18手目 交渉不成立
「1回戦突破、おつかれさまです」
私たちは、ジュース入りのグラスで乾杯した。ここは、電電理科大学からすこし離れたところにあるファミレス。近くにファーストフードやコンビニもあったけど、三宅先輩の提案で、人目を避けることになった。その理由は――作戦会議だ。
「裏見には、悪かったな。準備がグダグダだった」
三宅先輩は、戦型チェックがうまくいかなかったことを謝った。
「いえ、私のほうこそ、あんまり正確じゃなくて、すみません」
「拙僧もお手伝いできれば良かったのですが、荷物番をしていましたので」
そう、大谷さんみたいな県代表が荷物番って、どうなの。レギュラークラスしかいないというのも、かえってよくないようだ。ベンチの重要性を再認識させられた。
「ほかの大学は、どうやってるんですか?」
私の質問に、三宅先輩は肩をすくめた。分からない、ってことか。
あとで、奥山くんにでも、訊いてみましょう。
「で、裏見、聖ソフィアのほうは、どうだった?」
三宅先輩は、案の定、聖ソフィアに関心を示してきた。
私はルーズリーフを取り出して、メモした内容を簡潔に伝える。
「聖ソフィアは、全体で4人しか来てませんでした。それで……」
私は、もうしわけなさそうにしつつ、
「だれが聖ソフィアの選手か分からなかったので、対局中のひとを両方メモしました」
と告げた。三宅先輩は、機転が利くと言って、むしろ褒めてくれた。
「というわけで、聖ソフィアっぽい男子は、全部で8人います。とりたてて強いと感じた選手はいなくて……最高で、道場初段くらいかな、と」
三宅先輩と風切先輩は、おたがいに目配せした。納得いかない表情。
「どうしました? もしかして、見落とした教室があったとか……」
「いや、そういうわけじゃないんだが……事前の情報と違うんでな」
三宅先輩はそう言って、コーラを飲んだ。
「事前情報? 聖ソフィアについて、なにか噂でもあったんですか?」
「聖ソフィアは、数年前に一度、棋界追放になってるんだ」
意外な知らせに、私はおどろいた。
「追放? ……不祥事ですか?」
「ああ、うちのような学内問題じゃなくて、大会でやらかしてる。替え玉事件だ」
登録した選手と別の選手を出して、相手チームにそれが発覚してしまったらしい。
そのまま幹事会にかけられて、関東大学将棋連合からの追放処分。
その後、聖ソフィアの将棋部がどうなったのかは、だれも知らなかったとのこと。
「活動を停止してた、っていうのが、一番ありそうだ。大学の将棋部なんて、大会に出られなきゃ、あんまり意味はないからな。ところが、今年の3月になって、復帰したいという連絡が、いきなり幹事会に届いた。審議の結果、うちと同じように、Dクラスからやり直しということで決着がついたんだとさ」
「それって、いつのことなんですか?」
「俺たちの復帰が決まる、1週間前だ」
八千代先輩は、そんなことを仄めかしもしなかった。コネがあっても、すべてを教えてくれるわけではないようだ。それはそれで、八千代先輩の信頼度があがる。外部に漏らしてはいけない情報まで漏らしていると、公私混同だから。おそらく、八千代先輩は、幹事としての立場でギリギリ教えられることを、教えてくれたのだろう。あらためて感謝。
「復帰直後なら、弱くても不思議じゃないですよね?」
三宅先輩は、ソファーにもたれて腕組みをした。
「ここからは、あくまでも噂なんだが……聖ソフィアも昇級を狙ってるらしい」
「大会に出る以上は、みんな狙ってるんじゃないですか?」
「そりゃそうだが、おおっぴらに公言するか? 他大の掲示板を見てみたが、『昇級を狙います』と書いてるのは、各クラスの上位校ばかりだ。聖ソフィアみたいな有名校が、勝算もないのに昇級を狙うとは思えない」
有名校だからこそ、じゃないの。奢りがあるとか。頭が回るなら、そもそも替え玉自体しないと思うんだけど。となりに座っていた松平も、疑問を呈した。
「伝言ゲームじゃないですか? 聖ソフィア自身はなにも言ってないのに、周りが『聖ソフィアが復帰したらしい』『復帰するなら、自信があるんだろうな。昇級を狙ってる可能性もある』『聖ソフィアが昇級を狙ってるらしいぞ』みたいな」
すっごく、ありそう。三宅先輩も、かるくうなずいた。
「そうだよな……4人しかいないなら、そもそもチームを組むのもむずかしい……」
そのとき、店員さんが料理を運んできた。作戦会議は中断。
私たちは食事をしながら、1回戦の様子などについて話し合った。
「それにしても、全員初戦突破って、すごくないですか?」
お世辞のつもりじゃなかったけれど、松平たちの表情は硬かった。
「問題は、ブロックを抜けられるかどうかだな。あと2回勝たないといけない」
松平は、ピザを食べる手を休めて、そう答えた。
メモを取っていて分かったのは、1日目がベスト64を決める戦いだってこと。どこのブロックも、最多で3回、最少で2回戦って、2日目進出を決める。午前中に1局、午後に2局という構成になっていた。2回でOKなのは、籤でシードになったひと。
そして、都ノには、ひとりだけ2回戦シードになったひとがいる。それは――
「まさか、風切先輩がシードとはなぁ……うらやましいです」
松平はそう言って、のけぞった。こらこら、やっかまない。
たしかに、一番強いひとがシードになると、大学としては損なのよね。三宅先輩あたりがシードになったほうが、2日目への進出率は上がると思う。
「籤運っていうのは、いつでもあるもんさ。まあ、それはいいとして……おい」
風切先輩は、観葉植物の植え込みに話しかけた。
突然の奇行で、私たちはどぎまぎする。
「おい、そこにだれかいるだろ。出てこい」
ガサリと植物の葉が動いて、背後から眼鏡の女性が出てきた。
「あらら、バレちゃいました?」
「春日さんッ!?」
私の喫驚に、全員の視線が向いた。
「裏見、知り合いか?」
風切先輩の質問に、私は首を振ろうとした。それよりも早く、春日さんは松平のとなりに座って、がさごそと鞄を漁り始めた。首には、例のカメラをかけていた。
「東方大学ジャーナリズム研究会の春日です。よろしく」
春日さんは、風切先輩に名刺を手渡した。
「ジャーナリズム研究会……? なんの用だ?」
「風切隼人くんが棋界に復帰したということで、ぜひ取材を……」
「興味ないね」
風切先輩は、名刺を破り捨てて、食べ終わった食器に放り込んだ。
緊張が走る――ところが、春日さん本人は笑って、
「あたし、関東大学将棋連合の広報担当なのよね。毎月一校ずつ、広報誌で正式に紹介しなきゃいけないの。5月号は、都ノでどうかな? ご協力いただけない?」
と尋ねた。風切先輩は、そっぽを向く。
「三宅、お前に任せた」
「できれば、風切くんから話を聞きたいなあ」
はいはい。ようするに、風切先輩特集ってことでしょ。バレバレ。
三宅先輩も、お誘いを断った。
「うちは復帰したばかりですから、紹介するようなことは、なにもありませんよ」
「またまた、けっこう強いって噂だけど」
ん? 情報が漏れてる? ……もしかして、日セン?
「そんなのは噂話です。連合の広報誌は、ゴシップ新聞なんですか?」
三宅先輩の皮肉にもかかわらず、春日さんは平気そうな顔で続けた。
「なるほど、あくまでも極秘ってわけか……じゃあ、取引しましょ」
三宅先輩は、眉をひそめた。
「取引?」
「聖ソフィアの情報をそっちに流すから、都ノも情報をちょうだい」
えぇ……このひと、しれっとシークレットの売買してる。どういうことなの。
いくら記者だからって、バイタリティがあり過ぎでしょ。
とはいえ、私たちの欲しい情報どんぴしゃで、三宅先輩の反応が鈍った。
「それは……どういう情報ですか?」
「聖ソフィアのメンバー構成とか、いろいろ」
これ以上は前売りになるから言えないと、春日さんは付け加えた。
三宅先輩は、悩んだ。部長としての立場があるのだろう。
一方、風切先輩は、腕組みをして目を閉じていた。そして、ひとこと――
「帰れ」
ばっさりと切り捨てた。
「んー、さっきの会話だと、聖ソフィアが気になってるんじゃないの?」
「俺はマスコミが嫌いだ。帰れ」
春日さんは両手をあげて、降参のポーズ。
「了解……もし取材を受けたくなったら、名刺のアドレスにメールしてね」
「二度と顔を出すな」
春日さんは自分の伝票を持って、レジへと向かった。
気まずい空気――春日さんの図々しさも大概だけど、風切先輩の拒絶反応も、ちょっと度を越していたような気がする。なにか、あったのかしら。私は、高校の新聞部の後輩がいい子だったから、マスコミにそこまで悪い印象はない。H島の高校竜王戦で優勝したときも、新聞社のひとはよくしてくれたし……でも、こういうのって印象論だから、先輩には、なにかイヤな思い出があるのかもしれない。
ただ……あの春日さんの台詞、すごく気になる。
聖ソフィアには、なにかまだヒミツがあるってこと?




