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凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第4章 2016年度春季個人戦1日目(2016年4月17日日曜)
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19手目 急転直下の終盤

 パシリ

 

 静かな教室に、駒音が響き渡る。

 昼食からもどって来た私たちは、それぞれの役割を果たすため、会場に散った。2回戦に進出した3人のうち、松平まつだいら三宅みやけ先輩は対局へ、シードの風切かざぎり先輩は、私と一緒に、戦型をチェックすることになった。大谷おおたにさんは、午前と同じく荷物番。

 1回戦で半数が敗れた計算になるから、会場はずいぶんとすっきりしていた。その代わりに、観戦者がグッと増えて、通路の移動にひと苦労。注目局の周りには、序盤から何人もの人だかりができていた。

裏見うらみ、そっちは、どうだ?」

「ちょうど終わりました」

 風切先輩と分担したおかげで、ペースはだいぶ速くなった。邪魔にならないように、一旦廊下へ出て、お互いのノートを確認し合う。風切先輩にも、メモを取ってもらった。あとでまとめないといけないから、記憶しているだけじゃダメなのだ。このことに気づいたのは、昼食から帰って来たあとで、あいかわらずグダグダな展開。

「聖ソフィアは、2席残ってますね。先輩から見て、どんな感じでしたか?」

 風切先輩は、ボールペンの底でひたいを掻きながら、

「ちょっと、気になることがあるな……」

 と答えた。

「わ、私のチェック、間違ってました?」

「いや、そうじゃない……ただ、312の教室にいるやつは、棋力が高いように見えた」

 312――細目の子だ。私は、容姿と服装を伝えた。

「ああ、そいつだ」

「先輩視点で、何段くらいありそうですか?」

 私の見立てだと、道場初段くらいかな、と思っていた。

 先輩は、難しい顔をする。

「具体的に何段、ってわけじゃないんだが……雰囲気は、高段者に見える」

「雰囲気……?」

 私は、首をかしげた。ちょっとオカルトじゃないかしら……いや、そうでもないかも。私だって、手つき、指すときの姿勢、間合いで、なんとなく分かることがある。風切先輩クラスなら、もっと正確に分かるのかもしれない。

 でも、高段者が、1回戦のあの詰みを見逃すかしら。馬を出るだけなのに。

「俺の勘違いかもしれない。そいつが2日目に進出したら、考えよう」

 たしかに、それが一番っぽい。

「戦型チェックは終わったな。三宅は、他になにか頼んでたか?」

「いいえ、自由にしていいって言われました」

 休憩でもいいらしい。でも、休憩するほど疲れなかった。

「そっか……俺は、3回戦の相手を観てくる」

「了解です。私は、ほかのメンバーを応援します」

 こうして私たちは、二手に分かれた。まずは、松平の応援を――と思った矢先、ふと足が止まる。312のプレート。私は、風切先輩の話を思い出した。

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………

 気になるわね。評価ミスだと困るから、もういちど確認することにした。

 教室へ入る。教壇の幹事が、ちらりとこちらを見て、また顔をもどした。私は、黒板で名前を確認した。

 

 明石あかし(聖ソ1)

 

 1年生だったのね。落ち着き払っていたから、てっきり上級生かと。1回戦のときは、大学名の下にある数字の意味が分かっていなかった。私は、通路にたむろしている男子をやり過ごして、例のテーブルへと向かった。観戦者は、いないようだ。盤面を覗き込む。


挿絵(By みてみん)


 これは……原形が分からない。5八玉、5二玉なところを見ると、横歩?

 んー、困った。形勢判断ができない。私は居飛車党だけど、横歩だけは指さないと決めている。親のカタキってわけじゃなくて、単純に苦手なのよね。

 ここからどう指すのかも、全然見当がつかなかった。とりあえず、観戦を続ける。

 1分ほど考えて、先手の明石くんは6六角とぶつけた。

「いやあ、参ったな」

 相手の眼鏡の子は、背筋を伸ばして、額をこぶしで叩いた。

 その顔に、見覚えがある。日センとの交流会で、速水はやみ先輩と指したあと、声をかけて来た子だった。今田いまだくんという名前で、黒板のトーナメント表にも、そう書いてあった。私とは午後の部で当たって、私が勝った。そのときの印象だと、彼も道場初段くらいだったように記憶している。明石くんの腕前を見るには、もってこいの組み合わせ。

「取るしかないか。同角」

 明石くんの同飛に、今田くんは8七桂と打った。

 

挿絵(By みてみん)


 これは、どうかなあ。横歩は分からないけど、いい手ではないと思う。

 9九桂成ってことよね。桂馬をわざわざ打って、香車を拾いに行くのは損だ。

「どうやら、後手が苦戦してるみたいね」

 女性の声――ふりかえると、速水先輩が立っていた。

「こ、こんにちは」

 私は、小声で挨拶する。

「うちの今田を偵察に来たの?」

「はぁ……まあ……」

 私は、言葉を濁す。気になる選手が聖ソフィアにいるから、とは言いにくい。

 とはいえ、態度でバレてしまったようだ。速水先輩は、黒板を確認したあと、

「ああ、そういうこと……聖ソフィアの偵察に来たのね」

 と、見抜いてきた。仕方がないから、そうです、と答えた。

「速水先輩も、戦型チェックですか?」

「私は応援」

 日センみたいに部員の多いところは、人海戦術で人手が足りているようだ。

 うらやましい。

 そんなことを思っているあいだにも、局面は進んでいた。

 7八金、9九桂成、8二歩、6五歩、同飛、6二香、3五飛、3四歩、2五飛。


挿絵(By みてみん)


 ん、これって、王手飛車じゃない?

 4六桂、同歩に、1四角でも3六角でも王手飛車だ。

 以下、4七角、2五角、同角で、単なる飛車角交換にみえるけど、7五飛がある。これが角金両取りだから、後手の駒得。この筋を、私は速水先輩にたずねてみた。

「なかなか鋭いわね。ただ、7五飛に7七角と受けて、2五飛、1一角成、2八飛成、2九歩、1九龍、2一馬の展開は、先手もそこまで悪くないと思う」


【参考図】

挿絵(By みてみん)


「先手の駒損ですよね?」

「駒損と言っても香損だし、8一歩成が入れば、一気に解消されるわ」

 あ、そっか、8一歩成があるのか。8二同金は、飛車の打ち場所ができてしまう。


 パシリ

 

 駒音――4六桂が指されていた。

 同歩、1四角、4七角、2五角、同角と進む。

「7五飛、と」

 今田くんの手つきは、自信ありげ。

 明石くんの7七角にも、すぐに2五飛とスライドさせた。

「1一角成です」

「2八飛成」

 以下、2九歩、1九龍、2一馬で、速水先輩の読み筋通りになった。さすが。今田くんと明石くんは、ここまでの進行に5分近く使ったけど、先輩は一瞬だったから。

「金を守らないといけないな……1四角」


挿絵(By みてみん)


 今田くんは、角を打ち直した。王手で金を守っている。

 ただ、ちょっと危険な守り方にも見えた。

「これ、あとで3二馬と切る手がありませんか?」

「そうね。3二馬、同角に4五桂と打ってみたいわ」

「今の局面から、4七香、1八龍、3二馬、同角、4五桂とか?」

「香車は残しておきたいから、3六歩で、どうかしら」

 3六歩? 同角……4七銀と弾かれて、困るか。手堅く4七桂でも困りそう。

 難所だと見抜いているのか、明石くんは、ここで時間を使った。

「……3六歩です」

 ほほぉ、またまた速水先輩の当たり。

 ただ、逆に言えば、明石くんが速水先輩の手について来てるってことなのよね。

 もしかして、棋力判定が間違ってたのかしら……不安になる。

「それは、これがキツいんじゃないかな? 1八龍だよ」

 今田くんは、龍を引いた。次に3七香を見せている。

「3二馬です」

 馬切りを予想していなかったようで、今田くんはちょっぴりあせった。

「え、寄って……ないよな。同角」

 明石くんは、4五桂と打ち下ろした。


挿絵(By みてみん)


 ふぅむ……速水先輩が言っていた、打ちたい桂馬だ。

 これ、詰めろだったりする? 5三桂成、同玉、4五桂と打ち直して、王様を引くのは簡単に詰みそう……ん、そうでもないのか。5二玉は5三銀、6一玉、5一飛、同玉、5二金までだからいいとして、4二玉が難しい。3三銀、5二玉(5一玉は4二金、6一玉に5一飛と打って詰み)、5三金、6一玉……詰まない。4二玉に5三金かしら? 3一玉、4二銀、2一玉……あ、これは、3一飛、1二玉、3二飛成、2二合駒、2三角、1一玉、1二香までね。2一玉のところで2二玉と逃げるのは、3三桂成、1一玉(1二玉も2一玉も2二飛、1一玉、1二香まで)、1二香、同玉、2二飛、1一玉……ん、詰まない?

 私は、3三桂成、1一玉に3一飛の順も考えた。2一歩合、1二香、同玉、3二飛成、2二桂……ん? やっぱり詰まない?

「4五桂って、詰めろじゃないですよね?」

 私は念のため、速水先輩に確認をとった。自分の読み筋を伝える。

「歩合だと、詰むわよ。1二香、同玉、3二飛成、2二桂に2三龍と王手して、1一玉、2二成桂、同歩、1三龍、1二合駒、2三桂、2一玉、3一銀成までね」


【参考図】

挿絵(By みてみん)


 むむむ、そんな詰みが。

「でも、2二桂合のところで2二角合なら、詰まなくないですか?」

「それは2三角、1一玉、2一龍、同玉、3二角成、1一玉、2二馬までよ」

 おっとっと、別の詰み筋があるのか。うっかり。

 っていうか、2二桂合も、その順で詰んでるじゃない。

 わざと難しいほうを答えたわね。ツンデレもこちゃん。

「だから、2一歩合じゃなくて、銀合でがっちり受けたほうがいいわ」

「つまり……4五桂は、詰めろじゃないんですね」

「詰めろじゃなくても、はっきりと後手負けよね。1一に閉じ込められた時点で、詰めろを逃れるすべがないもの。2一銀合に3二成桂で先手勝ち」

「それも、そうですか……ってことは、4五桂の打ち直しに6三玉?」

 速水先輩はあごに手を当てて、しばらく考えた。

「……そっちも、かなり危ないわね。4五桂、6三玉に6六香と打って、これを7四玉と逃れるのは、7五歩が痛打。8四玉は9五銀、7五玉、8六金、7四玉、7五飛までで、8五玉も9五飛、8六玉、8七金打の即詰み。というわけで、7五同玉と取るしかないけど、そこで9五飛と打たれて、8五合駒、7六歩、同玉、8七銀、7五玉、7六金、7四玉、8五金まで」

「6六香に5二玉は当然詰みですから、6四歩ですか?」

「そこで、同香、同玉、5三銀がないかしら? 一見、7四玉で詰まないようにみえて、7五歩、同玉、7六歩、同玉、7七銀以下、詰むと思う」


 パシリ

 

 ようやく駒音が聞こえた。


挿絵(By みてみん)


 あ、攻めた。

 今田くんは、5三桂成以下が詰まないという読みのようだ。

 明石くんは、ここで考え込む。考え込むと言っても、あいかわらず飄々とした表情で、感想戦みたいな印象を受けた。対して、今田くんのほうは、ああでもない、こうでもないと、頭を抱えていた。

 私は、と言うと、先手勝ちの予感がしていた。速水先輩のアドバイスのおかげだ。同玉のあと、1筋方面に逃げるのは、追いつめられて寄りだし、9九へトライするのも、阻止されそうだったから。

「……5三桂成」

 行った。

 同玉、4五桂、6三玉、6六香、6四歩、同香、同玉、5三銀、7四玉、7五歩。

 指し手が速い。パタパタと進む。

 今田くんが同玉と取ったところで、明石くんは、私たちのほうをチラリと見た。

「……9五飛」

 ん? 飛車打ち? 7六歩のほうが、確実だと思った。

 まあ、これでも詰むのかな。

 8五桂、7六歩、同玉、8七金打、7五玉、7六歩、7四玉。


挿絵(By みてみん)


 ……あれ? 詰まなかった?

 となりで観ていた速水先輩は、タメ息をついた。

「詰ませ損なったのね。8五桂、7六歩、同玉に、おとなしく7七歩で詰んでいたわ。8六玉、8七金打、7五玉、7六金、7四玉、8五金、6五玉、8六金、7四玉、7五金、6三玉、6四金まで。途中、7七歩に6五玉と逃げるのは、8五飛、7五合駒を入れてから6六金で詰み」

 先輩は、スラスラと詰み筋を並べた。

 明石くんは、8六金と詰めろを継続させた。

 今田くんは念入りに確認してから、8四銀と打ち返した。


挿絵(By みてみん)


 継続手がない。

 明石くんは8一歩成としたけど、今田くんに3八香成とされて、頭を下げた。

「負けました」

「ありがとうございました」

 今田くんは、嬉しそうに息をついた。

「最後、詰んでましたか?」

 明石くんは、とぼけたような感じで、そうたずねた。

「詰んでたと思うよ。7五玉のとき、9五飛じゃなくて、7六歩、同玉、7七銀で詰んでたと思うし、9五飛、8五桂、7六歩、同玉、7七歩でも、詰んでたんじゃないかな」

「右へ逃げる順しか読んでいなかったので、面食らいました」

 明石くんは、淡々とそう答えた。もうちょっと悔しそうでも、いいんじゃない?

 これって、勝勢からの急転直下なんだし。

 今田くんも、相手の読みが浅かったことに、意表を突かれたようだ。

「あ、そういう……まあ、右へ逃げたほうが安全に見えるけど、逆転がないからね。一か八かで、こっちに逃げたんだけど……時間を使われたら、イヤだったかな」

 そうそう、今田くんの言う通り。

 明石くんは、まだ3分ほど残していた。秒読みまで粘っても、良かったと思う。

 ふたりが感想戦を進めるなか、私はメモを取った。

「明石くんって子、段位はどのくらいだと思いますか? ……ん?」

 速水先輩は、いつの間にか、いなくなっていた。

 この対局の感想戦を観ても、しょうがないってことか。

 私はメモ帳に、《初段未満かも》と追記して、松平の応援へと向かった。

場所:2016年度 春季個人戦1日目 2回戦

先手:明石 嘉門

後手:今田 義規

戦型:横歩取り8五飛型


▲7六歩 △3四歩 ▲2六歩 △8四歩 ▲2五歩 △8五歩

▲7八金 △3二金 ▲2四歩 △同 歩 ▲同 飛 △8六歩

▲同 歩 △同 飛 ▲3四飛 △3三角 ▲5八玉 △8五飛

▲7七桂 △2五飛 ▲2八歩 △7二金 ▲3六歩 △5二玉

▲3七桂 △5五飛 ▲9六歩 △6二銀 ▲8四飛 △8三歩

▲8六飛 △3五歩 ▲7五歩 △同 飛 ▲5六飛 △4二銀

▲3八銀 △4四角 ▲6八銀 △3三銀 ▲9七角 △7四飛

▲3五歩 △同 角 ▲7九金 △4四角 ▲4五桂 △4二銀

▲6五桂 △6四歩 ▲5三桂左成△同銀右 ▲同桂成 △同 銀

▲7五銀 △同 飛 ▲同 角 △5四歩 ▲6六角 △同 角

▲同 飛 △8七桂 ▲7八金 △9九桂成 ▲8二歩 △6五歩

▲同 飛 △6二香 ▲3五飛 △3四歩 ▲2五飛 △4六桂

▲同 歩 △1四角 ▲4七角 △2五角 ▲同 角 △7五飛

▲7七角 △2五飛 ▲1一角成 △2八飛成 ▲2九歩 △1九龍

▲2一馬 △1四角 ▲3六歩 △1八龍 ▲3二馬 △同 角

▲4五桂 △3七香 ▲5三桂成 △同 玉 ▲4五桂 △6三玉

▲6六香 △6四歩 ▲同 香 △同 玉 ▲5三銀 △7四玉

▲7五歩 △同 玉 ▲9五飛 △8五桂 ▲7六歩 △同 玉

▲8七金打 △7五玉 ▲7六歩 △7四玉 ▲8六金 △8四銀

▲8一歩成 △3八香成


まで116手で今田の勝ち

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