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凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第32章 夏合宿ゲーム(2016年8月27日土曜)
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195手目 思い出話

「おまえほんとに聖生のえるか? ……え? うしろ?」

 風切かざぎり先輩はうしろをふりかえった。

 あたしたちもふりかえる。

 そこにいた男性に、私は大声を出してしまった。

佐田さだ店長ッ!」

 佐田さんは片手にスマホを持って、近くの太い柱によりかかっていた。いかにも観光客な装いで、ジーンズに沖縄の白いかりゆしを着ていた。

 佐田さんは通話ボタンを切って、スッと姿勢をただす。

「こんにちは、いつも有縁坂にご来店ありがとうございます」

「て、店長……どうしてここに……」

 私が困惑するなか、風切先輩は一歩まえに出た。

「おまえが将棋カフェの店長か。噂はいろいろ聞いてる」

「聞くだけでなくご来店いただけると光栄だね」

「で、おまえが聖生なのか?」

 店長はスマホをポケットにしまった。

「ま、ここで話すのもなんだし、ちょっと移動しようか」


  ○

   。

    .


 私たちは熱海城を出て、近くの神社に来ていた。

 地元の参拝者しか来ないような、さびれた場所だった。

 夏の日差しをさえぎるように、おおきなクスノキが地面に影を落としていた。さきほどの人工的なアミューズメント施設よりも、ずっと昔からこの街を見てきたのだろう。境内からは、熱海を一望することができた。

 私たちはこけのむした石垣を背に、佐田さんと対峙していた。

 佐田さんはクスノキに近寄ると、その幹をポンとたたいた。

「すごいね。樹齢300年はありそうだ」

 風切先輩は石垣に座って、片膝を立てたかっこうで佐田さんに声をかけた。

「観光目的で俺たちをここに呼んだわけじゃないんだろ?」

 佐田さんは軽く笑った。

「もちろん、ちがうよ」

「おまえが聖生のえるなのか?」

 佐田さんは風切先輩を見つめかえした。

「どう思う?」

「……ちがう気がしてる」

 風切先輩は、佐田さんが聖生のえるであることを否定した。

 佐田さんもうなずいた。

「そう、もうしわけないが、ちがうんだ」

聖生のえるの正体を知っているのか?」

 知らない、と佐田さんは答えた。

 風切先輩は、わけがわからないという顔をする。

「今回の茶番はなんだったんだ? 便乗したイタズラか?」

 佐田さんは、「ちょっと話が長くなるけど」と前置きした。

裏見うらみさんから聞いてるかもしれないけど、僕は聖生のえるとコンタクトをとったことがある」

 私のほうへ一斉に視線が集まった。

「あ、いえ、その……すみません、あんまり周囲には話してませんでした」

 風切先輩はおどろいて、私と佐田さんを見比べた。

「ちょっと待ってくれ、ってことは、裏見が言ってたホストって……」

「そう、僕だ。祇園で【ふみや】と名乗ってた将棋が強いホストだよ。じつはね、K都の知り合いから、『おまえのことを調べてる女子大生がいるから気をつけろ』って言われたんだ。ポニーテールと、お坊さんみたいな服装の子だっていうから、もしかしてうちの店によく来てるふたり組じゃないかな、って思った」

 さすがに目立ち過ぎたか。

 っていうか、あのコウケツっていうおじさん、やっぱり繋がってたじゃない。最悪。

 私のいきどおりをよそに、風切先輩は先をたずねた。

「で、身バレしそうになったから先制攻撃、と? 目的は?」

「きみたちと同じ、かな」

「同じ? はぐらかすなよ」

「きみたちのなかに聖生のえるがいるんじゃないか、これを確かめたかったんだよ」

 沈黙と夏風が流れる。草むらがざわざわと揺れた。

 私は、佐田さんが考えていたことをはっきりと理解した。ようするに、学生棋界のなかに聖生のえるがいるんじゃないか、しかも強豪のなかに――私たちと同じ推理だ。

 だけど、風切先輩はこの回答にかみついた。

「なるほどな……じゃあ、俺と同じ疑問も持ってるよな?」

「同じ疑問って、なんだい?」

「ここにいるメンバーは若すぎる。バブル崩壊のときにはまだ生まれていない」

 そう、そのとおりだ。そして、ここから出てくる推理はひとつ。

 佐田さんもその推理で答えた。

聖生のえるを名乗っている人物は2人いる……のかもしれない」

「俺もその可能性をずっと考えてた。バブル崩壊とリーマンショックを予想した聖生はほかにいて、俺たちにちょっかいをかけてるのは愉快犯なんじゃないかってな。あんたが今回の茶番を仕組んだ理由はわかった。ようするに、俺たちのなかに聖生のえるがいるんじゃないかって疑ったわけだよな? で、いたのか?」

「今のところは見つかっていない……かな。すくなくとも、きみたちのだれかとは思えなかった。さっきゲーセンで遠目に観察させてもらったとき、不審な動きをしているひとはいなかったからね。みんな聖生のえるが画面の向こうにいると思っている雰囲気だった」

「なるほどな……」

 風切先輩が納得しかけたところで、太宰だざいくんが急に割り込んだ。

「ほんとうにそれだけですか、有縁坂の店長さん?」

 佐田さんは太宰くんのほうへ視線を移した。

「きみは……太宰くんだったかな」

「よくご存知で、光栄です」

「だってきみ、僕のことを調べてるだろう?」

 太宰くんはボールペンでこめかみをこすった。

「なるほど……ずいぶんと情報通なようですね。おみそれしました」

「まあ、それはいいんだけど、きみは聖生のえるにとても興味があるようだね」

「はい、ジャーナリストとして食指しょくしが動きます」

 佐田さんは「そうか」と言ってから、こう提案した。

「ぐだぐだしててもしょうがない。手持ちの情報を全員で出しあわないかい?」

 これには各人の反応がわかれた。

 太宰くんはまっさきに賛成した。けど、風切先輩は反対した。

 太宰くんは不審がって、

「先輩、やたらと捜査を拒絶しますね。じつは犯人に目星がついてるんですか?」

 とたずねた。風切先輩は、

「俺は真犯人を捕まえたいわけじゃない。身内に犯人がいないならそれでいい」

 と答えた。

「ほんとうに? 身内に目星がついているから拒否してるんじゃないですか?」

 ここで佐田さんが割って入った。

「ああ、仲間割れはしなくていいよ。情報を出したいひとだけが出そう。僕から話す」

 これはちょっと意外な提案だった。

 だって、佐田さんが話した後で全員拒否したら、一方的に不利になるからだ。

 さすがの太宰くんも、

「それじゃあダメですよ。情報がかたよるじゃないですか」

 と拒否した。

 佐田さんは笑った。

「ジャーナリストは特ダネを隠しがちだね……なら、僕だけが話そう」

 場がざわつく。

 風切先輩は、

「なにを企んでる?」

 と尋ねた。そうだ、こんなの罠に決まっている。その場にいる学生たちは、だれも佐田さんの話をまともに受け取らなかった。佐田さんはポケットに手をつっこみ、クスノキに寄りかかった。

 セミの声が消える。風が強くなり始めた。

「僕もアラサーだから、そろそろ思い出話をしたい歳なんだよ……」


  ○

   。

    .


 僕が生まれたのは1983年、ちょうどバブル崩壊頃に小学校へあがった世代だ。生まれはH庫だよ。僕の家は貧しくてね、高校を出たらすぐ働くように言われた。勉強は嫌いじゃなかったけど、通っている高校の教師が嫌いで、けっきょく高校も中退した。そのあとは地元で職を転々とした。喫茶店、青果店、板金屋、とだんだんスキルがついてきたところで、次は琵琶湖の近くにある中堅の精密機械工場から声がかかっていた。もちろん給料が違うから、転職する予定だったんだけど――あのひとがきた。

「俺をホストに……?」

 名刺にはホストクラブの名前とスカウトマンの名前が書かれていた。お店には迷惑がかかるから、名前は伏せさせてもらうよ。そのひとの名前もね――とはいえ、「あのひと」じゃまどろっこしいから、仮に高村こうむらさんとしておこうか。

 高村さんは高級そうなスーツに身を包んで、タバコに火をつけていた。

「どうだ、うちに転職しないか?」

「あの……俺はこういうところには出入りしたことがなくて……」

「客として来たことのあるホストのほうが珍しいだろう」

 高村さんは、あれこれと条件を出してきて、僕を言いくるめた。

 それからひっこし代も出してもらって、K都へ移った。最初はたいへんだったよ。右も左もわからないし、女性のあしらいかたもよく知らなかった。ただ、高村さんの鑑定眼は確かだったと思う。僕は同期とくらべて早めにコツがわかってきて――ようするに、ああいうのは錯覚イリュージョンを売る場所なんだよ。いい意味でも悪い意味でもなくね。

 求められているのは幻想。心の打ち明けあいじゃない。それを理解した僕は、かえってやりやすくなった。板金屋で車を修理していたときの要領でやればいいわけだ。

 どういう要領かって? それについてはまたあとで話すよ。

 僕はいつのまにか店でベスト8に入るようになった。

「ふみや、最近調子がいいな」

 控え室で休憩していた僕に、高村さんが話しかけてきた。

「高村さんこそ、あいかわらずモテますね」

「モテててるわけじゃないさ。このおじさんにお金を入れて叩くとなんだか嬉しい気分になれる。それを客が知っているんだよ」

 そうかもしれない。僕たちは高揚感の自動販売機なわけだ。

「ところで、ふみや、おまえ将棋ができたよな?」

「将棋ですか? ……はい」

 なぜ高村さんが知っているのか、すこしばかり警戒した。というのも、この店ではだれとも指したことがなかったし、そういう話題になることもなかったからだ。

「そう警戒するな。板金屋で働いているとき、何回か視察した。同僚とやってただろ」

 この返事に僕は笑った。

「いやいや、高村さん、かえって警戒しますよ、それ」

「ハハッ、ちがいない。で、将棋はできるのか?」

「はい」

 こんどははっきりと答えた。ごまかしようがなかったからだ。

 そして、俺もできるから一局させ、と言われるものだとばかり思っていた。

 ところが、高村さんは紫煙をくゆらせながら、こう言った。

「ひとつ調べて欲しいことがあるんだ。伝説の相場師をな」

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