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凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第1章 裏見香子、上京する(2016年4月4日月曜〜4月8日金曜)
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1手目 将棋部を立てなおせ

「部費の持ち逃げ?」

 松平(まつだいら)は、受付に身を乗り出して、事務員さんに詰め寄った。

 私は肩を引っ張って、落ち着かせる。

「どういうことです? 横領かなにかですか?」

 事務員のおばさんは眼鏡をなおしながら、

「はい」

 と答えた。ずいぶんと淡白だった。

「将棋部は、ここ2年のあいだで、部費から50万ほど横領しています。担当者が退学して逃げたので、サークル規則第29条にもとづき、無期活動停止としました」

「活動を再開するには、どうすればいいんですか?」

「所定の手続を済ませたうえで、全額を補填していただきます」

 50万――安い金額ではなかった。

 松平も、すぐには払えないと思ったのか、交渉を始めた。

「分割払いは、できないんですか? 4年で50万とか……」

「それは認められません。一括で払っていただきます」

 松平はあれこれ提案したが、事務員のおばさんは、かたくなに譲らなかった。

 お役所仕事のようだ。

「いつまでに支払わないといけないんですか?」

「支払自体は、待つことができます。但し、4月8日までに異議申立てがない場合は、そのまま廃部の予定です。あなたたちは、異議申立てをしますか? するなら、書類を一式揃えて、こちらへ提出してください」

 事務員さんは、一枚の用紙を差し出した。

「これは、大学宛の申請書です。必要事項を記入したあと、サークル顧問の印鑑をもらってください。申請責任者の連絡先は、電話も必須です。メールアドレスだけで済ませないように。さらに、所定の最低構成人数がいることも証明してください」

「最低構成人数?」

「部員が5人いることの証明です」

「俺は新入生ですから、だれが将棋部員なのか知らないんですが……」

 そういう意味ではないと、事務員さんは言った。

「元将棋部員は、サークル団体から永久追放になっています。そのひとたちをカウントすることはできません。新しく5人集めてください」

 松平は、びっくりして、

「よ、8日までに5人集めるんですか? 今日は4日ですよ?」

 と反論した。事務員さんは、容赦しない。

「はい。5人分の入部届けが必要です……用紙は持っていますか?」

 持っていないと答えたので、事務員さんは用紙を5枚出してくれた。

 松平は困惑した表情で、それを受け取った。

「学生課は、平日9時5時です……では、次の方、どうぞ」


  ○

   。

    .


挿絵(By みてみん)


 んー、これは私の勝勢ね。

 お茶を飲みながら、寄せを確認する。至福のひととき。

 ここは、都ノ(みやこの)大学の食堂。なかなかお洒落な場所だった。メニューは少ないけど。

 私はゆっくりうなずいて、9五銀と上がった。

「松平の番よ」

 松平はあごに手をやって、盤面をにらんだ。

「7一銀以下の詰めろ……受けなしか。負けました」

「ありがとうございました」

 キャンパス内、初勝利。幸先いいわね。

 私は局面をもどして、気になった箇所の感想戦を始める。

「ここで金を打っておけば……」

 ん? 反応がない?

 視線をあげると、松平は椅子にもたれて、真っ白な灰になっていた。

 将棋に負けたことよりも、サークルのほうが気になっているようだ。

 私は空気を読んで、感想戦を中断する。

「で、どうやって5人集めるつもり?」

「……分からん」

 松平は背筋を伸ばし、ふぅとタメ息をついた。

「とりあえず、俺と裏見(うらみ)は入るだろ。それから……」

「ちょっとちょっと、なんで勝手に入れてるのよ」

 松平は、私の返事が意外だったのか、エッと叫んで、

「ほ、ほんとに入らないのか?」

 と、震え声で訊いてきた。

 もう、打ちひしがれたワンコみたいな顔はやめなさい。

 たしかに、私は将棋が嫌いじゃない。将棋部に入ったのは高校からだけど、おじいちゃんに教えてもらって、ずっと遊んでいた。高校では個人戦・団体戦ともに、県大会へ出場できた。あのときの思い出は、今でも大切な宝物になっている。

「……入ってもいいけど、条件があるわ」

「なんだ?」

「単なる人数合わせは、活動する意味がないからダメ。やるなら真剣に」

 もちろんだ、と松平は答えた。

「遊びで作るくらいなら、職団戦にでも出てたほうがマシだ」

 よろしい。

 とはいえ、メンバー募集のハードルは上がってしまった。

 そのあたりの学生を捕まえて、名前だけ貸してくださいとは言えなくなったからだ。

「H島の将棋界で都ノに入ったのは、私と松平だけなの?」

 松平は椅子にもたれかかり、髪の毛をくしゃくしゃにした。

「他の進学先も、把握しとけば良かったな……今年の駒桜(こまざくら)からは、俺たちだけだ」

 駒桜というのは、私たちの出身地だ。将棋指しの多い町だったけど、みんなバラバラの大学に進学してしまった。関西勢も多いし、この方面のツテは絶望的。

 私はお茶を飲み、なにか好手がないかと考えつつ、駒を空打ちした。

 すると、となりの席から、妙なひそひそ話が聞こえた。

「ねえねえ、あそこの子、変わってるわね」

「なにあれ……お坊さん?」

 見てみると、白衣(びゃくえ)姿の少女が、菅笠(すげがさ)に金剛杖(こんごうじゃく)を持って立ち止まっている。四国八十八ヶ所巡りの正装だ。メニュー表を見つめて、沈思黙考していた。

 中性的な、ショートの女の子。キリリとしたその横顔に、私は席を立った。

「お、大谷(おおたに)さんッ!?」

 思わず大声を出してしまった。あわてて口もとを押さえる。

 食堂にいた何人かが、こちらを振り返った。

 と同時に、お遍路(へんろ)さん姿の少女も、私の存在に気づいた。

 こちらへ歩いて来る。

「これはこれは、裏見さん、お久しぶりです」

「お、おひさしぶり……どうして、ここに?」

「今年の春から、都ノ大に入学しました……裏見さんもですか?」

 もちろん、そうだった。でもまさか、大谷さんがここだとは思っていなかった。

 私たちの再会を、松平は不思議そうに眺めながら、

「すみません、裏見の友だちですか?」

 とたずねた。大谷さんは一礼して、

「拙僧、四国のT島から上京した、大谷(おおたに)雛(ひよこ)と申す者です」

 と自己紹介した。

「T島……大谷……あ、すみません、T島の県代表だった大谷さんですね」

 松平はわざわざ席を立って、挨拶しなおした。

 このへんが、将棋界の序列ってやつよね。大谷さんは、各県で行われる学生将棋トーナメントで優勝し、全国大会への切符を手に入れた猛者だ。私は、県大会で優勝したことはあるけれど、全国大会とは縁がなかった。

 ちなみに、お遍路さんの格好は、彼女のファッション。いろいろ変わった子だ。

「立ち話もなんなので、とりあえず座ってください」

 松平は、大谷さんにも席を勧めた。

 将棋盤を広げるために4人席を確保していた甲斐がある。

「失礼致します」

 大谷さんは金剛杖を窓際に立てかけて、腰をおろした。背筋がピンと伸びている。

 テーブルの将棋盤を見つめながら、

「早速、研究会ですか。おふたりとも、熱心なご様子で」

 と褒めた。

「暇つぶしなんだけどね」

「暇つぶしもまた、修練のひとつ……おふたりは、すでに将棋部へ入られましたか?」

 おっとっと、事情を知らないのか。私は、将棋部の危機について説明した。

「ほぉ……横領ですか。これも煩悩のなせる業(わざ)でしょう。南無三(なむさん)」

 大谷さんは手を合わせて、他人事のように拝んだ。

「大谷さんは、将棋部に入る気が全然なかったの? 寄ってもいないのよね?」

「いえ、入ろうかとは思っていたのですが、先にソフトボール部を見学致しました」

 そっか、大谷さんは、高校ソフトボール部のエースだった。

 松平はこれを聞きつけて、

「大谷さん、将棋部に入ってくれませんか?」

 とお願いした。大谷さんは、あっさりと承諾してくれた。

「文化連盟と体育連盟は、それぞれ掛け持ちができるそうです。問題ありません」

 えらい。ちゃんと調べてあるのね。

 私たちが喜んでいると、大谷さんは一転口調を変えて、

「ところで、50万を支払う方法は、あるのですか? 5人揃うのは、異議申立ての条件であって、活動再開の条件ではないように思います」

 とたずねた。たしかに、事務員さんの言葉を解釈する限りでは、そうだ。

 でも、順番に片付けていくしかない。まずは、部員を集めるところから。

 そう提案すると、大谷さんも首肯した。

「それも、そうです……では、足りないふたりについて、算段を立てましょう」

 私たちは、念入りに頭を使った。だんだん疲れてくる。

 大谷さんは、セルフサービスの水を飲みながら、

「すこし気分転換致しましょう。裏見さん、どうですか、一局」

 と誘ってきた。私も乗っかる。

 盤面を崩して、駒を並べなおした。大谷さんとの対局は、ひさしぶりだ。

「裏見さんたちは、どちらの学部に?」

「私は経済学部」

「俺は工学部です」

「そうでしたか。拙僧は文学部で、東洋思想を専攻しました」

 いかにもって感じね。ザ・仏教徒。

 振り駒をして、先後を決めた。歩が3枚。私が先手。

「秒読みは、いらないわよね?」

「はい、30秒そこそこで指せば良いかと」

 よしよし、準備完了。

「じゃ、よろしくお願いします」

「よろしくお願いいたします」

 私は7六歩と突いた。

「裏見さんと指すのは、ほぼ半年ぶりですか……8四歩です」

 2六歩、8五歩、7七角、3四歩、8八銀、3二金、7八金。

「7七角成です」

「同銀」


挿絵(By みてみん)


 はいはい、角換わり、角換わり。

 結局、大学でも将棋デビューしちゃった。はりきっていきましょう。

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