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凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第27章 法律の勉強は大変だ?(2016年7月6日水曜)
162/486

162手目 わたしの足長おじさん

「世界恐慌……? 新作映画のストーリー?」

「ほんとうに聖生のえるの名前を聞いたことがないのかい?」

 私はジュースののこりを飲み干して、テーブルにおいた。ソファーにふんぞりかえる。

「ないね。役者? それとも作家?」

「さぁ……なにをやってる男なのか、それは知らない」

 私はあきれかえった。同時に、なんとなくこのホストの正体がつかめた気がした。

「わかった。あんたじつは証券会社の勧誘員だろ?」

「そうみえる?」

「金のある女に声をかけて、株を買わせてボロ儲けって魂胆だろ。ダメダメ、私は安下宿だし、仕送りもちょっとしかないから1株も買えないよ」

「ハハハ、残念ながら証券会社のまわし者じゃないよ。ただのホストさ」

「ウソだね。あれはただのホストの将棋じゃなかった」

 それは偏見だ、と、ふみやは答えた。一芸にひいでているホストは多いし、自分の場合はたまたまそれが将棋だった、という理屈のようだ。でも、私は信じなかった。

「勘なんだけどさ、あんた、ホストのほうが副業なんじゃないの?」

「本業は?」

「真剣師」

 ふみやは笑った。

「どっちが本業でどっちが副業かなんて、わからない組み合わせじゃないか」

「もちろん、どっちでもいいよ。だけど今の発言で、あんたが『真剣師』って言葉を知ってることだけはわかった。将棋界にそうとうくわしいね?」

 ふみやは右の眉毛をもちあげて、

「気の利いた質問だったね」

 と、間接的に白状した。

「で、僕が将棋にくわしかったら、なにか不都合でも?」

「ないよ。ただ不思議に思っただけ」

 私の答えに、ふみやは気取って前髪をなおした。

「好奇心旺盛な子だな。将来はガクシャにでもなるつもり?」

 私はタメ息をついた。両ひじをふとももに乗せて、手のひらにあごを乗せる。

「そんなことを考えるときもあるかな」

「卒業後は大学院に?」

「もちろん、修士は行くよ。理工系は修士まで取るのが普通だから。でも、博士は、ね。そこまで進むともどれなくなる」

「もどる? どこへ?」

「社会のレール」

「もどる必要がある場所なのかい?」

 私はクスリとしてしまった。そう、その答えが聞きたかったんだ。

「ふみやは、もどる気がなさそうだね」

「もどるもなにも、そんなところにいたためしがないよ。ただ……」

「ただ?」

 ふみやはタバコをとりだした。私は遠慮してくれと頼んだ。

「悪いけど、そとで吸ってもらえる?」

「ホストクラブで禁煙はきついな。じゃあ、そろそろおひらきにしようか」

 ミスったかな、と思った。もうすこし話したい気分だったから。

 でも、ジュースを飲んだら帰るという約束だったし、ひっこみがつかなくなった。

「そうだね……で、ただ、なんなの?」

「ただ、だれにでもアウトローで生きる才覚があるわけじゃない……かもしれないな」

 私は肩をすくめた。

「だね……うち、そんなに金ないんだよね。親もできるだけ早く就職するか結婚しろって言ってるし、アウトローを気取るのはやめるよ」

 ふみやは、私の決心を聞き流した。シャンパンを空ける。

 グラスをテーブルのうえに置いて、タバコを片手に席を立った。

「今夜はすこし酔ったみたいだ。いいことを教えてあげよう」

 ふみやは名刺のうらに、万年筆で3つのアルファベットを書いた。それを私に手渡す。

「LEH……?」

「9月1日になったら、そこを空売りしておくといい。早めのサンタクロースが来る」

 私はふみやを呼び止めようとした。それよりも早く、会計のボーイが忍び寄った。

「お客様、本日はありがとうございました」

 栗色のショートの青年は、うむを言わさぬオーラで、おひらきだと伝えてきた。

「え、あの……あ、会計ね。いくら?」

「今夜は、ふみやが持ちます。またのご来店を、お待ち申し上げます」

 私は、0と書かれた請求書を見つめた。

 ふみやの背中を追おうとしたけど、彼の姿はドアの向こうに消えていた。


  ○

   。

    .


 ***** 以上、折口おりぐち先生の回想録、終わり *****


「というわけだ。それ以来、ふみやには会っていない」

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………え、なにこの青春の淡いひとときは。

「えーと……空売りってことは、株ですよね? LEHは企業名だったんですか?」

「正確にいうと、銘柄略称だな。株式市場では、企業が最大6桁の記号で表示される」

 へぇ、そうなんだ――「おまえ経済学部だろ」っていう風切かざぎり先輩の視線が刺さるッ!

「で、その銘柄は?」

 折口先生はメガネをキラリと光らせた。

「リーマン・ブラザーズ」

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………

「折口先生、じっさいに空売りしたり……してませんよね?」

「全力で売った」

「……いくらぐらい儲かりました?」

「2000万ほど儲かった」

 完全に理解した――なんで折口先生が今こうして大学の准教授になってるのか。

「それを学資にして、古都こと大の博士課程に進まれたわけですか?」

 折口先生は、黙ってうなずいた。そして、かるく頬を染めた。

「ふみやは、私の足長あしながおじさんなのだ……いつかお礼を言いたいと思っている」


  ○

   。

    .


 夕方、図書館の談話スペースは、学生であふれかえっていた。

 ひとりで本を読むひと、雑談にふけってるカップル、その他いろいろ。

 その一席で、私は大谷おおたにさんに、今回のエピソードをつたえた。

「はぁ……左様ですか」

 いかにも大谷さんっぽい反応。穂積ほづみさんなら「そんなアラサーの美化された恋話こいばななんて信じられるわけないでしょ」とか言いそうなのに。

「大谷さんは、ほんとだと思う?」

「そこまで作り込んでウソをつく必要もないかと」

 それはそうなのよね……しかも、折口先生のあの反応。あやしげな恋慕れんぼの気配。

「して、風切先輩は、この情報についてなにかおっしゃっていましたか?」

「先輩、折口先生のことあんまり信用してないみたいなのよね」

「いずれにせよ、関西のホストを捜し出すのは無理筋、という気もいたします」

 同意。今もホストをしてるかどうかわかんないしね、と思った矢先、私のスマホが振動した。ほんの一瞬だったから、MINEだということはすぐにわかった。私はカバーを開けて、ロックを解除する。

 すると、見知らぬひとからトークが届いていた。


 もえ 。o O(裏見うらみさん、まだ大学にいる?)

 

 もえ? もえってだれ?

 まさか聖生のえるの新アカウント――と身構えたところで、ふと思い出した。

 速水はやみ先輩だ。交流戦でMINEを交換したはず。


 香子 。o O(速水先輩ですか? もう都ノみやこのにもどりました)

 

 もえ 。o O(ごめん、そういう意味で言ったのよ 都ノのどこにいるの?)

 

 香子 。o O(図書館です)

 

 私がそう答えると、既読放置になった。

 なんだったのかしら。いぶかしく思いつつ、大谷さんのほうに向きなおりかけた。


《裏見香子さん、裏見香子さん、1階カウンターまでおこしください》


 ふえ? 呼ばれた? まさか――

「大谷さん、ごめんなさい、続きはまた今度ね」

「試験後でもけっこうです。ご武運を」

 私は荷物をまとめて1階へ降りた。階段を使う。ここの中央図書館は、上3階下2階の建物で、私は3階の学習スペースで勉強していることが多かった。1階はプレゼンルームやメディアルームがあって、今日もごった返していた。

「裏見さん、こっちよ」

 聞き慣れた声。ふりかえると、やっぱり速水先輩だった。

 速水先輩はゲートから先に進めないらしく、入り口で手を振っていた。

 私はいったんゲートを出る。待ち合いスペースへ移動した。

「どうなさったんですか?」

 速水先輩は、すぐには答えなかった。周囲を確認する。これはなにか秘密の用事だな、と気づいて、私はすこし緊張した。

「裏見さんは、今週の金曜日の夕方、空いてる?」

「明後日ですか? えーと……スケジュールはいちおう空いてます」

 試験勉強をする予定だ、と付け加えるまえに、速水先輩は先をつづけた。

「夕方5時くらいから、ここの将棋道場へ行ってもらえないかしら」

 先輩は、1枚のカードをとりだした。名刺かと思ったら、お店の紹介カードだった。

「将棋道場四五六しごろ……はじめて聞きました」

「住所はそこに書いてあるわ」

巣鴨すがも……行ったことないです」

「山手線沿いだから簡単よ。交通費は私が出すわ。9時くらいには切り上げてもらってかまわないから。それとも、土曜日の朝に予定が入ってる?」

「い、いえ、それも入ってないですけど……ここへ行って、なにかあるんですか?」

 速水先輩は声を落とした。

「賭け将棋は知ってるわよね?」

「はい」

 将棋に【賭け】をつけただけだもの。将棋を指さないひとでもわかる。

「最近、関東で大きな金額を賭けるグループがいるらしいの。警察も捜査してるわ」

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………後輩を危険な賭場へ送り込むのはNG。

「速水先輩、それは警察に任せないとダメですよ」

「そうもいかないの。警察は、学生が主要メンバーなんじゃないかって疑ってるわ。このままだと、大学将棋連合もめんどうに巻き込まれかねないのよ」

「つまり……こっちで自主的に犯人を捜してやめさせる、ってことですか?」

 速水先輩は、そうだ、と答えた。いやいやいや、そんなサスペンスドラマみたいなことしなくてもいいじゃないですか。しかも、なぜ私がスパイ役。

「あの……そういうのは学生がやることじゃ……」

「大丈夫よ。あくまで噂だし、可能性が高い道場は私のほうで処理するわ。でも、ちょっと忙しくて、めぼしい道場を全部回ることができないの。だから、裏見さんにもここだけ手伝ってもらいたいのよね。どうかしら? 報酬ははずむわよ?」

 うーん……なんか怖いなぁ。

「すみません、そういうのって男子のほうが……」

「もちろん、1人で行って欲しいわけじゃないの。男子を最低2名はつけたほうがいいでしょうね。ほら、あなたの友だちの、えーと……松平まつだいらくん。あと、部長の三宅みやけくんも頼りになりそうじゃない?」

 私はあれこれ言いわけしてみたけど、最後は押し切られてしまった。

 速水先輩はわざわざネットの地図と交通アクセスまで教えてくれた。

「それじゃ、よろしく頼んだわよ……大丈夫、ほんの3時間の見張りだから、ね」

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