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凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第32章 夏合宿ゲーム(2016年8月27日土曜)
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197手目 LEH

 というわけで、伝説の相場師を捜す仕事が始まった。

 どうやって? テキトウだよ。K都の将棋道場をどんどん回っていくんだ。

 これでお金がもらえるんだから、いい副業にはちがいない。

 将棋の戦績? きみたちなら、そのあたりも少しは調べてるんじゃないかな。

 僕はね、じぶんの棋力がよくわかってなかったんだよ。ルールは子どもの頃から知っていた。けど、よく指すようになったのは青果店のおじさんとだった。おじさんはトラックの運転手で、ヒマなときはネットで指していると言っていた。まだ2008年だったからね、スマホアプリじゃなくて、どこかのインターネット道場だったんだろう。

 話をもどそう。僕は意外と勝てた。将棋道場っていうからには、もっと強いひとたちが集まっていると思っていた……おっと、そういう顔をしないで欲しいな。僕は単に早熟型だっただけかもしれないからね。道場の強豪を負かしては、次の道場へ移動する。これをくりかえした。

 けっこうハマってしまって、だんだん睡眠時間がみじかくなってきた。仕事は夜だからね。ほんとうなら昼間は寝ないといけないんだ。肌も荒れてくる。僕が女性トラブルか金銭トラブルに巻き込まれたと、そう噂している仲間のホストもいた。

「ふみや、目星はついたか?」

 深夜の控え室でうつらうつらしていると、高村こうむらさんに声をかけられた。

 ソファーのうえでビクリとしてしまう。見回すと、ほかのメンバーはもう帰っていた。ホストの裏舞台は殺風景だ。着替え用のロッカーに洗面台。冷蔵庫と冷水サーバ。芸能事務所もこんな感じなんだろうな。

 高村さんはソファーのうしろに立っていた。グレーのスーツに赤いネクタイだった。

 僕に缶コーヒーを渡しながら、

「そのようすだと、ずいぶんがんばってくれているようだな」

 とねぎらってきた。

「昼も夜もです」

 僕がナーバスになっていることに、高村さんは気づいた。

 タバコに火をつけながら、

「どうした、ふみやらしくないな。客に嫌味でも言われたか?」

 とたずねた。僕はタメ息をつく。

「ねぇ、高村さん、この探偵ごっこはもうやめませんか?」

「めんどくさくなってきた、と?」

「いえ、逆です……将棋ってけっこう面白いんですね」

「だったらいいじゃないか。趣味で金がもらえるなんて、最高だろ」

 僕はしばらく黙って、両手を組んだ。まっすぐに前をみつめる。

「そこが後ろめたいんです。雲をつかむような話の中で、じぶんだけ楽しむのは……」

 高村さんはソファーに座った。ガラス製の灰皿に、吸いかけのタバコを押しつける。

「雲をつかむような話、か……」

「僕から質問していいですか? 今回の件、高村さんらしくないですよね。無計画というか、いきあたりばったりというか……ほかに意図があるんじゃないですか?」

 高村さんは「ない」とはっきり答えた。

 けど、僕は信じられなかった。

「その目は疑ってるな」

「ええ……高村さんも、この捜し方が不合理だって、わかってますよね?」

「ああ、わかってる。けどな、合理的な捜し方がいつでもいいってわけじゃない。ふみやは、お見合いってしたことあるか?」

 僕は「ない」と答えた。

「お見合いっていうのはな、意外と合理的で効率がいいんだ。去年頃から『婚活』っていう言葉が出てきただろう。社会がいくら自由恋愛をあおっても、道ばたでマッチングするのはむずかしい。それが現実だ」

「将棋道場で捜すのは、道ばたでマッチングするようなものじゃないですか?」

 高村さんはもう一本のタバコに火をつけた。

 いつも半分くらい吸って灰皿に捨てる癖があった。ぜいたくな吸い方だと思う。

「そこでさっきの話にもどる。合理的な捜し方がいつでもいいわけじゃない。もし、ただの結婚相手じゃなくて……運命の伴侶はんりょを見つけようと思ったら、お見合いだろうが道ばただろうが、どっちもおなじくらいの確率になるんじゃないだろうか。つまり……奇跡が起きないといけない」

 僕はちょっと笑ってしまいそうになった。

 でも、高村さんがあまりにも真剣だったから、すぐにおかしさは消えた。

「奇跡っていう言い方がこっけいなら、えんでいい。ふみやは、ひとの縁を信じるか?」

「いえ、あんまり……」

「俺がおまえを見つけたのは縁じゃないのか? おまえの噂を聞いて、あそこへスカウトしに行ったわけじゃない。たまたまタクシーが拾えなくて、近道を通っただけだ。そしたらあの板金屋があった。おまえは自動車の下から急に出てきて、それで目についた。あのとき、おまえが外回りに出ていたり、工場のなかにいたりしたら、俺はおまえの顔をみることもなかった。つまり、今こうして会話することもなかった」

「それは感謝してます。ただ、それは縁というより……」

「偶然か? それなら偶然と呼んでもいい。偶然はコントロールできない。これが俺の言いたいことだ。女の機嫌はコントロールできても、偶然には身を任せるしかない。さっきも、たまたまタクシーが拾えなかったって言ったよな。しかし、合理的に考えたら、俺はタクシーをもう1、2分待ったほうがよかったのかもしれない。裏道を使っても、10分以上遅刻した。俺の頭がもっと回ったら、そういう判断を下したかもしれない。だけど、それじゃあおまえには会えなかったんだ」

 僕は高村さんの話を理解した。合理性は、常にベストへつながってるわけじゃない。

 ただ、僕としてはやっぱり納得できない点があった。

「高村さんがあのとき、もうひとつとなりの道を歩いていたら、僕の倍は稼ぐホストに出会えたかもしれない……あるいはタクシーをもう5分待っていれば、イケメンのタクシー運転手と巡り会えたかもしれない……言い出したらキリがなくなりませんか?」

 高村さんは反論しなかった。いつもより短くなったタバコを手にしたまま、

「……そうだな」

 とつぶやいた。

 ちょうどそのとき、清掃せいそうのボーイが控え室に顔を出した。

 先日入ってきたばかりの新人で、片手にモップを持っていた。

「あ、すいません、高村さん、ふみやさん、もう鍵閉めます」

 高村さんは黙って席を立った。僕もカバンを持って立つ。

 朝をむかえた店の出口で、僕はようやく口をひらいた。

「とりあえず、高村さんの考えはわかりました。その縁とやらを探します。あんまり期待しないでくださいよ」


  ○

   。

    .


 夏の日差しが強くなる。

 足もとの木漏れ日が、その輝きを増した。

 佐田さださんは両腕を組んで、むかしを懐かしむような表情を浮かべた。

「そしてある日、僕は聖生のえるをついにみつけた」

 このひとことを最後に、話が中断した。

 太宰だざいくんは先をうながす。

「どこの誰だったんですか?」

「名前はわからない。ほんの一時いっときの巡り合わせだったからね」

 太宰くんは眉間にしわを寄せた。

「名前がわからないのに、聖生のえるだとなぜわかったんですか?」

「まあまあ、もうすこし話を聞いてからにしてくれよ。高村さんの話に感化されたけど、やっぱりみつからないものはみつからない……そう思った矢先だった」


  ○

   。

    .

   

 2008年3月、一軒の道場をあとにした僕は、出口のそばで青空を眺めていた。

 将棋の強いホストがいる――そういう噂が流れ始めたせいで、伝説の相場師を見つけるのはますますむずかしくなっていた。興味半分で対局を申し込んでくる学生や奥さまが増えてきて、それに時間をとられるようになった。

 まるで雲をつかむような話だ。そう、ここからみえる空のように。通りには観光客があふれていた。もうすぐ桜が咲けば、世界中からひとが集まるだろう。京都もこのままインバウンドの聖地になるのかもしれない。あるいは、なにかの拍子に、ふとひとがいなくなるのだろうか。

 そんなことを思っていると、一台の車が目にとまった。向かいのファミレスで、中年の男性が車のボンネットを開けていた。僕は往来に気をつけながら、道路を渡った。男性はどこか俳優を思わせる風貌ふうぼうだった。特に目が印象的で、じぶんの芯をはっきりと持っているタイプだ。でも、身なりはとても粗末だった。

「どうしました?」

 声をかけると、男性はようやくこちらに気づいた。

「エンジンがかからないんだ」

 なるほど、エンジントラブルか。

 僕はレッカー車を呼ぼうと提案した。これはすげなく断られた。

「金がない」

「僕が働いていた店を紹介します」

「車にくわしそうだな。にいさんなら直せるんじゃないか?」

 やれやれだと思った。

 ここまで図々しいと、かえってすがすがしい。

「簡単な故障なら、まあ……ラジエーターとかは、ここじゃ直せませんよ」

「とりあえず見てくれ」

「ボンネットより先に、エンジンを確認させてください。運転席に座っても?」

「かまわない」

 僕はドアを開けて運転席に座った。キーを回す。

 パワーウィンドウが動かなかった。

「バッテリーがあがってるっぽいな……」

 念のためにモーター音も確認する。

 耳を澄ませてみても、部品の音は聞こえなかった。

「お兄さん、なんで目をつむってるの?」

 僕は、あわててふりむいた――ひとりの少年が、こちらをにらんでいた。

 小学校高学年だろうか。痩せ気味で、これまた粗末な身なりをしていた。つぎはぎだらけのズボンに両手をつっこみ、後部座席からこちらを警戒している。

 少年の鋭い眼光から、外にいる男性の息子だろうと察した。

「ぼうや、ごめんね、だれかいると思わなくて……」

「謝らなくていいよ……お兄さん、直せるの?」

 バッテリーがあがってるんじゃないか、と僕は答えた。

 伝わったのか伝わらなかったのか、少年は「ふーん」とだけ言ってあごを引いた。

「ま、テキトウにやってよ」

 あまりにも子どもらしくない仕草だった。僕はなにか話しかけようとしたけど、やぶ蛇になりそうだから車を降りた。そして、ボンネットを確認した。バッテリーが膨らんでいた。どうやらこの駐車場で寿命をむかえたようだ。

 僕は男性にそのことを説明した。

「にいさんじゃ直せないか?」

「ジャンピングスタートっていう方法はあります。ほかの車から一時的に通電してもらうんですが……一回停車したら、また動かなくなる可能性が高いです。このレストランから最寄りの専門店までノーストップで行くのは無理です。すなおにここでバッテリーを交換しましょう。僕が働いていた店に電話します」

「金はない」

 この男性だけなら、そのまま放置していたと思う。

 けど、後部座席の少年が気になった。

「僕がもちます」

 男性はこちらに視線をむけた。信じるとも信じないとも言っていない目だった。

「……わかった。頼む」

 僕はショップに電話をした。いきなり辞めた店だったから、すこしくらい怒鳴られると思っていたけど、杞憂だった。店長は気軽に引き受けてくれた。ただ、今はお昼時で人手が足りないから、すぐには助けに行けないという話だった。救援が来るまで、僕はその場で待機することになった。男性はポケットからくしゃくしゃのタバコを取り出して、一本口にくわえた。

「火、あるか?」

 僕は黙って火をつけた。そのとき、男性ははじめて僕に関心を示した。

「……にいさん、水商売?」

「え……はい、それがなにか?」

「いいジッポじゃないか」

 俺にくれとか言い出すんじゃないだろうな。

 僕の猜疑心さいぎしんをよそに、その男性は話題を変えた。

「水商売の男が、どうして将棋道場から出てきた?」

「……ホストが将棋道場から出て来ちゃいけないんですか?」

「そうか、ホストなんだな。俺も将棋は指す。あとで一局どうだ?」

 ことわりかけた瞬間、僕の脳裏をある直感がおそった。

「あの……もしかして、株とかやってませんか?」

 男性はこらちへ顔をむけた。

「なんだ、俺が相場ですっからかんになったようにみえるか?」

「いえ……そういうわけでは……」

 そうだよな、このひとが伝説の相場師なはずがない。

 僕は馬鹿げた質問をしたと思った。

 もう黙ろう。こちらはそう決心したのに、あいては急に饒舌じょうぜつになった。

「にいさん、いい勘してるよ。俺は相場で食ってる」

「……話を合わせてませんよね?」

「信じる信じないは自由だ……っと、そのわりには金がなさそうだって目をしてるな。俺は金を儲けてもすぐに使っちまうんだ。おかげで貧乏暮らしよ。カミさんにも逃げられたし、娘は中学を卒業したあと、家出して帰ってこない」

 最低だな、と思った。

 そして、車のなかにいた少年のまなざしの意味を悟った。

「あなたが自堕落な生活をするのはかまいませんが、子育てには責任を持ってください」

 男性は自嘲するように笑って、頭を掻いた。

「ごもっとも……俺は子育てに向いてない。そろそろ一発当てて、あいつはどこかの児童養護施設に預けようと思ってる」

「なんでそんなに身勝手なんですかッ!?」

 僕はじぶんの大声におどろいてしまった。

 男性は神妙な、それでいてどこか悟りきったような顔をしていた。

 気まずくなる。

「すみません……でも、さすがに酷すぎませんか?」

「ああ、ひどいよ……しかし、俺が育てるよりはマシだと思っている」

 僕たちのあいだに、重たい空気が流れた。

 それをかき消したのは、レストランの駐車場に現れた社用のワゴンだった。

 男性はタバコを地面に捨てると、足で踏み消した。

「あんた、優しい人間だな。その世界でやってると、じつはつらいだろ?」

「……」

 男性はポケットから一枚の紙切れをとりだした。

 それを僕の手のなかに押し込む。

「そこに書いてある株を4月の終わり頃から空売りするといい。貯金はあるか?」

「からうり……?」

「株の仕組みを知らないんだな。今から勉強しろ……LEHだぞ。忘れるな」

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