192手目 敵は身内に
私たちが起雲閣に到着したとき、制限時間ぎりぎりなっていた。
予想よりもビーチからの距離があったのだ。
しかも途中がずっと坂道で、そうとうキツい。何人か脱落していた。
私もさすがに息があがっている。すぐうしろにつけていた大谷さんに、
「ハァ……ハァ……な、何人のこってる?」
とたずねた。
「せ、拙僧がみるかぎり、よ、4人かと……」
うっそッ!? 私はあわてて確認した。
到着しているのは、私と大谷さんと松平と……あ、太宰くんが来た。
え? ほかは脱落?
出発する時点で風切先輩はすごくキツそうだったし、氷室くんはもともと体が弱いのかもしれない。速水先輩は女性だからしょうがないとして、土御門先輩……あの衣装かぁ。めちゃくちゃ走りにくそうだった。
「裏見さん、ひとまず次のクイズをさがすのが先決です」
そうだ。べつに全員そろっている必要はない。あとで合流という手もある。
私たちは大慌てで現場をさがした。起雲閣という名前だから、お寺かなにかと勘違いしていた。じっさいには、とても広い邸宅だった。観光地らしく、門はすでに閉ざされていた。周囲には塀がめぐらされていて、そこから大きな木々が何本もみえた。
松平はきょろきょろしながら、
「これ、中にクイズがあったらどうしようもなくないか?」
と口走った。
た、たしかに。私たち、さすがに住居侵入するつもりはないわよ。
もしかして聖生の目的は、私たちに犯罪をおかさせること?
だとしたら乗らないほうが――
「ありましたッ!」
大声を出したのは、太宰くんだった。
太宰くんは、近くのバス停の時刻表をゆびさした。
「この光ってるやつだと思います」
私たちは急いでかけよった。
コンサートで使うペンライトが、ボイスレコーダといっしょにくくりつけられていた。
そして、それを確認した瞬間、ザーッと雑音がした。
《はーい、みんな、ここが文豪たちの憩いの場、起雲閣だよ》
セーフ、今回はかなりあぶなかった。
次に遠距離移動することになったら、ちょっとムリかもしれない。
とりあえず、私たちは耳を澄ませた。
《それでは次のクイズ……と行きたいところだけど、今回はクイズじゃないんだ》
クイズじゃない? 新手のチャレンジ?
私が身構えていると、太宰くんが、
「あれ……もしかして録音じゃない?」
とつぶやいた。すると、ボイスレコーダだと思っていた機械がしゃべった。
《あ、やっと気づいた? これはね、生放送だよ》
……………………
……………………
…………………
………………えええええッ!?
私はあやうく大声を出しかけた。
松平は「シーッ」とくちびるにひとさしゆびをあてて、全員をだまらせた。
いけない。これ、私たちの声が録音されてるかも。怖いから沈黙する。
《どうしたのかな? 僕のことが怖くて黙っちゃった?》
「……」
「……」
「……」
「……」
だれも答えない。
聖生は笑った。
《アハハ、ちょっとくらい反応して欲しかったかな。でないと次のゲームは成立しないんだ……僕と将棋を指してもらおうか》
唐突な提案。
私たちはすこしばかりパニック状態だった。
ひとつは、聖生と直接対話しているという緊張感。
もうひとつは、この事態にどう対処していいのか、そもそもわからなかった。
先輩が全員脱落してしまったのが痛い。
1年生だけで判断するとか危険すぎる。
《もしもーし? ……みんなここでギブアップする?》
「……」
「……」
「……」
「……」
《んー……もしかして、1年生しかいないのかな?》
気づかれた。勘がいい。
とはいえ、いまだにどう反応していいのか、まったくわからなかった。
《じゃあ、そこに2年生がいないなら、バス停の柱を2回叩いてくれる?》
太宰くんが動いた。
松平は視線で「いいのか?」みたいなメッセージを送っていた。
でも、太宰くんはこれを無視して2回叩いた。
カン カン
《ふーん、そっか……じゃあ、今日はここまでにしようか》
あまりにもあっけない幕切れで、私たちは混乱しかけた。
もしかして飽きた?
ところが、つづく聖生の言葉は、さらに斜めうえを行っていた。
《明日の午前10時、熱海城のゲームセンターで対局しよう》
はい? 私はまた喫驚をあげかけた。
あやうく話しかけかける前に、通信機のほうがオフになった。
なにも聞こえなくなる。
松平は通信機の電源をオフにして、盗聴を防止した。そして、こう言った。
「今の、なんだったんだ?」
わからない。
なにか果し状のような雰囲気だったけど、意味がわからない。
4人とも押し黙っていると、うしろから声が聞こえた。
「おーい、ど、どうなっとるッ!?」
土御門先輩が息を切らして坂をのぼってきた。
さらにその数十メートルうしろに、速水先輩がみえた。
先輩たちと合流した私たちは、さっそく事情を説明した。
速水先輩はけげんそうな顔をして、
「果し状? 聖生から?」
と、まったく信じていないようすだった。
それはそうだ。私だって、遅れて到着してそんな説明を受けたら、ほんとうかどうか判断に迷うと思う。とはいえ、1年生4人の証言が一致していたから、速水先輩も最後は信じてくれた。
土御門先輩はバス停のベンチに腰をおろす。
「フゥ……しかし、将棋を指してどうする気じゃ?」
それはだれにもわからない。
それに、私からも確認したいことがひとつあった。
「風切先輩と氷室くんは、どこに?」
土御門先輩は扇子であおぎながら、
「とちゅうでどんどん差がついて、みんなはぐれてしもうた」
と答えた。速水先輩に訊いてみても、
「公人の言うとおりだわ。途中でみえなくなったし、私も公人に追いついたのが、坂の最後のほうだったから。それまではずっとひとりで走ってたの」
という回答だった。
私はかるくうなずく。
「そうですか……わかりました」
その後、私たちは風切先輩たちにスマホで連絡を入れた。すると、坂の真ん中で休憩しているという返信があった。氷室くんはだいぶキツそうだったから、途中のコンビニに預けて来たこともわかった。とりあえず、宿泊施設へもどることになった。風切先輩は、別のバス停のベンチでバテていた。さらに坂をくだると、コンビニの飲食コーナーで寝ている氷室くんも発見した。
大学の研修センターでは、三宅先輩たちが心配そうな面持ちで出迎えてくれた。私たちは管理人さんに話を聞かれないよう、レクリエーションルームへ移動した。部屋は私たちが出かけたときとおなじで、三宅先輩たちは将棋をしながら待っていたようだ。
風切先輩は三宅先輩に、留守のあいだ変わったことはなかったかとたずねた。
「あの音声の出所を、重信が突き止めてくれた」
それは大きい。私たちは穂積お兄さんにトリックをたずねた。
「ここのWiFiに偽装したフリーWiFiが見つかったよ」
穂積お兄さんの説明によると、この研修センターのフリーWiFiとよく似た名前のフリーWiFiが飛んでいて、そちらはだれかがこっそり飛ばしているとのことだった。繋ぐとスマホを乗っ取られて音声を流された、ということらしい。しかもその被害者は――
「ふえーん、お兄ちゃん、このスマホ怖くて使えないよ。新しいiPhone買って」
穂積さんはお兄さんに泣きついた。
ウソ泣きくさいなぁ。まあ、被害者だからつっこまないでおく。
三宅先輩は、風切先輩と打ち合わせに入った。
「どうする、風切? 聖生の挑戦を受けるのか?」
風切先輩は決めかねているようだった。
「どうすればいいのか、イマイチ……ただ、受けるなら俺だ」
この返答に、三宅先輩は眉をひそめた。
「風切が指名されたのか?」
「いや、そういうわけじゃないんだが……確実に勝てるメンツのほうがいいだろ」
風切先輩の弁明は、どこかよそよそしかった。
その理由を、私はうすうす察していた。けど、黙っておく。
けっきょく、その場では決まらず、明朝話し合うことになった。私と大谷さんは自室にもどり、シャワーを浴びて潮風のあとを流す。それから寝間着に着替えて、すぐに布団へ入った。
……………………
……………………
…………………
………………
「裏見さん、眠れませんか?」
暗闇のなかで、大谷さんの声が聞こえた。
私は「うん」と返事をした。
「すこし電気をつけてもよろしいですか?」
私は代わりにつけてあげた。
ルームライトがうっすらと室内を照らす。
大谷さんと私は布団から出て、ベッドのうえに座った。
大谷さんの寝間着は、室内にあった浴衣だ。私は家から持ってきた黄色いパジャマ。
「裏見さん、相談いたしたいことがあります」
私もだ。大谷さんは、私にも相談があることを察しているようだった。
「拙僧から申し上げたいところですけれども、裏見さんのほうが拙僧よりも、場の状況がよくみえているように感じられました。拙僧にまだお話でないことがありますね?」
見破られていたか。
私は謝ったうえで、「プライバシーに関わるから話せない」と正直に答えた。
大谷さんは表情を変えずに受け入れてくれた。
「では次に、拙僧の勘をお話しさせていただきます……聖生は学生将棋界のだれか、という可能性があります」
私もうなずいた。
そう……その可能性は高い。
「私も、ちょっとそんな気がしてる……大谷さんは、いつ頃そう感じた?」
「今日初めてそう感じました。特に、最後の起雲閣で」
「私も、聖生が学生将棋界のだれかなんじゃないかって思ったのは、今日なの。これは嘘じゃないわ。私が知ってる……その、さっき言ったプライバシーに関わる情報だと、むしろ学生じゃないっぽかったし……でも、今日の風切先輩の反応があやしかったの」
「反応とは?」
「金色夜叉の銅像のところで、風切先輩は土御門先輩にバッタリ会ったでしょ。あのときに『おまえが聖生だったのか』って叫んだじゃない。あの驚き方、すこし変だと思う。いくら聖生が指定した場所で出会ったからって、土御門先輩を聖生だと即断する?」
「前々からあやしんでいなければ、そのような発言はしない、と?」
私はこくりとうなずいた。
「裏見さんは、土御門先輩が聖生だと思いますか?」
思っていないと、はっきり答えた。
まず、性格が違いすぎる。次に、動機に見当がつかなかった。
「大谷さんも、さすがに土御門先輩が聖生だとは思ってないんでしょ?」
「……なんとも申し上げられません」
そっか……大谷さんは、可能性があるとみてるのか。
大谷さんは続けた。
「ただ、ひとつだけ申し上げたいことがあります。風切先輩の憶測はともかく、今日のできごとで聖生が……この熱海にいる将棋指しのだれかである気がしています」
「どうして? そこまで限定できる要素あった?」
「思い出してください。起雲閣前のバス停で、聖生は『そこに2年生がいないなら、バス停の柱を2回叩いてくれる?』と言いました。なぜ2年生に限定しているのですか?」
……ああッ!
「そっか……あの8人が1・2年生混成チームだって知ってるのは……」
「さようです。今、熱海にいるメンバーだけ……さらに合理的に推論すると、あの8人のうち、起雲閣へ到着できなかった4人のうちのだれか、ということになります」
「でも、あの4人は……」
「走っていたと言っていますが、お互いに確認がとれていません」
そうだ、大谷さんの言うとおりだ。
私は頭が痛くなってきた。
「大丈夫ですか?」
「ちょっと混乱しちゃって……」
「あれだけ運動したあとです。起こしてしまい、失礼しました。もう寝るとしましょう」
私たちは横になって電気を消した。
暗がりのなかで、私の思考は続く。
土御門公人
速水萌子
氷室京介
この3人のなかに、聖生がいるの?
それとも――風切先輩の自作自演?