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凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第32章 夏合宿ゲーム(2016年8月27日土曜)
188/486

188手目 はじまった夏合宿

 というわけで、なんとなく恥ずかしいお盆休みだったわけですが――

 私は軽い坂道をのぼりながら、額に汗していた。

 山にむかう傾斜を、キャリーバック片手にたどっていく。左右には、いかにもな観光客の群れと、お土産屋さん。ところどころに【温泉】の2文字。夏真っ盛りの蒼い山は、私たちを迎え入れるように、どこまでも広がっていた。

 しばらくして、やや外壁の古い茶色の建物がみえた。

 先頭を歩いていた三宅みやけ先輩は、大理石でできた看板を確認する。

「よし、ここだ。都ノ大学研修センターって書いてある」

 おなじくキャリーバックを引いていた風切かざぎり先輩は、大きく息をはいた。

 ひざに手をついて、ぜぇぜぇ言っている。

「駅から遠すぎるだろ」

「いや、2キロもないんだが……」

 風切先輩、やっぱりインドア派なんですね。

 私たちさっそくセンターのなかへ入った。エアコンの冷気がおもてなし。

 内装もちょっと古いかなぁ。いかにも前世紀のリゾード施設っぽい。

 レセプションはホテルみたいな感じではなかった。

 作業服を着たおじさんが、受付に座って居眠りをしている。

 三宅先輩はおじさんを起こして、宿泊の手続きをとった。そのまま部屋割りをして、個室へ移動。私は大谷おおたにさんといっしょになった。ちょっと配慮してくれた感じかな。ただ、ララさんと穂積ほづみさんを同室にしたのは、あんまりよくないような。

 客室は洋風で、シングルベット2台にテレビと小さなテーブルがあった。

 大谷さんは部屋の窓を開けながら、

「このまえの帰省では素通りしましたが、熱海もなかなか風光明媚ですね」

 と言った。私もとなりからのぞきこむ。

 温泉街のむこうに、太平洋が広がっていた。

 島がない海って、なんか変な感じ。瀬戸内海出身として。

「それでは、拙僧たちも身支度をして、下へ参りましょう」

 荷物を整理する。すぐに使う小物は洗面所へ。

 大谷さんも、お遍路さんの衣装からジーンズとTシャツに着替えた。

 んー、ソフトボールをやってるだけあって、似合ってるわね。

 階段をおりて研修室へむかう。

 男子は先に集合して準備をしていた。

「なにか手伝えますか?」

 三宅先輩は、盤駒ばんこまを出してくれ、と言った。

 私と大谷さんは、ささっと手際よく配置。

「そういえば、穂積お兄さんはこないんですか?」

 私の質問に、三宅先輩はホワイトボードをかたづけながら、

重信しげのぶなら夕方合流だ。パソ研でもなにかやってるらしい」

 と答えた。穂積お兄さんも、よくよく考えてみたら二足のわらじなのよね。

 最初は助っ人できてくれただけなのに、よく参加してくれていると思う。

 そろそろ準備が終わりかけたところで、ようやく穂積さんとララさんが降りてきた。

「もぉ、八花やつかはこだわりすぎだよ」

「いや、無料WiFiあるんだからつながないと損じゃん」

 なにかあったのかと、三宅先輩はたずねた。

 穂積さんが答える。

「ここ、施設の無料WiFiが飛んでるのに、部屋にパスワードが書いてないんですよ」

「ん? 宿泊客も使えるのか? 俺はやろうとして諦めたんだが」

 穂積さんは、管理人のおじさんに教えてもらった、と告げた。

 有能。これでギガを節約できる。

 一方、風切先輩は、扇風機のまえで涼みながら、

「合宿に来てまで動画とか観なくていいだろ」

 と、半分あきれぎみだった。

 まあ、それもあるわよね。せっかく熱海に来たんだから、スマホはなるべく封印。

 三宅先輩も気をとりなおして、場を仕切る。

「よし、今日は都ノ大学将棋部の合宿に参加してくれて、感謝する。全員そろうとは思わなかった。秋学期にむけていいスタートを切れそうだ。できればほかの大学にも参加して欲しかったんだが、宿泊規定で都ノの学生しか泊まれなかった」

 ま、それはしょうがないわよね。格安だったし。

「というわけで、日頃の活動の延長みたいになったが、2泊3日でがんばっていこう」

 さっそくクジ引き。

 私は穂積さんと当たった。

「ふっふっふ、今日こそぼこぼこにするわよ」

 なんですか、その不穏なセリフは。

 私も気合を入れて着席。振り駒で穂積さんが先手になった。

 三宅先輩が確認を入れる。

「15分30秒だ。準備いいか? ……対局、はじめ」

「よろしくお願いします」

 穂積さんは一礼して、2六歩と突いた。


挿絵(By みてみん)


 むッ……これは相掛かりを誘ってますね。

 わざわざ飛び込んでくるとは。きっちり対応する。

 8四歩、2五歩、8五歩、7八金、3二金、3八銀。

 穂積さん、なにか用意してきたっぽいかなぁ。用心。

 7二銀、6八玉、5二玉、7六歩、8六歩。


挿絵(By みてみん)


 さあさあ、ガンガンいくわよ。

香子きょうこ、ほんと過激よね。同歩」

 穂積さんに言われたくないなぁ。

 同飛、3六歩、7四歩、2四歩、同歩、同飛、2三歩。

「7四飛ッ!」


挿絵(By みてみん)


 ほら、穂積さんも過激にきた。

 私は7三銀とあがる。飛車をどかせたい。

「7五飛」

「6四銀」

「8七歩」

 なるほど、このときに飛車取りで当て返せるわけか。

 でもでも、派手なことやってるわりには実利が少ないとみました。

 私は8二飛と冷静に引いて、2五飛に7三桂と跳ねる。


挿絵(By みてみん)


 悪くない。

 穂積さんも遅れをとるまいと、3七桂。

 3四歩はしばらく保留して、私は7二金と中住まいに移行する。

「ふーん、中住まいにするんだ……」

 穂積さんはここで1分ほど使った。

 たしかに、中住まいは予定じゃなかったのよね。バランス的にしかたがない。

 ちょっと横歩みたいで、私の苦手なかたちになったかも。

「9六歩」

 端攻めだ。私も1分使う。

「8六歩」

 攻めましょう。

 同歩、同飛。

 ここで歩を打ってくるかと思いきや、穂積さんは7七金とあがった。


挿絵(By みてみん)


 ん、また変わったかたちに……8六歩と置いて、7八〜8七のスペース作りかしら。

 とりあえず引くしかない。

 8一飛、8六歩、3四歩、8七金。


挿絵(By みてみん)


 ま、まさか、お盆祭りと似たかたちになるとは。

「穂積さん、まさかH島旅行とかしてないわよね?」

「なんでそんな田舎に行かなきゃいけないのよ」

 どこが田舎やねん。

 私は8八角成と成り込んで、同銀に4二銀とあがる。

 7七桂、3三銀、4六歩、5四角、4八金、4四銀。


挿絵(By みてみん)


 ほらほらほら、どんどん盛り上がるわよ。

 先手は窮屈になってきた。

「やるわね……4五歩」

 位をとりかえしにきた。

 私はこれに便乗して5五銀左と進める。

「え、それって……」

 穂積さんは反射的に4七銀とあがった。

 これは5六歩で銀を殺しにきた手だ。

 でも、それより先に動けば問題なし。

「3三桂」


挿絵(By みてみん)


 2九飛と撤退させて、そこから7五歩とたたみかける。

「同歩だと5五の銀が助かるってオチか。じゃあ、5六歩」

「7六歩」

「5五歩、7七歩成の取り合い、じゃないわよッ! 8五桂ッ!」

 さすがにうまい。

 私は同桂、同歩、6五角と飛び出して、飛車の斜めを狙う。

 5五の銀はまだ逃げる余地がないから、穂積さんもいったん5九飛とよけた。

 私は力強く7五銀と進出。


挿絵(By みてみん)


 どや、と言いたいところだけど、銀を取られるとちょっと苦しいかも。

 穂積さんもぜんぜん悪いような顔はしていなかった。

「香子、やりすぎじゃない?」

 5五歩、8六歩、5四歩、同角、9七金、7七歩成。

 先手は玉飛接近。私は中住まいがあんまり活きていない。

 どちらにもデメリットがある。

 同玉、8五飛、5四飛。


挿絵(By みてみん)


 穂積さんは飛車を切ってきた……って、飛車切り?

 私はやや前傾姿勢になる。

 さすがにやりすぎでは。

 先手のかたち、どうみても飛車打ちに弱いわよ。

 それとも、私がなにか寄り筋を見落としてる?

 私はチェスクロを確認した。まだ3分ある。

 寄り筋があるなら、回避しないといけない。まずはそちらを読む。2分ほど経過したところで、寄りはないと判断した。となると、穂積さんの暴発だ。今度は穂積さんサイドの寄せを読む。

 

 ピッ……ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!

 

 私は5四歩と取った。

 穂積さんはうなずいて、5三歩と打った。

 私は4二玉と逃げる。

「2一角」


挿絵(By みてみん)


 ふむふむ、これで寄り筋があると読んでるわけね。

 おそらく、3一金、5一銀打、5三玉の脱出に6五桂だ。

 けど、金を逃げる必要がない。3二角成でも寄らないから。


 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ! パシリ!


挿絵(By みてみん)


「……あれ?」

 穂積さん、じぶんの読み間違いに気づく。

 この手は2手スキだ。次に6八飛が詰めろ。

「し、しまった、そんなに速い手があるんだ」

 穂積さんは、のこりの1分を使って考え込んだ。

 

 ピッ……ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!

 

「5二歩成ッ!」

 私はノータイムで同玉とする。歩の成り捨ては時間稼ぎっぽい手だった。

 案の定、穂積さんはまた29秒ぎりぎりまで悩んだ。

 

 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ! パシリ


挿絵(By みてみん)


 謝ったわね。

 私は安全策をとる。

 まず3一金として、角を取りにいく。

 穂積さんは5三歩、4二玉、4四歩と追撃してきた。

 2一金で角を回収して、6一角に5九角と反撃。

 6八桂、4八角成、4三歩成、3一玉、3三と。

「8七金」

 これで詰み、と。


挿絵(By みてみん)


 以下、同銀、同歩成、同金、同飛成、8六飛、9八玉、8八金、同銀、同飛成まで。

「ま、負けました……」

 穂積さん投了。

「ありがとうございました」

 初戦、完勝。

 穂積さんは納得がいかないらしく、

「もう一局ッ!」

 と再戦を挑んできた。となりで三宅先輩が、

「次のマッチングまで感想戦を頼む」

 とたしなめる。

 感想戦は、5四飛に代わる手を考えるところから始まった。

 私のほうからアイデアを出す。

「先に4六桂ってすえるんじゃない?」


【参考図】

挿絵(By みてみん)


 穂積さんは腕組みをして反論。

「これも考えたけど、次の7六銀が厳しすぎるのよ」

「たしかに……王様を追ってから角を逃げられると、桂馬が仕事してないわね」

 私たちは、ああでもないこうでもないと議論した。

 すると、いつの間にか終わってた風切先輩がのぞきこんでいて、

「2六角じゃないか?」

 と指摘した。


【参考図】

挿絵(By みてみん)


 んー、なるほど。角が退いたら殺到して終わり。

「さすが風切先輩、パッと見いい手ですね」

「居飛車は俺のテリトリーじゃないから、プロに聞いたら違うかもしれないけどな」

 えぇ……そういう重たいこと言わないで。

 どう返していいか迷っていると、三宅先輩がパンと手をたたいた。

「よし、さくさくいくぞ。次の局は……」


場所:都ノ大学研修センター

先手:穂積 八花

後手:裏見 香子

戦型:相掛かり


▲2六歩 △8四歩 ▲2五歩 △8五歩 ▲7八金 △3二金

▲3八銀 △7二銀 ▲6八玉 △5二玉 ▲7六歩 △8六歩

▲同 歩 △同 飛 ▲3六歩 △7四歩 ▲2四歩 △同 歩

▲同 飛 △2三歩 ▲7四飛 △7三銀 ▲7五飛 △6四銀

▲8七歩 △8二飛 ▲2五飛 △7三桂 ▲3七桂 △7二金

▲9六歩 △8六歩 ▲同 歩 △同 飛 ▲7七金 △8一飛

▲8六歩 △3四歩 ▲8七金 △8八角成 ▲同 銀 △4二銀

▲7七桂 △3三銀 ▲4六歩 △5四角 ▲4八金 △4四銀

▲4五歩 △5五銀左 ▲4七銀 △3三桂 ▲2九飛 △7五歩

▲5六歩 △7六歩 ▲8五桂 △同 桂 ▲同 歩 △6五角

▲5九飛 △7五銀 ▲5五歩 △8六歩 ▲5四歩 △同 角

▲9七金 △7七歩成 ▲同 玉 △8五飛 ▲5四飛 △同 歩

▲5三歩 △4二玉 ▲2一角 △7六桂 ▲5二歩成 △同 玉

▲7九銀打 △3一金 ▲5三歩 △4二玉 ▲4四歩 △2一金

▲6一角 △5九角 ▲6八桂 △4八角成 ▲4三歩成 △3一玉

▲3三と △8七金


まで92手で裏見の勝ち

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