197手目 LEH
というわけで、伝説の相場師を捜す仕事が始まった。
どうやって? テキトウだよ。K都の将棋道場をどんどん回っていくんだ。
これでお金がもらえるんだから、いい副業にはちがいない。
将棋の戦績? きみたちなら、そのあたりも少しは調べてるんじゃないかな。
僕はね、じぶんの棋力がよくわかってなかったんだよ。ルールは子どもの頃から知っていた。けど、よく指すようになったのは青果店のおじさんとだった。おじさんはトラックの運転手で、ヒマなときはネットで指していると言っていた。まだ2008年だったからね、スマホアプリじゃなくて、どこかのインターネット道場だったんだろう。
話をもどそう。僕は意外と勝てた。将棋道場っていうからには、もっと強いひとたちが集まっていると思っていた……おっと、そういう顔をしないで欲しいな。僕は単に早熟型だっただけかもしれないからね。道場の強豪を負かしては、次の道場へ移動する。これをくりかえした。
けっこうハマってしまって、だんだん睡眠時間がみじかくなってきた。仕事は夜だからね。ほんとうなら昼間は寝ないといけないんだ。肌も荒れてくる。僕が女性トラブルか金銭トラブルに巻き込まれたと、そう噂している仲間のホストもいた。
「ふみや、目星はついたか?」
深夜の控え室でうつらうつらしていると、高村さんに声をかけられた。
ソファーのうえでビクリとしてしまう。見回すと、ほかのメンバーはもう帰っていた。ホストの裏舞台は殺風景だ。着替え用のロッカーに洗面台。冷蔵庫と冷水サーバ。芸能事務所もこんな感じなんだろうな。
高村さんはソファーのうしろに立っていた。グレーのスーツに赤いネクタイだった。
僕に缶コーヒーを渡しながら、
「そのようすだと、ずいぶんがんばってくれているようだな」
とねぎらってきた。
「昼も夜もです」
僕がナーバスになっていることに、高村さんは気づいた。
タバコに火をつけながら、
「どうした、ふみやらしくないな。客に嫌味でも言われたか?」
とたずねた。僕はタメ息をつく。
「ねぇ、高村さん、この探偵ごっこはもうやめませんか?」
「めんどくさくなってきた、と?」
「いえ、逆です……将棋ってけっこう面白いんですね」
「だったらいいじゃないか。趣味で金がもらえるなんて、最高だろ」
僕はしばらく黙って、両手を組んだ。まっすぐに前をみつめる。
「そこが後ろめたいんです。雲をつかむような話の中で、じぶんだけ楽しむのは……」
高村さんはソファーに座った。ガラス製の灰皿に、吸いかけのタバコを押しつける。
「雲をつかむような話、か……」
「僕から質問していいですか? 今回の件、高村さんらしくないですよね。無計画というか、いきあたりばったりというか……ほかに意図があるんじゃないですか?」
高村さんは「ない」とはっきり答えた。
けど、僕は信じられなかった。
「その目は疑ってるな」
「ええ……高村さんも、この捜し方が不合理だって、わかってますよね?」
「ああ、わかってる。けどな、合理的な捜し方がいつでもいいってわけじゃない。ふみやは、お見合いってしたことあるか?」
僕は「ない」と答えた。
「お見合いっていうのはな、意外と合理的で効率がいいんだ。去年頃から『婚活』っていう言葉が出てきただろう。社会がいくら自由恋愛を煽っても、道ばたでマッチングするのはむずかしい。それが現実だ」
「将棋道場で捜すのは、道ばたでマッチングするようなものじゃないですか?」
高村さんはもう一本のタバコに火をつけた。
いつも半分くらい吸って灰皿に捨てる癖があった。ぜいたくな吸い方だと思う。
「そこでさっきの話にもどる。合理的な捜し方がいつでもいいわけじゃない。もし、ただの結婚相手じゃなくて……運命の伴侶を見つけようと思ったら、お見合いだろうが道ばただろうが、どっちもおなじくらいの確率になるんじゃないだろうか。つまり……奇跡が起きないといけない」
僕はちょっと笑ってしまいそうになった。
でも、高村さんがあまりにも真剣だったから、すぐにおかしさは消えた。
「奇跡っていう言い方がこっけいなら、縁でいい。ふみやは、ひとの縁を信じるか?」
「いえ、あんまり……」
「俺がおまえを見つけたのは縁じゃないのか? おまえの噂を聞いて、あそこへスカウトしに行ったわけじゃない。たまたまタクシーが拾えなくて、近道を通っただけだ。そしたらあの板金屋があった。おまえは自動車の下から急に出てきて、それで目についた。あのとき、おまえが外回りに出ていたり、工場のなかにいたりしたら、俺はおまえの顔をみることもなかった。つまり、今こうして会話することもなかった」
「それは感謝してます。ただ、それは縁というより……」
「偶然か? それなら偶然と呼んでもいい。偶然はコントロールできない。これが俺の言いたいことだ。女の機嫌はコントロールできても、偶然には身を任せるしかない。さっきも、たまたまタクシーが拾えなかったって言ったよな。しかし、合理的に考えたら、俺はタクシーをもう1、2分待ったほうがよかったのかもしれない。裏道を使っても、10分以上遅刻した。俺の頭がもっと回ったら、そういう判断を下したかもしれない。だけど、それじゃあおまえには会えなかったんだ」
僕は高村さんの話を理解した。合理性は、常にベストへつながってるわけじゃない。
ただ、僕としてはやっぱり納得できない点があった。
「高村さんがあのとき、もうひとつとなりの道を歩いていたら、僕の倍は稼ぐホストに出会えたかもしれない……あるいはタクシーをもう5分待っていれば、イケメンのタクシー運転手と巡り会えたかもしれない……言い出したらキリがなくなりませんか?」
高村さんは反論しなかった。いつもより短くなったタバコを手にしたまま、
「……そうだな」
とつぶやいた。
ちょうどそのとき、清掃のボーイが控え室に顔を出した。
先日入ってきたばかりの新人で、片手にモップを持っていた。
「あ、すいません、高村さん、ふみやさん、もう鍵閉めます」
高村さんは黙って席を立った。僕もカバンを持って立つ。
朝をむかえた店の出口で、僕はようやく口をひらいた。
「とりあえず、高村さんの考えはわかりました。その縁とやらを探します。あんまり期待しないでくださいよ」
○
。
.
夏の日差しが強くなる。
足もとの木漏れ日が、その輝きを増した。
佐田さんは両腕を組んで、むかしを懐かしむような表情を浮かべた。
「そしてある日、僕は聖生をついにみつけた」
このひとことを最後に、話が中断した。
太宰くんは先をうながす。
「どこの誰だったんですか?」
「名前はわからない。ほんの一時の巡り合わせだったからね」
太宰くんは眉間にしわを寄せた。
「名前がわからないのに、聖生だとなぜわかったんですか?」
「まあまあ、もうすこし話を聞いてからにしてくれよ。高村さんの話に感化されたけど、やっぱりみつからないものはみつからない……そう思った矢先だった」
○
。
.
2008年3月、一軒の道場をあとにした僕は、出口のそばで青空を眺めていた。
将棋の強いホストがいる――そういう噂が流れ始めたせいで、伝説の相場師を見つけるのはますますむずかしくなっていた。興味半分で対局を申し込んでくる学生や奥さまが増えてきて、それに時間をとられるようになった。
まるで雲をつかむような話だ。そう、ここからみえる空のように。通りには観光客があふれていた。もうすぐ桜が咲けば、世界中からひとが集まるだろう。京都もこのままインバウンドの聖地になるのかもしれない。あるいは、なにかの拍子に、ふとひとがいなくなるのだろうか。
そんなことを思っていると、一台の車が目にとまった。向かいのファミレスで、中年の男性が車のボンネットを開けていた。僕は往来に気をつけながら、道路を渡った。男性はどこか俳優を思わせる風貌だった。特に目が印象的で、じぶんの芯をはっきりと持っているタイプだ。でも、身なりはとても粗末だった。
「どうしました?」
声をかけると、男性はようやくこちらに気づいた。
「エンジンがかからないんだ」
なるほど、エンジントラブルか。
僕はレッカー車を呼ぼうと提案した。これはすげなく断られた。
「金がない」
「僕が働いていた店を紹介します」
「車にくわしそうだな。にいさんなら直せるんじゃないか?」
やれやれだと思った。
ここまで図々しいと、かえってすがすがしい。
「簡単な故障なら、まあ……ラジエーターとかは、ここじゃ直せませんよ」
「とりあえず見てくれ」
「ボンネットより先に、エンジンを確認させてください。運転席に座っても?」
「かまわない」
僕はドアを開けて運転席に座った。キーを回す。
パワーウィンドウが動かなかった。
「バッテリーがあがってるっぽいな……」
念のためにモーター音も確認する。
耳を澄ませてみても、部品の音は聞こえなかった。
「お兄さん、なんで目をつむってるの?」
僕は、あわててふりむいた――ひとりの少年が、こちらをにらんでいた。
小学校高学年だろうか。痩せ気味で、これまた粗末な身なりをしていた。つぎはぎだらけのズボンに両手をつっこみ、後部座席からこちらを警戒している。
少年の鋭い眼光から、外にいる男性の息子だろうと察した。
「ぼうや、ごめんね、だれかいると思わなくて……」
「謝らなくていいよ……お兄さん、直せるの?」
バッテリーがあがってるんじゃないか、と僕は答えた。
伝わったのか伝わらなかったのか、少年は「ふーん」とだけ言ってあごを引いた。
「ま、テキトウにやってよ」
あまりにも子どもらしくない仕草だった。僕はなにか話しかけようとしたけど、やぶ蛇になりそうだから車を降りた。そして、ボンネットを確認した。バッテリーが膨らんでいた。どうやらこの駐車場で寿命をむかえたようだ。
僕は男性にそのことを説明した。
「にいさんじゃ直せないか?」
「ジャンピングスタートっていう方法はあります。ほかの車から一時的に通電してもらうんですが……一回停車したら、また動かなくなる可能性が高いです。このレストランから最寄りの専門店までノーストップで行くのは無理です。すなおにここでバッテリーを交換しましょう。僕が働いていた店に電話します」
「金はない」
この男性だけなら、そのまま放置していたと思う。
けど、後部座席の少年が気になった。
「僕がもちます」
男性はこちらに視線をむけた。信じるとも信じないとも言っていない目だった。
「……わかった。頼む」
僕はショップに電話をした。いきなり辞めた店だったから、すこしくらい怒鳴られると思っていたけど、杞憂だった。店長は気軽に引き受けてくれた。ただ、今はお昼時で人手が足りないから、すぐには助けに行けないという話だった。救援が来るまで、僕はその場で待機することになった。男性はポケットからくしゃくしゃのタバコを取り出して、一本口にくわえた。
「火、あるか?」
僕は黙って火をつけた。そのとき、男性ははじめて僕に関心を示した。
「……にいさん、水商売?」
「え……はい、それがなにか?」
「いいジッポじゃないか」
俺にくれとか言い出すんじゃないだろうな。
僕の猜疑心をよそに、その男性は話題を変えた。
「水商売の男が、どうして将棋道場から出てきた?」
「……ホストが将棋道場から出て来ちゃいけないんですか?」
「そうか、ホストなんだな。俺も将棋は指す。あとで一局どうだ?」
ことわりかけた瞬間、僕の脳裏をある直感がおそった。
「あの……もしかして、株とかやってませんか?」
男性はこらちへ顔をむけた。
「なんだ、俺が相場ですっからかんになったようにみえるか?」
「いえ……そういうわけでは……」
そうだよな、このひとが伝説の相場師なはずがない。
僕は馬鹿げた質問をしたと思った。
もう黙ろう。こちらはそう決心したのに、あいては急に饒舌になった。
「にいさん、いい勘してるよ。俺は相場で食ってる」
「……話を合わせてませんよね?」
「信じる信じないは自由だ……っと、そのわりには金がなさそうだって目をしてるな。俺は金を儲けてもすぐに使っちまうんだ。おかげで貧乏暮らしよ。カミさんにも逃げられたし、娘は中学を卒業したあと、家出して帰ってこない」
最低だな、と思った。
そして、車のなかにいた少年のまなざしの意味を悟った。
「あなたが自堕落な生活をするのはかまいませんが、子育てには責任を持ってください」
男性は自嘲するように笑って、頭を掻いた。
「ごもっとも……俺は子育てに向いてない。そろそろ一発当てて、あいつはどこかの児童養護施設に預けようと思ってる」
「なんでそんなに身勝手なんですかッ!?」
僕はじぶんの大声におどろいてしまった。
男性は神妙な、それでいてどこか悟りきったような顔をしていた。
気まずくなる。
「すみません……でも、さすがに酷すぎませんか?」
「ああ、ひどいよ……しかし、俺が育てるよりはマシだと思っている」
僕たちのあいだに、重たい空気が流れた。
それをかき消したのは、レストランの駐車場に現れた社用のワゴンだった。
男性はタバコを地面に捨てると、足で踏み消した。
「あんた、優しい人間だな。その世界でやってると、じつはつらいだろ?」
「……」
男性はポケットから一枚の紙切れをとりだした。
それを僕の手のなかに押し込む。
「そこに書いてある株を4月の終わり頃から空売りするといい。貯金はあるか?」
「からうり……?」
「株の仕組みを知らないんだな。今から勉強しろ……LEHだぞ。忘れるな」