157手目 鬼、正体を現す
放課後の工学部棟――廊下の窓から、風のざわめきが聞こえる。
妙に人気がない。
1つおきについた蛍光灯のしたを、私はゆっくりと歩いた。
「たしか、このへんだったような……」
折口先生に声をかけられたのは、このあたりの……あった。
私はプレートを確認した。ドアの窓から光が漏れている。
だれかいる証拠だ。私はこっそりと接近した。
ひとの声が聞こえた。
「折口先生、すごいです」
「くくく、これが大人のテクというやつだ」
ちょっとーッ!
私はドアを開けた。
「ふたりとも、なにやってるのッ!?」
中に飛び込むと――3Dプリンタをのぞきこむ松平と折口先生の姿があった。
松平はびっくりして、
「う、裏見、どうしてここにッ!」
とさけんだ。そして、3Dプリンタの中身を隠そうとした。
「ちょっと、なに作ってるの?」
「い、いや、これはだな……またあとで見せようと……」
私は松平を押しのけた。プリンタのガラス越しに、中のブツをのぞきこむ――ん?
「これって……私?」
スプレーで造形されていくフィギュアは、ポニーテールの女の子と、メガネをかけた女性が将棋を指しているシーンだった。完全に見覚えがある。
私は折口先生にむかって、
「これ、もしかして昼間の対局ですか?」
とたずねた。
折口先生は腕組みをして、不敵な笑みを浮かべた。
「ふふふ、全身スキャンからモデリングした。これが大人の使い方というやつだ」
あのさぁ……ひと騒がせな。
私があきれていると、折口先生は、
「ところで、裏見はなぜ共同研究室へ来たんだ? やはりプリンタに興味津々か?」
と、逆に質問をかえしてきた。
「い、いえ、そういうわけでは……」
「遠慮するな。これまで松平といっしょに作ったコレクションをみろ」
折口先生は、テーブルのうえに並べられたフィギュアの山を示した。
こ、こんなに作ったのか。
私は自分がモデルにされてることもあって、微妙に気になった。
ひとつひとつ鑑賞しようとすると、松平が立ちはだかった。
「待て待て待て、これはプライベートなものだッ!」
「? なんであんたが慌ててるの?」
「とにかく、今は研究中ッ!」
……………………
……………………
…………………
………………なにかあるわね。
「松平、ちょっとどいてもらえる?」
「裏見さん、お願いだからみないで」
どーけぇッ!
私は松平を押しのけて、テーブルのうえを一瞥した――ん?
「松平……この水着を着た私のフィギュアは、なに?」
「そ、それは世界で一番美しい女神像です」
ゲシッ! ドゴッ! ボコッ!
○
。
.
翌日の昼休み、私は部室でコーヒーを飲んでいた。自販機で買った安物だ。
まったく、腹立たしい。
「裏見さん、ごきげんナナメのようですが、いかがなさいましたか?」
大谷さんは、将棋を指しながらそうたずねた。
「べつに」
「さようですか……人生、いろいろなことがあります。お気になさらずに」
10代らしからぬアドバイスを終えて、大谷さんはお茶を一服した。
私はミクロ経済学の教科書をひらく。
「試験勉強ですか?」
「さすがにそろそろ始めないとね……大谷さんは、どう?」
「崩し字の試験が近いのですけれども、拙僧、実家で習いましたので問題ありません」
くぅ、余裕みせちゃって。
私は穂積さんのほうへ向きなおった。
「ねぇ、穂積さんは? 法学部の勉強って、どんな感じ?」
反応がない。ぼんやりと外をみている。
「穂積さーん?」
穂積さんはようやく我にかえって、
「な、なに?」
と訊き返した。聞いてなかったんかい。
「法学部も試験あるんでしょ? どんな感じ?」
「だ、大丈夫よ」
なにがですか。っていうか、この動揺っぷり、あやすぃ。
「お、お兄ちゃんが単位取れるんだから、私なら、ら、楽勝よ」
いや、そういう問題じゃないっていうか、穂積さん、お兄さんのこと過小評価し過ぎでは。たしかに、最初に会ったときは、天然シスコンキャラかと思った。けど、普段の言動をみる限り、キレ者な気がする。とくに他大で名前が売れてるのがナゾ。
大谷さんと将棋を指していた三宅先輩は、ひとこと、
「そんなに心配しなくても、なんとかなるぞ」
とコメントした。
「……」
「……」
「……」
「なんで無視するんだッ!?」
三宅先輩の単位状況にもとづき、と内心つっこみを入れた瞬間、ドアがひらいた。
風切先輩が眠たそうな顔で入室した。
「おーす、今日も盛況だな」
先輩は、肩にかついだ荷物を、部屋のすみのソファーにほうった。
この部屋も家具が増えてきた。だんだん部室っぽくなっている。
先輩は手近な椅子を引いて腰をおろした。
そして、こう言った。
「7月に入って、部室へ来る時間も減るころだと思うが、1年生は大丈夫か? 試験対策はできてるか? 三宅みたいになるなよ?」
「なぜ俺を名指しなんだ……」
「で、裏見、折口についてなにか進展はあったか?」
「ありません」
私はちょっと強めに答えた。
「……ほんとになにもないのか?」
「ありません」
「そ、そうか……じゃあ、聖生の手がかりは完全に消えて……」
「なーいッ!」
私たちはびっくりした。いきなり大声が聞こえたからだ。
ガラリとドアがひらき、折口先生が姿をあらわした。
「諸君ッ! 手がかりはまだ消えていないぞッ!」
……………………
……………………
…………………
………………
私たちはあっけにとられた。折口先生はキョトンとして、
「どうした? 教官の顔がそんなにめずらしいのか?」
とたずねた。私は代表して、
「お、折口先生、どうなさったんですか? ここは工学部棟じゃありませんよ?」
と訊いた。
「こらこら、徘徊老人みたいな扱いをするな。それくらいわかっている」
「じゃあ、なんでここに?」
「クラブの顧問がサークル棟をウロついてはいかんのか?」
なんだ、折口先生、クラブの顧問だったのか。
ついでに通りかかったわけね。
「どちらのクラブですか?」
「今、目のまえにいるクラブだ」
……………………
……………………
…………………
………………全員硬直する。
折口先生は眼鏡をなおして、ポーズを決めた。
「というわけで、将棋部顧問に就任した折口希だ。よろしく……ん? どうした?」
私はおそるおそるたずねる。
「あの……冗談ですよね? 顧問の先生はすでに……」
「今年で退官する。私が新任だ」
その瞬間、安食先生との会話がフラッシュバックした。
《私は顧問の先生に会ったことがないんですが、どういうかたですか?》
《今年で定年退官されるかたです。工学部の先生ですよ。裏見さんは、次の顧問にどういうひとを希望しますか?》
《全国大会を狙っているので、バックアップしてくれる先生がいいです》
《そうですか、全国大会ですか、それは凄いですね》
「あッ……」
絶句した私に、全員の視線があつまる。
風切先輩は青ざめて、
「裏見、まさか部に無断で、折口を顧問に呼んだのか?」
とうたがってきた。
「ち、ちがいますッ! これは大学当局の陰謀ですッ!」
「おーい、そこのポニテ男子、いま呼び捨てにしたな? あとで研究室に来なさい。というか、私に頼んできたのは理学部の安食先生だ。学生部は安食先生に頼むつもりだったが、熱血教官のほうがいいと言われてな。折口希、青春部活ドラマは嫌いじゃない」
「おい、こいつをだれか追い出せ。ヤバいぞ」
風切先輩、混乱して先生を追い出し始める。ダメダメ、穏便に。
私は大谷さんと穂積さんに、とりなしをもとめた。
「拙僧でも、さすがに調伏はむずかしいとみました……南無三」
「アカハラっ! パワハラっ! 大学当局の横暴を許すなッ! 学生自治ッ!」
ダメダメダメ、穏便に。私は最後の頼みの綱、三宅先輩に助けをもとめた。
「先輩、なんとかしてください。これじゃ集団ヒステリーですよ」
「いやぁ、さっき散々言われたからなぁ。俺じゃ役に立たない」
「小学生みたいな拗ね方しないでください」
「まあ、それは冗談で……折口先生、顧問っておっしゃいますけど、大学将棋のことにお詳しいんですか? 将棋が強いとはうかがいましたが、それだけじゃ俺たちを指導するのはむずかしいと思います」
折口先生は、またキョトンとした。
そして、大きくタメ息をついた。
「なんだなんだ、最近の若いのは、私のことを知らんのか。よく聞け」
折口先生は、自分自身を親指でゆびさした。
「古都大学将棋部、元主将、鬼の折口とは私のことだ。あらためてよろしくぅ!」