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凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第26章 単位大作戦!松平を救え!(2016年6月29日水曜)
153/486

153手目 ウソの裏側にはウソがある

 翌日、私は安食あじき先生の研究室をおとずれた。

 金魚に餌をやっていた先生は、この訪問にすこしばかり面食らったようだ。

 ごちゃごちゃした室内をてきとうに片付けて、席をすすめてくれた。

 私はこのまえのお礼を述べてから、すぐに本題にはいった。

折口おりぐち先生のご経歴について、おうかがいしたいことがあります」

「ほぉ、折口先生のご経歴……ですか」

 安食先生は、お茶をすすって沈黙する。

 窓のそとからは、学生たちの声。

 私も次の授業あるんだけど――ここはしんぼう。

 おだやかな日差しとはうらはらに、室内の空気は重たくなりはじめた。

裏見うらみさんは経済学部だったように記憶していますが」

「折口先生と、すこし学内で接点がありまして……」

 安食先生は「ふむ」とだけ言って、また口を閉じた。

 なにかやっかいごとを持ち込まれたと感づいたようだ。

 慎重にことばを選んできた。

「折口先生はややとっつきにくいご性格かもしれませんが、話せば分かるかたですよ」

「いえ、もめごとがあったわけではないんです……折口先生は、ドイツ留学なさっていたとうかがいました。私は高校生のとき、ドイツ人の後輩がいたので興味があります」

「それならば折口先生に直接おうかがいになられてはいかがでしょうか」

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………かんばしくない。

 安食先生なら聞き出せると思ったけど、あまかった。

 さすがに高齢の教授だけあって学生対応が手馴れている。

 私は次の手を模索した。

 部がイヤガラセにあってることを率直につたえる?

 さすがに私の独断じゃできない。それに、折口先生が犯人だという証拠もない。

「あの……そもそも折口先生は、どういうご研究を……」


 コンコン

 

 いきなりのノック。

 ふりかえると、開けっぱなしのドアのむこうに星野ほしのくんがいた。

 ラフなTシャツにジーンズといういでたちだった。

「すみません、ちょっとよろしいですか?」

 星野くんの訪問に対して、安食先生は、

「ごらんのとおり、先客がいますので……」

 と答えかけた。ところが星野くんはそれをさえぎって、

「いえ、裏見さんのほうに急用なんです」

 と告げた。私?

 安食先生も、学生同士の用事が優先だと思ったのか、退室を了承してくれた。

「こちらからお邪魔したのに、もうしわけございませんでした」

 私が頭をさげると、安食先生はほんわかとした笑みをこぼした。

「いえいえ、気になさらずに。折口先生のご研究についても、ご本人に確認されたほうがよろしいですよ。私は門外漢ですから」

「……わかりました」

 けっきょくなんの情報も得られなかった。私は研究室をあとにする。

「で、星野くん、私に用事ってなに?」

「あっちのほうに移動してからにしましょう」

 なんですか、あやしい話じゃないでしょうね。

 私はかるくみがまえつつ、エレベーターまで移動した。

 すると、星野くんはいきなりタメ息をついて、

「裏見さん、安食先生にいきなりちょっかいかけるのはマズいですよ」

 と言った。

「な、なんで私が情報収集してたって知ってるの?」

「研究室のドアが開いてて変だと思ったので、廊下で盗み聞きしてました」

「……星野くん、かわいい顔してやってることがあいかわらず腹黒いわね」

「いや、腹黒いとかそういう問題じゃなくてですね……安食先生はITオンチだから、折口先生の情報は知らないと思います」

「え? そうなの? 理系の先生なのに?」

「安食先生の専門は昔ながらの農学です。防虫とか肥料とか」

 うーん、だったら安食先生=聖生のえるもなさそう。1%くらい疑ってた。

「っていうか星野くん、聖生のえるさがしに興味ないのかと思ってたら、そうでもないのね」

「いちおう4月に入部を妨害されてますから」

 あ、そういう……ん? ちょっと待ってよ。

「ねぇ、もしかして聖生っぽいひとから連絡を受けたとか、そういうことはない?」

 星野くんは、この質問を予期していたっぽい。

 間をおかずに返答してきた。

「いろいろ思い出してみたんですが……それらしい電話が1度だけありました」

「ある? なんで今まで黙ってたの?」

「そ、それらしいというだけで、自信がなかったからですッ!」

 ハァ〜〜〜そういう信頼関係こわす行為ダメ、絶対。

「で、なんだったの? くわしく教えてちょうだい」

「非通知の電話がかかってきて、『将棋部に入ってくれ』って言われました」

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………???

「将棋部に入るな、のまちがいじゃない?」

「いえ、はっきりと『将棋部に入って欲しい』って言われたんです」

「だれに? 男? 女?」

「わ、わかんないです。声が変だったからボイスチェンジャーかも……」

「ボイスチェンジャー?」

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………ああッ!


  ○

   。

    .


「俺たちのサポーターがいる、だと?」

 風切かざぎり先輩は、けげんそうに私の顔をみた。

 大谷おおたにさんとの将棋を中断して、椅子をこちらにむける。

「どういう意味だ?」

「星野くんのところに、あやしい人物から電話があったらしいんです。『将棋部に入って欲しい』って言われたとか。その声がボイスチェンジャーだったんですよ。ほら、先輩、春の大会でオーダー表の書き換えを教えてくれたひとも、ボイスチェンジャーだったじゃないですか」

「つまり、裏見の推理だと、そのふたりは同一人物ってことか?」

「そうとしか考えられなくないですか? 聖生はオーダー表を書き換えて、私たちを将棋界から追放しようとしてました。これをリークしてくれたのがボイスチェンジャーの……Xとしておきますね。星野くんに入部をうながしてくれたのも、Xだと思います」

 私はいきおいよくまくしたてた。風切先輩に制止される。

「待て待て、そのXってのはだれなんだ?」

「それはわかりません。でも、私たちの味方なんです」

 風切先輩は腕組みをして考え込んだ。

「……大谷は、どう思う?」

「2つの電話が同一人物の可能性は高いと思います。それと、これは拙僧の憶測になってしまいますが、Xの候補はすでにひとりいます」

 これには私と風切先輩もおどろいた。

「だれだ?」

「日センの速水はやみさんです」

 その名前を聞いて、私はなんだか納得してしまった。

 風切先輩も、なるほどという顔をする。

「ありうるな……野球部の大熊おおくまの件は、そのついでだったってことか……?」

「ただし、仮に速水さんがXだとしても、拙僧には動機がまったくわかりません」

 風切先輩はそのとき、ふと妙な動きをした。

 いや、正確にいうとちがう。妙な動きをしたようにみえた。

 ほんな数ミリ単位の違和感だった。

「……よし、あとで俺からも星野にきいてみよう」

 私と大谷さんは一瞬視線をかわした。けど、なにも口にしなかった。

 風切先輩は盤にむきなおり、ふたたびチェスクロを動かした。


【先手:大谷雛 後手:風切隼人】

挿絵(By みてみん)


 風切先輩はのこり1秒まで考えて、8四歩と突いた。

「だいぶ拙僧のほうが悪いです。しんぼうします」

 6七歩、5七銀成、5四飛、5三歩、8四飛。


挿絵(By みてみん)


 大谷さんは桂馬を助けた。

 風切先輩はうしろ髪をくるくるさせながら、

「やっぱ桂馬はもらうぜ。8三金」

 と打った。次に8四歩で桂馬を取り切るねらいだ。

 

 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!


「3四飛です」

「8四歩」


 パシリ


挿絵(By みてみん)


 ほぉ、桂馬をさしだすかわりに金を攻めた。

「ん、それは……8三桂成が目的じゃないな」

「黙秘いたします」

「とりあえず8五歩」

 8四銀!、同金、同飛。

 なるほど、その手があったか。大谷さん、やるぅ。

 8三銀打、同桂成、同銀、同飛成。


挿絵(By みてみん)


 大谷さんはこのままじゃ間に合わないとみて、飛車を切った。

 同玉に7五銀とおく。

 風切先輩は、じぶんの持ち駒を確認した。

 口もとに手をあてて、真剣に考える。

「そろそろ決めたいが……」


 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ! パシリ

 

 風切先輩は3九飛とおろした。

「4二成桂です」

「6八歩」


挿絵(By みてみん)


「ッ!」

 大谷さんはくちびるをむすんだ。

 これは――

「取っても取らなくても9九角で負けですか……投了です」

「ありがとうございました」

 ふたりとも一礼して終了。

 感想戦にはいる。

「序盤でムリをしすぎたように思います」

「まあ、あの取り合いは後手のほうがいいよな」

 ふたりの感想戦は30分ほど続いた。

 そのあいだ、部室にはだれも来ないまま、夜の8時になった。

「さて、俺もそろそろ帰るぜ。送ってくか?」

「いえ、拙僧と裏見さんならば安心かと」

 な、なんかその言い方は気になるけど、ま、いっか。

 大学を出て、薄暗い夜道を歩きながら、私と大谷さんはXについて話し合った。

「さきほど、風切先輩はなにか隠しごとをしたようにみうけられました」

 大谷さんは杖を突きながら、ふいにそうつぶやいた。

 私もうなずきかえす。

「Xが速水先輩かもしれないことに、風切先輩は心当たりがあるんじゃないかしら」

「そうなると、聖生のえるは折口先生ではないのかもしれません」

「どうして?」

「日センの速水さんが本学の教員を監視できるとは思えません」

 大谷さんの推理に、私は疑問を感じた。

「速水先輩は、大熊コーチを監視できてたのに?」

「大熊コーチを監視していたわけではないと思います。仮に監視していたなら、野球部の通帳のすりかえ現場も押さえることができたのではありませんか?」

「あ、そっか……星野くんの冤罪事件を未然にふせげてないのは変ね。でも、そういうことを言い出したら、速水先輩がXだっていう推理はそもそもまちがってるんじゃない?」

「なぜですか?」

「大熊コーチを監視できないなら、聖生のえるの監視もできっこないからよ」

「聖生が折口先生なら、そうでしょう。しかし、親しい学生だとしたら?」

 私はたちどまった――胸の奥にあった、一番危険な可能性にふれられた気がする。

「それって……速水さんの友だちが聖生のえるだってこと?」

「裏見さんは、さきほど風切先輩のようすがおかしかったと感じませんでしたか?」

 感じた、と私は答えた。

 大谷さんと視線が合ったとき、彼女もおなじ印象を受けたと推測していた。

 だけど、あらためてことばに出されてドギマギしてしまう。

「でも……それらしいひとは思い浮かばないわ」

「拙僧たちが知っている人物ではないのかもしれません。すくなくとも、関東学生将棋界の上級生は、私たちにまだ打ち明けていないことがあるような気がします」

 私は夜空をみあげた。月がみえる。新宿に輝いていたのとおなじ月だ。

 風切先輩が言った、宗像さんに未練はないということば。あれはたぶんウソ。

 もしそのウソの背後に、もうひとつのウソが隠れているとしたら――

「とりあえず、新参者としては首をつっこむことではないように思います」

「……そうね」

 私たちはふたたび歩き始めた。

 月に照らされた足取りは、どこかあいまいなところがある、そんな夜だった。

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