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凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第29章 動き出した恋心(2016年8月5日金曜)
173/486

173手目 初デートの夜空は

 午後3時――ティータイムをむかえて、私は緊張していた。

 服のすそを念入りに確認する。シワなし。よごれなし。

 靴に泥とかついてないわよね。トートバックは無地のベージュで良かったかしら。

 立川北のエスカレータを降りたところで、待ち合わせ。

 鳩が数羽、スナック菓子のちらばった地面をついばんでいた。

「おーい、裏見うらみ

 松平まつだいらの声が、ショッピングモールの方向から聞こえた。

 ふりかえると、すごくオシャレした松平が、照れ笑いで手をふっていた。

「待たせたな」

 松平の歩みにあわせて、鳩が舞いあがる。松平は真っ白なラインポロシャツを着て、スキニーデニムを履いていた。靴は白のスニーカー。清潔感のあるかたちでまとめてきた。

 松平は松平で、私のファッションをガン見してから、こぶしを握ってぷるぷるした。

「ど、どうしたの?」

「いい……すごくいい……」

 そういうの恥ずかしいから//////

 とりあえず移動する。

立川たちかわキネマタウンって、どこにあるの?」

伊勢錦いせきんの向こうがわだ」

 私は伊勢錦の場所を知らなかった。ここはエスコートしてもらう。

 松平は空中広場から北へと移動し始めた。チョコレートショップやコーヒーショップを左右に通り抜けるあいだ、松平は前髪をさわりつつ、しきりにニヤニヤしていた。

「さっきからどうしたの?」

「俺、こうしてるだけでしあわせ……」

 だから恥ずかしいというに//////

「お世辞はいいから、開演に間に合うの?」

「3時半からだ。まだ余裕がある。カフェでなにか飲むか?」

「観終わってからでよくない? ところで、映画のタイトルは?」

「『私は今日、明日のあなたとキスをする』だ」

「……なんか聞いたことあるわ。最近売れてる小説が原作?」

「ネタバレするとまずいから、俺も調べずに来た」

 無難なような、危ない橋を渡ってるような。

 とりあえず、松平にしては安全策で来たわね。アクションかと思ったけど。

 そうこうしているうちに、私たちは大通りの歩道橋を渡って、ようやくキネマタウンに到着した。すごく高い建物で、1階部分に券売所とカフェテリアが、2階にはレストランらしきものがみえた。それより上は窓がなかった。映画館になっているのだろう。

「裏見、なにか飲むか?」

 松平、しきりに飲み物をすすめてくる。おごり魔。

「館内持ち込みはできないんじゃなかった?」

「……わからん」

 うむむ、このへんが田舎出にはつらいところ。

 駒桜こまざくら市には映画館がなかったのよね。H島市内まで出ないといけなかった。

 とはいえ、H島の映画館では、持ち込み禁止だった記憶。

 私は腕時計で時間を確認した。

「あんまり時間もないわよ。15分前には並んどかないと」

「じゃあこのまま入るか」

 私たちはチケットを渡して、館内に入った。エントランスから大きめの廊下を通って、売店の横を通り過ぎる。松平はここでも軽食を尋ねてきたけど、高すぎるから遠慮した。ホットコーヒーのSサイズが300円はさすがにない。

「裏見、遠慮しなくていいぞ。俺がおごる」

「ありがと。でも、映画は集中して観たいの」

 それに、お手洗いが近くなっちゃう。

 私たちは順番待ちの列に並んだ。カップル多いなぁ。やっぱり恋愛映画だからかしら。私たちは……厳密にいうとカップルじゃない。デートしよ、って言われたのは事実。だけど、あれで告白し直されたとは思っていないし、松平もたぶん思っていない。でも、周りは私たちをカップルと見てるかもしれないわけで……私はちらりと松平を盗み見た。パンフレットを眺めている松平は、やっぱりなんというか……かっこいい。これは否定できない。いや、だから彼氏になって欲しいとか欲しくないとかじゃなくて――

 えーいッ! 裏見うらみ香子きょうこ、おちつけッ!

 

  ○

   。

    .


「けっこう面白かったな」

 松平はジンジャエールを片手に、満足げな表情をうかべた。

 ここはショッピングモールの飲食街。イタリアンを選んだ私たちは、パスタとピザを分けあって、東京の夕暮れどきを楽しんでいた。外はまだすこし明るい。店内には家族連れもいたし、なにやら4人でプチ合コンをしているらしきテーブルもあった。私たちは一番窓際の席。テーブルのキャンドルには火がともされていなくて、夜の雰囲気には早い。

「ただ、オチが最初の30分くらいでわかっちゃったかも」

「俺もだ。ミステリを楽しむ映画じゃないんだろうな」

 どっちかっていうと感動系だったと思う。松平、最後ちょっぴりうるうるしてた。

 私はというと……緊張しててストーリーがあんまり頭に入らなかった。映画が終わったあとにどういう流れなのかとか、そういうことのほうが……その……。終わって映画館を出たら、松平のほうから夕食にさそってきた。これは想定の範囲内なのでセーフ。

「そういえば、松平、折口おりぐち先生から単位もらえたの?」

「9月に成績発表だけど、どうだろうな……まあ、折口は意外と信用できる」

 ほんとかなぁ。大学の機材でフィギュア製作してる教員って、どうなの。

「裏見こそ、単位取れそうか?」

「落としたっぽい科目はないわ。優と秀がいっぱいあるといいなあ、って感じ」

 松平はピザをひとつ切り分けて、手にとった。

「優秀だな」

「んー、私よりできる子って、ちらほらいるわよ。講義室でよくとなりになる中村なかむらさんとか、基礎ゼミで一緒の佐川さがわくんとか……私が試験をあんまり苦にしなかったのは、経済学が性に合ってるからかも」

「『経済学部にする』って聞いたとき、ちょっと意外感あったけどな」

「聞いたんじゃなくて、盗み見たんでしょ*」

 松平はあやうくピザを落としかけた。

「あ、あれはだな……その……」

「はいはい、もう許してるってば。チーズが落ちるわよ」

 松平はおっとっとと言って、ピザをほおばった。

 ほほえましくもあると同時に、いつもと変わらないような、とも思う。

 松平は紙ナプキンで手と口を拭いて、それからジュースを飲んだ。

 ひと息ついて、話題を変えてくる。

「ところで、裏見は帰省するのか?」

「するけど……ごめんなさい、大谷おおたにさんと一緒に新幹線で帰る予定なのよ」

「あ、いや、一緒に帰ろうってわけじゃないんだ。俺は帰省できない可能性がある」

 私はフォークをとめた。

「どうして?」

「折口が研究を手伝えって言ってる」

「そんなの乗る必要なくない?」

 松平はジンジャエールをもうひとくち。のどをうるおした。

「バイト代は出してくれるらしい」

「折口先生のポケットマネーで?」

「科研費からだ」

 カケンヒっていうのがなにか分からなかった。松平の説明によれば、国から出ている公的な補助金のことらしい。大学生がもらえたりするのかしら。あやすぃ。

「あんまりコキ使われるのは、よくないわよ」

「あれから折口のこといろいろ調べてみたんだが、研究者として優秀みたいなんだ」

「研究者としては、でしょ」

「まあ、性格に難ありかもしれないが……パワハラ・アカハラってわけじゃないし、いい就職先を紹介してもらえるかもしれないぜ」

 なんか心配。それに、ちょっと気になることもあった。

「帰省できるときは、できるだけ帰省しておいたほうがよくない?」

「ん……どうした? ホームシックか?」

 私はパスタをフォークでくるくるした。ほおづえをつく。

「高校時代の人間関係って、そのままじゃないとしても、なにかのかたちでずっと続くんだろうな、って思ってた……けど、全然そうじゃないのよね。同窓で東京にいる傍目はため先輩とか冴島さえじま先輩とすらほとんど会わないし、ほかのメンバーとはもう一生会わないんじゃないかな、って……」

 松平は、私の心境を察してくれたのだろうか。ふとさみしげな表情を浮かべた。

「そうだな……俺もつじーんやくららんとは会ってない……」

 ふたりとも、しばらく押し黙った。そして、ハッとする。

「ご、ごめんなさい、なんか暗い話しちゃって」

「いや、俺も帰省の件、もう1回考えてみる。ところで……」

 

  ○

   。

    .


 すっかり暗くなった空の下、私たちは駅へとむかった。

 東京の夜って、やっぱり明るい。駒桜は、この時間だと心細いくらいだったのに。

 松平は駅の改札口前で止まった。

「なあ、裏見、このあと……」

 私はドキリとする。

「駅まで送って行ったほうがいいか?」

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………ホッ。私は胸をなでおろしつつ、

「そうね、駅までお願い」

 と答えた。改札口を通り、モノレールに乗って高幡不動たかはたふどう京王けいおう線に乗り換える。アパートの最寄りで降りたとき、時刻は9時を回っていた。松平は違う駅が最寄りだから、改札の柵越しにお別れする。

「今日は楽しかったわよ」

「俺もだ……けど、ワリカンでよかったのか?」

「そういうところはきちんとしましょ」

 まだ恋人同士じゃないんだし――そう付け加えようとして、私は口をつぐんだ。

 でも、その先は松平にも伝わったのだろう。急に真顔になった。

「最初からこうしておけばよかったんだよな……って、あの日から何度も思った」

「つまり、反省してる、と」

「してる」

「冷静になった?」

「なった」

「よろしい。それじゃ、今日はほんとにありがと。またね」

 別れ際に、何度も手を振った。姿がみえなくなって、私はひと息つく。

 今日私が一番うれしかったこと。それは、松平があのときの告白を反省して冷静になっても、まだ私を愛してくれてること。

 東京の夜は明るい。だから、星は数えるほどしかない。高校時代の人間関係って、案外そういうものなのかもしれない。少ないから大切にできる。その大切さは本物だ。でも、多くのなかからひとつを選ぶ――そういう世界もあるはず。

 ふたりの仲がどうなるかはわからない。でも、今夜のことは忘れないだろう。私はそう確信した。

*128手目 裏見香子の志望校

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