194手目 聖生の正体?
聖生は穴熊で対抗してきた。
これは風切先輩の2七銀をみてからの方針転換だと思う。
風切先輩は手をとめた。でも、1手10秒の早指しだから時間はない。
「……すなおに組むか」
風切先輩は3八金と上がった。
1一玉、3六歩、2二銀、4六銀、7二飛。
後手は固めてポン作戦のようだ。
風切先輩は4八角と打って牽制する。
松平はこの手をみて、
「先手が角を手放したのは痛いな」
とつぶやいた。
風切先輩と対等で戦える聖生――ソフト指しの可能性、ある?
わからない。そもそも将棋を指したがった理由も不明だ。勝ったらどうなるのか、負けたらどうなるのか、まったく教えてもらっていない。ただの将棋好き、って可能性はほとんどないはずだ。なにか思惑があるに決まっている。
不審がる私たちをよそに、対局は進む。
8二飛、3七角、5四歩。
「しゃーねぇ、こっちももぐるか」
パシリ
風切先輩も穴熊を目指す。
4四歩、1九玉、2四歩、4八角、7三桂、3七銀、2三銀、2八銀。
先輩は巧みな組み替えで、右銀ではなく左銀を2八へ移し替えた。
聖生もビッグフォーへと移行する。
2二金、3七角、3二金右、6六歩、8一飛。
「よし、開戦だッ!」
パシーン
風切先輩から攻撃開始……って、ええッ!?
一瞬ギャラリーがざわついた。でも、成立してる。
同歩なら7三角成だ。
土御門先輩は扇子をパチパチ鳴らしながら、
「8一飛と事前に反応したところをみると、やはり級位者ではないようじゃな」
と言った。
たしかに、この狙い筋はうっかりしやすい。
聖生はノータイムで6五同桂、同歩に6一飛とまわった。
反動狙いだ。6四歩の取り込みには同銀から一気に反発するつもりだろう。
ただ、これはそんなに怖がらなくていい。後手から6五歩とはできない(3七に角がいるから7三角成と成り込める)。先手が角を手放したデメリットは、この状況だとほぼ相殺されている。
「こっちも6九飛だ」
風切先輩は振り飛車の格言どおりに指す。
ここで初めて聖生の手がとまった。
9、8、7、6、5、4、3、2、1
パシリ
ん、これは……次に5五歩か。角筋を止める気だ。
今の指し手のタイミングをみた松平は、
「さっきまでノータイムだったのに、難しいところでギリギリ着手か……ソフト指しの可能性は低いな」
と言った。
私はこれに反応して、
「じゃあ、実力で風切先輩といい勝負ってこと?」
とたずね返した。
「いい勝負かどうかは、まだ中盤だからわからんが、まちがいなく高段者だな」
ってことは……関東将棋連合のだれかなら、そうとう数が限られてこない?
個人戦のベスト8とか、そんな感じで。
しかも、土御門先輩、速水先輩、太宰くんはここにいるのだ。
この3人を除くと、いよいよあと数人しか心当たりがなかった。
私がとまどっているあいだにも、対局はどんどん進んだ。
5八金、5五歩、同歩、7八角、5九飛、4五角成。
あ、う……先に馬を作られた。
風切先輩は4六歩、5五馬と追って、4七金左と上がった……そんなに困ってない? 次に4五歩と突けば、角と馬の交換を迫ることができる。後手の6一飛よりも先手の5九飛のほうが明らかに働いている。
後手は5一飛と回ってくるかな、と思った。けど、聖生は5四銀を選択した。
4五歩、5三歩、5五角、同桂、3七金寄、7七角、4九飛。
よし、馬を消せた。
聖生もだんだんと考慮時間が長くなってくる。
ただ、風切先輩はいい勝負だと思っているようで、かなり真剣に読んでいた。
まるで大会のような緊迫感がただよう。
土御門先輩と速水先輩も、マジメな面持ちで画面をみつめていた。
4五歩、5二角、6二飛、4一角成、6七桂成、5一馬、9二飛、2五歩。
ここで聖生は3三角成とした。次に2四歩で潰れるからだ。
風切先輩は馬交換に応じて、同馬、同桂としてから、
「聖生、崩れてきたんじゃないか?」
と、ひとりごとを言って2四歩と取り込んだ。
この手をみた土御門先輩は、
「後手がやや悪いように見えるのぉ」
とつぶやいた。
同意。先手が押している。
2四同銀、6一角、5八桂成、4七飛、6六角。
聖生もその自覚があるらしく、攻防に利かせてきた。
3四角成、2三歩、2六歩、4三銀、3五歩、9九角成。
「よし、3六桂ッ!」
風切先輩は玉頭の殴りあいに持ち込んだ。
聖生もそれはわかっているから、5五馬と引きあげてくる。
5六歩、同馬、4三馬。
風切先輩は馬銀交換を敢行。
見ているこちらがヒヤヒヤしてくる。
同金、3四銀、4一香、2四桂、同歩、3一銀、3二金、4三銀成。
穴熊の暴力。
ただ、ちょっと細いような……私は心配になってきた。
こっそり速水先輩の見解を聞いてみる。速水先輩はさっきからノーコメで、この局面をどうみているのかわからなかった。
「先輩、つながると思いますか?」
「うーん、先手優勢だけど、攻め自体は細いわよね」
「もうちょっと安全に行ったほうが……」
「それはちがうんじゃない? あいてが聖生でも、将棋は将棋でしょ。安全に勝とうとするのは危険だって、元奨の隼人なら知ってることよ。決めるときは決めなきゃ」
一理ある。
私はおとなしく見守ることにした。
4三同香、4四歩、同香、3四歩。
風切先輩は3一の銀を囮に、と金の製造をめざす。
聖生は2三銀と受けた。
「よしッ! とらえたッ!」
パシーン
……うまいッ!
一見、同金で駒損だけど、同銀成、同飛、3三歩成が飛車銀両取りになっている。
聖生の手がとまった。
9、8、7、6、5、4、3、2、1
聖生の選択は4二同飛。
風切先輩は同銀成、同金、3三歩成、同金と清算して、ボタンに指をそえる。
「5六歩が予想以上に効いたな」
パシーン!
……決まった。馬金両取り。
3三飛成は許容できないから、馬を捨てるしかない。後手敗勢。
9、8、7、6、5、4、3、2、1
画面が爆発して【おみごと】の文字が浮かんだ。
風切先輩は大きく息をついて、ひたいの汗をぬぐった。
「ふぅ……聖生撃破だ」
私たちもうしろで歓声をあげる……けど、すぐに静まり返った。
土御門先輩は扇子で顔をあおぎつつ、
「して、どうなるのじゃ?」
と冷静にたずねた。だれにもわからない。
風切先輩は、
「このゲーム、チャット機能はないのか?」
とたずねた。松平は「ないです」と答えた。
煽ったり煽られたりするから、そういう機能はついてないわよね。
先輩は席を立ち、うしろ髪をなおしながら、
「聖生のやつ、なにがしたかったんだ?」
と首をひねった。
とりあえず私たちは、これからの行動について相談した。
太宰くんはけっこう過激で、ここの監視カメラの映像をみせてもらって、アーケードに近づいたひとを特定しようと言い出した。これには速水先輩も乗り気だった。でも、風切先輩が断固として反対した。
「聖生がそんなヘマをしてるとは思えないし、どうせ見せてくれないだろ」
風切先輩は、このスペースが監視カメラの死角になっていることを指摘した。
たしかに、監視カメラは柱の陰になっていた。だけど、太宰くんは食いさがった。
「入り口はばっちり撮られてるんです」
「犯行現場を押さえてなきゃ、意味がないぜ」
「そうですか? 強力な推定が働くと思いますけど?」
風切先輩はタメ息をついた。ちょっとイラだっているようすだ。
「なあ、太宰、なんで聖生のことをやたらと調べたがる?」
「大不況のまえに現れる謎の預言者なんですよ。調べない手はないです」
「なるほど……太宰は、聖生に空売りのタイミングを教えてもらいたいわけか」
「まあ、そこは否定しませんよ。でも、僕の知りたいことはべつにあるんです」
「へぇ、なんだ?」
風切先輩は、太宰くんのでまかせだと思っているような訊き方だった。
ところが、太宰くんははっきりとこう答えた。
「風切先輩、なんで聖生は株価の暴落を2度も予見できたと思いますか? ……あ、べつにお答えいただかなくてもけっこうです。先輩、こういう問題には疎そうですからね。いいですか、1990年のバブル崩壊、2008年のリーマンショック、このどちらにおいても、一部の事情通には暴落が近いことはわかっていたんですよ。ほんとうです。たとえばリーマンショックの半年前には、ベアー・スターンズ投資銀行が経営難になって金融危機が発生しています。その不良債権が処理できないことは、投資関係者のあいだではだいたい予測がついたわけです。ですから、聖生だけがリーマンショックを予見していたというのは誇張なんです」
「それは正確じゃないだろ。たしかに俺は経営とか金融には興味ないが、聖生の関係ですこしは調べたからな。リーマン・ブラザーズ自体が危ないと予想している投資家は、ほとんどいなかった。格付け会社だってトリプルAの評価をしていた。あれは寝耳に水の倒産だ。でなきゃアメリカ政府は対策をとったはずだ」
「いえ、それはないです。アメリカの伝統的な経済政策は『不介入』です。その証拠に、リーマン・ブラザーズの救済法案は一度否決されています。事前にリーマンショックを予期させる情報が流れていても、アメリカ政府は動かなかったと考えられます」
風切先輩は眉間にしわを寄せた。
「なにが言いたい?」
「政財界の中枢にいる人物には伝わっていたかもしれない……そう思いませんか?」
太宰くんの大胆な推理に、場が凍りついた。
「おまえ……聖生が政府高官だと予想してるのか?」
「可能性ですよ、可能性。日本の総理経験者にも将棋好きはいたわけで、そう考えたら案外に閣僚だった……なんてこともありえるかもしれませんね。1990年のバブル崩壊では、大蔵省の通達が決定的な役割をはたしました。聖生は大蔵省の情報を入手できる地位にいたのでは?」
風切先輩は「バカバカしい」と言わんばかりに右手をあげて横をむいた。
「一国の大臣があんなイタズラするかよ」
「大臣とは限りませんよ。たとえば……」
そのときだった。風切先輩のスマホが振動する。
それは何秒も継続した。先輩はポケットからスマホをとりだした。
「電話……?」
風切先輩は、番号に見覚えがないらしかった。
緊張が走る。
「……はい、もしもし」
風切先輩の顔色が変わる。
「今から会いたい……? おい、ちょっと待てッ! おまえほんとに聖生かッ!?」
場所:熱海城のゲームセンター
先手:風切 隼人
後手:聖生?
戦型:相穴熊
▲5六歩 △3四歩 ▲7八飛 △4二玉 ▲6八銀 △3二玉
▲4八玉 △6二銀 ▲3八玉 △8四歩 ▲7六歩 △8五歩
▲2二角成 △同 銀 ▲8八飛 △6四歩 ▲2八玉 △6三銀
▲3八銀 △5二金右 ▲1六歩 △1四歩 ▲5七銀 △3三銀
▲6八金 △2二玉 ▲7七桂 △3二金 ▲8九飛 △7四歩
▲2六歩 △4二金右 ▲2七銀 △1二香 ▲3八金 △1一玉
▲3六歩 △2二銀 ▲4六銀 △7二飛 ▲4八角 △8二飛
▲3七角 △5四歩 ▲1八香 △4四歩 ▲1九玉 △2四歩
▲4八角 △7三桂 ▲3七銀 △2三銀 ▲2八銀 △2二金
▲3七角 △3二金右 ▲6六歩 △8一飛 ▲6五桂 △同 桂
▲同 歩 △6一飛 ▲6九飛 △4三桂 ▲5八金 △5五歩
▲同 歩 △7八角 ▲5九飛 △4五角成 ▲4六歩 △5五馬
▲4七金左 △5四銀 ▲4五歩 △5三歩 ▲5五角 △同 桂
▲3七金寄 △7七角 ▲4九飛 △4五歩 ▲5二角 △6二飛
▲4一角成 △6七桂成 ▲5一馬 △9二飛 ▲2五歩 △3三角成
▲同 馬 △同 桂 ▲2四歩 △同 銀 ▲6一角 △5八成桂
▲4七飛 △6六角 ▲3四角成 △2三歩 ▲2六歩 △4三銀
▲3五歩 △9九角成 ▲3六桂 △5五馬 ▲5六歩 △同 馬
▲4三馬 △同 金 ▲3四銀 △4一香 ▲2四桂 △同 歩
▲3一銀 △3二金 ▲4三銀成 △同 香 ▲4四歩 △同 香
▲3四歩 △2三銀 ▲4二金 △同 飛 ▲同銀成 △同 金
▲3三歩成 △同 金 ▲3六飛
まで129手で風切の勝ち