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凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第32章 夏合宿ゲーム(2016年8月27日土曜)
198/486

198手目 聖生Jr

 そこで佐田さだ店長の話は終わった。

 あまりにも唐突な終わり方だったから、太宰だざいくんは不審に思ったらしい。

「で、どうなったんですか?」

 と続きを催促した。ところが、店長の返事はつれなかった。

「どうなったもなにも、きみたちが聞きたいことはこれで全部だろう?」

 私たちは顔を見合わせた。

 話のオチは――ある。駐車場で出会った中年男性が聖生のえる、というオチだ。

 だけど、どこか中途半端な気がしてならかった。

 私は勇気を出して質問した。

「あの……じっさいに空売りしたんですか?」

「そこは現状から察して欲しいかな。元ホストが渋谷の一等地に店を出してるんだよ」

「ほかのひとに教えたりは?」

 店長は、すぐには答えなかった。

「……どうしてそれを気にするんだい?」

 マズい。折口おりぐち先生の話とすりあわせるつもりだったのに。やぶ蛇になるかも。

 私は勘づかれないように、質問をごまかす。

「コウムラさん……でしたっけ。そのひとに教えたんじゃないんですか?」

 店長はタメ息をついた。やや後悔の混じったタメ息だった。

「じつはね……教えなかったんだよ」

 みんなは二度おどろいた。

 ただ、私はなんとなく察しがついていた。というのも、コウムラさんというのは、K都の料亭の店先で出会ったコウケツさんに違いない。人物描写がそっくりだった。コウケツさんは今もホストをやっている。つまり、空売りの恩恵にあずかれなかったはずなのだ。

 私の直接的な経験から、店長の話は現実味をおびてきた。

 私は念のため、もうひとつ質問を飛ばした。

「どうしてコウムラさんに教えなかったんですか? 依頼人ですよね?」

「恩人に不確かな情報を渡すのは、勇気がいる……そう思わないかな?」

 たしかに……私は反論できなかった。

 おそらく店長は、コウケツさんに対して父親と接するような感情をいだいている。

 だとすれば、リスクのある情報を伝えることはできなかったのだろう。ただ、結果的に店長は莫大な利益をえて、コウケツさんはホスト業界にとどまった。あのとき教えておけばよかったと、店長は逡巡しているのかもしれない。それとも、そういうたらればを考える性格ではないのだろうか。

「じゃあ……ほかのひとには教えませんでしたか?」

「きみ、妙に気にするね。なにかつかんでる?」

「いえ……そういうわけでは……」

 私はひっこんだ。代わりに太宰くんが質問を浴びせかける。

「で、おいくらぐらい儲けたんですか?」

「それを教える必要はないよね。聖生のえるの正体と関係がない」

「ごもっとも。では、その中年男性の正体を教えてください」

 店長は「わからない」とだけ答えた。

 太宰くんはペンを器用に回す。

「それじゃあ真偽の確認のしようがないですねぇ」

「信じないなら信じないでかまわないさ……さて、きみたちから報告はあるのかな?」

 店長は、私たちを順繰りにみつめた。

 だれも返事をしない。ちょっとアンフェアじゃないかなぁ、とは思う。

 でも、それでいいと言ったのは店長本人なのだ。

 それに、このメンバーで店長より情報を持っていそうなのは、ふたりしかいなかった。

 前から聞き込み調査をしている太宰くんと、情報通の速水はやみ先輩だ。

 店長は速水先輩のほうから尋ねた。

「きみはなにか掴んでいそうだよね、いろんなルートから」

「お答えいたしかねます」

「そうか……太宰くんは?」

「ちょっと待ってください。情報を出すのはやぶさかじゃないんです。ただ、佐田さんがおっしゃったことがほんとうかどうか、手持ちの情報と照合させてください」

 1分ほど考えて、太宰くんはようやく返事をした。

「わかりました。こちらからもひとつ情報を出します」

「僕の思い出話を信用してもらえた、と」

「そうですね。すくなくとも僕視点で矛盾はありません。お礼に出す情報は、『聖生のえるはバブル期のときに学生将棋界に在籍していた可能性が高い』ってことです。1990年の前後で18歳から22歳のあいだ。今は2016年ですから、アラフォーになります」

 私たちのあいだでざわめきが起こった。

 いっぽう、店長はさも当然のように涼しげな顔をしていた。

「ま、そうだろうね……どの地域かは突き止めたのかい?」

「まだです。暗号が送りつけられた関東があやしいかな、と思っていたんですが、佐田さんの話を聞くと、関西の可能性もけっこうあるような……当時の関東大学将棋連合に所属していたひとたちに訊いてまわったんですが、みんな知らないって言うんです」

 そうか、太宰くんが氷室ひむろくんのお父さんに聞き込みをしたのは、そういうわけか。

 ただ、それ以上のことは太宰くんも突き止めかねているらしかった。

 太宰くんは追加の質問をする。

「訛りはありましたか?」

「僕が聞いたかぎりではなかったよ。完璧な標準語だった」

 太宰くんは「そうですか」とだけ答えて、メモ帳になにやら書きつけた。

 夏のひざしが、私たちのあいだに線を引く。店長と私たちの溝は、このやりとりを通じても埋まらなかったように感じられた。その理由はわからない。ただ、店長は肝心ななにかを話していないような、そんな気がした。

 店長はもう情報を落とす気がないらしく、よりかかっていた大木たいぼくから背をはなした。

「それじゃ、僕はそろそろ東京へもどらせてもらおうかな」

 店長が立ち去ろうとしたその瞬間、風切かざぎり先輩が声をかけた。

「おい……ひとついいか?」

 店長はふりかえらずに答える。

「なんだい?」

「俺はさっきの話で、納得できない点がひとつある」

「どこに?」

 これは俺のうぬぼれかもしれないが、と風切先輩はことわったうえで、

「さっきのゲーセンの実力じゃ、関西のトップ層は倒せないだろ?」

 と言った。

 店長はくすりと笑った。

「なるほど、正確な将棋眼だ」

「ごまかすなよ」

「いや、ごまかしてはいないさ……あれは僕が指していたわけじゃないからね。あれは専用アーケードなんだ。ゲーセンできみたちを見張っていた僕じゃあ指せないよね」

 そ、そうだ。店長の登場で困惑していて気づかなかった。

 店長がべつのゲーセンで指してからワープしてきたというのは、ムリがある。

 風切先輩も納得したらしく、軽く地面をけった。

「俺の対戦相手はだれだったんだ?」

「それは秘密だよ。」

「そっちはそっちで仲間がいる、ってわけか」

「人間、助け合わないとね……合宿の邪魔をして悪かったよ。こんどご来店いただいたときは、とびっきりのスイーツをおごるから、ぜひ」


  ○

   。

    .


 そのあと、私たちは合宿場へもどって、待機組にコトの顛末てんまつを報告した。一番怒っていたのは三宅みやけ先輩だった。ムリもない。2泊3日の合宿は、あまり将棋を指さずに終わってしまったからだ。でも、私の意見はちょっとちがう。佐田店長は、イヤガラセをしかけるつもりじゃなかったと思う。そうじゃなくて、なにかを伝えたかった――なにを?

 聖生のえるの正体? だけど、正体はけっきょくわからずじまいだった。

 ほんとうに思い出話がしたかっただけ? ううん、それはありえない。

 だとすると……なにかの警告? 新幹線からみえる風景が、風のように流れ去る。車内では、ララさん、穂積ほづみさん、穂積お兄さん、星野ほしのくんで大富豪をしていた。三宅先輩と風切先輩は、二人席で秋の団体戦の打ち合わせ。私と大谷おおたにさんと松平まつだいらは、3人で将棋をぐるぐる回していた。

 新Y浜駅で降りたとき、時刻はちょうど15時を過ぎたところだった。そこで解散。

 めいめいじぶんたちの家か下宿先へ帰っていく。

 私と大谷さんは、松平の提案で、連絡用通路にある喫茶店へ入った。

 それぞれ飲み物を注文する。私と松平はコーヒー、大谷さんは抹茶ラテ。

 さらに甘いものもひとつずつ。私はカシューナッツのケーキをチョイス。

 窓際の席につく。重苦しい空気をやぶったのは、松平のひとことだった。

裏見うらみは、佐田店長の話を信じるか?」

 私は返答を一瞬ためらった。

「……大筋おおすじは、ほんとうだと思う」

「大筋は? 細かい矛盾があるのか?」

 私は首を左右にふった。コーヒーカップを置く。

「矛盾らしい矛盾はなかったわ……けど、ぜんぶがほんとうという証拠もないの」

「そうか……でも、大筋がほんとうだと思うのは、なんでだ?」

「折口先生の話と、ほぼ一致しているからよ。折口先生が佐田店長と出会ったのは、たしか2008年5月。そのとき折口先生は、佐田店長が投資関係の雑誌を読んでいるところを目撃しているわ。佐田店長が将棋の強いホストとして有名になっていたことも、折口の先生の話に出てきてた。つまり、佐田店長には間接的な証人がいるの」

 松平は「なるほど」と言って、納得してくれた。

「じゃあ、その空売りを勧めた男性が聖生のえるで決まりなのか」

 それは勇み足だと、私は指摘した。

 松平は理由をたずねる。

「その中年男性と聖生のえるのイメージが一致しないからよ」

「つまり……こんなイタズラをするような人物じゃないってことか?」

「佐田店長の話がほんとうなら、ほとんど世捨て人みたいなものでしょ」

「しかし、たまたま聖生のえる以外にリーマン・ショックを見抜いた将棋の指せる相場師がいたなんて、話が出来すぎじゃないか?」

「そこまではなんとも……」

 そのときだった。それまで沈黙していた大谷さんが、会話にわりこんでくる。

「おふたりとも、ひとつ拙僧の勘ぐりを聞いていただけますか?」

「もちろんよ」

 大谷さんは周囲に視線を走らせる。彼女らしくないくらいの警戒っぷりだった。

「店長のお話のなかで、男性には息子さんがいらっしゃったのですよね?」

「ええ、そうだけど、それがなにか……」

 私はそこまで答えて絶句した。

「裏見さんも、お気づきになられましたか」

「まさか……その少年が新しい聖生のえるだってこと?」

「可能性はあると思います。その息子さんは、小学生だったそうですね?」

「たしか……聞き間違いじゃなければ、小学校高学年って言っていたような……」

「今は2016年です。外見の誤差を考慮しても、その少年は20歳前後のはずです」

 私と松平は目をあわせた。

「もし大谷さんの推理が正しいなら……その少年は大学生?」

「大学に通っていれば、ですが。父親の教育姿勢からして、進路が予測できません」

 いろいろなことが繋がってきている。

 そして、大谷さんの推理は、新幹線のなかで私が考えていたことと一致していた。

「ねぇ……佐田さんは、私たちになにかを警告したかったんじゃないかしら」

 私の発言に、松平は「どういう意味だ?」と聞き返した。

「その少年が今の……2代目の聖生のえるだって、私たちに伝えたかったんじゃない?」

 松平は眉をひそめた。

「相場師のおっさんが聖生のえるで、その子が聖生のえるJr?」

 聖生Jrとは、またうまい表現だと私は思った。

「可能性はあると思うの。聖生のえるはふたりいるんじゃないか……私たちのあいだでも出ていた推理でしょ。だけど、なんで別々のひとが聖生のえるを名乗っているのか、ふたりの関係はなんなのか、まったく見えてこなかったじゃない。もしふたりが親子なら……欠けていたパズルのピースを埋めるのにぴったりだわ」

「……ありうるな」

 松平はそう言って、コーヒーをひと口飲んだ。

 いっぽう、大谷さんはすこしばかり考えに沈んでいる。

 私はそのわけを尋ねた。

「裏見さんの推理はごもっともですが……納得のいかない点があります」

「どこに?」

「仮にその少年が聖生Jrだとして、どうして都ノみやこのに目をつけたのでしょうか?」

「それは……」

 私はそこまできて、ある憶測にぶつかった。

 まさか……聖生のえるJrは都ノ大学の学生?

 私はじぶんの推理がおそろしくて、思わず口をつぐんでしまった。

 ひょっとして……都ノ将棋部の男子のだれかが、聖生のえるの息子ってこと?

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