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凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第27章 法律の勉強は大変だ?(2016年7月6日水曜)
161/487

161手目 シャンパンは投資の香り

「賭け金? ……あぁ、ダメですよ、そういうの。ここ、賭け将棋は禁止です」

「べつに金銭じゃなくてもいいさ。そうだな……例えば、きみが負けたらクラブで僕を指名する、っていうのはどうかな」

 私は吹き出しそうになった。このホスト、絶対に勝つ気でいる。その証拠に、自分が負けたらどうなるのかについて、まったく口にしようとしなかった。私は腹立たしいを通り越して、あきれかえってしまった。

「お兄さんが負けたら、どうするんですか?」

「この指輪をあげるよ」

 ホストは、左手の中指にはめた平打ちのシルバーリングをみせた。

 私は遠慮する。

「ダメダメ、それじゃギャンブルです」

「僕が負けることはないから、賭けとして成立してないけどね」

 マジでムカつく。

 私は自分をなだめつつ、べつの提案をした。

「私が勝ったら、お兄さんは道場出禁でお願いします」

「きみにそんな権限あるのかい?」

「あれ? 負けない以上、賭けとして成立してないんでしょ?」

 ホストは笑った。

「これは一本取られたな。OK、きみが負けたら僕をクラブで指名する。僕が負けたら、2度とこの道場には来ない。これでいいかい?」

「OKです。それじゃ1手30秒で」

 私は一礼してチェスクロを押した。

「よろしくお願いします」

「よろしくお願いします」

 ホストはサッと初手を指した。ありきたりな7六歩。もっともったいぶるかと思ったけど……ま、いっか、ちゃちゃっとボコして出禁にする。

 3四歩、2六歩、8四歩、2五歩、8五歩、7八金。

「2四歩とつっかけてこないってことは、しろうとじゃないですね」

 私はからかってみた。

「あいにく接待将棋じゃないんでね」

 3二金、2四歩、同歩、同飛、8六歩、同歩、同飛、3四飛。

 手つきからして、上級者くさい。おっちゃんの見立てはまちがっていないようだ。

「3三角」

「5八玉」


挿絵(By みてみん)


 青野あおの流か。先手番で勝率の高い戦法だ。

 ちょうどいい。団体戦用に研究していたカタチの実験台に使う。

「6二玉」

「へぇ、5二玉、3六歩の手順を嫌うんだ。自信ナシかい」

「先手の勝率8割超えのかたちを選ぶほど、うぬぼれてませんよ」

「だったら、敬意をあらわして僕も変化しようか。9六歩」


挿絵(By みてみん)


 いきなりの変化球……だけど、これは研究の範囲内だ。

 私は2二銀と上がって、3八金に5二玉ともどった。

「そのステップは面白いな。手損だけど、9六歩がからぶればオアイコってことか」

「さ、どうします?」

「3六歩はちょっと無理があるか……9六歩を活かすよ。3六飛」

 私は8四飛と引いた。

 2二銀+8二飛型にしないのが、この作戦の骨子だ。

 とはいえ、ホストのほうも対応は早かった。

 7五歩、6二銀、7七桂、2三銀。

「7六飛」


挿絵(By みてみん)


 ひねり飛車模様か……ってことは、こっちも2四飛と回る展開。

 このホスト、構想力もある。9六歩をじっさいに活かしてきた。

「9四歩」

 先に端を受けておく。9五歩と詰められるとめんどくさい。

 8五歩、2四飛、2八銀、8二歩、6八銀。

「……お兄さん、強いですね」

「それは店主から聞いてあったんじゃないの?」

「指してみて、あらためて実感しました。全力でいきます。5五角」


挿絵(By みてみん)


 この手に、ホストも目をほそめた。

「……なるほど、よく出来たプランだ」

「言っときますけど、素人女子大生にからまれたと思ってたら大間違いですよ」

「ん、女子大生だったのかい。女子高生かと思ったよ」

「えへへへ、やっぱりそう見えます?」

「きみ、ホストクラブには通わないほうがいいね。簡単にだまされる」

 殺すッ!

 

 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ! パシリ

 

 ホストは5六歩と追ってきた。

 予定通り6四角と撤退する。

 5七銀、3三桂、7九角、5四歩。

「8四歩〜8三歩成〜8二歩でどうするのかな? 8四歩」

「こうですッ!」


 パシリ!


挿絵(By みてみん)


 取れば即死。取らずに4八銀が本命。

 っていうか、おそらく先手の7九角は4八銀で飛車を牽制けんせいする狙いだ。

 この局面は事前に察知されていた気がする。

「さて、僕の3筋をやぶれるか……実験だね。4八銀」

 2五飛、2四歩(打ってきたか)、1二銀。

 ちょっとばかり辛抱。

 先手には追撃手段がないはずだ。

 ホストの手も止まった。

「んー、動かす駒がないか……」


 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ! パシリ


挿絵(By みてみん)


 ん? 5七角? 7九角じゃないの?

 私は即座に4五桂と跳ねた。角と3七の両方に当てる。

「それはいさみ足だね。6六角」


挿絵(By みてみん)


 ……あッ! 銀の尻に駒が利いてないッ!

「ちょっと珍しいかたちかな。1、2、3筋で対処法がないというのは、ね」

 ホストの言うとおりだ。普通なら、金をずらすとか歩を打つとかで対処できる。

 でも、このケースは駒の配置が悪すぎてなにもできない。

 5五歩で一回止める? ……いや、ダメだ。こっちの角筋も止まるから3七歩成が利かなくなる。

 

 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!


「攻めますッ! 3七歩成ッ!」

 同桂、同桂成、同銀左、3六歩。

「4六銀、同角、3七銀ねらい? すなおに取るよ。同銀」

「2枚換え上等ッ! 2八角成ッ!」


挿絵(By みてみん)


 ホストは2五銀で飛車を回収した。

 私は3八馬と寄る。

「おっと、そいつは危ない。3五飛だ」

 金馬両取りッ!? なんておどろくと思ったの。これはさすがに読んである。

「4九銀」

 馬にヒモをつけつつ王手。

 5七玉に対して3三桂と打つ。これで両取りは回避した。

「しかし、2枚換えは回避できてないね。3三角成」

 くッ、さすがに切ってくるか。

 私は同金、同飛成に5一金で逃げ道を確保した。

 さすがに苦しい。

 6五桂、5九角(頓死を狙う)、4五桂、6一玉。

「5三桂右成」


挿絵(By みてみん)


 ん? 桂馬を渡してくれるの?

 清算して……これが先手に対する詰めろか。

 問題は、私のほうが詰むかどうかだ。微妙に詰まない気が――

 

 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!


「一か八かッ! 同銀ッ!」

 同桂成、4五桂、4六玉。

 私は角に指をかけた。

「2六角成です」


挿絵(By みてみん)


 これは明確に詰めろ。3七馬引、同龍、同馬、4五玉、4四金までだ。

「あ、うーん……お嬢さん、そういう結末はいただけないな」

「へ?」

「これが詰めろ逃れの詰めろだよ。3八龍」


挿絵(By みてみん)


 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………私はひたいに手をあてて、のけぞった。

「そっか……6四桂……」

「正解。同銀、7二銀、同玉、6四桂、同歩、6三角、7一玉、7二金までだね」

 私は椅子にもたれかかる。木張りの天井に、私をあざわらうかのような3つのシミがみえた。チェスクロが無慈悲に鳴る。

 

 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!


「負けました」

「ありがとうございました」

 私は姿勢を正した。めのまえのホストをまじまじとみつめる。

「めちゃくちゃ強いですね。もしかして元奨?」

「ちがうよ。僕はプロ将棋には興味がない」

「じゃあ、どこで練習してるんですか? ネット? それともどっかの学生?」

 ホストは席を立った。雑誌をひろい上げる。どうやら私物のようだ。

 呼び止めようとすると、一枚の名刺が宙を舞った。

 私はあわててキャッチする。

「僕が働いてる店は、そこだよ……ご指名、お待ちしております」

 

  ○

   。

    .


 ***** 以上、折口おりぐち先生の回想録、中断 *****

 

「こうして、私は謎のイケメン真剣師と出会ったのだ」

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………うそくさ。

「折口先生、作り話はいいので、そろそろ真相をお願いします」

「作り話じゃないってばッ!」

 折口先生は、テーブルをバンバンやって真実味をアピールした。

 備品にあたらないでください。

 私は風切かざぎり先輩とひそひそ声で相談する。

(いまの話、ほんとうだと思いますか?)

(いやぁ、120%美化されてるだろ。登場人物と折口のキャラが合ってないしな)

 ですよねぇ。超リア充みたいな思い出話は、なんかしっくりこない。

 とはいえ、あんまりすねられても困るから、続きを聞くことに。

「で、先生はホストクラブに行ったんですか?」

 私の質問に対して、折口先生はこくりとうなずいた。

「うむ、行ったぞ」

「それって、最近通ってるお店と時系列がごちゃごちゃになってませんよね?」

「私はホスト遊びはしてなぁい。人生でクラブに行ったのは、そのときだけだ。大学の教員はこうみえても忙しいんだぞ」

 ほんとぉ? だったらサークル棟にいるのはなぜなのか。

 とりま静聴。

 

  ○

   。

    .


 ***** ふたたび、折口先生の回想録 *****


「いらっしゃいませ」

 高級そうなスーツを着た男が、入り口で会釈した。

 きらびやかな照明のなかで、私の学生っぽい服装はあきらかに浮いていた。

 だんだんと恥ずかしくなってくる。しかも、入店の仕方がわからない。

「はじめてのご来店でしょうか? 紹介状などは?」

「えっと……このひとに呼ばれたんですけど……」

 私は、あのホストから受け取った名刺をみせた。

 すると、即座に話が通じた。

「ふみやのお客様でしたか。少々お待ちください」

 私が待っていると、すぐに昼間のニイちゃんがでてきた。

「こんばんは、今日はご指名をいただき、ありがとうございます」

「えっと……けっきょく、あんたの名前はなんなの?」

 ニイちゃんが敬語になったせいか、私はタメ口を利いてしまった。

「名刺に書いてあったと思いますが?」

「『ふみや』としか書いてなかったんだけど……」

「それが名前ですよ。それ以上はもっと親しい間柄になってからにしましょう」

 なぁにが親しい間柄だ。昼間と雰囲気がちがいすぎて、私はどぎまぎした。しかも、案内された店内がそれに拍車をかけた。黒天井に白壁で仕切られた、宮殿みたいな空間。スモークガラスでスペースが区切られていて、その奥に白いソファーと白いテーブルがみえた。薔薇の花があちこちに飾ってあって、いかにも、って感じだ。

 私とふみやが座ったのは、店の一番奥だった。

「飲み物は?」

 20歳は超えていたけど、ソフトドリンクにした。

「なぁ、高いんだろ、こういうところ?」

「そうだね……東京のホストクラブなら、初回飲み放題で3000円、ってところもあるけど、ここは祇園。日本で一番高級な遊びができる街さ」

 値段をいえ、値段を。

 っていうか、さっきまでの敬語はどこに行ったんだ。先輩ホストのまえで猫かぶってたのか。私はちょっと怖くなって、

「それ飲んだら帰るよ。ただの罰ゲームだし」

 と告げた。ふみやは意味深な笑みを浮かべた。昼間のそっけない態度とはちがって、甘いスマイル。私はメガネをふきながら、

「でさ、ひとつ聞きたいことがあるんだけど……」

 とたずねかけたところで、オレンジジュースが運ばれてきた。しぼりたてらしく、果肉が溢れんばかりに入っていた。ふみやは青いシャンパンを注文していた。余韻のあるイイ香りがする。

「じゃ、乾杯」

 ふみやは三角錐のグラスを持ち上げて、私に軽くささげた。

 私もグラスをかるく当てて、音を鳴らす。そのまま3分の1ほど飲み干した。

「ふぅ……で、これいくらなの? 席料と合わせて10万とかじゃ払えないよ?」

「日本で一番高級な遊びができる街だって言っただろ。ぼったくりバーじゃない」

 しかしねぇ、遊びは遊び。高くつく。

 まあ、正直なところ、賭け将棋に乗っちゃったし、ふみやには【出禁】を賭けてもらったから、数万円くらいは払ってもしょうがないかな、と思っていた。学生だからそうとう痛いけどね。負けは負けだ。

 店内には静かなクラシックが流れていた。会話の糸口がつかめないでいると、ふと、ふみやが持っていた雑誌のことを思い出した。昼間、将棋道場で読んでいたアレだ。

「そういえば、株に興味あるの?」

「ん? 急にどうしたんだい?」

「将棋道場で読んでた雑誌、投資雑誌だったじゃん。あれ、私物だろ?」

 ふみやはグラスを飲み干すと、両腕をひろげてソファーにもたれかかった。

 その姿は王子さまみたいで、たしかにハマる子もいるだろうな、と感じた。

「きみは、聖生のえるって名前を聞いたことがあるかい?」

「のえる? ……ないね。ここのナンバーワンホスト?」

「もっとすごい男さ」

「じゃあ、祇園のナンバーワン? まさか売上日本一とか?」

 ふみやはひとさしゆびと中指をこめかみにあてて、フッと笑った。

「もうすぐ世界恐慌がくる……それを告げる悪魔だよ」

場所:K都の将棋道場

先手:謎のホスト

後手:折口 希

戦型:横歩取り


▲7六歩 △3四歩 ▲2六歩 △8四歩 ▲2五歩 △8五歩

▲7八金 △3二金 ▲2四歩 △同 歩 ▲同 飛 △8六歩

▲同 歩 △同 飛 ▲3四飛 △3三角 ▲5八玉 △6二玉

▲9六歩 △2二銀 ▲3八金 △5二玉 ▲3六飛 △8四飛

▲7五歩 △6二銀 ▲7七桂 △2三銀 ▲7六飛 △9四歩

▲8五歩 △2四飛 ▲2八銀 △8二歩 ▲6八銀 △5五角

▲5六歩 △6四角 ▲5七銀 △3三桂 ▲7九角 △5四歩

▲8四歩 △3六歩 ▲4八銀 △2五飛 ▲2四歩 △1二銀

▲5七角 △4五桂 ▲6六角 △3七歩成 ▲同 桂 △同桂成

▲同銀左 △3六歩 ▲同 銀 △2八角成 ▲2五銀 △3八馬

▲3五飛 △4九銀 ▲5七玉 △3三桂 ▲同角成 △同 金

▲同飛成 △5一金 ▲6五桂 △5九角 ▲4五桂 △6一玉

▲5三桂右成△同 銀 ▲同桂成 △4五桂 ▲4六玉 △2六角成

▲3八龍


まで79手で先手の勝ち

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