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凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第28章 チーポンロン♪で麻雀大会(2016年7月9日土曜)
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169手目 思い出には早すぎて

※ここからは、香子きょうこちゃん視点です。

 あ、もどってきた。

 観戦ホールの入り口に、三和みわ先輩と穂積ほづみさんがあらわれた。

 ちょっと遅かったわね。スクリーンから消えて、があったような。

 とりあえず労をねぎらう。

「おつかれさまでした」

 私が声をかけるまで、三和先輩は妙に深刻そうな顔をしていた。

 まさか、という疑念がわきおこる。

「あの南原なんばらっていう女性、ほんとに賭博とばくの……」

「あ、ごめん、麻雀のこと考えてた」

 三和先輩はそう言って、周囲に視線をはしらせた。声を落とす。

裏見うらみさんは、なにか気づいたことある?」

「特には……対局は見ててもぜんぜん分からなかったので……」

 やっぱり人選ミスなんじゃないかなぁ。私はほとんど役に立っていない。

 三和先輩は、のどがかわいたと言って、私だけをドリンクコーナーに誘った。なにかの相談の合図だと、私は察した。穂積さんがとなりにいると、話しにくいことのようだ。

 穂積さんは、スクリーンを観ていた。次の対局が始まっている。

 私たちはすぐに移動した。ドリンクコーナーは、ちょうど人気ひとけがなかった。

 三和先輩はお茶をくんで、ひとまずのどをうるおした。

「さてと……どこから話そうかな」

 先輩の声は、予想以上に真剣だった。

 私は、次のアクションを待つ。

「今回の件、最初からちょっと違和感があったんだよね。もこっちの出方に」

速水はやみ……先輩の?」

 三和先輩は紙コップを手にしたまま、ヒップで壁に腰かけた。右ひざを軽く曲げる。

「裏見さん、もこっちのこと、どれくらい知ってる?」

「まだお会いして半年も経っていないので……マジメで頭のいいひとだな、とは……」

「そこが分かってればいいよ。彼女、頭がキレるんだよね。良くも悪くも。それなのに、今回の計画はやたら杜撰ずさんだと思わない?」

 言われてみれば、そうだ。派遣された私は麻雀のルールが分からない。捜索範囲も行き当たりばったりに感じた。そもそも、賭け将棋の元締め、という犯人像があいまいだ。

「つまり……速水先輩の判断がにぶった理由がある、ってことですか? 司法試験で忙しいからじゃないかと思うんですけど……」

「逆だね。もこっちは平常運転なんだよ」

「……すみません、ちょっと意味がわからないです」

「ごめんごめん、韜晦とうかいに走るつもりはないんだ。裏見さんは、公式戦が高校からなんだよね? それに、県大会優勝経験はあっても、全国大会出場経験はない。だから、もこっちと初めて会ったのは、今年の4月だった。あってる?」

 私はだまってうなずいた。

「もこっちはさ、東北出身なんだ。正確にはA田。父親がS台高検の検事長で、単身赴任してるらしい。で、あんな見た目と性格だろ。全国大会でも、みんなちょっと距離を置いてるところがあった。もこっちは中学1年のときから6年連続で県代表なんだよ。私は高校3年のとき順子じゅんこちゃんに負けちゃったから、6連覇はムリで……っと、こんな思い出話は、どうでもいいか。つまり、年1回、計5回会う機会があったわけ。そのとき、1回だけ話したことがある。高校2年の夏だった。最初は将棋の話をしてたけど、だんだん将来の進路の話になった。私は実家が開業医だから医者になるつもりだって言ったら、もこっちは父親が検察官だから検察官になりたい、ってね。で、もこっちは、東京の大学に行きたがってた。私はこう言ったんだ。『きみのパパがいるS台にも帝大はあるよね』って。そしたら彼女は窓のそとを見ながら、こう答えた。『さがしものがある』」

 かたりの――私は、最後のセリフの意味をつかみかねていた。

 ただ、三和先輩の言いたいことは、ぼんやりと伝わってきた。

「今回の『賭け将棋』の話は、私たちを連れまわす口実だった……ってことですか? じつはその『さがしもの』が目当てで、私たちをここに派遣した、と?」

「それはわからない……けど、ひとつだけわかってることがある。もこっちは、学生将棋界の知り合いにも、まだ教えていない秘密があるんだよ」

 三和先輩は紙コップをゴミ箱にほうった。からりという乾いた音。

「さがしものがなんなのか、私ももちろん尋ねたさ。でも、もこっちは答えなかった。そのときの雰囲気から察したんだ。もこっちは口をすべらせたんじゃないか、って……いや、ちがうのかな。どうだろう。私は心理のエキスパートじゃないからね。いずれにせよ、彼女は私のまえで、2度とその話はしなかった。それっきり」

 三和先輩は、壁から体をはなした。スッと背筋を伸ばす。

「とりあえずさ、これは私のひとりごとなんだけど、大学生なんて学年で上下があるわけじゃないんだよ。年上に頼まれたからって、無視するのはOKだ。それがおとなの最初のステップなんじゃないのかな」

 先輩はそう言って、私に右手を振った。

「明日は解剖の実習があるんだ。お先に」

「あ、ありがとうございました」

 私は丁寧にお礼を言った。先輩のうしろすがたを見送りながら、最後のことばの意味を考える。これって……速水先輩の指示は無視しろ、ってアドバイスよね。なんか不穏。私はしばらくのあいだ、その場を動くことができなかった。


  ○


   。


    .


《本日は、朱雀位すざくい10周年記念イベントにご来場いただき、まことにありがとうございました。会場出口にて粗品そしなをお配りしております。どうぞお持ち帰りください。なお、本日のイベントのお写真は、協賛団体の各HPにて……》

 祭りのあとの静けさ。華やかな女性たちを吐き出した会場は、閑散としていた。ゴミ袋を片づける清掃員のひとたちが、スタッフルームを出たり入ったりしている。ほとんど最後尾になった私と穂積さんは、ゆっくりと廊下に出た。

「穂積さん、ここからどうするの? 駅まで歩く?」

「ん〜、香子きょうこは先に帰ってていいよ」

 いきなりの提案に、私におどろいた。

「え? どうしたの? 都内に用事?」

 穂積さんはスマホをとりだして、なにやら画像をひらいた。

「プロのだれかと、じかに話したいの」

「控え室がどこか、全然わからなくない?」

「館内マップは入手してあるんだよね」

 ちょ、そんなのどこで……あぁ、お兄さん経由か。

「穂積さん、楽屋に突撃するのはマナー違反でしょ?」

「ま、こういう業界だから、多少は許してくれるんじゃない? というわけで、あたしは楽屋前で張るわ。香子を待たせちゃ悪いから、先に帰っていいよ」

 私が引き止める間もなく、穂積さんはくるりときびすを返した。

 ……どうしましょ。ちょっとだけ迷う。でも、三和先輩のことばを思い出した。大学生の第一歩って、じぶんのことはじぶんで決める、なのよね。楽屋に用事はない。このまま帰りましょ。

 ひとの列は、だいぶけてきた。スムーズに進む。そとに出たところで、私は夜の空気を胸いっぱいに吸い込み、ひと息ついた。

「ハァ……将棋の大会より疲れたかも」

「ポニテの姉ちゃん、カラダなまってんじゃないの?」

 私は左へふりむいた。花壇のそばに、不破ふわさんが立っていた。

 不破さんは、スニーカーのつまさきでコンコンと地面のコンクリートを蹴った。

「さてと、このイベントに来た理由を教えてもらおうかな」

「それは、三和先輩のお供で……」

「じゃねーよなぁ? 麻雀イベントに誘うんなら筒井つついっちとかのほうがいいだろ? しかもみわっち、先に帰ってんじゃん。ポニテの姉ちゃんが残ったってことは、このイベントに用があったのは、みわっちじゃなくてポニテの姉ちゃんのほうだろ?」

 ぐッ……さすがにするどい。

「ちょっとひとから頼まれたのよ」

「他人に麻雀を観戦してもらうって、どういう依頼?」

「それは……」

 えーい、めんどくさくなってきた。

 私はいいわけを考える。不破さんは飴玉を頬張ったまま、さみしそうな顔をした。

「そこは笑い飛ばすような返事をしてくれよ……こっちが不安になるだろ」

「えッ……?」

 不破さんは顔をあげた。

「会ったときからずっと深刻そうな顔してるけど、なにかあったのか? マジで変な男に引っかかったとか、そういうんじゃないよな? それとも、剣之介けんのすけに女ができた?」

 あッ……私は、知らず知らずのうちに不破さんを心配させていたことに気づいた。

「ごめんなさい、私の個人的な問題じゃないの。部のほうでいろいろあって……」

「将棋部?」

 私は、立てなおしの経緯から、かいつまんで説明した。あんまり深入りしない程度に。

 すべてを聴き終えた不破さんは、へぇ、とつぶやいた。

「謎のストーカーね……香子が狙われてないってのは、ほんと?」

「私はなにもされてないの。そもそも、犯人の狙いがよくわからないのよ」

「それは不安になるな……なにかあったら、あたしに電話しろよ。力になるぜ」

 心強い提案。私は今日、はじめて笑顔になった。

「不破さんに頼めば、万事解決しそうね」

「へへ、だろ……とはいえ、土産話にはできないな。ほかにないの? 帰ったら、東京のOB・OGに会ったかどうか、いろいろ聞かれそうなんだよね」

「元気そうだった、くらいでいいんじゃない? そういえば、みんなは元気?」

「ああ、元気だぜ。駒桜こまざくら市内は勢力図が一変したけどな。春はうちが優勝」

「え? ほんと?」

多喜たきっていうめちゃくちゃ強い1年が入ったんだ。あたしと師匠とで3枚看板」

「そっか……女子は?」

 不破さんはすこし言いにくそうだった。

「女子は藤女ふじじょだな。レモンと夏希なつきが入ってから、手がつけらんないよ」

 うーん、残念。しばらくは藤女の一強かなぁ。

 私はなんだか懐かしくなって、いろんなことを聞いた。

 みんなの進路志望とか、喫茶店八一やいちのようす、それに、街の雰囲気。

 一番おどろいたのは、捨神すてがみくんの進路だった。

「海外留学?」

「ヨーロッパの音楽学校を考えてるんだってさ。春の国内コンペで入賞したんだよ。もしかすると奨学金が出るかもしれない、らしい」

「へぇ……やっぱり捨神くんってすごいのね」

「でさ、なにがおかしいって、自称宇宙人いただろ、あいつがついてくとか言ってんの。卒業したらすぐに結婚するかもしれないぜ、あのふたり」

 えぇ、それはまた……なんというか、おめでたいような、びっくりなような。

飛瀬とびせさんと捨神くん、ほんとに愛し合ってる感じがあっていいわよね」

「だな。ほかにも、ポーンはドイツに帰るって噂があるし、改造制服の姉ちゃんはデザイン学校って言ってたし、今の3年生は進路がけっこうバラバラな気がする」

「……みんな自分の道を進むわけね」

「ああ、だから……」

かえで、お待たせ」

 この声は――街灯の下に、スポーツキャップの少年があらわれる。

 不破ふわあきらプロだ。ほ、ほんとに若い。しかも、実物のほうがよほど美少年にみえた。

 それともうひとつ、会場で見たときと違うところがあった。それは、年相応としそうおうの……高校生らしい屈託くったくのないオーラ。クールエッジィショートの下からのぞく眼差しは、夢見がちな少年らしく澄んでいて、どこか純粋な輝きをたたえていた。

「こんばんは」

 私は挨拶あいさつをされて、一瞬返すのがおくれた。

「こ、こんばんは……はじめまして」

「はじめまして。楓のお知り合いですか?」

「は、はい……」

「地元の知り合いだよ。H島出身」

 不破さんが説明を入れてくれた。

 私はなにを話せばいいのか、わからなくなる。とりあえず――

「えーと、不破くんは不破さんのご親戚、って聞いてるんだけど……」

「ええ、そうです。煌でいいですよ。苗字だと混乱するでしょ。お姉さんのおっしゃるとおり、僕は楓の又従兄弟またいとこです」

「H島の出身?」

「いえ、僕は生まれも育ちもK奈川です。お姉さんはH島のご出身ですか?」

 私は、そうだと答えた。大学に通うために上京したことも付け加えた。

 すると、煌くんは、おやっという顔をして、

「もしかして晩稲田おくてだですか? 南原プロのご後輩?」

 と尋ねた。

「う、ううん、べつの大学」

「そうですか。失礼しました……楓、南原プロが車を出してくれるってさ」

「マジかぁ、あのおばさん、いいとこあるじゃん」

「ニコチン中毒がたまきずだけどね……では、お姉さん、お先に」

 煌くんと不破さんは、その場をはなれていく。

 途中で、不破さんが振り返った。

「さっき、剣之介に女ができたのかって訊いただろ。あれ、半分くらい本気だからな。あたしが言うことじゃないかもしれないけど、あんなにイイ男が東京でアプローチかけられないってのはないぜ。後悔するまえにケジメつけといたほうが、いいんじゃねーの?」

 私は赤くなった。右手でこぶしをふりあげる。

「煌くんのまえで、そういう話はしない」

「わりぃわりぃ……でもさ、やっぱりみんなバラバラになるんだよ。ならないかもしれないものは、大事にしたほうがいいぜ。師匠がヨーロッパへ行ったら、あたしはほんとにさみしいよ……日本には帰って来ないかもしれないからな……でもそれは、師匠の夢とは関係ないよな。だから、思い出にするしかないんだ。だけど、思い出にしなくていいものまで、意地で思い出にする必要はないんじゃないか」

 私は右手をおろす。夜風が吹いた。

 今こうしている時間もまた、思い出に変わりつつあることを実感した。

「ご忠告、感謝するわ」

「ただのひとりごと……夏休みは帰ってこいよ。みんな待ってるぜ」

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