1手目 将棋部を立てなおせ
「部費の持ち逃げ?」
松平は、受付に身を乗り出して、事務員さんに詰め寄った。
私は肩を引っ張って、落ち着かせる。
「どういうことです? 横領かなにかですか?」
事務員のおばさんは眼鏡をなおしながら、
「はい」
と答えた。ずいぶんと淡白だった。
「将棋部は、ここ2年のあいだで、部費から50万ほど横領しています。担当者が退学して逃げたので、サークル規則第29条にもとづき、無期活動停止としました」
「活動を再開するには、どうすればいいんですか?」
「所定の手続を済ませたうえで、全額を補填していただきます」
50万――安い金額ではなかった。
松平も、すぐには払えないと思ったのか、交渉を始めた。
「分割払いは、できないんですか? 4年で50万とか……」
「それは認められません。一括で払っていただきます」
松平はあれこれ提案したが、事務員のおばさんは、かたくなに譲らなかった。
お役所仕事のようだ。
「いつまでに支払わないといけないんですか?」
「支払自体は、待つことができます。但し、4月8日までに異議申立てがない場合は、そのまま廃部の予定です。あなたたちは、異議申立てをしますか? するなら、書類を一式揃えて、こちらへ提出してください」
事務員さんは、一枚の用紙を差し出した。
「これは、大学宛の申請書です。必要事項を記入したあと、サークル顧問の印鑑をもらってください。申請責任者の連絡先は、電話も必須です。メールアドレスだけで済ませないように。さらに、所定の最低構成人数がいることも証明してください」
「最低構成人数?」
「部員が5人いることの証明です」
「俺は新入生ですから、だれが将棋部員なのか知らないんですが……」
そういう意味ではないと、事務員さんは言った。
「元将棋部員は、サークル団体から永久追放になっています。そのひとたちをカウントすることはできません。新しく5人集めてください」
松平は、びっくりして、
「よ、8日までに5人集めるんですか? 今日は4日ですよ?」
と反論した。事務員さんは、容赦しない。
「はい。5人分の入部届けが必要です……用紙は持っていますか?」
持っていないと答えたので、事務員さんは用紙を5枚出してくれた。
松平は困惑した表情で、それを受け取った。
「学生課は、平日9時5時です……では、次の方、どうぞ」
○
。
.
んー、これは私の勝勢ね。
お茶を飲みながら、寄せを確認する。至福のひととき。
ここは、都ノ大学の食堂。なかなかお洒落な場所だった。メニューは少ないけど。
私はゆっくりうなずいて、9五銀と上がった。
「松平の番よ」
松平はあごに手をやって、盤面をにらんだ。
「7一銀以下の詰めろ……受けなしか。負けました」
「ありがとうございました」
キャンパス内、初勝利。幸先いいわね。
私は局面をもどして、気になった箇所の感想戦を始める。
「ここで金を打っておけば……」
ん? 反応がない?
視線をあげると、松平は椅子にもたれて、真っ白な灰になっていた。
将棋に負けたことよりも、サークルのほうが気になっているようだ。
私は空気を読んで、感想戦を中断する。
「で、どうやって5人集めるつもり?」
「……分からん」
松平は背筋を伸ばし、ふぅとタメ息をついた。
「とりあえず、俺と裏見は入るだろ。それから……」
「ちょっとちょっと、なんで勝手に入れてるのよ」
松平は、私の返事が意外だったのか、エッと叫んで、
「ほ、ほんとに入らないのか?」
と、震え声で訊いてきた。
もう、打ちひしがれたワンコみたいな顔はやめなさい。
たしかに、私は将棋が嫌いじゃない。将棋部に入ったのは高校からだけど、おじいちゃんに教えてもらって、ずっと遊んでいた。高校では個人戦・団体戦ともに、県大会へ出場できた。あのときの思い出は、今でも大切な宝物になっている。
「……入ってもいいけど、条件があるわ」
「なんだ?」
「単なる人数合わせは、活動する意味がないからダメ。やるなら真剣に」
もちろんだ、と松平は答えた。
「遊びで作るくらいなら、職団戦にでも出てたほうがマシだ」
よろしい。
とはいえ、メンバー募集のハードルは上がってしまった。
そのあたりの学生を捕まえて、名前だけ貸してくださいとは言えなくなったからだ。
「H島の将棋界で都ノに入ったのは、私と松平だけなの?」
松平は椅子にもたれかかり、髪の毛をくしゃくしゃにした。
「他の進学先も、把握しとけば良かったな……今年の駒桜からは、俺たちだけだ」
駒桜というのは、私たちの出身地だ。将棋指しの多い町だったけど、みんなバラバラの大学に進学してしまった。関西勢も多いし、この方面のツテは絶望的。
私はお茶を飲み、なにか好手がないかと考えつつ、駒を空打ちした。
すると、となりの席から、妙なひそひそ話が聞こえた。
「ねえねえ、あそこの子、変わってるわね」
「なにあれ……お坊さん?」
見てみると、白衣姿の少女が、菅笠に金剛杖を持って立ち止まっている。四国八十八ヶ所巡りの正装だ。メニュー表を見つめて、沈思黙考していた。
中性的な、ショートの女の子。キリリとしたその横顔に、私は席を立った。
「お、大谷さんッ!?」
思わず大声を出してしまった。あわてて口もとを押さえる。
食堂にいた何人かが、こちらを振り返った。
と同時に、お遍路さん姿の少女も、私の存在に気づいた。
こちらへ歩いて来る。
「これはこれは、裏見さん、お久しぶりです」
「お、おひさしぶり……どうして、ここに?」
「今年の春から、都ノ大に入学しました……裏見さんもですか?」
もちろん、そうだった。でもまさか、大谷さんがここだとは思っていなかった。
私たちの再会を、松平は不思議そうに眺めながら、
「すみません、裏見の友だちですか?」
とたずねた。大谷さんは一礼して、
「拙僧、四国のT島から上京した、大谷雛と申す者です」
と自己紹介した。
「T島……大谷……あ、すみません、T島の県代表だった大谷さんですね」
松平はわざわざ席を立って、挨拶しなおした。
このへんが、将棋界の序列ってやつよね。大谷さんは、各県で行われる学生将棋トーナメントで優勝し、全国大会への切符を手に入れた猛者だ。私は、県大会で優勝したことはあるけれど、全国大会とは縁がなかった。
ちなみに、お遍路さんの格好は、彼女のファッション。いろいろ変わった子だ。
「立ち話もなんなので、とりあえず座ってください」
松平は、大谷さんにも席を勧めた。
将棋盤を広げるために4人席を確保していた甲斐がある。
「失礼致します」
大谷さんは金剛杖を窓際に立てかけて、腰をおろした。背筋がピンと伸びている。
テーブルの将棋盤を見つめながら、
「早速、研究会ですか。おふたりとも、熱心なご様子で」
と褒めた。
「暇つぶしなんだけどね」
「暇つぶしもまた、修練のひとつ……おふたりは、すでに将棋部へ入られましたか?」
おっとっと、事情を知らないのか。私は、将棋部の危機について説明した。
「ほぉ……横領ですか。これも煩悩のなせる業でしょう。南無三」
大谷さんは手を合わせて、他人事のように拝んだ。
「大谷さんは、将棋部に入る気が全然なかったの? 寄ってもいないのよね?」
「いえ、入ろうかとは思っていたのですが、先にソフトボール部を見学致しました」
そっか、大谷さんは、高校ソフトボール部のエースだった。
松平はこれを聞きつけて、
「大谷さん、将棋部に入ってくれませんか?」
とお願いした。大谷さんは、あっさりと承諾してくれた。
「文化連盟と体育連盟は、それぞれ掛け持ちができるそうです。問題ありません」
えらい。ちゃんと調べてあるのね。
私たちが喜んでいると、大谷さんは一転口調を変えて、
「ところで、50万を支払う方法は、あるのですか? 5人揃うのは、異議申立ての条件であって、活動再開の条件ではないように思います」
とたずねた。たしかに、事務員さんの言葉を解釈する限りでは、そうだ。
でも、順番に片付けていくしかない。まずは、部員を集めるところから。
そう提案すると、大谷さんも首肯した。
「それも、そうです……では、足りないふたりについて、算段を立てましょう」
私たちは、念入りに頭を使った。だんだん疲れてくる。
大谷さんは、セルフサービスの水を飲みながら、
「すこし気分転換致しましょう。裏見さん、どうですか、一局」
と誘ってきた。私も乗っかる。
盤面を崩して、駒を並べなおした。大谷さんとの対局は、ひさしぶりだ。
「裏見さんたちは、どちらの学部に?」
「私は経済学部」
「俺は工学部です」
「そうでしたか。拙僧は文学部で、東洋思想を専攻しました」
いかにもって感じね。ザ・仏教徒。
振り駒をして、先後を決めた。歩が3枚。私が先手。
「秒読みは、いらないわよね?」
「はい、30秒そこそこで指せば良いかと」
よしよし、準備完了。
「じゃ、よろしくお願いします」
「よろしくお願いいたします」
私は7六歩と突いた。
「裏見さんと指すのは、ほぼ半年ぶりですか……8四歩です」
2六歩、8五歩、7七角、3四歩、8八銀、3二金、7八金。
「7七角成です」
「同銀」
はいはい、角換わり、角換わり。
結局、大学でも将棋デビューしちゃった。はりきっていきましょう。