152手目 状況証拠ばかりなり
「松平が折口の身辺をさぐってる?」
風切先輩は、やや大きな声でたずねかえした。
私は声のトーンをさげるようにお願いする。
「すまん……で、ほんとの話なのか?」
「松平は、折口先生が聖生だとうたがってるみたいです……三宅先輩から連絡がありませんでしたか? MINEに報告するって言ってましたよ?」
「昨日は俺も三宅もいそがしかった。連絡をとってない。ところで、証拠はあるのか?」
私はその根拠も説明した。
高性能3Dプリンタを所持している可能性があること。
学内関係者だから、私たちを監視するのはたやすいこと。
そしてなにより、将棋が強かったことだ。
「たしかに、状況はそろいすぎてる気もするが……断定はできないだろう」
「断定できないからこそ、証拠をさがそうとしてるんです」
「待て。それ以外にも説明がつかないことがある」
風切先輩は予想だにしないことを言い出した。
「説明がつかないこと……? なんですか?」
「被害者は都ノだけじゃないんだ。聖ソフィアも、だろう」
あ、そっか……すっかり忘れていた。
風切先輩は先をつづける。
「コトの発端は、都ノと聖ソフィアのオーダーが書き換えられていた事件だ。俺たちが集中的にストーカーされ始めたのは、そのあとだ」
「聖ソフィアをまきこんだのは、目くらましとも考えられませんか? 嫌疑をそらすために1回目だけ聖ソフィアを巻き込んだとか?」
「その可能性もなくはないが……そもそも教官が俺たちにちょっかいをかける理由は?」
「あの……これは私の主観なんですが……折口先生はかなり性格が変わってるみたいで、なにも目的がない可能性はあると思います」
「単なるイタズラってことか?」
「あくまでも主観です。ただ、これを機にもういっかい考えなおしてみました。聖生が目的をもって事件を起こしていると、そう断言できる根拠はありません。むしろ愉快犯だというのが本線なんじゃありませんか?」
「しかし、愉快犯にしてはやってることが悪質……」
そのとき、数人の男子がとおりかかった。
チェック柄のシャツを着た少年が、
「よ、風切、彼女といっしょか」
とからかった。風切先輩は間髪おかずに、
「ちげぇよ、サークルの仲間だ」
と反論した。ちょっと怒気をふくんでいるところがあって、相手はひるんだ。
「じょ、冗談だよ……風切はモテそうだからな。どうせ外に彼女いるんだろ?」
うわぁ……無知は罪の典型ですね、これは……。
「ひとがリア充かどうか気にするヒマがあるなら、試験対策したほうがいいぜ。おまえは去年の代数幾何、落としてるだろ」
「はいはい、わかってるって。邪魔して悪かったな」
男子たちはそそくさとその場をはなれた。
どぎまぎする私に、先輩はむきなおる。
「とにかく、松平ひとりに調査させるのはよくない。部で話し合いの機会を持とう」
○
。
.
話し合いの機会を持つって言ってくれたけど――ほんとうは、そういう流れにして欲しかったわけじゃないのよね。松平が折口ゼミに入るのは危険なんじゃないか、ってこと。聖生対策は、風切先輩のしごとなんじゃないのかなぁ。関東大学将棋界の因縁が絡んでるみたいだし……そうなると、西日本出身の私たちは基本的に関係ないはずだ。
「……さん」
それに、折口先生は素で変わってるから、聖生かどうかと関係なく、あんまり近づきたくない存在ではある。となると――
「裏見さん」
うわッ!
私は、洗いものの湯呑みをあやうく落としかけた。
ふりかえると、橘さんがじっとこちらをみていた。
「ていねいに洗うのはよろしいですが、時間をかけすぎでは?」
「あ……すみません」
私は湯呑みの水をきった。流しに置く。
「なにか考えごとでもなさっていたのですか?」
「ちょっと期末試験のことを……」
私はてきとうに嘘をついた。
橘さんは澄まし顔で、
「大学の定期試験など、大したことはありません。普通に勉強すれば優です」
と返した。なんか棘があるなぁ。
もうちょっと笑ったりしてくれたら、いいのに。
そのほうがかわいくなって朽木先輩にも好印象だと思う。
まあ、私が心配することじゃないのかもしれないけど。
「橘さん、裏見さん、すみません、手合いが足りないので入っていただけますか?」
宗像さんが給油室に顔をのぞかせた。
うぅ、風切先輩との裏事情を知ってしまったせいで、どぎまぎする。
知らぬが仏とはこのことだ。
「裏見さん? どうかしましたか?」
宗像さんは、不思議そうなに私をみつめた。
「あ、いえ、べつに……」
「裏見さんは大学のテストが近いので緊張なさっているようです」
橘さんのまちがった解説を聞いて、宗像さんはクスリとした。
「あ、そうなんですか。いそがしくなったら休んでもいいですからね」
ホワイトバイトで助かった。ここだけは土御門先輩に感謝する。
私は洗いものを中断して、手合いに入った。
4、5局指したところで、閉館の時間になる。
残っている洗いものを終えようとしたら、宗像さんは自分でやると言った。
私の勉強時間を気づかってくれたのだろう。お先に失礼させてもらった。
自転車を押しつつ坂道をのぼっていると、ふいにうしろから声をかけられた。
「裏見ぃ」
「うわッ!?」
びっくりした。変質者かと思った。
でも、その声には聞き覚えがあった。ふりかえると案の定――
「松平、どうしてここにいるの?」
「いや、俺もさっき手伝いが終わったんだ。部室へ寄ったら、裏見はバイトだって聞いてな。道場に行ってみたら閉まってたんで、ひきかえしてきた」
「そういうのは先に連絡しなさいよ。行き違いになってるじゃない」
「さっき入れたぞ」
私はスマホを確認した――あ、ほんとだ。松平からMINEが。
「ごめんなさい。気づかなかったわ。で、折口先生のようすはどうだった?」
「俺の勘は当たってた。折口は3Dプリンタを持ってる」
「どんな?」
松平は悔しそうに頭をかいた。
「機械がカバーでおおってあった。機種は不明だ」
「3Dプリンタだってわかった理由は?」
「カバーに『3Dプリンタ触るな』っていう手書きの張り紙がしてあった」
「どこにあるの? 先生の研究室?」
松平はあごに手をあてて、しばらく考え込んだ。
「見た感じ、共同ラボだった気がする。折口は准教授だから、そこまで大きな研究室はもらえないんじゃないか。それに、自分専用の部屋なら、わざわざ張り紙しないよな」
なるほど、一理ある。
「ねぇ、松平、一回部員で話し合ったほうがよくない?」
「そうしたいのはやまやまだが……俺の単位の問題だしな……」
「単位が取れなかったのは部の雑用が理由でしょ。個人的な問題じゃないわ」
松平は首をふった。
「いや、ここは部を巻きこまないほうがいい」
「どうして?」
「辻姉も言ってただろ。大学サークルでチームワークを育てるのは、想像以上にむずかしいって。部の問題と個人の問題は、きっちりわけたほうがいい。俺がいそがしくて単位がとれなかった、とか言い出したら、今後の活動はぜんぶ学業優先になるだろ。そういう先例になるのはよくない」
「学業は大学生の本分よ。そっちが優先なのは当たり前じゃない?」
「その優先のさせかたに頭を使え……辻姉は、そう言いたかったんじゃないか?」
私と松平は見つめあい――最後は私が折れた。
「わかったわ。好きにしなさい……で、折口先生のほうはどうやって調べるの?」
「一番簡単なのは、部の印鑑データがのこっている場合だ。3Dプリンタにつながってるパソコンを調べればわかる……が、ふつうに考えたらロックがかかってる」
「でしょうね。学生にパスワードは教えないわ」
「それに、データは消されてる可能性も高い」
「仮に折口先生が聖生なら、ね」
松平がちょっと前のめりなところが、私は気がかりだった。
たしかに折口先生が聖生でも、そこまで驚きはない。むしろ安心感すらある。変わったひとのイタズラというのなら、納得はしないけど無害だと思うから。
でも、客観的な証拠はなにもない。状況証拠すらイマイチな感じ。
いまさらだけど、昼間の風切先輩の意見が正しいような気がしてきた。
「そんな顔をしないでくれ。じつはもうひとつ有力な接点をみつけた」
「接点?」
「折口はドイツの研究所に留学してたことがあるらしい」
「! ……ってことは、ドイツ語ができるの?」
「どうだろうな……理系の国際語は英語だ。ドイツ留学してても、現地では英語で生活してたかもしれない。あるいは、あまりしゃべれないってこともありうる」
なるほど、一理ある。私はすこし考えなおした。
「じゃあ、こういうのはどうかしら……」