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凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第32章 夏合宿ゲーム(2016年8月27日土曜)
194/487

194手目 聖生の正体?

挿絵(By みてみん)


 聖生のえるは穴熊で対抗してきた。

 これは風切かざぎり先輩の2七銀をみてからの方針転換だと思う。

 風切先輩は手をとめた。でも、1手10秒の早指しだから時間はない。

「……すなおに組むか」

 風切先輩は3八金と上がった。

 1一玉、3六歩、2二銀、4六銀、7二飛。

 後手は固めてポン作戦のようだ。

 風切先輩は4八角と打って牽制する。


挿絵(By みてみん)


 松平はこの手をみて、

「先手が角を手放したのは痛いな」

 とつぶやいた。

 風切先輩と対等で戦える聖生のえる――ソフト指しの可能性、ある?

 わからない。そもそも将棋を指したがった理由も不明だ。勝ったらどうなるのか、負けたらどうなるのか、まったく教えてもらっていない。ただの将棋好き、って可能性はほとんどないはずだ。なにか思惑があるに決まっている。

 不審がる私たちをよそに、対局は進む。

 8二飛、3七角、5四歩。

「しゃーねぇ、こっちももぐるか」


 パシリ

 

挿絵(By みてみん)


 風切先輩も穴熊を目指す。

 4四歩、1九玉、2四歩、4八角、7三桂、3七銀、2三銀、2八銀。

 先輩は巧みな組み替えで、右銀ではなく左銀を2八へ移し替えた。

 聖生のえるもビッグフォーへと移行する。

 2二金、3七角、3二金右、6六歩、8一飛。

「よし、開戦だッ!」


 パシーン


挿絵(By みてみん)


 風切先輩から攻撃開始……って、ええッ!?

 一瞬ギャラリーがざわついた。でも、成立してる。

 同歩なら7三角成だ。

 土御門つちみかど先輩は扇子せんすをパチパチ鳴らしながら、

「8一飛と事前に反応したところをみると、やはり級位者ではないようじゃな」

 と言った。

 たしかに、この狙い筋はうっかりしやすい。

 聖生のえるはノータイムで6五同桂、同歩に6一飛とまわった。


挿絵(By みてみん)


 反動狙いだ。6四歩の取り込みには同銀から一気に反発するつもりだろう。

 ただ、これはそんなに怖がらなくていい。後手から6五歩とはできない(3七に角がいるから7三角成と成り込める)。先手が角を手放したデメリットは、この状況だとほぼ相殺されている。

「こっちも6九飛だ」

 風切先輩は振り飛車の格言どおりに指す。

 ここで初めて聖生の手がとまった。

 

 9、8、7、6、5、4、3、2、1

 

 パシリ


挿絵(By みてみん)


 ん、これは……次に5五歩か。角筋を止める気だ。

 今の指し手のタイミングをみた松平まつだいらは、

「さっきまでノータイムだったのに、難しいところでギリギリ着手か……ソフト指しの可能性は低いな」

 と言った。

 私はこれに反応して、

「じゃあ、実力で風切先輩といい勝負ってこと?」

 とたずね返した。

「いい勝負かどうかは、まだ中盤だからわからんが、まちがいなく高段者だな」

 ってことは……関東将棋連合のだれかなら、そうとう数が限られてこない?

 個人戦のベスト8とか、そんな感じで。

 しかも、土御門先輩、速水はやみ先輩、太宰だざいくんはここにいるのだ。

 この3人を除くと、いよいよあと数人しか心当たりがなかった。

 私がとまどっているあいだにも、対局はどんどん進んだ。

 5八金、5五歩、同歩、7八角、5九飛、4五角成。


挿絵(By みてみん)


 あ、う……先に馬を作られた。

 風切先輩は4六歩、5五馬と追って、4七金左と上がった……そんなに困ってない? 次に4五歩と突けば、角と馬の交換を迫ることができる。後手の6一飛よりも先手の5九飛のほうが明らかに働いている。

 後手は5一飛と回ってくるかな、と思った。けど、聖生のえるは5四銀を選択した。

 4五歩、5三歩、5五角、同桂、3七金寄、7七角、4九飛。


挿絵(By みてみん)


 よし、馬を消せた。

 聖生のえるもだんだんと考慮時間が長くなってくる。

 ただ、風切先輩はいい勝負だと思っているようで、かなり真剣に読んでいた。

 まるで大会のような緊迫感がただよう。

 土御門先輩と速水先輩も、マジメな面持ちで画面をみつめていた。

 4五歩、5二角、6二飛、4一角成、6七桂成、5一馬、9二飛、2五歩。

 ここで聖生のえるは3三角成とした。次に2四歩で潰れるからだ。

 風切先輩は馬交換に応じて、同馬、同桂としてから、

「聖生、崩れてきたんじゃないか?」

 と、ひとりごとを言って2四歩と取り込んだ。


挿絵(By みてみん)


 この手をみた土御門先輩は、

「後手がやや悪いように見えるのぉ」

 とつぶやいた。

 同意。先手が押している。

 2四同銀、6一角、5八桂成、4七飛、6六角。

 聖生もその自覚があるらしく、攻防に利かせてきた。

 3四角成、2三歩、2六歩、4三銀、3五歩、9九角成。

「よし、3六桂ッ!」


挿絵(By みてみん)


 風切先輩は玉頭の殴りあいに持ち込んだ。

 聖生のえるもそれはわかっているから、5五馬と引きあげてくる。

 5六歩、同馬、4三馬。

 風切先輩は馬銀交換を敢行。

 見ているこちらがヒヤヒヤしてくる。

 同金、3四銀、4一香、2四桂、同歩、3一銀、3二金、4三銀成。


挿絵(By みてみん)


 穴熊の暴力。

 ただ、ちょっと細いような……私は心配になってきた。

 こっそり速水先輩の見解を聞いてみる。速水先輩はさっきからノーコメで、この局面をどうみているのかわからなかった。

「先輩、つながると思いますか?」

「うーん、先手優勢だけど、攻め自体は細いわよね」

「もうちょっと安全に行ったほうが……」

「それはちがうんじゃない? あいてが聖生のえるでも、将棋は将棋でしょ。安全に勝とうとするのは危険だって、元奨の隼人はやとなら知ってることよ。決めるときは決めなきゃ」

 一理ある。

 私はおとなしく見守ることにした。

 4三同香、4四歩、同香、3四歩。

 風切先輩は3一の銀を囮に、と金の製造をめざす。

 聖生は2三銀と受けた。

「よしッ! とらえたッ!」


 パシーン

 

挿絵(By みてみん)


 ……うまいッ!

 一見、同金で駒損だけど、同銀成、同飛、3三歩成が飛車銀両取りになっている。

 聖生の手がとまった。

 

 9、8、7、6、5、4、3、2、1

 

 聖生のえるの選択は4二同飛。

 風切先輩は同銀成、同金、3三歩成、同金と清算して、ボタンに指をそえる。

「5六歩が予想以上に効いたな」


 パシーン!

 

挿絵(By みてみん)


 ……決まった。馬金両取り。

 3三飛成は許容できないから、馬を捨てるしかない。後手敗勢。

 

 9、8、7、6、5、4、3、2、1

 

 画面が爆発して【おみごと】の文字が浮かんだ。

 風切先輩は大きく息をついて、ひたいの汗をぬぐった。

「ふぅ……聖生のえる撃破だ」

 私たちもうしろで歓声をあげる……けど、すぐに静まり返った。

 土御門先輩は扇子せんすで顔をあおぎつつ、

「して、どうなるのじゃ?」

 と冷静にたずねた。だれにもわからない。

 風切先輩は、

「このゲーム、チャット機能はないのか?」

 とたずねた。松平は「ないです」と答えた。

 煽ったり煽られたりするから、そういう機能はついてないわよね。

 先輩は席を立ち、うしろ髪をなおしながら、

聖生のえるのやつ、なにがしたかったんだ?」

 と首をひねった。

 とりあえず私たちは、これからの行動について相談した。

 太宰くんはけっこう過激で、ここの監視カメラの映像をみせてもらって、アーケードに近づいたひとを特定しようと言い出した。これには速水先輩も乗り気だった。でも、風切先輩が断固として反対した。

聖生のえるがそんなヘマをしてるとは思えないし、どうせ見せてくれないだろ」

 風切先輩は、このスペースが監視カメラの死角になっていることを指摘した。

 たしかに、監視カメラは柱の陰になっていた。だけど、太宰くんは食いさがった。

「入り口はばっちり撮られてるんです」

「犯行現場を押さえてなきゃ、意味がないぜ」

「そうですか? 強力な推定が働くと思いますけど?」

 風切先輩はタメ息をついた。ちょっとイラだっているようすだ。

「なあ、太宰、なんで聖生のえるのことをやたらと調べたがる?」

「大不況のまえに現れる謎の預言者なんですよ。調べない手はないです」

「なるほど……太宰は、聖生のえるに空売りのタイミングを教えてもらいたいわけか」

「まあ、そこは否定しませんよ。でも、僕の知りたいことはべつにあるんです」

「へぇ、なんだ?」

 風切先輩は、太宰くんのでまかせだと思っているような訊き方だった。

 ところが、太宰くんははっきりとこう答えた。

「風切先輩、なんで聖生のえるは株価の暴落を2度も予見できたと思いますか? ……あ、べつにお答えいただかなくてもけっこうです。先輩、こういう問題には疎そうですからね。いいですか、1990年のバブル崩壊、2008年のリーマンショック、このどちらにおいても、一部の事情通には暴落が近いことはわかっていたんですよ。ほんとうです。たとえばリーマンショックの半年前には、ベアー・スターンズ投資銀行が経営難になって金融危機が発生しています。その不良債権が処理できないことは、投資関係者のあいだではだいたい予測がついたわけです。ですから、聖生のえるだけがリーマンショックを予見していたというのは誇張なんです」

「それは正確じゃないだろ。たしかに俺は経営とか金融には興味ないが、聖生のえるの関係ですこしは調べたからな。リーマン・ブラザーズ自体が危ないと予想している投資家は、ほとんどいなかった。格付け会社だってトリプルAの評価をしていた。あれは寝耳に水の倒産だ。でなきゃアメリカ政府は対策をとったはずだ」

「いえ、それはないです。アメリカの伝統的な経済政策は『不介入』です。その証拠に、リーマン・ブラザーズの救済法案は一度否決されています。事前にリーマンショックを予期させる情報が流れていても、アメリカ政府は動かなかったと考えられます」

 風切先輩は眉間にしわを寄せた。

「なにが言いたい?」

「政財界の中枢にいる人物には伝わっていたかもしれない……そう思いませんか?」

 太宰くんの大胆な推理に、場が凍りついた。

「おまえ……聖生のえるが政府高官だと予想してるのか?」

「可能性ですよ、可能性。日本の総理経験者にも将棋好きはいたわけで、そう考えたら案外に閣僚だった……なんてこともありえるかもしれませんね。1990年のバブル崩壊では、大蔵省の通達が決定的な役割をはたしました。聖生のえるは大蔵省の情報を入手できる地位にいたのでは?」

 風切先輩は「バカバカしい」と言わんばかりに右手をあげて横をむいた。

「一国の大臣があんなイタズラするかよ」

「大臣とは限りませんよ。たとえば……」

 そのときだった。風切先輩のスマホが振動する。

 それは何秒も継続した。先輩はポケットからスマホをとりだした。

「電話……?」

 風切先輩は、番号に見覚えがないらしかった。

 緊張が走る。

「……はい、もしもし」

 風切先輩の顔色が変わる。

「今から会いたい……? おい、ちょっと待てッ! おまえほんとに聖生のえるかッ!?」

場所:熱海城のゲームセンター

先手:風切 隼人

後手:聖生?

戦型:相穴熊


▲5六歩 △3四歩 ▲7八飛 △4二玉 ▲6八銀 △3二玉

▲4八玉 △6二銀 ▲3八玉 △8四歩 ▲7六歩 △8五歩

▲2二角成 △同 銀 ▲8八飛 △6四歩 ▲2八玉 △6三銀

▲3八銀 △5二金右 ▲1六歩 △1四歩 ▲5七銀 △3三銀

▲6八金 △2二玉 ▲7七桂 △3二金 ▲8九飛 △7四歩

▲2六歩 △4二金右 ▲2七銀 △1二香 ▲3八金 △1一玉

▲3六歩 △2二銀 ▲4六銀 △7二飛 ▲4八角 △8二飛

▲3七角 △5四歩 ▲1八香 △4四歩 ▲1九玉 △2四歩

▲4八角 △7三桂 ▲3七銀 △2三銀 ▲2八銀 △2二金

▲3七角 △3二金右 ▲6六歩 △8一飛 ▲6五桂 △同 桂

▲同 歩 △6一飛 ▲6九飛 △4三桂 ▲5八金 △5五歩

▲同 歩 △7八角 ▲5九飛 △4五角成 ▲4六歩 △5五馬

▲4七金左 △5四銀 ▲4五歩 △5三歩 ▲5五角 △同 桂

▲3七金寄 △7七角 ▲4九飛 △4五歩 ▲5二角 △6二飛

▲4一角成 △6七桂成 ▲5一馬 △9二飛 ▲2五歩 △3三角成

▲同 馬 △同 桂 ▲2四歩 △同 銀 ▲6一角 △5八成桂

▲4七飛 △6六角 ▲3四角成 △2三歩 ▲2六歩 △4三銀

▲3五歩 △9九角成 ▲3六桂 △5五馬 ▲5六歩 △同 馬

▲4三馬 △同 金 ▲3四銀 △4一香 ▲2四桂 △同 歩

▲3一銀 △3二金 ▲4三銀成 △同 香 ▲4四歩 △同 香

▲3四歩 △2三銀 ▲4二金 △同 飛 ▲同銀成 △同 金

▲3三歩成 △同 金 ▲3六飛


まで129手で風切の勝ち

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