186手目 駒桜音頭
ドーンと太鼓の音がひびく。お盆祭りの前奏だ。
私たちはそれを合図にして、対局を開始した。
松平と将棋仮面がじゃんけんをして、こっちの先手。
《それではよろしくお願いしまーす》
内木さんはマイクを片手にあいさつした。
私たちもそれぞれあいさつをして――って、だれが初手?
「松平、先に指す?」
私はいちおう初手をゆずった。松平は浴衣をなおしながら、
「裏見からでいいぞ」
と言ってくれた。じゃ、お言葉に甘えまして。
「2六歩」
松平はこの手をみて、
「えッ……そっちなのか」
と言った。いやいやいや、任せたんだから文句言わない。
将棋仮面は腕組みをして笑った。
「ハハハ、敵は初手から足並みがそろっていないぞ」
《はい、将棋仮面さん、ゲストに失礼のないようにお願いしますね。8四歩》
2五歩、8五歩、7八金、3二金、3八銀、7二銀、9六歩、9四歩。
さあさあ、大学将棋で増やしたレパートリを試しましょう。
3六歩、8六歩、同歩、同飛、3七銀。
がっつり攻めの姿勢。
将棋仮面が小考。
「ふぅむ……正義もたまには消極的にいくか。8五飛」
ん、消極的? かなりの高飛車のような?
私は8七歩と受けておく。
3四歩、2四歩で、松平が開戦。
これ、持ち時間がないからいまいち指すタイミングがつかめない。
長考しすぎなかったらいい、って感じなのかしら。
同歩、同飛――ここで将棋仮面が華麗なアクションを披露した。
右ハイキックからの正拳突き。危ない危ない。
《将棋仮面さん、ステージのうえで危険な行為はやめてください》
「安心しろ、レモン。俺はこのポーズの練習を自宅で2時間してきた」
それはどうなの。同居人がみたらびっくりするのでは。
「というわけで、攻撃だ。9五歩」
あわわわ、いきなりの反撃。
将棋仮面の次が私の番なの、けっこうキツいなあ。
実力があるのはまちがいないし、たぶん私よりも棋力があると思う。
ここは慎重に対処。
同歩、9六歩、2八飛(松平、冷静)、9五飛。8六歩。
なんかすごいかたちになった。
お祭りの太鼓もはげしくなって、盤面もはげしくなる。
将棋仮面は8六歩の意味をすぐに見抜いた。
「8七金のねらいか……」
ごまかしは利かないみたいね。
でも、これを阻止する方法はないんじゃないかしら。
9二飛と引くくらいだ。横へのスライドはムリっぽいし。
「敬意を表して、いったん収めよう。2三歩」
4六銀、9二飛(やっぱり引いた)、8七金、8二飛。
将棋仮面は機敏にうごく。8七金で支えてる8六の歩を狙ってきた。
私は5六歩と突いて、6四歩、5五歩、4四歩に7六歩と角道をあけた。
な、なんだかつっぱったかたちになってしまった。
《先手、すごく積極的ですね》
じゃっかん皮肉られた気がする。
内木さんは6三銀と自然なあがり。
3七桂、5二金、6八銀、4三金右。
後手は後手で争点をつくりにくくなっている。
松平は浴衣のそでに手をつっこんで、首をひねった。
「うーん、むずかしいな」
「男は積極果敢なほうがモテるぞ」
こら、将棋仮面、松平を煽らない。
「んー、ですよねぇ、じゃあ9六香で」
煽られるなぁあああああ。
ど、同香、同金、8七香の串刺しで崩壊するのでは?
ところが、将棋仮面はすぐには指さなかった。
「一見、同香でよさそうだが……同香には9七歩があるか」
9七歩? ……あ、そっか、金で取らないで歩で取り返せばいいのか。
だけど、あんまり好みの展開じゃない。
ドンと太鼓が鳴って、合わせるように将棋仮面もうごいた。
「9五歩だ」
けっきょく取らないんだ。なんか意外。
《おっと、将棋仮面、モテないタイプであることを自白しました》
「ギャップ萌えという手もある」
ないです。
私は同香と即取りして、同香、9六歩で香車を殺しきった。
将棋仮面は頭に手をあてて変なポーズ。
「ヒーローは不意打ちも得意だ。4五歩」
ぐッ、いきなり積極果敢。
すこし考える……同桂しかないか。
「同桂です」
《歩をもらいますね。9六香》
松平はふたたびなやんだ。
なんで? 9七歩でしょ?
「桂馬が4五にいるから、9六同金、8七香以下でも戦えるか……」
ん、どういうこと?
松平のひとりごとを分析する――9六同金、8七香、6六角と一回逃げて、8九香成に2七香と打ち返すつもり?
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
2四桂には同香、同歩、2三歩で十分に戦えるって読みか。
松平もそこまで読み切ったらしく、9六金ととった。
将棋仮面は4四歩と桂取りに走る。
このまま取られてはたまらない。私は5三桂成と捨てた。
《過激ですねぇ。同金》
松平は私と息を合わせて5四香の串刺し。
実質的に銀と香桂の交換。
駒損なのよねぇ。やっぱり先手は盛り上がりすぎてると思う。
バランスをとるのがむずかしい。
以下、同銀、同歩、同金。
松平は攻めを継続するため、5八飛と大盤の駒をスライドさせた。
将棋仮面は持ち駒の歩に手をのばす。
歩? 5五歩じゃ同銀で損するだけでは?
「ひとつ見せ場を作るとしよう。5三歩」
うッ……金底の歩?
そりゃ、金底の歩、岩よりも堅しだけど、5五銀で?
「あッ、5五銀だと6五金があるのか……」
私のつぶやきに、将棋仮面は高らかに笑った。
「ハハハ、ヒーローは伏線に余念がない」
くぅ、なにがヒーローよ、せこせこマンじゃないですか。
とはいえ、これはもう中央突破する手段がない。
私は仕方なく5五歩と打った。
内木さんは6五金とすりこむ。
6六歩、7六金。
ぐわぁ、金が角にせまるぅ。
私は念入りに考えた。ステージのしたで不破さんが、
「おーい、ポニテの姉ちゃん、押されてるぞ」
と言った。元凶。
えーい、かくなるうえは撹乱する。
「7二歩ッ!」
どや、いかにもな手筋。
飛車の横利きをとめれば、中央突破のラインを復活させることができるのだ。
《んー、これはいい手っぽいですね……》
内木さん、それまでサクサク指していた手をとめた。
じっと大盤をにらむ。わりと本気モード。
ゲストに花をもたせない司会はNG。
《こうですか》
内木さんは4五歩と伸ばした。
あうあう、いい手っぽい。
松平がなやむ。
「取るしかない……よな。同銀」
「4五歩と相性がいいのはこれだな。4三香」
5六銀、7二飛……うわ、6三銀〜5四歩が利かなくなってる。
このふたり、息がぴったりすぎる。
ドン ドドンドドン
私たちを催促するように太鼓が鳴る。
松平は2四歩と、角頭の攻めに切り替えた。
将棋仮面は過激に受けてくる。
「4二玉だ」
……………………
……………………
…………………
………………先手だけバラバラになってしまった。
次に8二飛ともどられたら、ほぼほぼ終わってしまう。
ドドドン ドン ドドドン ドン
ついに盆踊りが始まった。駒桜音頭が流れる。
ああ〜♪ 桜並木も今宵の月も〜♪
おぼろむかしのご先祖さまが〜♪
しゃんとしゃんとと〜、見とりゃ〜んせ〜♪
《お兄さん、だいぶ考えますねぇ》
松平、無視して考えなさい。
「あ、じゃあ7七銀で」
だぁああああ。
8七歩、9七角、7七金、同桂、8八銀。
角が死んだ。
松平は3五歩と活路を求める。
9二飛、9三歩、同飛、9四歩、同飛、9五歩。
とにかく飛車だけは突破させない。
《あれ? 7四飛でどうするんですか?》
内木さんは飛車を寄った。
それは狙いがある。
松平、気づきなさい。
「……こうか、8八角」
よしよしよし、同歩成に私は5一銀と打った。
《タダ捨て? ……あッ》
内木さんは喫驚した。
そう、これは同玉なら6三銀が王手飛車取りだ。
駒損は大きいけど、7七飛成を許したら終わってしまう。苦肉の策。
《なるほど、駒割りは……5一同玉の時点で、先手の角損+金と桂香の交換ですか。ということは、実質的に単なる角損ですね。以下、6三銀、4二玉、7四銀成、同歩の瞬間で銀損まで回復、と……しかし、これは取るでしょう。同玉です》
松平は6三銀と置く。
将棋仮面はスタイリッシュなポーズをとった。
「祭りも将棋ももりあがってきたな。6一銀」