163手目 くわえタバコのおばさん、再来
というわけで、やって来たわけですが……ここは巣鴨の商店街。雑居ビルが立ち並んだ一角だ。ビジネス系の事務所から占いまで、さまざまな看板がみえた。その中でも、やや奥まったところのビルに、その道場はあった。
「くぅ、裏見、俺を選んでくれて感激だぜ」
松平はこぶしをにぎってプルプルしていた。おおげさな。
「このまえの件、まだ許したわけじゃないんだからね」
「松平剣之介、大いに反省していますッ!」
どうだか――私は、お店のカードと現在地を照らし合わせた。
電柱に書いてある番地とも一致している。
となりに立っていた三宅先輩は、
「賭け将棋の偵察をまかされるとは思わなかったな」
とつぶやきながら、看板を見上げた。
真っ赤なプラスチック製の板に、白抜きで四五六と書かれていた。
「四五六、か……ずいぶんと変わった名前だ」
三宅先輩に同意。とりあえず入り口をさがす。
コンクリートむき出しの、いかにも遊興場という感じの階段がみえた。
三宅先輩を先頭にして、私、松平の順で階段をのぼった。途中で三宅先輩が、
「ふたりは、賭け将棋ってやったことあるか?」
とたずねてきた。私は「ない」と答えた。すると松平が、
「あれ? 裏見が高校の将棋部に入ったの、賭け将棋で負けたからじゃなかったか?」
と余計なことを言い出した。
こらーッ! 何年前の話をしてるんですかッ!
「松平、今ので株価また下がったわよ」
「なんでッ!? 事実じゃないかッ!」
事実を言えばいいってもんじゃないでしょ、まったく。
私はおこりながら2階に到着した。三宅先輩が代表してドアを開ける。
小気味よい駒音が、私たちの耳にとどいた。
「らっしゃい。ご新規?」
メガネをひたいに乗せたおじいさんが、新聞から顔をあげた。競馬新聞だった。
三宅先輩はこういうところに慣れているらしく、対応してくれた。
「3名、新規ですけど、いいですか?」
「手合い必要?」
「……いえ、3人で指します」
「平日料金でお一人さま1000円ね。あ、女の子は800円でいいよ」
私たちは、それぞれ場代を払った。これも速水先輩からもらった資金だ。
おじさんは、一番奥にある窓際の席を指定した。
フリー同士の客が指している場所と、知り合い同士で指す場所がわかれているらしい。これは助かった。偵察がしやすい。私たちは丸椅子を引いて、長机に腰をおろす。三宅先輩が奥の壁側に、私と松平はその対面に座った。
「さてと……どうします?」
私は男子2人にたずねた。三宅先輩は、
「将棋を指すしかないだろ。大学生っぽいのが来たらマークで」
と答えた。了解。
***** 大学生、対局中 *****
んー、むずかしくなったわね。
先手を持った私は、4六歩の対応に悩んでいた。
三宅先輩の振り飛車相手に左銀急戦は、さすがに無謀だったかしら。
考え込んでいると、ふいに三宅先輩が動いた。
「裏見、松平……さっきからあやしいのがいるぞ」
私たちは顔をあげた。あたりを見回す――大学生っぽいひとはいないような?
三宅先輩は、反対側のすみっこをゆびさした。
「あそこの隅の席、さっきから終わるたびに金を渡してる」
え? ほんと? 私はその席を見て、アッとなった。
くわえ電子タバコのおばさんッ!?
し、新宿の将棋大会で会ったおばさんだ。まちがいない。仕事帰りなのか、Yシャツにグレーのビジネスズボンといういでたちだった。大会のときはポンパドールだったけど、今はうしろにおろしてゴムで結んであるだけだ。
「裏見、どうした?」
三宅先輩の質問に、私は思わず、
「くわえタバコおばさんですよ」
と答えてしまった。三宅先輩はけげんそうな顔で、
「くわえタバコおばさん? ……有名人か?」
と言い、もういちどおばさんのほうを見やった。
私は事情を説明する。
「新宿の将棋大会に参加したとき、あのひとと対局したんです」
「そりゃ……そういうこともあるんじゃないか。とはいえ、マナー違反だよな。社会人が堂々と賭け将棋だなんて」
三宅先輩はのんきにそう言った。
いや、ちょっと待って、「そういうこともある」で済ませていいの? 新宿の将棋大会で会った人物と、こんな短期間で再会するなんてありえる? もちろん、確率的にはゼロじゃない。でも、わざわざ賭け将棋の内偵に来た場所で賭け将棋をしている、なんて都合のいいシチュエーションに、偶然出くわすとは思えなかった。
私があまりにガン見するものだから、三宅先輩は、
「どうした? なんかトラブルでもあったのか? タバコの煙でも吹きかけられた?」
と訊いてきた。
「いえ……そういうわけじゃないんですが……あッ」
おばさんが席を立った。帰るのかと思いきや、裏手の出口へむかう。【喫煙所】という手書きのプレートが、ドアにかけてあった。おばさんの姿がドアのむこうに消えたところで、私はここぞとばかりにまくしたてる。
「こんなところで再会するなんて、デキが良すぎると思いませんか? しかも速水先輩から調査を依頼された場所で、賭け将棋をしてるんですよ?」
三宅先輩は後頭部をかきながら、
「そう言われてもな……あのおばさんが賭け将棋をしてるっぽいことはわかったが、相手もおっさんだったし、俺たちが捜してるグループとは違うんじゃないか? 手渡ししてるのも、500円玉1枚とか1000円札1枚とか、そんな感じだったぞ」
「賭けてることに変わりはありませんし、こんな偶然が重なって……」
「偶然が重なると、ひとは流れを見出だしちゃうのよねぇ」
「!?」
私は息が止まりかけた。おそるおそるふりかえる。
さっき出て行ったはずのおばさんが、真後ろで仁王立ちしていた。
「こ……こんにちは」
私はひとまず挨拶した。
「こんにちは。こんなところで会うなんて奇遇ね、将棋大会で指した娘でしょ?」
「あ、はい……タバコを吸いに行かれたんじゃないんですか……?」
「外の空気を吸ってただけよ」
私は喫煙所のドアを確認した。よくみると、外のベランダに出るドアだった。しかも、出入り口が2箇所あって、もうひとつは私の席の真後ろにあった。見落とし。
外の空気を吸いに行ったというのは、たぶんウソだ。だって、こっちのドアからもどる理由がない。おばさんも私の存在に気づいて、裏手から回って来たのだ。まちがいない。
「な、なにか御用ですか?」
とりあえず軽くジャブを飛ばしてみた。
「リベンジ戦してもらえない?」
「リベンジ? ……新宿将棋大会の、ですか?」
「そうよ。若い娘が相手でも、借りは返さないと、ね」
どんだけ負けず嫌いなんですか――と、そこまで思って、ふと疑心暗鬼になった。
これ、おばさんのほうで私たちの情報をさぐってるんじゃない?
よく考えたら、このおばさんの嫌疑が晴れたわけじゃない。主要メンバーが大学生というだけで、元締めが社会人でないとは限らないからだ。ってことは、このおばさんが元締めな可能性もあるわけで……うぅ、わからなくなってきた。
私は困惑する。おばさんはそれを無視して、私のとなりに座った。
「どう、1局?」
「えーと……まだ対局中なので……」
盤がそれっぽくなっているので、私はごまかそうとした。ところが、
「大丈夫よ、駒がなくても指せるでしょ」
と言って、おばさんは自分自身のこめかみをひとさしゆびで小突いた。
私は一瞬、意味を理解しかねた。
「……目隠し将棋ですか?」
「名前は知らないけど、できるものはできるでしょ」
「けっこう難しいですよ?」
「駒は40枚しかないんだから簡単よ」
えぇ……40枚なら覚えるの簡単ってこと?
このひと、何者? 単なる暗記力に自信おばさん?
とはいえ、私が一番気にしたのは、おばさんが目隠し将棋をすることができるかどうかじゃなかった。お金を賭けようと言い出さないかどうかだ。
「……将棋を指すだけですか?」
遠回しに尋ねてみる。
すると、おばさんはパチリとゆびを鳴らした。
「もしかして、あなた、私と打ちたいわけ? それが交換条件?」
打つ? ……博打を打つ? マズい。変な意味で取られたかも。
「ち、ちがいます。将棋ならいいですけど、それ以外の要素が入るならお断りします」
「そう……私の勘違いだったわ。失礼。だったら、将棋は指すのね?」
しまった。墓穴を掘った。
おばさんは胸に刺してあったペンをはずし、口にくわえた。
ニヤリと笑って、椅子に横坐りになる。足を組んだ。
「そうこなくっちゃね」
おばさんは右手でこぶしを作った。じゃんけんのお誘いだ。
しかたがないので付き合うことに。
「じゃんけん、ぽん」
私がグー、おばさんがパー。私の先手。
「1手30秒かしら……そこの少年、時間を計りなさい」
おばさんは松平に秒読みを指示した。
松平は、不承不承、スマホをとりだしてストップウォッチ機能をオンにした。
「じゃ、よろしく」
「よろしくお願いします。7六歩です」
8四歩、2六歩、8五歩、7七角、3四歩。
角換わりだ。前回の対局からみて、このおばさんは将棋歴が浅い。けど、なにか裏スキルがありそう。押し引きが異様にうまかった。ほかのボードゲーマーである可能性が大。さっき「打つ」って言ったから、囲碁かも。
私は「6八銀」と告げながら、おばさんの顔をチラ見した。目が合う。
「そういえば、あなた、晩稲田の学生なんでしょ? 大会でそう言ってたわよね?」
あーッ! その話題はダメ!
松平と三宅先輩が、ドン引きした表情で私をみている。
ちがうッ! 学歴詐称はしてないッ! 誤解ッ!
なんとかごまかそうとしていると、おばさんのほうから笑って、
「なーんて言ってたけど、ほんとはちがう大学でしょ?」
とたずねてきた。
「え、あ、はい……すみません、あのときは個人情報が気になってウソを……」
「ま、そんなことだろうと思ったわ。じつは将棋を教えてもらいに……」
「25秒」
おばさんは3二金と上がった。それからしゃべりなおす。
「じつは将棋を教えてもらいに、晩稲田の将棋部へ何回か顔を出したんだけど、あなたはみかけたことがなかったのよね。おなじチームのメイドさんには見覚えがあったわ」
メイドさんって、橘先輩のことよね。
なるほど、このひとはじっさいに晩稲田のOGなのか。
私は私で、このおばさんが晩稲田OGだっていう話を若干疑っていた。
「25秒」
7八金、7七角成、同銀、2二銀、4八銀。
おばさんはマジメに指し始めた。私も黙々とついていく。
6二銀、4六歩、6四歩、4七銀、6三銀。
ミスがない。途中で動かしまちがえて終了するかと思ってたのに。
おばさんはペン型電子タバコをくわえたまま、挑発的なまなざしを送ってきた。
「牌譜をおぼえるより簡単なんだから、チョンボは期待しちゃダメよ、お嬢さん」