16手目 狩衣のお調子者
というわけで、来てしまいました――春の個人戦、1日目です。
場所は、電電理科大学の神楽坂キャンパス。新宿方面には出たことがなかったから、交通機関でめちゃくちゃ迷った。なによ、あの迷路みたいな駅は。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ! パシリ
駒音が、教室から聞こえてくる。
私たちは廊下を歩きながら、どこに場所を取ったものか、悩んでいた。
「これ、控え室はどこなんですか? 割り当てられてるとか?」
私の質問に、三宅先輩は首を振った。
「空いたスペースを、好きに使っていいらしい」
好きに使っていいと言われましても……だいたい埋まってるんですが。見た感じ、大学ごとに固まってるみたいね。当たり前か。
風切先輩は、眠そうに頭をかきながら、
「テキトーに座ればいいだろ。大学生なんだから、気兼ねするな」
とアドバイスした。三宅先輩も、「そうだな」と答えて、手近な教室に入ろうとした。
「あら、都ノのメンバーじゃない」
ふりかえると、速水先輩が立っていた。
紺のスーツに、水玉模様のネクタイをしていた。私服がスーツなのかしら。
私たちは、とりあえず挨拶した。三宅先輩が代表して、
「昨日は、ありがとうございました」
と添えておいた。
「おはよう……三宅くん、だったかしら。都ノの控え室は、どこなの? ここ?」
「いえ、まだ決めてません」
「この教室は、もう埋まってるわ。となりはまだ空いてるし、そこにしたら?」
どうやら、日センもそこに陣取っているらしかった。
せっかくのお誘いだし、私たちは好意に甘えた。お邪魔します……って、多いわね。空いているというのは、ギリギリ5人なら入る、という意味だったようだ。次回は、もっと早く来て、席取りしないとダメみたい。
「日センは、どのあたりですか?」
三宅先輩は、なるべく知り合いのとなりに座りたいのか、場所を確認した。
速水先輩は、教室の半分くらいを指差した。
「このあたり全部」
多ッ! 20人近くいるじゃないですかッ!
「うちは、関東だと最大派閥だから」
「人数が多いから強い、とは限らんのじゃがのぉ」
おかしな言葉遣いが聞こえて、私たちは振り返った。
真っ白な狩衣を着た美少年が、ニヤけ顔でこちらを見ていた。色白、小顔で、髪の毛は腰まで垂らしたのを、青い紙紐でひとまとめにしている。烏帽子をかぶったら、平安貴族か神官さんみたいな格好だ。コスプレ?
「もこちゃん、おはようなのじゃ」
「おはよう。初日から来たの?」
「主将が顔を出さんのは、さすがに体裁が悪いからのぉ。ところで……おッ!」
少年は、風切先輩に気づいて、大げさに驚いてみせた。
ぶかぶか気味の袖から手を出して、風切先輩の肩を叩く。
「隼人ではないか。ついに復帰か?」
「まあな」
少年は、その場でくるくる回って、
「こりゃ、めでたい。どうじゃ、もこちゃん、お祝いにパーッと飲まんか?」
と言い始めた。まだ朝の9時なんですが。
少年は、私たちのじっとりとした視線に気づいたのか、回るのをやめた。ふところから扇子を取り出し、パッとひらいて、口もとを覆った。
「もちろん、夜の話じゃぞ。立川あたりなら、みんな近いじゃろ?」
東京の地図が頭に入ってないから、イマイチ距離感が掴めない。
というか、私たちも頭数に入ってるの、これ? お酒、飲めないんだけど。
「して、そこにおるべっぴんさんたちは、だれじゃ?」
少年は、私たちのほうに興味を示してきた。
「このふたりも、都ノのメンバーだ。よろしくな」
私たちの代わりに、風切先輩が話を繋いでくれた。
「そうか、そうか。わしは、土御門公人じゃ。土御門、じゃぞ。漢字は分かるか?」
さすがに、それは分かる。大学生ですよ、これでも。
「2年生じゃから、よろしくな」
うーん、これで先輩なのか。引き気味な私に対して、大谷さんはそうでもないようで、
「土御門さんは、どちらの大学にご所属なのですか?」
とたずねた。
「八ツ橋じゃ。国立にキャンパスがあろう」
いいところじゃないですか。ひとは見かけに依らない、と。
土御門先輩は、風切先輩と付き合いが長いのか、妙に馴れ馴れしかった。
風切先輩のほうも、まんざらではないらしく、将棋の話に花を咲かせた。
蚊帳の外になった私たちは、テーブルに陣取って、盤駒の数をチェックした。
「ぴったりね……トーナメント表は、まだ発表されてないの?」
私がたずねると、松平は、知らないと答えた。
大学将棋初心者ばかりで、どうもスムーズに行かない。
「トーナメント表は、抽選で作るんだよ」
となりの席から、いきなり話しかけられた。
見ると、奥山くんが親指を立てて、ウィンクを送っていた。
「裏見さん、おはよう」
「おはよう」
「昨日の午後は、ずいぶんと調子が良かったみたいだね」
そう、昨日は、なんだかんだで3勝2敗。午後の部は全勝した。奥山くん→速水先輩と当たってへこんだけど、全体としてみれば勝ち越し。自信がついた。途中で、おやつタイムがあったり、いろいろ楽しくもあった。
それに、松平と奥山くんは、なんだか気が合うらしく、意気投合していた。
「松平と当たるかもしれないけど、お手柔らかに」
「望むところだ。かかってこい」
ちょっとちょっと、かかってこい、って、あんたのほうが格下でしょ。
松平には、もっとパワーアップしてもらわないと。団体戦で生き残れない。
「こちらの控え室の大学、311で抽選しますので、集まってください」
おっと、もうこんな時間。風切先輩たちは、移動を始めた。
ついて行こうとすると、速水先輩に呼び止められた。
「会場は狭いわ。全員で行くと迷惑よ」
「あ、そうなんですか」
「それに、荷物番が必要でしょ?」
むむ、うっかりした。高校のときは、公民館を貸し切りでやっていたから、別の部屋に移動するという感覚がなかったのだ。私は、先輩にお礼を言った。
「一から教えてくださって、ありがとうございます」
「べつに、あなたたちのために教えてるわけじゃないわ。大会の運営のためよ」
ひ、ひどい。そういう言い方をしなくても、いいじゃないですか。しょんぼり。
「もこちゃんは、ツンデレじゃからのぉ。褒めても、愛想ひとつ出てこんぞ」
速水先輩は、土御門先輩のコメントを無視した。
「ハハハ、嫌われてしもうたわ」
このひとはこのひとで、ノリが軽過ぎる……ん?
「土御門先輩は、抽選に行かなくていいんですか?」
先輩は、パチリと扇子を閉じた。
「ほんとに何も知らんのじゃな……わしはシードじゃ」
「シード? シードなんてあるんですか?」
土御門先輩は、その場で変なステップを踏みながら、
「当然じゃ。こう見えても、七将のはしくれじゃからな」
と笑った。シチショウ……え、もしかして……。
「つ、土御門先輩って、関東ベスト7なんですか?」
「どうじゃ? ひとは見かけに依らんじゃろ?」
ぐッ、台詞を先回りされた。
どう返したものか迷っていると、教室の奥で速水先輩の声が聞こえた。
「公人、時間があるなら、私と指さない? ヒマでしょうがないわ」
おっと、これは……七将同士の対局? 私は興味津々で、会話に耳を澄ませた。
「朝っぱらから将棋とは、もこちゃんも将棋バカじゃな」
「あんたほどじゃないわ。で、指すの? 指さないの? 指さないなら他を当たるから」
「もっとおしとやかにせんと、男にモテんぞ? ん?」
「はい、ジェンダー差別。過料ね。500円」
そのとき、ふいに肩を叩かれた。
振り返ると、大谷さんが入り口のところを指差して、
「三宅先輩が呼んでいます」
と教えてくれた。私は、後ろ髪を引かれる思いで、入り口へと向かった。
「抽選中じゃないんですか?」
「俺の分は終わった……裏見に、頼みたいことがある」
三宅先輩は、ルーズリーフを私に1枚手渡した。名前がぎっしり書かれている。
「これは……?」
「関東の大学将棋界で、めぼしい男子の名簿だ。中堅以上をリストアップしてある」
「はぁ……」
「1回戦で、この名簿にある選手の戦型をチェックしてくれないか?」
えぇッ!? こ、この人数をッ!?
「ひ、ひとり10秒でチェックしても、10分は掛かりますよ?」
最後のほうは、どういう出だしだったか、分からなくなっているはずだ。私がそう指摘すると、三宅先輩もうなずいてくれた。
「それも、そうか……ちょっと待ってろ」
三宅先輩は、ポケットから赤いボールペンを取り出して、書き込みを加えた。
「星マークをつけたところだけ、頼む」
私は再度、ルーズリーフを受け取った。ざっと目を通す。
「星のついてるほうですか? ついてないほうじゃなくて?」
「どうした? 変か?」
「なんというか……有名な大学が抜けてるな、と……」
三宅先輩は、なんだそんなことか、という表情で、
「星がついてるのは、Dクラスの大学だ」
と答えた。私も、ようやく事情を察した。
「個人戦じゃなくて、団体戦用に偵察するんですね」
「そうだ……っと、ひとつ言い忘れた。念入りにチェックして欲しい大学がある」
「どこですか?」
「聖ソフィアだ」
え、そこ? ……あ、ほんとだ。マークがついてる。私は、ちょっと違和感を覚えた。
「聖ソフィアって、Dにいるんですか?」
語学と神学ですごく有名な大学なのに、どうしてかしら。偏差値と棋力が関係ないのは分かるけど、場違いな印象を受けた。
「それには、理由があってな。実は……」
そのとき、廊下のほうで、さっきの幹事の声がした。対局開始が近いから、会場に集合しろ、というお達しだった。三宅先輩は慌てて、
「事情は、あとで説明する。聖ソフィアは要チェックだ。頼んだぞ」
と、その場を去ってしまった。
ぽかんとする私の背後で、駒を並べる音が聞こえた。
「1分将棋で、いいわね?」
「なんでも受けてたつぞい」
ああ、その対局、観たいのにぃ!
私は好奇心を振り払って、教室を飛び出した。