182手目 鍵盤に乗せるもの
《祇園のホストの正体が分かった?》
スマホから、風切先輩のけげんそうな声が漏れた。
私は階段下のスペースで、あたりを警戒しながら電話を続ける。
「確実ってわけじゃありませんけど、有力な候補を見つけました」
《だれだ?》
「有縁坂将棋道場ってごぞんじですか?」
《うえ……もう一回言ってくれ》
私はゆっくりと一文字ずつ切って伝えた。
さらに漢字も伝えたけど、風切先輩はぜんぜん知らないようだった。
しかたがないから、私はその店の内情を説明した。速水先輩の件は抜きで。
《ようするに……渋谷の将棋カフェの店長が、祇園の元ホストってことか?》
「はい、その可能性はあると思います」
《どうしてそう思う?》
うッ……説明がしにくい。どうしよう。
私は適当にあれこれ付け加えて、とにかくそこの店長は元ホストだと思うと答えた。
だけど、さすがにムリがあった。
《日本に何人ホストがいるのか知らないが、さすがに当てずっぽすぎないか?》
「いえ、その……ただ、折口先生にチェックしてもらう価値はあると思います」
《それはやめたほうがいい。ひと違いで折口が暴走すると、コトだぞ》
んー……説得は不可能か。
まあ、私も確信があるわけじゃないし、ここはもう突っ込むのを断念する。
風切先輩も、私があきらめたのを察したらしい。話題を変えた。
《ところで、無事帰れたのか?》
「あ、はい、今は地元の高校に寄ってます」
《そっか……俺は図書館でハーツホーンでも読んでるぜ。またな》
そこで電話は終わった。私はタメ息をつく。説得失敗。
うーん、ちょっと先走っちゃったかも。速水先輩と佐田店長の一件を明かさない限り、祇園のホスト説は信憑性がない。
そもそも、風切先輩が有縁坂を知らなかったっていうのが致命的だった。店長を見たことがない以上、イメージも湧かなかったと思う。
「裏見先輩、そこでなにしてるんですか……?」
「うわぁああああ」
ふりかえると、飛瀬さんがじっとこちらを見ていた。
「い、いつからそこにいたの?」
「ちょうど今……なかなか戻って来ないので、校内で迷子になったのかと……」
数ヶ月ぶりくらいで迷子になるわけないでしょ。
とはいえ、迎えに来てくれたのだから怒るわけにもいかない。
「ごめんなさい、ちょっと電話が長引いたの」
「そうでしたか……今夜、捨神くんのコンクール受賞パーティーがあるんですけど、出席しますか……?」
「コンクール受賞パーティー?」
なんのことかしら、と思った瞬間、不破さんとの会話を思い出した。
そういえば、なにかの大会で入賞したとか聞いたような。
飛瀬さんに確認すると、どうやらその件のようだった。
「そうね……一回家に帰ってからでもいいなら」
「了解です……会場はエリーちゃんのおうちなので、ぜひ……」
○
。
.
というわけで、ポーンさんのおうち、もとい、ポーンさんが居候してる姫野邸にやってきたわけですが……あいかわらずの広さ。私たちが通された応接間は、以前パーティーをした会場*とおなじ場所だった。洋館の一室で、入口からみて左側には大きな装飾窓。床には絨毯が敷き詰められていた。奥にはグランドピアノと、パーティーの司会が立つ台がみえた。天井にはシャンデリアがぶらさがっている。
市内の将棋部の集まりかと思いきや、ぜんぜん違っていた。半分以上は知らない顔で、年上のひとたちもけっこういた。どうやら、音楽関係者のほうが多いらしい。
みんなファッションセンスがすごくて、私は肩身が狭いというか、なんというか。
しょうがないから、ソファーに座って飲み物だけ口にする。
「裏見せんぱぁい、なんで部屋のすみっこにいるんですかぁ?」
ふりふりのお洋服を着た葛城くんが話しかけてきた。
右手にはオレンジジュースのグラス。なんだかおめかししてる。
「知らないひとがほとんどだから、おとなしくしてるの」
「あ、うーん、たしかに、ボクも半分以上知らないですねぇ」
幼馴染の葛城くんが知らないなら、私が知らなくてもしょうがない。
私はあきらめて、ほかのメンバーと飲食を楽しんだ。料理はビュッフェ形式で、私は中華を中心に賞味。このエビチリ、ピリっと唐辛子が利いてておいしい。
「それでは、主賓の捨神くんから、みなさんにご挨拶があります。どうぞ」
司会の男性が、捨神くんにマイクを渡した。
捨神くんはすこし恥ずかしそうに受け取った。
「こんばんは、捨神九十九です。今日は僕の入賞祝いに集まっていただきまして、ほんとうにありがとうございます。今回のコンクールは、ライバルも多かったですし、たまたまかな、という気持ちです。決勝では……」
ありきたりなスピーチ。だけど、捨神くんのときおり漏らす笑みから、すなおにうれしそうだと感じた。そして、あいさつが終わると、捨神くんの生演奏会が始まった。グランドピアノに着席して、捨神くんはゆっくりと目を閉じた。
「今から弾く曲は、今回のコンクール課題曲ではありませんし、ここにいるみなさんには少し簡単すぎると思われるかもしれませんが、思い出の曲なので選びました。ラヴェルの『ソナチネ第3楽章』です」
その曲名に、何人かがうっすらと反応した。
だけど、その気配をかき消すかのように、演奏が始まった。
軽やかなイントロから、流れるように左手が動く。
初めて聞いた曲だった。でも、うつくしいのはわかる。
この曲には大げさなところがひとつもなくて、シルクのレースのような曲調だった。
わずか5分足らずの演奏だったけど、盛大な拍手が起こった。
高校生らしき少年と少女が、捨神くんに花束を贈呈した。
「んー、こういう世界ってあるのね」
私がそうつぶやくと、葛城くんが、
「将棋界も、はたからみれば『こういう世界』だと思いまぁす」
と返した。ま、そりゃそうか。
趣味の世界ってほんとに特殊。部外者には理解されないナニかがある。
私と葛城くんは、最近あった王位戦第2局に話題をきりかえた。捨神くんのあいさつまわりが多すぎて、ぜんぜん話しかけられそうになかったからだ。羽生王位と木村八段の熱戦で、葛城くんも棋譜をよくおぼえていた。そして、30分くらい話したかな、というところで、ふいに捨神くんのほうから声をかけてきた。
「こんばんは、裏見先輩、あらためておひさしぶりです」
捨神くんは立ったままあいさつした。私も起立した。捨神くんはひとりじゃなくて、花束を渡した少年少女と一緒だった。少年のほうは、一度会ったことがある。あいても私のことをおぼえていてくれたみたいで、
「おひさしぶりです。日日杯以来ですね」
とあいさつしてきた。
どこか自信ありげなまなざしの、キザっぽい少年。二階堂英樹くんだ。昨年開催された日日杯という大会で、親戚の応援に来ていた。とはいえ、彼の本業(?)は将棋じゃなくてピアノ。捨神くんのライバルという話だった。
「おひさしぶり。どう? 将棋のルールくらいおぼえた?」
私がたずねると、二階堂くんは頭をかいて、
「いやぁ、ぜんぜんです。早紀と亜紀にはおぼえろって言われるんですけど、むしろふたりにピアノをおぼえて欲しいですね」
「うーん、それってハードルが高すぎない?」
「僕からみれば将棋のハードルのほうが高いです……まあ、それはともかく、べつの競技から学ぶことって、たしかにありますよね。ほら、さっきの捨神くんのピアノだって、裏見さんもなにか学ぶところがありませんか?」
「え……まあ……」
私はあいまいな返事をした。ピアノって言われても、よくわからない。ウマイヘタで言えばウマイというのはなんとなく分かる。でも、それ以上のことはさっぱり。
適当に答えたのがバレてしまったらしく、二階堂くんはニヤリと笑った。
「すみません、すこし意地悪な質問だったかもしれませんね」
「え、あ、ごめんなさい、ピアノはほんとに分かんなくて……」
「そういう意味での『意地悪』じゃないです。裏見さんは……いや、これもべつの意味で意地悪な質問か。すみません、忘れてください」
いやいやいや、なんですか、それ。気になるじゃないですか。
まさかナゾナゾってわけじゃないでしょうね。
私が困惑していると、見かねたようにもうひとりの少女が口を出した。
「すみません、英樹は話し方にいやらしいところがあるんです」
い、いやらしい、とは感じないけど、ちょっと趣味が悪いかな、とは思う。
もっとハキハキ話すことを希望します。
ところで、この女の子はだれ?
少女も自己紹介を忘れていたことに気づいたようで、
「わたしは樋口悦子です。捨神くんとは中学のころからライバルなんですよ」
と告げた。これには捨神くんが笑って、
「アハッ、二階堂くんと樋口さんのほうがキャリアあるよね**」
と謙遜した。すると、二階堂くんは、
「捨神のこういう言い方こそ『いやらしい』ってやつじゃないのかな」
と真顔でコメントした。
私のほうがヒヤヒヤする。けど、この3人にはふつうの会話みたいで、樋口さんは、
「いやぁ、捨神くんみたいな天然系美少年と、英樹みたいなイキリ少年が言うのとじゃあ言葉の品ってもんがちがうわよね」
と、追い打ちをかけた。ところが、二階堂くんは怒ることもなく、
「捨神が弾く音って、どこか清純なところがあるよね……僕は、それがいつわりの清純さだと思ってるけど……あ、そんな顔しないでよ。僕は音楽について、きわめて誠実かつ素直に話すタイプだから」
と、またよくわからないことを言った。
これにも樋口さんがつっこむ。
「英樹の音は、ひとことで言えば『強がり』よね」
「それを認めるのはやぶさかでもないかな。音楽には、そのひとの個性が出る。けど、僕はその個性とやらが演奏者の本性だとは思ってない。だいたい、人間の本性なんてロクでもないんだから、それを鍵盤に乗せて弾いちゃダメだろ」
「まるで、自分がキザなのは見せかけで心は純情ですぅ、って言い方ね」
「どう取ってもらってもかまわないさ。ところで、我らがコンクール入賞者の捨神殿は、ヨーロッパ行きのチケットを手に取る気はあるのかな?」
核心部分にでも触れたかのように、その場が静まり返った。
樋口さんも茶化さなかった。
ふたりは、捨神くんの返事を待っていた。私と葛城くんも。
捨神くんはしばらく押し黙って、そしてこう答えた。
「まだ考え中かな……僕にも分からないよ」
*89手目 食べまくる少女
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**76手目 捨神くん、吾有事を得る
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