17手目 機転
黒板に書かれたトーナメント表を見て、私は唖然とした。
「これ……会場が複数ってこと?」
トーナメント表に書かれた人数は、明らかに少な過ぎた。ほかの教室からも、対局準備の音が聞こえてくる。速水先輩は、会場が狭いと言っていた。一ヶ所に集合するからじゃなくて、小教室に分散するという意味だったのだ。気づくのが遅れた。
ど、どうしましょ。こうしているあいだも、着々と振り駒が進む。
「対局準備のできていないところはありますか? ……では、始めてください」
「「「よろしくお願いします」」」
だーッ、始まっちゃった。
私は、聖ソフィアの選手が参加している山をメモした。そこを集中的に観るため、机のあいだを移動する。1回戦だから、観戦者はほとんどいなかった。そこだけは助かる。
えーと、一番近い聖ソフィアの選手は、8番席……ここかしら。机に番号は書かれていないけれど、黒板のイラストで位置は把握できた。接近すると、チェック柄の長袖シャツを着た眼鏡の男子と、もうひとり、うなじまで髪を伸ばして、ブランドものの紺色シャツを着た男子が座っていた。長髪の子は、背中しか見えない……どっちが聖ソフィア?
私はふりかえって、遠目に黒板を確認した――どの選手がどの席に座るかまでは、明記されていなかった。名札がないかと、肩越しにのぞき込んでみる――ない。まいった。
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あ、そうだ。いい方法を思いついた。
私は、ふたりの服装をメモしておく。ついでに、顔の特徴も。こちらへ背を向けている子を確認するため、反対側に回り込んだ。細目で、落ち着きのある顔立ちだった。
ちゃちゃっと走り書きしてから、戦型をチェックした。
これまた珍しい。私は【早石田の力戦】とメモして、もういちどトーナメント表を確認した。この会場で聖ソフィアが参加しているのは、あのブロックしかないようだ。私は教室を出て、順々に会場を回った。
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4人しかいないのか。全員参加じゃないのかもしれないけど、少ない。
思ったよりも早く終わったので、べつの星マークもチェックすることにした。最初の教室へもどろうとしたとき、反対側から歩いて来た女性と、ぶつかりそうになった。
「っとッ!」
相手は、カメラを胸元で押さえつけて、壁によろめいた。
「す、すみません」
ぺこぺこと謝る私をよそに、相手の女性はカメラを念入りにいじくった。
「んー、大丈夫みたいね」
後ろ髪に跳ねのある、眼鏡をかけたショートの女性だった。
マジメそう、というよりは、吾が道を行く強気そうな顔立ち。
「同じドアに入るときは、右折が優先よ……あなた、見かけない顔ね」
「み、都ノの裏見です」
自己紹介するタイミングじゃ、なかった気もする。うっかりしてしまった。
でも、意外と功を奏したらしく、相手の少女は機嫌をなおして、
「へぇ、都ノなんだ。1年生?」
と、たずねてきた。
「はい……」
しどろもどろになっていると、相手は、なんと名刺を出してきた。
「あたしは、東方大学の春日ひばり。よろしく」
「は、はぁ……」
私は名刺を両手で受け取り、名前と所属を確認した。
「ジャーナリズム研究会……?」
「兼、将棋部。名刺には書いてないけど」
ああ、そういうことか。高校のときも、似たような子が後輩にいた。
「おっと、こんなことしてる場合じゃ、ないわね」
春日さんは、教室へさっさと入った。私は名刺をポケットに入れながら、同じドアの敷居をまたぐ。Dクラスの大学って、どの順番で重要なのかしら……ん?
私は、春日さんの行動に着目した。彼女は、他の対局には見向きもせず、一直線に聖ソフィアのテーブルへ向かったからだ。細目の男子がいたところだった。
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もしかして、あそこ、注目局? だとすると、強豪の可能性が高い。
でも、Dクラスの大学に注目局があるとは思え……る。うちだって、風切先輩のところは注目局になっていた。他大の偵察を受けてたもの。三宅先輩の態度からして、聖ソフィアはどうもワケありのようだ。
私はこっそりと、春日さんのうしろからのぞきこんだ。どれどれ。
こうなってるのか。
他の対局とくらべて、進行がやたらと速かった。となりは、相穴熊からようやく仕掛けたところなのに――私は、じっと観戦する。
パシリ
細目の男子は、5三玉とした。辛い。
相手のチェック柄の男子は、頭を抱える。攻めが切れたようにみえた。
「いやあ……まいったな……」
ぼやきが入る。適当な受けも、なさそう。
結局、1分ほど考えて、3一龍と寄った。細目の男子は、すぐに3六角。
これは、攻めと受けを同時に見てるわね。
ただ、すぐに6九飛と打つのは、8八玉と逃げられたあとが、若干むずかしい。先に8七歩と垂らしておいて、ようやく詰めろ。まだ2手スキだから、先手にいい手(例えば、角をどかしつつ、5三の王様に詰めろを掛ける手)があれば、逆転しそう。
私は観戦時の癖で、一緒になって考えた。先手がすこし足りないかな、と思ったところで、チェック柄の子は7二とと寄った。んー、それは、詰めろじゃなさそうなのよねぇ。馬を消す順ができるくらいかしら……6五桂、4四玉、4五銀とか……ああ、でも、馬を消したら、まだまだいい勝負かもしれない。あいかわらず、後手持ちだけど。
パシリ
後手は、構わず8七歩と打った。相手は、うなる。
「詰めろかぁ……」
6九飛までの一手詰め。さすがに見落としようがなかった。5九金は、3九飛と下ろされて、これがまた詰めろ。受けるなら、6九になにか打つ感じで……6九桂? これに詰めろを再度掛けるのは、なかなかむずかしそう。
6九桂以下の変化を読んでいると、先手が動いた。
「こう、かな」
パシリ
指された手は――6九銀。
え? 危なくない?
切る順が思い浮かんだ瞬間、後手は角を切った。
同玉、5八銀、同金、同と、同玉。
パシリ
……よね。詰んでるわ。
6九玉は5八金、7九玉、4九飛成まで。こっちの詰みは簡単。
ちょっと神経を使うのは、6七玉と逃げられたとき。4七飛成の一間龍は、5七歩、5六金、6八玉、5七金、7九玉で事件になる。6七玉の瞬間に、5七金と捨てるのがポイントだ。以下、同玉、4七成銀、5六玉、5八飛成まで。先手は、こっちをうっかりしたんじゃないかしら。5七金と捨てられて、ようやくハッとなった。
「しまった……投了」
「ありがとうございました」
ふたりは一礼して、対局が終了した。この教室だと、一番早かった。
「6九桂だと、僕の勝ちだった?」
定跡通り、負けた先手から感想戦が始まった。
「それは、6五桂、4四玉、4五銀と消す順がなくなるので、7二金とする予定でした」
細目の男子は、ですます調でしゃべり始めた。1年生かしら。
「7二金? 6一銀で?」
「6二金右として、銀をいただきます。5二銀成、同金は、先手が詰めろです」
「あ、そっか、本譜と同じ順になるのか……6一銀じゃなくて4五銀は?」
「それは同馬の瞬間に、やはり先手が詰めろです」
銀を渡したら詰めろになるのよ。カラクリに気づきましょう。
先手には銀しかないから、寄せようとすると自滅してしまうのだ。
「なるほどね、なんとなく分かってきた。じゃあ、銀を渡さないように8一龍」
細目の男子は即答せずに、私のほうをちらりと盗み見た。
私がメモを取るフリをすると、すぐに視線をもどした。
「……その手はありそうですね」
いやいや、ないでしょ。龍の利きが消えたから、6九角成、同玉、3六馬で詰む。
【参考図】
最後を即詰みに討ち取ったから、そこそこ強いかと思ったけど、そうでもないみたい。私はふたりの終盤力をメモして、他の対局もざっと観戦した。Dクラスの未チェックな席を中心に回る。とりあえず、居飛車党か振り飛車党かを確認しておいた。
次の教室へ移ろうとしたところで、ふいに声をかけられた。
「裏見、ごくろうさん」
ふりかえると、風切先輩が立っていた。
肩に流したまとめ髪を、くるくるいじりながら、
「ほかは、どうなってる? 応援中か?」
と、たずねてきた。私は、三宅先輩に頼まれた仕事の内容を、おおざっぱに伝えた。
「裏見ひとりで戦型チェック? ……そりゃムリだ。手伝ってやるよ」
風切先輩はそう言って、こちらに背を向けようとした。
「対局中じゃないんですか?」
「俺のところは、さっき終わった」
ずいぶん早いな、と思った。完勝なんでしょうね。
「団体戦と違って、早投げしても自己責任だからな」
「あ、筆記用具なら、予備があります」
「メモは、なくても大丈夫だ。任せとけ」
おっと、強気な発言。将棋指しって、やっぱり記憶力がいいのね。プロ棋士は、10年以上前の棋譜を、平気で覚えていたりするし。奨励会員でも、そうなのだろう。
私は感心しつつ、手分けするため、別の教室へと向かった。