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凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第31章 裏見香子、駒桜に舞い戻る(2016年8月9日火曜)
187/487

187手目 だれでもいいということ

挿絵(By みてみん)


 ドン ドドンドン

 

 太鼓たいこのリズムにあわせて、やぐらのまわりでひとが舞う。

 私は7四銀成とした。松平まつだいらは同歩に2三歩成と成り込む。

 将棋仮面は同金。

 ここまでで変化の余地はなかった。

 私は次の一手に苦吟くぎんする。活路を見出せない。

 飛車を打つしかないと思うんだけど──

《さあ、ゲストのお姉さん、どうですか。飛車を打ち放題ですよ》

 ぐぬぬぬ、挑発されてる。

 とはいえ、打つしかない。

「8二飛」

 私は打ち場所を慎重にえらんだ。

 内木うちきさんはマイクを両手で持ちなおした。飛車をじっとみつめる。

《なるほど、そこですか……桂馬を敢えて逃げる手もありそうですが……》

 それはちょっと助かるかも。7三桂はこちらへのプレッシャーにならない。

 内木さんもそう判断したらしい。桂馬は逃げなかった。

 代わりに角を手にする。

《2六角です》


挿絵(By みてみん)


 王手だ。

 後手は桂馬を持ってるから、4八金打はあぶない。

 松平は6八玉とあがる。

 将棋仮面は、ここから機敏に動いた。

「俺も王手するとしよう。3五角」

 こっちが持ち駒を使えないのを見越した手だ。

 使ったら後手玉を寄せられない。

 私は6七玉と逃げた。

《7八銀です》

「また王手か……7六玉」

 松平は上へと脱出した。

 そうするしかない。けど、なんかいやな予感。

 というのも、将棋仮面が妙なポーズを取ったからだ。

「レモンと俺のコンビもさまになってきたな。これが狙いだろう。7三桂」


挿絵(By みてみん)


 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………詰めろッ!?

 な、7五香までの1手詰めだ。

 松平は頭をかいた。

「あぁ……負けくさいな、これ」

 こらぁ、あきらめるなぁ。

 私は7五歩と打つ。敵の打ちたいところへ打て作戦。

 8七銀不成、6七玉と押し戻される。

「金をいただいておこう。9六銀不成」


挿絵(By みてみん)


 手番がきた……けど、逆転の一手が思いつかない。

 とりあえず喰らいつかないと……こうかしら。

「7四歩」

《脱出含みですね……8七銀不成》


挿絵(By みてみん)


 カラい。っていうか詰めろ。

 松平は浴衣ゆかたの両そでにうでをつっこんで、

「まだ指すか?」

 と私にたずねた。

「……そうね、逆転はないかも」

 松平と私は声を合わせる。

「「えー、負けました」」

《ありがとうございました》

「ハハハ、正義は勝つ……いたッ」

 内木さんは将棋仮面の後頭部をこづいて、むりやり一礼させる。

 無作法仮面。

《いやぁ、ゲストのかた、強かったですね。指してみた感触はいかがでしたか?》

 私にマイクがむけられた。

 これ、将棋がわかってるひとから見たら完敗だと思う。

 だけど、みんながわかってるわけじゃないし、無難に回答しておきましょ。

「えーと、楽しかったです」

《そちらのお兄さんは?》

「んー、8七金がムリ筋だったかなぁ」

 それは同意。お祭りイベントではっちゃけ過ぎたかも。

「ハハハ、元気があってよろしい。というわけで、よい子の諸君、また会おうッ!」


  ○


   。


    .


 はぁ……なんかつかれちゃった。

 私はうちわを片手にタメ息。

 そんな私を見かねたのか、松平は、

裏見うらみ、せっかくだから踊っていかないか?」

 と誘ってきた。

 やぐらのまわりには、幾重いくえもの輪ができている。盆踊りのふりつけに合わせて、人々がくるくると回る。いろとりどりの浴衣が、景色に華やかさをそえていた。

「ちょっと休んでからでもいい?」

「そうだな、さすがに大盤で一局はつかれる」

 と、そう言えば、元凶の不破ふわさんはどこへ行ったのかしら。

 ここはガツンとお叱りをしておかなきゃ。

 私は松平に、不破さんを見かけなかったかと訊いた。

「んー、不破はわかんないが、捨神すてがみならさっき公園の奥へ行ったぞ」

「公園の奥? ……小さな境内けいだいがあるところ?」

「トイレかもしれないが、それにしてはもどって来るのが遅いな」

 不破さんと捨神くんがいっしょの可能性は高い。

 とはいえ、追っかけるほどのことでもないような。

 ところが、松平はすこし心配になったらしく、

「捨神のやつ、まさか熱中症で倒れてるんじゃないだろうな。ちょっと見てくる」

 と言って、境内のほうへ歩き始めた。

 私もついていく。

 小さな松林に、小さな灯篭とうろう。周囲にはもうしわけ程度の植え込み。

 街灯がないせいでひどく暗かった。

 笛の音が遠くになって、すこしばかり心細くなる。

 松平も雰囲気に飲まれたのか、

「お盆祭りは、ご先祖様の幽霊が帰ってくるお祝いなんだよな」

 と、妙なことを口走った。

 そういうおどしみたいなこと言わない。

 いずれにせよ、ここにひとの気配は──

「だ……し……」

 ひえッ! 私は松平の腕にしがみついた。

 闇の奥に目をこらす。だれもいない。

「でも……だから……」

 ん? この声は……捨神くん? 声だけが聞こえる。

 そのからくりは、すぐにわかった。境内の裏手にいるのだ。声がとぎれとぎれで、なにを言っているのかまではわからなかった。しかも、もうひとりいるらしい。そちらは完全に建物に隠れていて、だれの声かすら不明瞭だった。

「もし……さ……」

 捨神くんの声は、すこし重たいトーンだった。

「だれかに絡まれてるんじゃないだろうな?」

 松平は一歩前に出た。いや、どうだろう。

 秘密の話かもしれない。

 私はちょっと迷った。でも、最終的に松平についていった。

 近づくにつれて、声の質がはっきりとしてくる──え? もうひとりは箕辺みのべくん?

 境内のかげからのぞきこむ。会話のあいては、ほんとうに箕辺くんだった。

 これ、やらかしてしまったのでは。会話の盗み聞き状態になっている。

「けっきょく、捨神がどうしたいか、だろ?」

 箕辺くんの質問。捨神くんは、すぐには答えなかった。

「どうしたいのか……じぶんでも分からないんだよ」

「ピアノを続けてるのも将棋を続けてるのも、どっちも捨神の意志じゃないか。中学のときに吹っ切れたんじゃなかったのか?」

「あのとき僕がした質問*、覚えてる?」

 こんどは箕辺くんが答えなかった。

 忘れてるって雰囲気じゃない。なにか答えずらそうだった。

「……芝生のうえに寝転がってても、将棋に興味を示さなくても、今と同じように捨神と付き合ったって断言できるか……だよな」

「あのとき、箕辺くんは明確には答えなかったよね」

 なんの話か、外野の私たちにはみえてこなかった。

 けれど、ふたりがとても真剣な問答をしていることだけは伝わってきた。

「なあ、もしかして最悪な返しかもしれないが……俺からも質問していいか?」

「いいよ。僕が先に質問したのは、タイミングの問題でしかないからね」

「俺、あのときおまえにちゃんと答えられなかったこと、ずっと考えてたんだ。悩んでたわけじゃない。悩むっていうのは、悪いことをした自覚があるときだけだからな。あのとき答えられなかったことが、いいことだったのか悪いことだったのかもわからなかった。だから、ずっと考えてた」

「で、結論は出そう?」

「出ない……でも、ずっとくりかえし浮かんでくる考えがある」

「それを聞かせてよ」

 沈黙。それは永遠にも思われた。

「もし俺が……芝生のうえにただ寝転がってる同い年に声をかける人間だったら……それをだれであれ平等にする人間だったら……俺はすごくいいやつなんだと思う……でも、仮にそうだとしたら、あそこで出会ったのが捨神である必要もなかったんじゃないか? 別のだれかでもよかった。ちがうか?」

「箕辺くんは、あのとき声をかけたのが僕でよかった?」

「それは一度も疑ったことがない。だから俺はいいひとなんかじゃないよ」

 捨神くんは箕辺くんに近寄り……そして、抱擁ほうようした。

「お、おい、よせよ」

「ありがとう……僕も箕辺くんに声をかけられたことを後悔したことはないよ」

 捨神くんの声は震えていた。泣いているのかもしれない。

 数秒ほどして、ふたりは離れた。

 箕辺くんはもうしわけなさそうに、

「というわけで、俺にはまだあのときの答えはみえてない」

 と付け加えた。

「いいよ、さっきので十分だから……僕はヨーロッパへ行くよ」

 私は喫驚をあげかけた。口もとを押さえる。

「そうか……留学先は?」

「ドイツを考えてる。ベルリンにもライプチヒにもいい音楽学校があるし、フランクフルトはポーンさんの故郷だから、いろいろと援助してもらえそうなんだ」

「ポーンも高校卒業後はドイツへ帰るらしいな……みんなバラバラになる」

「そうだね……今夜はみんなで踊ろうよ。葛城かつらぎくんも待ってるだろうし」

 私と松平は、しげみのうしろにこっそりと隠れた。

 ふたりは会場へもどっていく。私たちはそのあとを追って、いかにも偶然みたいなかっこうで踊りの輪に加わった。かわいらしいうちわを持った葛城くんを先頭に、捨神くんと箕辺くんが続く。そのとなりの輪で、私と松平は踊っていた──そう、みんなバラバラになる。大学生活ではじめてそのことに気づいた私は、遅かったのだろうか、それとも箕辺くんたちが早すぎるだけなのだろうか。

 松平は言った。お盆は、ご先祖様が帰ってくる日。死んだひとは帰って来て、生きているひとが去ろうとしている。こんなに不思議なことはない。そんなことを思いながら、私はふとつぶやいた。

「社会人になったら、もうみんなに会えなくなるのかしら……」

 場違いな問いに、私のまえで踊っていた松平も黙ってしまった。

 私はあわてて取り消そうとする。

 ところが、松平は真顔のまますこし赤くなって、

「俺は裏見と死ぬまで一緒にいたい」

 と、ほかのひとに聞こえないようにつぶやいた。

 バカ──私は踊っているあいだ、顔のほてりがおさまらなかった。

*75手目 捨神くん、自分と和解する

https://ncode.syosetu.com/n2363cp/87/



場所:駒桜市の盆踊り

先手:裏見・松平ペア

後手:内木・将棋仮面ペア

戦型:相掛かり


▲2六歩 △8四歩 ▲2五歩 △8五歩 ▲7八金 △3二金

▲3八銀 △7二銀 ▲9六歩 △9四歩 ▲3六歩 △8六歩

▲同 歩 △同 飛 ▲3七銀 △8五飛 ▲8七歩 △3四歩

▲2四歩 △同 歩 ▲同 飛 △9五歩 ▲同 歩 △9六歩

▲2八飛 △9五飛 ▲8六歩 △2三歩 ▲4六銀 △9二飛

▲8七金 △8二飛 ▲5六歩 △6四歩 ▲5五歩 △4四歩

▲7六歩 △6三銀 ▲3七桂 △5二金 ▲6八銀 △4三金右

▲9六香 △9五歩 ▲同 香 △同 香 ▲9六歩 △4五歩

▲同 桂 △9六香 ▲同 金 △4四歩 ▲5三桂成 △同 金

▲5四香 △同 銀 ▲同 歩 △同 金 ▲5八飛 △5三歩

▲5五歩 △6五金 ▲6六歩 △7六金 ▲7二歩 △4五歩

▲同 銀 △4三香 ▲5六銀 △7二飛 ▲2四歩 △4二玉

▲7七銀 △8七歩 ▲9七角 △7七金 ▲同 桂 △8八銀

▲3五歩 △9二飛 ▲9三歩 △同 飛 ▲9四歩 △同 飛

▲9五歩 △7四飛 ▲8八角 △同歩成 ▲5一銀 △同 玉

▲6三銀 △6一銀 ▲7四銀成 △同 歩 ▲2三歩成 △同 金

▲8二飛 △2六角 ▲6八玉 △3五角 ▲6七玉 △7八銀

▲7六玉 △7三桂 ▲7五歩 △8七銀不成▲6七玉 △9六銀不成

▲7四歩 △8七銀不成


まで110手で内木・将棋仮面ペアの勝ち

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