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凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第31章 裏見香子、駒桜に舞い戻る(2016年8月9日火曜)
184/487

184手目 MP4

 6六歩、6二銀、5六歩、5四歩、4八銀、4二銀。

 ふつーの矢倉だ。後手から変化する気配はない。

 5八金右、3二金、7八金、4一玉、6九玉、7四歩。


挿絵(By みてみん)


 この手を指したとき、内木うちきさんの紅茶が運ばれた。

 まだ蒸らさないといけないみたいで、すぐには手をつけなかった。

 給仕の猫山ねこやまさんは対局をのぞきこみながら、

「ニャハハ、純文学というやつですね」

 と興味津々。猫山さんもかなりの指し手だから、観られると緊張しちゃう。

 私は6七金右と上がる。

 5二金、7七銀、3三銀、7九角、3一角、3六歩、4四歩。

 雁木にもしてこなかった。ほんとうにジュンブンガクだ。

 こうなると、しばらくは定跡一直線ね。

 3七銀、6四角、6八角、4三金右、7九玉、3一玉、8八玉、2二玉。


挿絵(By みてみん)


 おたがいに入城したところで、内木さんはようやく紅茶をカップにそそいだ。

 ミルクを入れてひとくち。

 私はコーヒーのおかわりを注文した。

 ほんとうになんともない序盤だ。

 内木さんは、先手にもたれて指す方針らしい。

 私のほうに暴れる権利があるといえばあるんだけど――

「……4六銀」

 がっぷり四つでオーソドックスにいきましょう。

 内木さんは5三銀で総矢倉に受けた。

 3七桂、7三角、1六歩、1四歩、2六歩、2四銀、3八飛。

 あとの変化はみえる。開戦時期も。

 8五歩、1八香、4二銀、9六歩、9四歩、2五桂。

「4五歩」


挿絵(By みてみん)


 けっこう古いかたちになった。

 最近ではかえってめずらしい。

「内木さん、昔の定跡もきちんとおぼえてるのね」

「温故知新かな、と」

 し、渋い返し。

 とはいえ、風切かざぎり先輩も悩んだら羽生さんの古い棋譜全集とか大山全集をならべてるって言うし、案外にそういうものなのかも。古典よね。

 私は3七銀とバックして、3三桂のぶつけに4六歩と突きかえした。

 2五桂、同歩、同銀、4五歩。

 内木さんは10秒ほど考えて、2六桂と打った。


挿絵(By みてみん)


 さて……いわゆる直接手なわけですが……3九飛の1手だから、深く考える局面でもない。問題は3九飛、1八桂成のあとで後手の角筋をどう遮断するかだ。放置すると2八成桂、同銀、同角成で不利になる。

 5五歩、同角と一回引きつけてから4六角か、それともいきなり4六角か。

 どちらも研究されていそうではある。

「……3九飛」

 内木さんはノータイムで1八桂成とした。

 私は4六角と直に出る。

「同角、同銀、2八成桂に5九飛からの反撃ですか」

 読み切られてる。けど、その順を回避することはできないはずだ。

 案の定、内木さんは4六同角と取って、同銀、2八成桂、5九飛と進んだ。


挿絵(By みてみん)


 ここで後手の手がむずかしいんじゃないかしら。

 角を打ってもぼやけるし、かと言ってべつのところに焦点を作りにくい。

 内木さんは初の小考。1分ほど使って、3三銀と上がった。

 ん? 3三銀? ……7一角だと?


挿絵(By みてみん)


(※図は香子きょうこちゃんの脳内イメージです。)


 7二飛、1七角成……あ、2六角の打ち返しがあるのか。

 となると、5三の地点は受ける必要がなかったわけね。

 でもでも、これは5筋が薄くなったのでは?

「5五歩」

 攻める。

「こちらも攻めます。8六歩」

 同歩、8五歩。

 けっこうキツい攻撃だ。けど、これには明確な反撃がある。


 パシリ!

 

挿絵(By みてみん)


 どや。さっきと同じ、じゃないのよ。

 7二飛、1七角成、2六角なら同馬、同銀、5四歩と取り込む。

 このとき、後手は飛車が7二にいるから8六歩と反撃できない。

 先手の5三歩成のほうが圧倒的に速い。

「なるほど、このかたちなら7一角が成立しますか……しかし……」

 内木さんは7二飛と寄って、1七角成に5五歩と取り返すルートを選んだ。

 成桂を捨てて安全を図る手だ。この対応はさすが。

「2八馬」

「8三香です」


挿絵(By みてみん)


 むむむ、これは強烈。

 8六歩と取り込まれたらさすがに勝てない。

「8五歩」

 7三桂、5五銀、8五桂、8六歩、7七桂成、同金寄。

 私は銀桂交換に応じた。

「追撃します。7五歩」

 内木さんは飛車の位置を逆用して、7筋から攻めてきた。

 同歩、8五歩、同歩。

 内木さんの綺麗な指が、5筋へ歩をすべらせる。


挿絵(By みてみん)


 これは……取れない。割り打ちをくらってしまう。

 私は4九飛と横に逃げた。

「5九角」

 うッ……あんまり読んでなかった。

 飛車角交換に持ち込める? それとも危険すぎる?

 

 ピッ

 

 ここで私は30秒将棋に。

 

 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!

 

 閃いたッ!

 

 パシリ!

 

挿絵(By みてみん)


「?」

 内木さんはやや前傾姿勢になった。

「歩突きではなく桂打ち……?」

 言いたいことはわかる。3一金のあと、桂馬が立ち往生してしまう。銀も上がれない。

 だけど、この手は一撃必殺の狙いがある。

 

 ピッ

 

 内木さんも30秒将棋に。

 

 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!

 

 内木さんはスッと金を引いた。3一金。

 私はノータイムで4六馬とあがる。


挿絵(By みてみん)


「!」

 内木さんの顔色が変わった。さすがに気づいたっぽい。

 次に5九飛(!)、同歩成、6一角で決まりだ。

 4六馬と上がったのは、1三玉からの脱出阻止+王手馬取りの回避。これをしないで5九飛、同歩成、6一角、8二飛、4三角成は、6九銀の引っ掛けに8七金上と逃げられない。逃げると5八飛〜2八飛成で馬を抜かれてしまう。

 

 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!

 

 内木さんは4二金引とした。冷静。

 私は5三歩で攻めの拠点を追加する。これで4四桂は活きた。

 6九銀、8七金上、5三金、3七桂、2六銀、2五桂。


挿絵(By みてみん)


 ほらほらほら、攻めが止まらなくなったわよ。

 内木さんは2四銀と上がった。これで入玉はほぼ不可能。

 じわじわいく作戦もありそう。でもすっぱり決める。

「5九飛」

「飛車をもらえば、まだなんとか……同歩成」

 どうにかさせません。

 6一角、7五飛に3四角成で2手スキをかける。

 2五銀、同馬、7三桂、7六歩、5八飛、6八桂。

「3七銀不成です」


挿絵(By みてみん)


 駒のアタリがすごい。

 内木さんは、飛車と馬の交換を迫っている。

 3七同馬は6八飛成だから、取るわけにはいかない。

 けど、ここで用意していた手がある。

「3三銀」


挿絵(By みてみん)


「銀捨て?」

 内木さんは私の持ち駒を確認した。金駒かなごまはもうない。

 内木さんクラスなら、この手の意味は分かるはず。

「……しまったッ! 同玉、7五歩が詰めろッ!」

 正解。3三同銀なら7五歩が詰めろで、4六銀不成とするヒマがない。

 つまり、この銀は取れない。

 

 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!


「1二玉ですッ!」

 3五馬寄、4六銀不成、同馬。


挿絵(By みてみん)


「けっきょく詰めろ飛車取りですか……負けました」

「ありがとうございました」

 ……ふぅ、女子大生の貫禄はギリギリ示せたかな、なんちゃって。

 とりあえず感想戦。内木さんのコメントを待つ。

「4四桂〜4六馬が3手1組でしびれました」

「そうね、そこからは先手有利だったかも……」

 私たちは中盤から終盤への入り口をザッと検討した。

 後手に挽回のチャンスはなかったっぽい。

 内木さんは、すっかり冷めた紅茶を飲みながら、

裏見うらみ先輩、また強くなられたみたいですね」

 と褒めてくれた。

 いやいや、それほどでも。

「部に元奨もとしょうのひとがいて、鍛えてもらってるの」

「元奨のひとが? ……意外ですね」

「そう?」

「偏見かもしれませんが、奨励会を退会したひとは、大学将棋のようなチームプレイにあまり熱心ではない印象があります」

 んー、まあ、それはそのひと次第なんじゃないかなぁ。

 とはいえ、奨励会を退会したらすっぱり将棋をやめちゃうひともいるのよね。

 風切先輩も、最初のほうは入部を拒否してたわけだし。

 私たちは、駒桜の日常的な会話に花を咲かせた。どこに新しいお店ができたとか、町内でこんなことがあったとか、いろいろ。1時間ほど話し込んだあと、内木さんはふと気づいたようにカバンを開けた。

「そういえば、お盆もまだ市内にいらっしゃいますか?」

「もちろんよ。というかお盆帰りだし」

「お盆祭りでイベントをすることになりました。よければぜひ」

 取り出されたのは1枚のチラシ。

 お祭りのポスターをカラーで印刷したものだった。中央に太鼓の櫓、踊っているひとや夜市の風景の写真が、うまいぐあいにデザインされていた。そのすみっこに、将棋アイドルトークショーの文字。

「これに出演するの?」

「はい、詰め将棋のコーナーなどもありますので、チャレンジしてみてください」

 詰め将棋チャレンジは、捨神すてがみくんとかが持って行きそう。

 とりあえずお礼を言っておく。

 私は時計を確認した。もう5時過ぎだ。

「ごめんなさい、そろそろ帰るわ。今日はおじいちゃんたちと外食の予定なの」

「こちらこそ対局していただいてありがとうございました」

 お会計を済ませて、八一を出る――いきなり猫山さんに呼び止められた。

「裏見さん、忘れものですよ」

 私はあわてて引き返す。猫山さんのほうからも歩み寄ってくれた。

「はい、どうぞ」

 ……USBメモリ?

「すみません、私のじゃないです」

 猫山さんは声を落とす。

「さっきの白熱列島のシーン、MP4で保存してあります」

「!」

 私はすこしのあいだ、言葉が出なかった。

「あの……いいんですか?」

「ニャハハ、なにを調べてるのか知りませんが、探偵ごっこはキライじゃないですよ」

 私はお礼を言ってUSBメモリを受け取った。

「ありがとうございます」

「いえいえ……あ、さっきのお盆祭り、八一も出店しますので、ご来店、お待ち申し上げます」

場所:喫茶店『八一』

先手:裏見 香子

後手:内木 檸檬

戦型:矢倉


▲7六歩 △8四歩 ▲6八銀 △3四歩 ▲6六歩 △6二銀

▲5六歩 △5四歩 ▲4八銀 △4二銀 ▲5八金右 △3二金

▲7八金 △4一玉 ▲6九玉 △7四歩 ▲6七金右 △5二金

▲7七銀 △3三銀 ▲7九角 △3一角 ▲3六歩 △4四歩

▲3七銀 △6四角 ▲6八角 △4三金右 ▲7九玉 △3一玉

▲8八玉 △2二玉 ▲4六銀 △5三銀 ▲3七桂 △7三角

▲1六歩 △1四歩 ▲2六歩 △2四銀 ▲3八飛 △8五歩

▲1八香 △4二銀 ▲9六歩 △9四歩 ▲2五桂 △4五歩

▲3七銀 △3三桂 ▲4六歩 △2五桂 ▲同 歩 △同 銀

▲4五歩 △2六桂 ▲3九飛 △1八桂成 ▲4六角 △同 角

▲同 銀 △2八成桂 ▲5九飛 △3三銀 ▲5五歩 △8六歩

▲同 歩 △8五歩 ▲7一角 △7二飛 ▲1七角成 △5五歩

▲2八馬 △8三香 ▲8五歩 △7三桂 ▲5五銀 △8五桂

▲8六歩 △7七桂成 ▲同金寄 △7五歩 ▲同 歩 △8五歩

▲同 歩 △5八歩 ▲4九飛 △5九角 ▲4四桂 △3一金

▲4六馬 △4二金引 ▲5三歩 △6九銀 ▲8七金上 △5三金

▲3七桂 △2六銀 ▲2五桂 △2四銀 ▲5九飛 △同歩成

▲6一角 △7五飛 ▲3四角成 △2五銀 ▲同 馬 △7三桂

▲7六歩 △5八飛 ▲6八桂 △3七銀不成▲3三銀 △1二玉

▲3五馬寄 △4六銀不成▲同 馬


まで117手で裏見の勝ち

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