199手目 未解決の秋学期
秋学期が始まった。
初日の講義を終えた私たちは、将棋部の部室でミーティング。
団体戦は春とちがって、9月末から連続3週で開催される。
人数の増えた部室は、どこか頼もしい雰囲気。
だけど、私は落ち着かなかった――都ノ将棋部のなかに聖生の息子がいる?
でも、まさか……私はすみっこの椅子に腰かけて、室内を一瞥した。ホワイトボードにむかっている三宅先輩は、今日の議題を書き出していた。さすがに三宅先輩はちがう。同郷だから素性が分かっている。松平もいっしょだ。となると、残る候補は3人。
私はまず、穂積お兄さんをチラ見した。持ち込んだノートパソコンで、なにやら作業している。穂積さんの話によると、穂積お兄さんは長男で、姉はいないらしい。佐田店長の回想がほんとうなら、聖生Jrには家出したお姉さんがいるはずだった。
次に、窓際でスマホをみている星野くん。彼の家族構成はよく知らない。けど、星野くんっぽくはないのよねぇ。イメージが重ならない。
となると――私は、風切先輩をみた。三宅先輩の横で椅子に座り、足を組んでいる。
風切先輩が聖生Jr? ……いや、ありえない。信じたくないという、主観的な気持ちもある。けど、それ以前に説明のつかない部分が多すぎる。風切先輩と聖生は、スマホを通じて何回かやりとりをしている。あれが自作自演とは思えない。それに、風切先輩には動機がなかった。将棋部を潰したいなら、入部しなければよかっただけだ。わざわざ部を立て直してから潰すメリットがない。
ただ、ひとつ気になる点があった――私は風切先輩のことをあまり知らない。
あまり知らないというか、元奨励会員であるということ以外は、ほとんどなにも。
風切先輩はどこ出身なの? 家族は? 風切先輩が家族について言及したことはない。ほんとうに一度もない。奨励会をやめるときに家族がどういう反応をしたのか、ということすら聞かされていなかった。もちろん、奨励会をやめたことは、先輩のなかでは黒歴史になっているのかもしれない。他人に話さないというのは十分に理解できる。
私がそこまで推理したところで、三宅先輩がマーカーを置いた。
「よし、秋期の第1回ミーティングを始めるぞ。まず主将の風切からあいさつ」
これには風切先輩が難色をしめした。
「べつにいらなくないか?」
「いちおう体裁としては大切だ」
風切先輩はしぶしぶ席を立って、「えー」とお決まりの導入。
「前期はごくろうだった。無事C級にも昇級できたし、個人戦の結果もまずまずだったと思う。今年度の秋期は団体戦が先に始まるから、この調子でBを目指そう。以上」
風切先輩は着席。
三宅先輩はホワイトボードの【主将からのあいさつ】という項目を消した。
次に【部長からの事務連絡】へ移る。
「俺からの事務連絡は2つだ。まず、団体戦の日程。団体戦は9月25日、10月2日、10月9日で、すべて日曜日。もうしわけないがここは空けておいてくれ。次に、秋からは事務作業をすこし分担してもらいたい。これは風切と話し合ったうえでのお願いだ」
まあ、これはしょうがないかな。三宅先輩に任せっきりだったし。
三宅先輩は【会計】【会計監査】【渉外】の3つを新設すると言った。
「会計と会計監査の仕事はわかると思う。渉外は関東大学将棋連合との連絡係だ。直近の会合には俺が出ているから、次回からバトンタッチして欲しい。ほとんどは大会の運営に関することだ……で、それぞれについて立候補はあるか?」
なし。きわめて日本的対応。
すると、となりに座っていた穂積さんが、ひじで私をこづいた。
「香子、経済学部なんでしょ? お金に強いんじゃない?」
あのですねぇ、アカウンティングは経営学。経済学じゃないから。
経済学部と経営学部の区別が、部外者にはつきにくいらしい。
だいたい、経営学部だから会計がバリバリっていうのも、なんか偏見だと思う。
とはいえ、部室全体の視線を感じるし、なんかことわりづらい。
「それじゃあ、私が会計をやりますから、穂積さんを会計監査にしてください」
「えぇッ!?」
ひとを呪わば穴二つ、よ、穂積さん。
それに法学部だから監査っぽくていい。
穂積さんは最初イヤがったけど、これまた雰囲気に押されて了承した。
そもそも会計監査って、仕事があんまりなさそうだし。
三宅先輩は残りの役職についてたずねる。
「だれか渉外はどうだ? 女子が2名出たから、できれば男子で」
三宅先輩はそう言いながら、星野くんをみた。
星野くんは、
「すみません、言い訳っぽくなるんですけど、1年生だと交渉しにくくないですか?」
と答えた。
「まあ、それはあるんだよな……他大は3年生が多かった」
三宅先輩は穂積お兄さんのほうをみた。
「悪いが、重信、半年だけやってもらえないか?」
「いいよ。現時点でもIT兼メール担当みたいなもんだし」
「サンキュ……それじゃあ、星野は来年度の渉外はどうだ?」
「来年度ならだいじょうぶだと思います」
三宅先輩は役職配分を終えて、次の事項へ移ろうとした。
ここで大谷さんが挙手する。
「拙僧はなにもしなくてよろしいのですのか?」
「全員に役職を割りふるつもりはない。どうせ新しい仕事はできるし、そのとき余剰人員がいないと困る。それと、役職を作るほどじゃない仕事は、今回役職にならなかったメンバーで回してもらうつもりだ。これは先に説明しなかったが承知してくれ」
「承知しました」
「よし、次は今日の一番大事な議題だ……団体戦の並びを決める」
三宅先輩はホワイトボードの大学リストを指し示した。
【関東大学将棋連合 C級校】
1 赤山学園大学
2 房総大学
3 修身大学
4 関八学院大学
5 武蔵国大学
6 東海道大学
7 研究学園都市大学
8 東洋文化大学
9 聖ソフィア大学
10 都ノ大学
また最下位からスタートですね、はい。
「というわけで、また頭ハネの危険性があるわけだが……戦力的に、2位はわりと狙えると思う。問題は、今回も聖ソフィアがダントツで昇級候補なことだ。残り1枠争いをしないといけない。そのとき壁になるのが、1位の赤山学園から3位の修身大学までだ。このあたりはうちに一発入れてきても不思議じゃない」
1位の赤山学園は、渋谷にキャンパスを持つ名門私立大学だ。スポーツでも有名。校風はオシャレ系で、もともとミッションスクールだから英語が強い。このあたりは聖ソフィアとけっこうかぶるのよね。違いがあるとすれば、聖ソフィアはスポーツなどの活動にそこまで熱心ではないことだ。
2位の房総大学はT葉にある国立大学。関東圏ではかなり人気がある。国立だからこれと言った特徴はないけど、難関校だし、ふつうに強そう。
3位の修身大学は、神保町にキャンパスがある中堅私立大学。ここもスポーツでけっこう目にする印象。3位ということは、前回ギリギリ昇級できなかったということだ。これだけでもライバルだというのはわかる。
三宅先輩は説明を続けた。
「4位の関八学院大学以下は、層も実力もうちより劣っている。よって、以上の力関係をまとめると……」
聖ソ>赤山>房総>修身=都ノ
「こんな感じだ。ただし、これは戦力をおおざっぱに勘定した場合だ」
ここでララさんが足をぶらぶらさせながら挙手。
「それじゃ勝てなくない?」
「無策でぶつかると、単独2位はむずかしいと思う」
「じゃあ、部長のcontramedida、対策は?」
「風切と相談した結果、オーダー表に素案がある」
三宅先輩は名簿を書き出した。
穂積(兄) 穂積(妹) 松平 星野 風切 ララ 大谷 裏見 三宅
あれ……これって……私は質問をぶつける。
「これって春の団体戦の並びと、ほとんど一緒じゃないですか?」
「ああ、裏見の言うとおりだ。春の並びをベースにしてる」
「どういう理由でそうなったのか知りませんが……ちょっと危なくないですか?」
三宅先輩は、なにかを答えかけた。
それを風切先輩がさえぎる。風切先輩は椅子の背もたれから上半身を起こした。
「提案者の俺から説明する。三宅からもらったデータをみていたら、C級にはある特徴がみつかった」
「ある特徴?」
「C級では、原則的に春と秋で並びをがらっと変える傾向がある。どういう経緯かは知らないが、そういう雰囲気がCにはあるんだと思う。それに気づいた俺は、三宅と新幹線のなかで詳しく分析した。その結果、Cに今いる大学だけじゃなく、CとBのあいだを行ったり来たりしている大学にも、そういう癖があることがわかった。ようするに癖だ」
そこまで説明を受けて、私はなんとなく作戦を察した。
「つまり、C級の習慣の逆を突いて、うちだけ変えないってことですか?」
「そうだ。賭けの側面はある。だが、今年の秋だけ急にオーダーの慣習が変わるとは思えない。都ノも変えてくるはずだ、っていう先入観を逆手にとる」
私はすぐには賛成も反対もしかねた。
心理的には、おなじオーダーを組むのはすごく勇気がいる。これは、私が高校で主将をやっていたからわかる。オーダーは一度提出すると変えられない。
風切先輩は姿勢をもどした。足を組みなおし、私たちに問いかける。
「もちろんただの叩き台だ。意見は自由に言ってくれ」
最初に手を挙げたのは穂積お兄さんだった。
「このオーダーっていうの、まだよく理解してないんだけど、いいかな?」
「遠慮しなくていいぞ」
「とりあえず、星野くんとララさんの位置について説明してもらえる?」
たしかに、そこは気になるかな。
「合宿の成績で決めた。わずかだが星野のほうが安定してるのと、ララは棒銀がメインだから戦法を読まれやすい。星野のほうが出番はじゃっかん多いと思う。そのとき抜けやすいほうにララを入れた」
穂積お兄さんはうなずいた。
「なるほどね、風切くんと大谷さんのあいだは、状況によって詰めたり開けたりする必要がある。そのとき星野くんで調整するよりララさんで調整したほうがいいってことか。もうひとつ質問。これ、端に強豪がきたときに討ち取りにくいよね?」
「それは認めざるをえないな……三宅とも検討したが、さすがに9人で端をフォローするのは無理だって結論になった……のと、じつはもうひとつ、俺が中央にいるのにはワケがある。赤山学園に脇っていう1年生がいる。そいつが多分強い」
赤学の脇……ん? どこかで聞いたような? ……あッ、新人戦か。
私は風切先輩に確認する。
「もしかして新人戦ベスト16に残ってた男子ですか?」
「裏見は覚えてるか?」
「トーナメント表だけ覚えてます。顔とかは見なかったです」
「そうか、じつは俺も顔は知らないんだ。脇は、そのベスト16で明石に勝ってるんだ。明石は個人戦でやる気がないとはいえ、いい勝負なら実力者のはずだ。ベスト8で大河内に負けたが、大河内の実力は折り紙付きだからな」
たしかに、大河内くんは新人戦3位だった。
だけど、私にはさっきの論点とのつながりがみえてこなかった。
「ベスト8級の実力ってわけですね。これと風切先輩のポジションとの関係は?」
「単純だ。そいつは俺が狩る」
ララさんが口笛を吹く。
「風切、かっこいいね。でもさ、当たるかどうかわかんないじゃん?」
「そこでさっきの情報が使える。赤学は春に、脇を端で使ってる」
ララさんはパチリと指を鳴らした。
「Eu entendo!! だから次は真ん中に置いてくるってこと?」
「逆の端って可能性もなくはないが、赤学もエースを端で固定するほど層が厚くない。春は1年生ってことでようすを見たんだろうが、脇の団体戦成績はB級で7ー2だ。赤学はB復帰を目指して脇を真ん中に据えると思う」
私たちは今の説明に納得した。
風切先輩は椅子から立ち上がる。
「いずれにせよ団体戦だ。俺の勝敗は一要素に過ぎない。春の前例もある。初戦で上位校と当たったときに備えて、棋譜にはザッと目を通しといてくれ。それじゃ、練習だ」