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凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第30章 帰ってきた歩美ちゃん(2016年8月8日月曜)
175/486

175手目 申命館大学将棋部

 申命館しんめいかん大学は、古都こと大からバスで行ける距離にあった。

 おしゃれな半円の建物を中心に、小ぎれいなキャンパスが広がっている。

 緑の山々を背景にしていて、すがすがしい。

 ところが、そんな遠足気分とはうらはらに、部室の空気はかんばしくなかった。

「こ〜ま〜ご〜め〜、だれが定例会に部外者をつれて来ていいと言った?」

 藤堂とうどうさんはメガネをなおしながら、オールバックのひたいに青筋を立てた。

「私が決めたのよ」

「おまえに決定権はないだろう」

「なんで? ひめちゃんが来たときにだれかの許可取ったの?」

姫野ひめの古都こと大で、しかも関西大学将棋連合の副会長だぞ」

「そういう身分差別、身内びいきはおかしいでしょ」

 あいかわらず口がお達者で。

 私たちはちょっと居づらい雰囲気、かと思いきや、問題視してるのは藤堂さんくらいのもので、ほかの部員は物珍しそうに私たちを観察していた。藤堂さんと歩美あゆみ先輩と宗像むなかたくん以外に見かけたことがあるのは……うーん、いないわね。いや、この時点で3人も知ってるわけだから、それだけでもけっこうな確率か。

 しかも、申命館陣営は私たちのことをわりと知ってるっぽくて、

「あの子、東西戦で副将だったひとだね」

「となりはT島の大谷おおたにだな。そういえば東京へ行ったんだ」

 と、ひそひそ声で会話していた。

 おほほほ、有名人でごめんあそばせ。

 とはいえ、藤堂さんの不満はおさまってなくて、

「だいたい、駒込こまごめは前期の単位をとれたのか?」

 と、なぜか学業の話に飛び火していた。

「私の単位数は今関係ないでしょ」

「このままだと4年で卒業できなくなるぞ」

恭二きょうじはどうなのよ? かなり落としてるんじゃないの?」

 どんどん延焼させていくスタイル。

 奥のソファーに寝っ転がって『将棋ワールド』を読んでいた宗像くんは、

「うるせーな、なんでこっちに話をふるんだよ」

 とぼやいた。でも、歩美先輩には馬耳東風で、

「うるせーな、じゃないでしょ。先週、ちょぼ三郎でおごってあげた恩を返しなさい」

 と、わけのわからない催促を始めた。

「ラーメンおごったくらいで恩を売るなよ。しかも駒込が行きたがっただけだろ」

 歩美先輩はいきなりスマホを取り出した。なにやら操作をする。

《駒込、なんか腹減んない? 俺、将棋指すと腹減るんだよね。このへんにうまいラーメン屋があるらしいんだけど、家に財布忘れて来てさ。ちょっとおごって欲しいなぁ、なんて思ったりして……》

 宗像くんは顔を真っ赤にしてソファーから飛びあがった。

 大慌てでスマホをとりあげる。

「なに録音してるんだよッ!?」

「『駒込が行きたがっただけ』っていうウソを反証してるのよ。要求に答えてラーメンをおごったんだから、要求に答えて藤堂と戦いなさい」

 宗像くんは地団駄を踏んだ。

「くっそ〜、マジでこの女だけは苦手なんだよ。おい、藤堂、こいつがめんどくさいからもう裏見うらみと大谷の参加は認めろ。いいな? でないと俺は帰るぜ」

「ぐッ……おまえに帰られると困る。今回だけ特別に認めよう」

 やった。一件落着。

 この茶番をながめていた大谷さんはひとこと、

「なにか社会の縮図を見たような気がします」

 とささやいた。たしかに。

 いずれにせよ、これで申命館の内偵ができるわね。

 私たちは定例会の開催を見守る。

「それでは、2016年度8月の定例会を始める。いつもの通り、MINEで返信をした順番でペアを組む。そして、またMINEで返信をしなかった部員が2名いるな。そう、駒込と宗像だ。というわけで駒込と宗像で組む予定だったが、今回はちょうど客人が2人いることに鑑みて、宗像vs大谷、駒込vs裏見を1回戦とする。いいな?」

 あッ……これはなんか逆手さかてにとられた予感。

 私たちの棋力をさぐりにこられた気がした。

 だけど、反論のしようもない。私たちは座敷にあがって、それぞれ盤についた。本榧ほんがやの6寸盤だ。すごい。うちなんかビニール盤を使ってることもあるのに。

 藤堂さんも端っこの盤に座る。

「先後を決めてくれ」

 振り駒の指示が出されて、歩美先輩が振った。歩が4枚で、歩美先輩の先手。

「15分30秒だ。対局準備はできているな? ……では、はじめ」

「よろしくお願いします」

「よろしくお願いします」

 私がチェスクロを押して、対局開始。

 先輩と指すの、ほんとにひさしぶり。はりきっていきましょう。

 7六歩、8四歩、2六歩、3二金。

「角換わりに誘導か……乗るわね。7八金」

 8五歩、7七角、3四歩、6八銀。

 さてさて、この順に誘ったのは、ちょっとわけがあるのよね。

「4四歩」


挿絵(By みてみん)


 歩美先輩はこの手をみて、

「陽動振り飛車……じゃないわよね。流行りの雁木がんぎ

 とつぶやいた。

 そうです。帝大ていだい氷室ひむろくんが言っていたように、なぜか雁木が流行ってきてる。

 私も戦法のバリエーションを増やしてみたい。

 その試作品を、昔なじみの歩美先輩にぶつけてみる。

「それも受けるわ。4八銀」

 4二銀、4六歩、6二銀、4七銀。

 右四間っぽいかたち……未完成な分野だから、なにをされてもおかしくはない。

 5四歩、6九玉、5三銀右、7九玉、5二金、3六歩。


挿絵(By みてみん)


 先手は右金を動かしてこない。

 となると、ほんとに5六銀〜4八飛と振ってくる可能性がある。

 けど、それで潰れるほど雁木はヤワじゃないでしょ。多分。

 私は4一玉と寄った。

 2五歩、3三角、3七桂、3一玉。

「4八金」


挿絵(By みてみん)


 ん……あ、2九飛と引くつもりか。

 あくまでも普通の腰掛け銀で潰す、と。

 だったらこっちは受けて構えることになる。

「4三銀です」

「なんで今頃になって雁木なのかしらね。むかしはB級戦法だったと思うけど」

 歩美先輩はそう言いながら、5六銀と上がった。

 さいですね。

 とはいえ、理屈が分からなくても勝率が高いものは流行るのが将棋界。

 そのへんは実用主義なのよね。

 6四歩、1六歩、1四歩、9六歩、9四歩。

「2九飛」


挿絵(By みてみん)


 ふむ……これって、入城しない方針なのかしら。

 ありえる。ここからの先手の攻めは、4五歩からの角交換だ。

 8八に王様がいるのは必ずしもいいとはいえない。

 私はとりあえず7四歩でかたちを作っておく。放置なら7三桂といきたい。

「……」

 歩美先輩、長考。

 このようすだと、4五歩っぽいわね。4五歩、同歩、3三角成、同桂とストレートにいくか、それとも別の筋も絡めるか。私はまだ7三桂と跳ねていないから、7五歩を絡める意味はない。先手陣にプレッシャーがかかるだけだ。となると……1五歩か3五歩は絡めてきそうかな。4五歩、同歩、3三角成、同桂、1五歩……ん、ちょっと待ってよ。

 私はここで考えなおした。先手から角交換してくる保証はないわよね。手損になる。できれば後手から7七角成として欲しいはずだ。ということは、現局面から4五歩、同歩、1五歩と即座に絡めて、同歩、3五歩――


挿絵(By みてみん)


 (※図は香子きょうこちゃんの脳内イメージです。)

 

 これが本線かしら……3五同歩……あ、ちがうわ。

 3五同歩は4五桂以下の攻めが厳しすぎる。3五の歩は取れない。

 歩美先輩も攻めきれるとみたらしく、

「いけそうかな……4五歩」

 と突いてきた。

 私は姿勢をただす。長考。

 さっきの筋はマズい……けど、回避するのもむずかしい。ここからの指し手は、一直線に近い。変えるところがあるとすれば、1五歩か3五歩と絡まれたとき、取らずに8六歩くらいかなぁ。同歩……8五歩と継いで、同歩に8六歩と垂らす?

 

挿絵(By みてみん)


 (※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)

 

 できなくは……ないか。歩切れになるのが気になるけど、まあ。

 問題は、この順で3三角成、同桂に4四歩、同銀右、3四歩が成立してしまうことだ。これを同銀は7一角の飛車銀両取りをくらってしまう。ここで同銀とできないなら、3六歩と打って殴り合いに持ち込むしかないわよね。

 私はチェスクロを確認した。残り8分。

「同歩です」

 私は4五の歩を払った。

 1五歩、同歩、3五歩。

 私は8六歩と突いて攻め合う。

 同歩、8五歩。

 この手をみて、歩美先輩は、

「攻め合いってわけか……となると、桂頭からの左右挟撃が狙いね」

 と看破してきた。まあバレてるわよね。

「組み合わせ的にちょっと悩ましいけど、同歩」

 8六歩、3三角成、同桂、4四歩、同銀右、3四歩。


 パシリ


挿絵(By みてみん)


 私はさっき手に入れたばかりの歩で、桂頭を叩いた。

「3三歩成」

 ぐぅ、そうくるわよね。同銀は4五桂で逃げられてしまう。

「同金」

「4五桂」

 それでも跳ねてくるんだ……飛車を深く引いてるから2四歩かと思っていた。

 とはいえ、これも厳しい。金を逃げるようでは歩を打たれて終わる。

「同銀です」

「2四歩」

 畳み掛けてきた。ここは辛抱。

 というのも、この先にひらめいた手があるからだ。

 同歩、4五銀。

 この瞬間を狙って、私は飛車を動かす。

「8五飛ですッ!」


挿絵(By みてみん)


 わりと会心。

 歩美先輩も感心したような顔つき。

 と言っても、付き合いが長くないとわからないレベル。

「なるほどね……4五の銀に当たってるから、7七桂や8八歩は効かない、と」

 おっしゃる通りで。3四歩と攻めてくるなら、そのまま8七歩成と突っ込む。これが激痛。理由は簡単だ。以下、3三歩成、7八と、同玉、8七角が決まれば私の勝ち。


 (※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)

 

 8八玉は6九角成、9八玉、8七飛成までだし、7九玉は7八金の1手詰め。7七玉と逃げるのも、6五桂、6六玉、5五金で詰む。角換わりでたまにみる頓死筋だ。

 歩美先輩はのこり5分の時間を投入し始めた。

 私も一心不乱に読む。8八歩と受けるのが本線。

「……こうかしらね」


 パシリ


挿絵(By みてみん)


 ん? ……角打ち?

 8八に利かせる意味はないわよ。そこは詰みと関係がな……あッ!

 8七歩成、3三角成、7八と、同玉、8七角、7七玉、6五桂、6六玉、5五金に同馬の受けがあるのかッ! お、王様の周りじゃなくて5五の地点を受けるなんて、まったく読んでなかった。

 で、でも、角金交換でしょ? 採算が……ちがう、角と金2枚の交換だ。

 4五飛とスライドさせて、金銀両取りをかける? ……ダメか。4五飛には放置して4三銀成、4八飛成、3二成銀、同玉、3三角成。

 

挿絵(By みてみん)


 (※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)


 これで詰み。かと言って、4三銀成に同飛じゃ守りになっていない。

 私は考え込んだ。明らかに形勢が悪い。

「……4四歩」

「8七歩成、3三角成、7八と、同玉、8七角、7七玉、6五桂、6六玉に7六角成、5六玉まで決める順もあったような気がするけど、そっちが無難よね。3四歩」


挿絵(By みてみん)


 4五歩と取れない。予定が完全に破綻した。

「3二金……です」

「かたちが雁木にもどったわね。4四銀」

 ぐはぁ、攻守逆転。

 うーん、まいった。どうしましょう。

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