがひとりきりなら、ね……中年の男性といっしょだったわ」

 いやいやいや、そんなパパ活の疑いみたいなのかけてもねぇ。

 速水さんに限ってそういうのはないでしょ。

 私が信用していないのを見て取ったらしく、火村さんはムスっとした。

「その目は信用してないわね」

「見間違いじゃない? いっしょに列に並んでただけとか……」

「店長とペアで会話してたから、間違いないわよ。多分、あいつのパパだわ」

 いや、だからですね、そういうパパ活の疑いをかけてもですね、はい。

「火村さん、そういう勘ぐりはよくないわよ」

「なんでパパだと予想したらダメなの?」

「だって速水さんにパパはいないでしょ、さすがに」

 火村さんは眉間にしわをよせて、ハァ?みたいな反応をみせた。

「人間は有性ゆうせい生殖せいしょくなんだから、パパは必ずいるでしょ?」

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………ん?

「もしかして、火村さん……速水さんのお父さんに会ったの?」

「さっきからそう言ってるじゃない。香子が言ってた『パパ』ってなんなのよ?」

 え、あ、いや、その。

 私が返答に窮していると、入り口に代表者たちがもどってきた。

 明石あかしくんが火村さんに声をかけて、この話は立ち消え。セーフ。

 私は三宅先輩のほうへ集まった。

「どうでしたか?」

「春みたいにいきなり聖ソフィアと、ってわけじゃないが……一回戦が修身しゅうしんだな」

 C級3位とか。

 風切先輩はパチリと指を鳴らした。

「ま、しょうがない。並びはAにする? それともBにする?」

 Aは穂積ほづみお兄さんとララさんが、Bは穂積お兄さんと三宅先輩が抜けるパターンだ。

 つまり、棋力で下からふたりを切るということ。小細工なしのベストメンバー。

 三宅先輩は即答で、

「Bにしてくれ」

 と答えた。風切先輩はすこし眉をひそめた。

「いいのか?」

 この疑問は当然だった。三宅先輩とララさんは、けっこういい勝負だ。

 三宅先輩は風切先輩になにやら耳打ちした。

「……わかった、Bだ。みんな、行くぞ」

 私たちは道具を持って対局会場へ移動した。

 時間が押しているらしく、さっそくオーダー交換が始まった。

 三宅先輩のまえに、修身の部長らしきメガネの男子が出てきた。

 三宅先輩はあいての男子にオーダーの先手をゆずった。

「わかりました……修身、1番席、副将、只野ただのあつし

「都ノ、1番席、副将、穂積ほづみ八花やつか

「2番席、三将、佐々木ささきけん

「2番席、三将、松平まつだいら剣之介けんのすけ

「3番席、五将、淵田ふちだ成二せいじ

「3番席、四将、星野ほしのかける

「4番席、六将、渡辺わたなべ順也じゅんや

「4番席、五将、風切かざぎり隼人はやと

「5番席、七将、一ノ瀬いちのせさとし

「5番席、六将、みなみララ」

「6番席、九将、藤田ふじた勇斗ゆうと

「6番席、七将、大谷おおたにひよこ

「7番席、十将、栗林くりばやし光生みつき

「7番席、八将、裏見うらみ香子きょうこ

 オーダー席の周囲がざわついた。

 野次馬の声が聞こえる。

「都ノは戦力補強してきたっぽいな」

「ま、さすがにそうだろ。問題は数合わせで増やしたのかどうかだな」

 おそらくは他校の偵察だろう。メモを取っているひともいた。

 私はその横をスルーして、一番うしろの席へ回る。

 待っていたのは、流行りのウルフカットでキメた細身の少年だった。目元にどこか不機嫌そうなところがあって、話しかけにくい雰囲気だった。ただ、なにかにイラだっているわけではなく、そういう顔立ちなのだろう。黒地に黄色いトラのイラストが入った派手なTシャツを着ていた。右手をジーンズのポケットにつっこんで、私をちらりと見た。

「裏見さん?」

「はい」

「俺が栗林ね。よろしく」

 私たちは席についた。幹事の指示を待つ。

「それでは、振り駒をお願いします」

 1番席で穂積さんが振り駒。

「……都ノ、偶数先ぐうすうせんッ!」

 私は後手か。チェスクロを向かって右になおしてもらう。

「対局準備はよろしいでしょうか? ……では、始めてください」

「よろしくお願いします」

 全員で一礼して、団体戦が始まった。

 私はチェクスクロを押す。

 栗林くんは無造作に7六歩と突いた。

 私は8四歩から、1六歩、8五歩、7七角、3四歩で対抗形を指定。

 続く6六歩に私が1四歩と突き返すと、栗林くんは8八飛と回った。


挿絵(By みてみん)


 ここまでは把握済み。

 栗林くんは修身の上位レギュラーだから、棋譜はちゃんとチェックしてある。

 勝負どころでは向かい飛車の採用率が高い、というところまで把握済み。

 6二銀、4八玉、4二玉、3八玉、3二銀。

 だからこそ誘導した。対策も練ってある。

 2八玉、3一玉、3八銀、7四歩。

 私は穴熊ではなく、急戦調で対応する。

「うーん、急戦か……指し手も早いし、こりゃ対策されてるかな」

 栗林くんはそう言って、7八銀と立った。

「5二金右」

「8六歩」


挿絵(By みてみん)


 もう反発してきた。

 ノータイムだったから、栗林くんの研究ルートに入っている可能性もある。

 どうする? ほかで4つ勝てそうなら、私のところは慎重路線でいく?

 その場合、私の方針は【早く負けない】ことだ。

 早く負けるとチームに動揺が走ってしまう。

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………いや、ちがう。

 そんなことなら最初から持久戦にしておけって話。

 ちぐはぐなのが一番ダメ。

 私はチーム戦のことは一回忘れて、盤面を読んだ。

「……同歩」

「さすがに今季は昇級したいから、積極的にいくよ。同飛」

「同飛」

 私はノータイムで取り返した。

 栗林くんは意外そうな顔をする。

「さすがだね。8五歩で収めてくるひとが多いんだけど。裏見さんも自信ありかな」

 自信はない。でも、こっちが最善という結論だ。

 そもそも棋理的に考えて、先手の飛車先だけ切らしていいわけがない。

 ただ、栗林くんはこっちのルートも早かった。

 同角、8二飛、8七飛、6四歩、6四角。


挿絵(By みてみん)


 ぐッ……もう一回ぶつけてくるのか。6六角の飛び出しがあるから、6四角とは取ってこないだろうと思っていた。すこしばかり変調になる。

 私はひとまず8七飛成、同銀、7三桂と対応。

 栗林くんは8八飛を警戒して、いったん7八銀とバックした。

 私はここでどうするか迷う。

 即座に6六角? 5七の地点が空いているから、7七桂なら5七角成だし、5七の地点を守るために5八金左なら9九角成だ。先手は6三香と打たれるのが一番めんどくさいから、おそらく7七桂、5七角成…… むずかいし。

 私はお茶を飲んでリフレッシュ。もうすこしちがう順も読む。今考えているのは、8七歩と垂らす手だ。


挿絵(By みてみん)


 (※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)

 

 同銀なら8八飛だから、放置……もできないわよね、これ。

 先手は8一飛と下ろして、8八歩成、同飛成……んー、龍を作らせてるだけか。

 私はこの読みを打ち切ろうとした。

 ペットボトルのキャップを閉めようとした瞬間、ある手がひらめく。

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………これ、成立してる?

 私はもういちど読みなおす。

 かなり複雑だけど……破綻はしていない。単に6六角とどっちがいいかも不明。

 私は栗林くんを盗み見た。あまり気合を入れて読んでいる気配がない。つまり、次の手は6六角でほとんど決め打ちしているということだ。だとすれば6六角は研究範囲。

 私は意を決して、8七歩と垂らした。

 栗林くんの表情が変わった。

「そっち?」

 栗林くんはあごに手をあてて、片目をつむり、しばらく考え込んだ。

 空中をみているから、おそらく脳内将棋盤を動かしているのだろう。

「……そういう手か」

 読まれた――けど、栗林くんの表情がゆるまなかったから、成立していると察する。

 栗林くんは黙って8一飛と打った。

 8八歩成、同飛成。

 

 パシリ

 

挿絵(By みてみん)


 これで勝負ッ!

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