189手目 重なった宿泊日
ふぅ……いいお湯。
私は石造りの湯船につかりながら、1日の疲れをいやす。
ここは都ノ大学研修センターの大浴場――ではなく、熱海の某所にある有名な温泉。さすがにあのセンターじゃ小ぎれいな大浴場はなかった。私たちは5時頃にいったん切り上げて、お風呂と食事をどうするか悩んだあと、外出してひと息つく流れになった。
まずはお風呂というわけなんだけど、ララさんが泳いでるわね。
「ん〜、広くていいネ〜」
泳ぐ場所ではないような……とはいえ、時間的にひとも少なくて、余裕はあった。
大谷さんは奥のほうで瞑想している。話しかけにくい。
私のとなりでは、頭にタオルを乗せた穂積さんが、
「なんか勝てないなぁ」
とため息まじりにつぶやいた。
穂積さん、3回指して3連敗。
「あいてが悪かったんじゃない?」
「あのさ、それって自分が強い宣言?」
「そ、そういうわけじゃないけど……大谷さんと風切先輩だから、しょうがなくない?」
穂積さんは湯船に肩まで沈み、む〜ッと声を出した。
「夜の部はお兄ちゃんをぼこぼこにしておこう」
八つ当たりはNG。
とりま、極楽極楽。
○
。
.
「はぁ〜、いい湯だったな」
風切先輩は浴衣姿で、大きく背伸びをした。
出口のところで男子と合流。
松平、三宅先輩、星野くん、最後に穂積お兄さんが出てきた。
風切先輩はうちわで顔をあおぎながら、
「よし、このへんで飯にしよう」
と言った。浴衣で入店していいのかしら。
ララさんも気になったらしく、ひらひらしたすそを確認しながら、
「これじゃレストランに入れなくない?」
と言った。
風切先輩はあたりを見回して、
「そもそもこのへんにファミレスとかあるのか?」
と首をかしげた。たしかに、もうちょっと浜辺の方向へ行かないとないような。
だれかこのあたりのお店を知っているかどうか、風切先輩はたずねた。
だれも知らないっぽい。
風切先輩は、しまったな、という表情。
「センターのおっちゃんに聞けばよかったか……」
「僕がご案内しましょうか?」
「うわぁああああああッ!?」
いきなりうしろから話しかけられて、風切先輩は飛び上がった。
むりもない。だって、話しかけた人物は――氷室くんだった。
氷室くんは青白ストライプのTシャツに短パンという格好。
風切先輩は幽霊でもみるような目つきで、
「ひ、氷室、なんでここにいるんだ?」
とたずねた。
「合宿です」
「合宿?」
「A級校の有志で2泊3日の合宿をしてるんです。今日が初日です」
え? 今日から2泊3日の合宿? ……偶然にしては妙ね。
風切先輩もちょっとあやしんで、
「おまえ、うちが今日から合宿だって情報、どこで仕入れた?」
とさぐりをいれた。氷室くんは、
「そうなんですか? 風切先輩こそ、僕たちの合宿に合わせるなら、さきに言ってくださいよ。行きの列車で団体切符買えたんですから」
と、さも今知ったばかりのようなそぶりだった。
うーん、演技なのか演技じゃないのか、すぐには見抜けない。
こういうときは、大谷さんに聞くに限る。
私はこっそりと大谷さんに耳打ちした。
「今の、演技だと思う?」
「……拙僧の印象では、ほんとうだと思います」
ふむ、合宿が重なったのは偶然なのかしら。
なんか納得いかないけど。
一方、氷室くんはガンガン押してくる。
「ところで、先輩たちはこれからお食事ですか?」
「ん、まあ……」
「じつは僕たちもこれから食事にしようと思ってたんです。このさきに、美味しい海鮮のお店があるので、そこでいっしょに食べませんか?」
太平洋の海鮮、いいじゃないですか。私たちはこれに乗った。
氷室くんは私たちを先導して、坂道をすこし降りた。すると、えんじ色の暖簾のかかったお店が目にとまった。中へ入ると、2階の座敷へ通された。ほかの団体客に混じって、見慣れたメンツが奥のほうに陣取っていた。
「ん? なんじゃ? どっから連れて来た?」
お味噌汁に口をつけようとしていた土御門先輩は、目を白黒させた。
むりもない。私たち、東京からワープしてきたようにみえると思う。
氷室くんが事情を説明する。
「そうか、奇遇じゃな。ここへ座らんか」
土御門先輩はポンポンと座布団をたたいた。
私たちはめいめい同席させてもらう。
ちらちらとメンバーを確認。むこうは全部で20人くらいいた……知ってる顔は半分くらい。土御門先輩のほかには、日センの速水先輩と奥山くん、晩稲田の太宰くん、慶長の児玉先輩、治明の八千代先輩と大河内くん、首都工の磐くん。
のこりも癖のありそうな感じだった。さわらぬ神に祟りなし。
私が座った席は6人掛けで、速水先輩と八千代先輩を上座に、役員クラスが顔をそろえていた……って、罰ゲームみたいな席じゃないですかッ!
速水先輩はここぞとばかりに、
「あら、わざわざ役員席を選ぶなんて、意外と権力志向タイプ?」
とジャブを飛ばしてきた。
ちがうちがうちがう。私は地位には興味がありません。
「いえ、あの……先頭にいたので奥へ来たらこの席が空いてて……」
「冗談よ。ところで、ここのアジフライおいしいから、嫌いじゃなければどうぞ」
とりあえずメニューをみる……山盛りの写真。たしかにおいしそう。
私はそれを注文した。お皿が届くまえに、いくつか質問をする。
「A級校の合宿って、毎年やってるんですか?」
「そうね、夏とは限らないけど、年1でやってるみたい」
さっきの疑念が、また頭をもたげた。
夏とは限らないのに、うちの合宿とかぶったの?
毎年夏休みにやってるのなら、かぶることもあるかな、と思うけど……あ、来た。
私のまえに揚げたてのアジフライが置かれた。いただきます。
サクリとした食感。ジューシーで食べ応えがある。
私が地元の名物に舌鼓をうっていると、土御門先輩は、
「ところで、もこっち、そろそろハイと言ってくれんと困るのじゃが」
と言い始めた。なんですか、急に色恋沙汰の話はやめてください。
と思いきや、来年度の会長選の話だった。
「公人がやればいいじゃない」
「わしでは関東の魑魅魍魎どもはまとめきれん」
「あなた、有名な陰陽師の家系なのに、そういうところビビりよね」
あ、そうなんだ。まあ、セクハラが激しいけど、いいとこのぼっちゃんな気はした。
いつも着ている烏帽子服みたいなのも高級そうだったし。
速水先輩と土御門先輩の会話はつづく。
「だいたい、N良の高校将棋連盟支部長だったのに、まとめられないことないでしょ」
「いやいや、高校の支部長などたかが知れとるぞ」
「じゃあ爽太で」
土御門先輩のまなざしが光る。
「……やはり次期会長は朽木爽太か。今日この場にいないのが悪いのぉ」
欠席裁判はダメでしょ。
朽木先輩が来てないのは、たぶんお金の問題だと思うし。
とはいえ、朽木先輩で無難な気がしないでもない。一見、速水先輩が適任にみえて、そうでもない感じがする。ちょっと冷めすぎているような……と、1年生の私が気にすることじゃないわね。食事に集中しましょう。このお漬物もおいしい。
食後はお茶を飲んで歓談。さて解散、というところで、氷室くんが声をかけてきた。
「風切先輩、せっかくですから、僕たちの宿泊先で1局指して行きませんか?」
階段を下りながら、風切先輩は手を振った。
「あー、ダメだダメだ。そんなことしたら『なんで都ノだけ特別扱いなんだ』って苦情がくるだろ。入江なんか、会長なのにA級校じゃないから来てないんだぞ」
「……ですね」
氷室くん、ちょっとさみしそう。
でも、しょうがないわよね。私たちが顔を出していい会ではなさそうだし。
さっきの食事会も、土御門先輩いわく「たまたまということにしておくのじゃ」とか。
私たちはお会計を済ませて、研修センターへもどった。
三宅先輩はレクリエーションルームの鍵を開け、抽選にとりかかる。
「次は、風切と松平、裏見と星野……」
パシリ
星野くんは一手指して、チェスクロを押した。
後ろ髪をおろした星野くん、なんか女性にみえるのよね。
うちわを持ってる手も綺麗だし、元野球部っぽくない。
パシリ
私は角捨て。
星野くんはうちわを止めて、アッとなる。
「そっか……しまった……」
だいたい寄りですね、はい。
同金なら7三金以下の必至。先手は詰まない。
星野くんは29秒まで考えて投了した。
「負けました。最後うっかりだね」
「こっちに打ったほうがよかったんじゃない?」
私たちは感想戦を始めた。
しばらく手を動かしていると、ふいに妙な声が聞こえた。
《はーい、よい子のみんな、楽しいクイズの時間だよ》




