174手目 おひさしぶりな先輩たち
《本日はJR東海道新幹線をご利用いただきまして、ありがとうございます》
私は新幹線の車窓から、富士山をながめていた。
大谷さんは進行方向と逆の席で、おにぎりを食べている。
大学1年生の前期を終えて、なんだかとてもホッとした。
「裏見さん、なにかありましたか?」
私は窓から視線をはなした。
「富士山をみてるの」
「いえ、そうではなく……すこし雰囲気が変わられたような気が」
ぐッ、さすが大谷さん、勘がするどい。
ごまかすとかえってこじれそう。
「プライベートで、ちょっとだけいいことがあったの」
「……左様ですか」
大谷さんもそれ以上は追及しなかった。セーフ?
とりあえず、私はスマホで、これからの予定を確認した。まずK都で一回降りる。最初はまっすぐ実家に帰る予定だったけど、大谷さんと相談して、K都旅行をいれた。理由はふたつ。ひとつは、姫野先輩と歩美先輩に会いたかったから。2日前にMINEで確認を取ってみたら、ふたりとも帰省時期が私とかぶっていなかった。会うなら私がK都入りするしかない。もうひとつは、大谷さんがK都で降りて観光をしたがったからだ。だったら私も便乗して、というわけ。宿がめちゃくちゃ高かったけど、姫野先輩のツテで安く泊めてもらえることになった。
「10時22分着か……大谷さんは、降りたらすぐに観光?」
「観光ではなく参拝です」
あ、はい。
「参拝ルートは、決まってる?」
「世相に合わせて時間を細々と決めるのは、よろしくありません」
んー、いかにも大谷さんっぽい反応。
やっぱり別行動かなぁ。仏閣めぐりもいいけど、ずっとそれはさすがにちょっと。
私がなやんでいると、大谷さんから話を振ってきた。
「裏見さんは、どなたか先輩にお会いになられるそうですね」
「高校のとき、お世話になったひとよ……姫野先輩は知ってるわよね?」
「もちろんです。古都大にお進みになられたとか。もうひとりのかたは?」
「駒込歩美っていうおなじ高校の先輩で、申命館よ」
この返事に、大谷さんは少々真顔になった。
「あの藤堂さんがいるところですか……」
「藤堂さんに会いに行くわけじゃないし、勝負を挑むわけでもないから、大丈夫よ」
大谷さんは、左様ですね、とだけ言って、最後のおにぎりを食べた。
私は家を出るときにコンビニのパンを食べたから、お昼まで我慢。
○
。
.
《K都、K都です。お忘れ物のないよう、ご注意ください》
ふぅ……ホームに降りた私は、大きく背伸びをした。
K都は初めてってわけじゃない。家族旅行で来たことがある。
だけど、ここは大谷さんに頼ったほうがいいかな。彼女はT島出身だし。
「どういうルートで行けばいいかしら?」
「宿へ荷物を置きに行くほうがよろしいかと」
ふむ、納得。大谷さんの風呂敷はともかく、私のキャリーバックはきつい。
私たちは宿へ移動することに決めた。
階段を降りて、地元の路線に乗り換える。
私たちは路線図をみた。
「……あら? 古都大の最寄り駅が載ってな……あ、載ってる」
けど、なんか変ね。1駅だけJRで移動して、それから私鉄に乗り換え?
アクセスが悪いような気がする。まあ、しょうがないか。
「すぐに出るようですね。急ぎましょう」
待ってぇ。
私たちはギリギリで最後尾の車両に乗ることができた。
外国人観光客が多い。これは市内もそうとう混んでそう。
なるべく邪魔にならないように、キャリーバックを端へ寄せて立った。
すぐに次の駅で乗り換える。ホームを移動していると、大谷さんが、
「古都大の近くにある宿舎ですか?」
とたずねてきた。
「多分……料金は気にしなくていいらしいから、大学の施設じゃないかしら」
じつは、住所しかもらってないのよね。
次に来た電車は、比較的空いていた。私と大谷さんは連結部の近くに座る。
「旅行って、最初と最後の移動がつかれるわよね」
「拙僧のように風呂敷を使うと楽ですよ」
いや、風呂敷に下着類を入れるのは、ちょっと。
とはいえ、お遍路さんのかっこうをしてる大谷さんがキャリーバックを転がしてたら、それはそれで変な感じがする。やっぱり統一性よね、ファッションは。
私はなんとなく納得(?)して、最後の駅で降りた。
指定された住所へと、地図アプリを活用しながらむかう。
さすがに歴史のある街だけあって、そこそこ古い建物がちらほらとみえた。
「……ここに矢印が立ってるわ」
「ここですか? 民家しかないようですが?」
そうなのよね。ホテルらしきビルも、大学の施設らしき建物も見当たらない。
目の前には、古民家が一軒建っているだけだった。玄関が道に面しているタイプじゃなくて、門をくぐった先に庭がみえるタイプ。奥にみえる民家は、そこまで豪華ってわけでもなく、なんか普通に2階建ての木造。玄関は洋式じゃなくて、昔ながらの横にスライドさせる構造だった。くもりガラスの向こうがわは、わからない。
門の表札は――姫野じゃないわね。松田って書いてある。
大谷さんも表札の名前を確認して、
「住所がまちがっているのではありませんか?」
とうたぐった。うーん、教えてもらった住所がちがうのかしら。
入力ミスはしてないし、電信柱の番地もあってるし、ナビも――
ガラガラガラ
あ、だれか出てきた……って、えぇッ!?
「ひ、姫野先輩ッ!」
私の声に、姫野先輩は顔をこちらへ向けた。
渡り石をたどって、門のほうへ歩いてくる。
「裏見さん、大谷さん、おひさしぶりです。道に迷われているのかと思いました」
「迷ったというか……ここでいいのかな、と」
「なにかご不満でも?」
「あ、いえ、全然そんなことないんですけど、ホテルに見えなかったので……」
「ここはわたくしの下宿先です」
下宿? ……姫野先輩が下宿? 地元でセレブリティだった姫野先輩が?
K都って、そんなに家賃が高いの?
私は疑問が顔に出てしまったらしい。姫野先輩は、
「どうかなさいましたか?」
とたずねてきた。
「あ、すみません……失礼かもしれませんけど、姫野先輩ならマンションとか買ってるんじゃないかな、と思ってて……」
「ここはわたくしの実家の所有物です」
……………………
……………………
…………………
………………
「大学へ通うのに、家一軒、買ったってことですか?」
「はい」
お金持ち過ぎィ!
「で、でも、持ち家とかたいへんじゃないですか……?」
「お手伝いの松田さんがいらっしゃるので、わたくしはなにもしていません」
私がアパートで食器洗いしたりゴミ出ししたりしてるのは、なんなんですかね?
これが格差? これが実家の太さ?
「ってことは、姫野先輩の家に格安で泊めていただけるってことですか?」
「お金をいただくつもりはございません」
そういえば、MINEのメッセージには「料金は気になさらなくてけっこうです」と書いてあっただけで、安いとかそういう単語はなかったような気がする。
つまり、K都で宿代タダ。乗るっきゃない、姫野先輩の財力に。
「1泊だけですが、よろしくお願いします」
「こちらこそ……と言いたいところですが、本日は大学で会合があります。同伴はできませんので、ご自由にお過ごしください。松田さんには言伝ててあります」
ありがとうございます。
私たちは姫野先輩をおがんで、お見送りをした。
さて、さっそく荷物をおきましょう。
「ごめんくださーい」
私たちは玄関であいさつした。
すると、奥からひとのよさそうなおばさんが出てきた。
ちょっとふくよかで、腰に巻いたエプロンで手を拭いていた。
「はい、どなたさまですか」
「姫野先輩からご紹介にあずかりました、裏見です。こちらは……」
「大谷ともうします」
「ああ、お嬢さんのお客さんですね。うかがっていますよ」
私たちは靴をそろえてあがった。2階に案内される。
「今、もうおひとかたお泊めしていますが、もうすぐ出られますので」
あれ? もうひとりいるの? 彼氏……ってことはないか。そんなにうかつじゃないだろうし、この松田さんっていうひと、よく考えてみたら、ようするに姫野先輩のお目付け役ってことよね。やっぱり窮屈な生活を送っているようだ。
私たちは一番奥の洋室へ通された。ベッドが2台、テレビもテーブルもついていて、お客さん用に改装されていることがわかった。
「お風呂は1階にありますので、お入りになられるときはお言いつけください」
「ありがとうございます」
「では、ごゆっくり」
私たちは荷物を部屋のすみにまとめた。お洋服を出して、クローゼットにならべる。
ちょっと休憩したい気もした。お茶がついてるから、お湯を沸かしましょう。
私は湯沸かし器に水道水をいれながら、
「もうひとりのお客さんって、だれかしら。女性でまちがいないとは思うんだけど」
とつぶやいた。すると、廊下から、
「私に決まってるでしょ」
と声がかかった。びっくりして水が手にかかってしまう。
ふりかえると、高校以来の馴染みのひとが立っていた。
ショートヘアで、ちょっと淡白そうなところのある顔。切れ長の瞳。
「歩美先輩ッ!」
「お・ま・た・せ。香子ちゃんが来るって聞いたから、出発を遅らせてたの」
「おひさしぶりです……そっか、申命館だからK都なんですよね、先輩」
「そうよ。ほんとにひさしぶりね。ここは1局……」
いけない、歩美先輩のダメなところが出た。
私はこれから市内観光の予定だと伝えようとした。
ところが、歩美先輩はそれよりも早く先を続けた。
「と言いたいところだけど、ちょっと用事があるのよね」
「用事? ……歩美先輩にとって、将棋よりだいじな用事とは?」
「大学に行かないといけないのよ」
……………………
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…………………
………………
「歩美先輩、ついに改心したんですね。裏見香子、感動しました」
「将棋部の定例会だけど?」
あのさぁ、けっきょく将棋ですか。私の感動をかえして。
とはいえ、いきなり歩美先輩の将棋キチが治ってたら、それはそれで怖いか。
「どう、香子ちゃん、いっしょに申命館まで行かない?」
「私たちはこれから……」
そのとき、うしろで大谷さんがささやいた。
(申命館は王座戦常連校です。偵察しておいて損はないかと)
むッ……大谷さんらしからぬ、煩悩にまみれたアドバイス。
「これから、なにか別件があるの?」
「いえ、これからすることもなくてヒマだったので、お言葉に甘えます」
「そうこなくっちゃね。それじゃ、申命館までひとっ飛びしましょ」