164手目 プレミアムチケット
はいふ? ちょんぼ? ……なんの話をしてるのかしら。
よくわからない。とりあえず無視。
「6八玉です」
「しばらくは駒組みね。4二玉」
3六歩、7四歩、3七桂、7三桂、4八金、8一飛。
飛車を引くタイミングが早い。
なにかを警戒してるのかしら。
「2九飛」
私のほうも引いておく。
「合わせ打ち、か。7二金」
9六歩、9四歩、1六歩、1四歩、2五歩。
さすがに飛車先は無視できないでしょ。
案の定、おばさんは3三銀とあがった。
5六銀、6二金(手損?)、6六歩。
「5二玉」
あッ……右玉?
おばさんは電子タバコをゆらしながら、よゆうの表情。
変則的に指しているという自覚がないのかもしれない。
私も読みなおす。
右玉は、あんまり考えてなかった。目隠しだとけっこうむずかしい。
とりあえず……入城しましょ。
「7九玉」
「4二玉」
右玉特有の動きだ。
私は8八玉と入って、5四銀に6七銀と引いた。
「銀矢倉、だったかしら」
おばさんは、私の囲いをわざわざ名指しした。
「……はい」
「かたちを覚えるのって、大事よね。4四歩」
私は5六歩と突いた。争点を減らす。
じっくりと組んでいけば、先手の利を活かせる。
後手は王様ウロウロくらいしか、やることがない。
おばさんは電子タバコを手に持って、小考した。
「25秒、6、7、8、9」
「3一玉」
え? 右玉を解消した?
「どうしたの? 3一に王様は動かせるでしょ?」
「……」
私は口もとに手をあてて、前傾姿勢で考える。
ここから2二玉と入るつもりかしら。それは方針がちぐはぐでしょ。
4二玉〜5二玉と動かした分だけ手損してる。
「25秒、6、7」
「4五歩」
手損をとがめにいく。
「反撃、4一飛」
なぁあああああッ!?
そんなの成立するわけないでしょ。
私は猛攻に転じた。
2四歩、同歩、1五歩、同歩、7五歩、同歩、3五歩、同歩。
うらうらうらぁ、角換わり特有の連続突き捨て。
おばさんも手抜けないと気づいたのか、ぜんぶ取った。
「しまったわね。こっちは急所が多いかも」
いまごろ気づいても無駄無駄ァ!
私は1五香と走って、同香、3四歩、同銀、2四飛と飛び出した。
これは受からないかたち。2三銀〜2四歩で簡単に受かってるようにみえるけど、それはまちがいだ。2五飛が香当たりだから。おばさんは、玉頭がすぐに崩壊する可能性を見落としていたのだろう。だいぶ有利になった。
「25秒、6、7、8、9」
「2三銀」
2五飛、2四歩、1五飛。
「1四香……は飛車が死んでないのね。1四歩」
私は1九飛と深く引いた。
「そんなに手牌を短くしちゃ、反動がキツいでしょ。3六歩」
ぐッ……と呻く局面でもない。この歩打ちは逆用できる。
「3五香です」
後手が歩を打ったから成立する手だ。3四で二歩をしてくれてもいい。
おばさんは、
「へぇ、そういうタイミングがあるんだ」
と感心しながら、すぐに3七歩成と取り込んだ。
3二香成、同玉、7四歩。
4八の金は捨てる。
おばさんも4八の金は撒き餌と読んだらしく、手を出さなかった。
くぅ、変なところで勘がきくわね。こっちも3七金とは取れない。2八角がある。3七のと金と4八の金は、見合いにさせておくしかない。
「25秒、6、7、8」
「7六香」
すごく直接的な手だ。
これは……一回取る。
「同銀直」
「同歩」
このタイミングで7三歩成を入れる。後手の金にも手がかかった。
「そっちは6二ととできるわけか……7七香」
おばさんは、ごりごりに攻める順を選んだ。
しばらく相手をして、完全に切らせましょう。
「同桂」
同歩成、同金、7六歩、同銀、8四桂。
ん、微妙にうまい。
前回の対局でも感じたけど、終盤型――いや、その表現は正しくない。棋歴が浅くて、序中盤が不慣れなのだ。終盤はパズルだから、棋歴はあんまり関係なかったりする。
「3五桂ッ!」
攻め合いに転じる。
おばさんはここですこし迷った。
「攻めも受けもあるわね……」
「25秒」
「7六……いえ、3六と」
と金引き? ……入玉か。そうはさせない。
私は2三桂成、同玉に3八香と打った。
簡単に入玉できるかたちじゃないでしょ、これ。
「4六角」
ぐッ……いい手キタ。
終盤にいきなり強くなるのやめて。
「25秒、6、7、8、9」
「3四銀ッ!」
松平と三宅先輩は、「ん?」という顔をした。
こらこらこら、顔に出さない。観戦のお約束。
とはいえ、露骨な銀捨てだから、おばさんもさすがに止まった。
「それは……どういう手かしら。タダにみえるけど」
おばさんは、自分の脳内盤面が正しいのかどうか、ちょっと気になったらしい。
正直、これはタダだ。
「25秒、6、7」
「記憶ちがいじゃないわね。同玉」
「3六香」
と金を消しながら王手する。これが狙い。
3五歩、同香、同玉、3六歩。
王様を叩く。取ってきたら角といっしょに始末。
「25秒、6、7、8、9」
「3四玉」
ひっかからなかったか。
だったら追撃開始。
「3五香です」
2五玉(そっちに逃げたか)、1六角、3六玉、3七歩、同角成、同金、同玉。
ん、これは詰む。
「3九飛ッ!」
おばさんは電子タバコをくわえたまま、大きく息をついた。
「7六の銀がイイ仕事をしてるわね……負けました」
「ありがとうございました」
おたがいに一礼して終了。
なんとか勝った。目隠し将棋はつかれる。
「うーん、飛車がほとんど役に立たなかったわ」
「玉飛接近すべからずって言いますし、王様と飛車は近づけないほうがいいですよ」
「一通より三色、みたいな?」
「???」
またよくわからない。
私が変に思っていると、三宅先輩が急に口をはさんだ。
「お姉さん、麻雀をなさるんですか?」
マージャン? ……もしかして、全部マージャン用語だった?
おばさんは意味深なスマイルで、
「ちょっとだけ、ね」
と答えた。電子タバコをくわえて、カチカチやる。薬品っぽい匂い。
それから、胸ポケットに手を伸ばした。
「付き合わせて悪かったわ。お詫びにこれをあげる」
テーブルのうえに、1枚の紙切れが差し出された。
なにかのチケットのようだ。
私は文字を読み上げた。
「第10回朱雀位、記念イベント……? なんですか?」
「お嬢さんは、麻雀しないの?」
私はしないと答えた。そもそもルールが分からない。
「だったら、あげてもしょうがないか……でも、これしか持ってないのよね。金券ショップかネットオークションで売れると思うから、いらなかったら換金してちょうだい」
いやいやいや、それって間接的ギャンブルじゃないですか。
「勝敗で物をもらうのは、ちょっと……」
「べつに負けたからあげるわけじゃないわよ。時間をとってもらったお礼」
おばさんはもういちど電子タバコをカチカチして、それから席を立った。
「それじゃ、またどこかで会いましょう。私、負けっぱなしはイヤなのよね」
○
。
.
次の月曜日――部室でチケットをみた穂積さんは、はげしくプルプルした。
「ここここここれどこで手に入れたの……?」
えーと、その質問は意外と困る。
賭け将棋の監視のついでに、とはさすがに言えない。
「知らないおばさんと指したら、お礼にくれたの」
穂積さんは、チケット越しに私をジーッと見つめた。イヤな予感。
「ゆずってくれない?」
「タダで?」
「1000円!」
私は読みを入れる。
穂積さんのさっきの態度からして、1000円はなさそう。
っていうか、プレミアムチケットっぽい。
「ゼロを1個増やしてくれたら、考えないでもないわよ」
穂積さんはグヌヌと身を引いた。
「い、1万円は、ちょっと……手持ちが……」
あ、ふーん、1万円でも「高すぎる!」って言わないんだ。
ってことはもっとするわね、これ。
「穂積さーん、適正価格を正直に言いましょうねぇ」
「友情価格ッ! 友情価格ッ!」
いやいやいや、友情とかいうんだったら、なんで1000円で買い叩こうとしたの。
私たちが揉めていると、穂積お兄さんが入ってきた。
「あれ、八花、どうしたの?」
「お兄ちゃんッ! 香子が1万円を要求してくるのッ!」
あのさぁ、ひとが恐喝してるみたいな言い方はNG。
誤解がないように、私は事情を説明した。
話を聞き終えた穂積お兄さんは、こう言った。
「八花、ネットオークションではいくらで売られてるの?」
「このまえ見たときは、1万3千円くらいだった……かな」
穂積お兄さんは、スマホのロックを解除した。サイトをいくつか比較する。
「平均して1万5千円くらいか……裏見さん、1万5千円で、どう?」
……………………
……………………
…………………
………………
「どう、というのは?」
「僕がそのチケットを買うよ。今月の八花の誕生日プレゼント、まだだったし」
はぁああああああッ!?
「えへへへ、持つべきものは優しいお兄ちゃんだねぇ」
うしろで将棋を指していた風切・三宅コンビも、これにはドン引き。
「裏見さん、電子マネー送金でもいい?」
「えーと……現金のほうが……」
「じゃあ現金で」
穂積お兄さんは財布をひらいて、1万円札1枚と5千円札1枚を渡してくれた。
「あ、ありがとうございます……」
「はい、八花、誕生日プレゼント」
「やったぁ、お兄ちゃん大好きッ!」
なんだかなぁ。
ま、どっちにしても自分で行く気はなかったし、八方円満。
私はカバンを手に取った。風切先輩はこれを見て、
「図書館か?」
と尋ねてきた。
「はい、勉強します」
「そんなにコン詰めなくても単位は取れると思うが、がんばれよ」
はーい、というわけで、本日は退室。
私はサークル棟の階段をおりた。
ブーッ ブーッ
ん? スマホ? もしかして忘れ物した?
みると、速水先輩からMINEの無料通話が入っていた。
トークじゃないのは、なんでかしら。私は通話に出た。
「もしもし、裏見です」
《もしもし、速水よ。今、いいかしら?》
「はい」
《このまえの巣鴨は、お疲れさま。結果はどうだった?》
私は当日の詳細を知らせた。
黙って聞き終えた先輩は、ひとこと。
《いい収穫だわ。そのチケットをあとで渡してちょうだい》
……………………
……………………
…………………
………………さっき売ってしまいました。
場所:将棋道場『四五六』
先手:裏見 香子
後手:くわえタバコおばさん
戦型:角換わり力戦形
▲7六歩 △8四歩 ▲2六歩 △8五歩 ▲7七角 △3四歩
▲6八銀 △3二金 ▲7八金 △7七角成 ▲同 銀 △2二銀
▲4八銀 △6二銀 ▲4六歩 △6四歩 ▲4七銀 △6三銀
▲6八玉 △4二玉 ▲3六歩 △7四歩 ▲3七桂 △7三桂
▲4八金 △8一飛 ▲2九飛 △7二金 ▲9六歩 △9四歩
▲1六歩 △1四歩 ▲2五歩 △3三銀 ▲5六銀 △6二金
▲6六歩 △5二玉 ▲7九玉 △4二玉 ▲8八玉 △5四銀
▲6七銀 △4四歩 ▲5六歩 △3一玉 ▲4五歩 △4一飛
▲2四歩 △同 歩 ▲1五歩 △同 歩 ▲7五歩 △同 歩
▲3五歩 △同 歩 ▲1五香 △同 香 ▲3四歩 △同 銀
▲2四飛 △2三銀 ▲2五飛 △2四歩 ▲1五飛 △1四歩
▲1九飛 △3六歩 ▲3五香 △3七歩成 ▲3二香成 △同 玉
▲7四歩 △7六香 ▲同銀直 △同 歩 ▲7三歩成 △7七香
▲同 桂 △同歩成 ▲同 金 △7六歩 ▲同 銀 △8四桂
▲3五桂 △3六と ▲2三桂成 △同 玉 ▲3八香 △4六角
▲3四銀 △同 玉 ▲3六香 △3五歩 ▲同 香 △同 玉
▲3六歩 △3四玉 ▲3五香 △2五玉 ▲1六角 △3六玉
▲3七歩 △同角成 ▲同 金 △同 玉 ▲3九飛
まで107手で裏見の勝ち