187手目 だれでもいいということ
ドン ドドンドン
太鼓のリズムにあわせて、やぐらのまわりでひとが舞う。
私は7四銀成とした。松平は同歩に2三歩成と成り込む。
将棋仮面は同金。
ここまでで変化の余地はなかった。
私は次の一手に苦吟する。活路を見出せない。
飛車を打つしかないと思うんだけど──
《さあ、ゲストのお姉さん、どうですか。飛車を打ち放題ですよ》
ぐぬぬぬ、挑発されてる。
とはいえ、打つしかない。
「8二飛」
私は打ち場所を慎重にえらんだ。
内木さんはマイクを両手で持ちなおした。飛車をじっとみつめる。
《なるほど、そこですか……桂馬を敢えて逃げる手もありそうですが……》
それはちょっと助かるかも。7三桂はこちらへのプレッシャーにならない。
内木さんもそう判断したらしい。桂馬は逃げなかった。
代わりに角を手にする。
《2六角です》
王手だ。
後手は桂馬を持ってるから、4八金打はあぶない。
松平は6八玉とあがる。
将棋仮面は、ここから機敏に動いた。
「俺も王手するとしよう。3五角」
こっちが持ち駒を使えないのを見越した手だ。
使ったら後手玉を寄せられない。
私は6七玉と逃げた。
《7八銀です》
「また王手か……7六玉」
松平は上へと脱出した。
そうするしかない。けど、なんかいやな予感。
というのも、将棋仮面が妙なポーズを取ったからだ。
「レモンと俺のコンビもさまになってきたな。これが狙いだろう。7三桂」
……………………
……………………
…………………
………………詰めろッ!?
な、7五香までの1手詰めだ。
松平は頭をかいた。
「あぁ……負けくさいな、これ」
こらぁ、あきらめるなぁ。
私は7五歩と打つ。敵の打ちたいところへ打て作戦。
8七銀不成、6七玉と押し戻される。
「金をいただいておこう。9六銀不成」
手番がきた……けど、逆転の一手が思いつかない。
とりあえず喰らいつかないと……こうかしら。
「7四歩」
《脱出含みですね……8七銀不成》
カラい。っていうか詰めろ。
松平は浴衣の両そでにうでをつっこんで、
「まだ指すか?」
と私にたずねた。
「……そうね、逆転はないかも」
松平と私は声を合わせる。
「「えー、負けました」」
《ありがとうございました》
「ハハハ、正義は勝つ……いたッ」
内木さんは将棋仮面の後頭部をこづいて、むりやり一礼させる。
無作法仮面。
《いやぁ、ゲストのかた、強かったですね。指してみた感触はいかがでしたか?》
私にマイクがむけられた。
これ、将棋がわかってるひとから見たら完敗だと思う。
だけど、みんながわかってるわけじゃないし、無難に回答しておきましょ。
「えーと、楽しかったです」
《そちらのお兄さんは?》
「んー、8七金がムリ筋だったかなぁ」
それは同意。お祭りイベントではっちゃけ過ぎたかも。
「ハハハ、元気があってよろしい。というわけで、よい子の諸君、また会おうッ!」
○
。
.
はぁ……なんかつかれちゃった。
私はうちわを片手にタメ息。
そんな私を見かねたのか、松平は、
「裏見、せっかくだから踊っていかないか?」
と誘ってきた。
やぐらのまわりには、幾重もの輪ができている。盆踊りのふりつけに合わせて、人々がくるくると回る。いろとりどりの浴衣が、景色に華やかさをそえていた。
「ちょっと休んでからでもいい?」
「そうだな、さすがに大盤で一局はつかれる」
と、そう言えば、元凶の不破さんはどこへ行ったのかしら。
ここはガツンとお叱りをしておかなきゃ。
私は松平に、不破さんを見かけなかったかと訊いた。
「んー、不破はわかんないが、捨神ならさっき公園の奥へ行ったぞ」
「公園の奥? ……小さな境内があるところ?」
「トイレかもしれないが、それにしてはもどって来るのが遅いな」
不破さんと捨神くんがいっしょの可能性は高い。
とはいえ、追っかけるほどのことでもないような。
ところが、松平はすこし心配になったらしく、
「捨神のやつ、まさか熱中症で倒れてるんじゃないだろうな。ちょっと見てくる」
と言って、境内のほうへ歩き始めた。
私もついていく。
小さな松林に、小さな灯篭。周囲にはもうしわけ程度の植え込み。
街灯がないせいでひどく暗かった。
笛の音が遠くになって、すこしばかり心細くなる。
松平も雰囲気に飲まれたのか、
「お盆祭りは、ご先祖様の幽霊が帰ってくるお祝いなんだよな」
と、妙なことを口走った。
そういうおどしみたいなこと言わない。
いずれにせよ、ここにひとの気配は──
「だ……し……」
ひえッ! 私は松平の腕にしがみついた。
闇の奥に目をこらす。だれもいない。
「でも……だから……」
ん? この声は……捨神くん? 声だけが聞こえる。
そのからくりは、すぐにわかった。境内の裏手にいるのだ。声がとぎれとぎれで、なにを言っているのかまではわからなかった。しかも、もうひとりいるらしい。そちらは完全に建物に隠れていて、だれの声かすら不明瞭だった。
「もし……さ……」
捨神くんの声は、すこし重たいトーンだった。
「だれかに絡まれてるんじゃないだろうな?」
松平は一歩前に出た。いや、どうだろう。
秘密の話かもしれない。
私はちょっと迷った。でも、最終的に松平についていった。
近づくにつれて、声の質がはっきりとしてくる──え? もうひとりは箕辺くん?
境内のかげからのぞきこむ。会話のあいては、ほんとうに箕辺くんだった。
これ、やらかしてしまったのでは。会話の盗み聞き状態になっている。
「けっきょく、捨神がどうしたいか、だろ?」
箕辺くんの質問。捨神くんは、すぐには答えなかった。
「どうしたいのか……じぶんでも分からないんだよ」
「ピアノを続けてるのも将棋を続けてるのも、どっちも捨神の意志じゃないか。中学のときに吹っ切れたんじゃなかったのか?」
「あのとき僕がした質問*、覚えてる?」
こんどは箕辺くんが答えなかった。
忘れてるって雰囲気じゃない。なにか答えずらそうだった。
「……芝生のうえに寝転がってても、将棋に興味を示さなくても、今と同じように捨神と付き合ったって断言できるか……だよな」
「あのとき、箕辺くんは明確には答えなかったよね」
なんの話か、外野の私たちにはみえてこなかった。
けれど、ふたりがとても真剣な問答をしていることだけは伝わってきた。
「なあ、もしかして最悪な返しかもしれないが……俺からも質問していいか?」
「いいよ。僕が先に質問したのは、タイミングの問題でしかないからね」
「俺、あのときおまえにちゃんと答えられなかったこと、ずっと考えてたんだ。悩んでたわけじゃない。悩むっていうのは、悪いことをした自覚があるときだけだからな。あのとき答えられなかったことが、いいことだったのか悪いことだったのかもわからなかった。だから、ずっと考えてた」
「で、結論は出そう?」
「出ない……でも、ずっとくりかえし浮かんでくる考えがある」
「それを聞かせてよ」
沈黙。それは永遠にも思われた。
「もし俺が……芝生のうえにただ寝転がってる同い年に声をかける人間だったら……それをだれであれ平等にする人間だったら……俺はすごくいいやつなんだと思う……でも、仮にそうだとしたら、あそこで出会ったのが捨神である必要もなかったんじゃないか? 別のだれかでもよかった。ちがうか?」
「箕辺くんは、あのとき声をかけたのが僕でよかった?」
「それは一度も疑ったことがない。だから俺はいいひとなんかじゃないよ」
捨神くんは箕辺くんに近寄り……そして、抱擁した。
「お、おい、よせよ」
「ありがとう……僕も箕辺くんに声をかけられたことを後悔したことはないよ」
捨神くんの声は震えていた。泣いているのかもしれない。
数秒ほどして、ふたりは離れた。
箕辺くんはもうしわけなさそうに、
「というわけで、俺にはまだあのときの答えはみえてない」
と付け加えた。
「いいよ、さっきので十分だから……僕はヨーロッパへ行くよ」
私は喫驚をあげかけた。口もとを押さえる。
「そうか……留学先は?」
「ドイツを考えてる。ベルリンにもライプチヒにもいい音楽学校があるし、フランクフルトはポーンさんの故郷だから、いろいろと援助してもらえそうなんだ」
「ポーンも高校卒業後はドイツへ帰るらしいな……みんなバラバラになる」
「そうだね……今夜はみんなで踊ろうよ。葛城くんも待ってるだろうし」
私と松平は、しげみのうしろにこっそりと隠れた。
ふたりは会場へもどっていく。私たちはそのあとを追って、いかにも偶然みたいなかっこうで踊りの輪に加わった。かわいらしいうちわを持った葛城くんを先頭に、捨神くんと箕辺くんが続く。そのとなりの輪で、私と松平は踊っていた──そう、みんなバラバラになる。大学生活ではじめてそのことに気づいた私は、遅かったのだろうか、それとも箕辺くんたちが早すぎるだけなのだろうか。
松平は言った。お盆は、ご先祖様が帰ってくる日。死んだひとは帰って来て、生きているひとが去ろうとしている。こんなに不思議なことはない。そんなことを思いながら、私はふとつぶやいた。
「社会人になったら、もうみんなに会えなくなるのかしら……」
場違いな問いに、私のまえで踊っていた松平も黙ってしまった。
私はあわてて取り消そうとする。
ところが、松平は真顔のまますこし赤くなって、
「俺は裏見と死ぬまで一緒にいたい」
と、ほかのひとに聞こえないようにつぶやいた。
バカ──私は踊っているあいだ、顔のほてりがおさまらなかった。
*75手目 捨神くん、自分と和解する
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場所:駒桜市の盆踊り
先手:裏見・松平ペア
後手:内木・将棋仮面ペア
戦型:相掛かり
▲2六歩 △8四歩 ▲2五歩 △8五歩 ▲7八金 △3二金
▲3八銀 △7二銀 ▲9六歩 △9四歩 ▲3六歩 △8六歩
▲同 歩 △同 飛 ▲3七銀 △8五飛 ▲8七歩 △3四歩
▲2四歩 △同 歩 ▲同 飛 △9五歩 ▲同 歩 △9六歩
▲2八飛 △9五飛 ▲8六歩 △2三歩 ▲4六銀 △9二飛
▲8七金 △8二飛 ▲5六歩 △6四歩 ▲5五歩 △4四歩
▲7六歩 △6三銀 ▲3七桂 △5二金 ▲6八銀 △4三金右
▲9六香 △9五歩 ▲同 香 △同 香 ▲9六歩 △4五歩
▲同 桂 △9六香 ▲同 金 △4四歩 ▲5三桂成 △同 金
▲5四香 △同 銀 ▲同 歩 △同 金 ▲5八飛 △5三歩
▲5五歩 △6五金 ▲6六歩 △7六金 ▲7二歩 △4五歩
▲同 銀 △4三香 ▲5六銀 △7二飛 ▲2四歩 △4二玉
▲7七銀 △8七歩 ▲9七角 △7七金 ▲同 桂 △8八銀
▲3五歩 △9二飛 ▲9三歩 △同 飛 ▲9四歩 △同 飛
▲9五歩 △7四飛 ▲8八角 △同歩成 ▲5一銀 △同 玉
▲6三銀 △6一銀 ▲7四銀成 △同 歩 ▲2三歩成 △同 金
▲8二飛 △2六角 ▲6八玉 △3五角 ▲6七玉 △7八銀
▲7六玉 △7三桂 ▲7五歩 △8七銀不成▲6七玉 △9六銀不成
▲7四歩 △8七銀不成
まで110手で内木・将棋仮面ペアの勝ち