150手目 コピペレポート
「最初に質問してきたやつが裏切り者……か」
私はぼんやりと、紙製のタンブラーをなでた。
青空のしたで、私の気分は晴れない。
周囲の学生はにぎやかに談笑している。その雰囲気と私のあいだにある壁。
それは――
「裏見、まだあの件を気にしてるのか?」
正面に座った松平は、気づかうようにたずねた。
私は手のひらを組んで、うんと背伸びをした。
「んー……なんかひっかかるのよね」
「風切先輩と三和さんのセリフがかぶってたなんて、ただの偶然だと思うけどな」
「洋画の、おなじシーンのセリフでかぶってるのよ?」
「とも限らなくないか? 最初にマルマルしたやつが犯人だ〜って、推理小説でもよくあるパターンだろ。犯人は現場に帰ってくるとも言うしな」
「まあ、それはそうなんだけど……なんかしっくりこないのよね」
松平は、私を安心させるように笑顔をつくった。
「それよりも、期末試験の勉強をしたほうがいいぞ。初めてのテストだからな」
ああ〜ッ、思い出させないでぇ。
「松平は、どういう対策してるの?」
「こういうときは先輩に聞くのが一番だ。俺は工学部の先輩に聞いてる。三宅先輩が経済学部なんだから、三宅先輩にアドバイスもらうといいんじゃないか?」
「三宅先輩、去年何単位か落としたって言ってたわよ」
「まあ、それが心配なら、直接ゼミの先生に……」
ガ~ピーッ!
うわッ、なにこれ。
私は思わず耳をおおった。壊れたスピーカーのような音だ。
《え~マイクテスト、マイクテスト》
なに? なにかのイベントの練習?
まわりもざわつき始めた。
あたりを見回すと、ハンディメガホンを持った白衣の女性が遠くに立っていた。
《理工学系工学部電気電子工学科1年生、学籍番号1645009、松平剣之介くん。もう一度呼ぶ。理工学系工学部電気電子工学科1年生、学籍番号1645009、松平剣之介くん。挙手》
……………………
……………………
…………………
………………え? 松平?
「俺?」
松平はびっくりしていた。なにも心当たりがないようだ。
《いないんですか? いたら挙手してください。っていうか、しろ》
な、なんか言い方が物騒なんですか。
松平はしかたなく手をあげた。
《はい、そこ動かないでね。さあさあ、通して》
ひとの波が分かれて、白衣にメガネの女性が接近してきた。
松平は目をみひらいて、
「げッ! 折口先生ッ!」
と身をひいた――かと思いきや、いきなりアイアンクローを食らった。
「き~さ~ま~か~このレポートを出したのは」
白衣の女性は、1枚のレポートをみせた。
「いてててッ! そのレポートがどうかしたんですかッ!?」
白衣の女性はレポートをテーブルに叩きつけた。
「このレポートとまったく同じまちがいをした学生が去年もいるんだが、なぜだぁ?」
あッ……
そ、そうだ……明日までのレポートがあったんだ……
すまん、ちょっと離れていいか?
先輩から過去問をもらうだけだ。すぐもどる。
松平……やってしまいましたね、これは。
「I/Oセル使わないと静電気放電で回路壊れるって100回言っただろうがぁ!」
「ひぃいいいッ!」
「よって単位は一発不可。以上」
○
。
.
ここは将棋部の部室――松平ぁ、生きてるぅ?
松平は椅子をならべて横たわっていた。私は顔をのぞきこむ。
「裏見……もっと近くでみて……」
「元気そうね」
「半分死にかけてる……」
「そう」
「もっと優しい声をかけて……」
「うーん、レポートを丸写しする男との付き合い方、考えなおしたほうがいいかしら」
チ~ン
松平、悶絶。
「俺の人生はもう終わった……煮るなり焼くなり好きにしてくれ……」
そばにいたララさんと大谷さんは、
「香子、いじめはよくないよ~」
「左様です。殺生はいけません」
と煽ってきた。ぐぬぬぬ。そもそも私はなにも悪くないでしょ。
とりあえず、松平をはげましておく。
「ほんとに不可にしたかどうか、わかんないでしょ」
「鬼の折口だぞ……ゼッタイ不可になる……」
「なに? 厳しい先生なの?」
「工学部で一番厳しい……あそこの研究室は毎回ひとがいない……」
ハァ……ってことは、ほとんど絶望的ってことね。
すると、三宅先輩が親指をたてて、まぶしいスマイルをみせた。
「安心しろ。単位なんて落としても問題はない」
後輩を堕落の道へいざなう先輩はNG。
松平も抗議する。
「よくないですよ。理系学部は研究室の推薦で就職先が決まることが多いんですから」
「ん? そうなのか?」
「コネがある研究室はGPAがよくないと入れません」
「そ、そうか、それはたいへんだな……風切、なんとかしてやれないか?」
「なんで俺に丸投げなんだよ?」
詰めパラを説いていた先輩は、不満そうに返した。
三宅先輩もすこしマジメになって、
「こうなったのも、松平に星野対策をさせたせいだろう。俺たちにも責任はあるぞ」
と指摘した。風切先輩もちょっとひるむ。
「た、たしかに星野担当に任命したのは俺だが……単位は学生じゃどうしようもない」
「そもそも、一発不可なんてできるのか? 経済学部じゃ、試験中のカンニング以外に聞いたことないぞ?」
「まあ、文系はヌル単位だからな」
「そういうことを言うと、落としてる俺の立場がないだろ……」
「いや、半分は冗談だ……が、コピペレポート不可は普通にあるだろ? れっきとした不正行為だぞ? 掛け合ってくつがえるとは思えない。数学科でも異議申し立ては毎年あるが、判定が変わったなんて聞いたことないからな」
「となると、折口とかいう教員の弱みをにぎるしかないな」
三宅先輩、サラッとあぶないこと言ってますね。
これにはララさんも反応した。
「そんなことしたら脅迫になっちゃうよ~」
「べつに私生活のことで脅すわけじゃない。コピペレポートで助かったやつがいれば、それが前例になるだろう。松平だけアウトにはできないはずだ」
おっと、三宅先輩、そこまで考えて言ってたのか。感心。
松平もがばりと起き上がった。
「その手があったかッ! 今から折口先生の研究室へ行ってきますッ!」
*** 松平剣之介、単位をかけて交渉中 ***
「というわけで、なんとかお願いします」
松平は、折口先生に頭をさげた。
折口先生は書類をめくりながら、ひとこと。
「弁明は以上か?」
「はい」
「じゃあ帰ってくれ。今いそがしい」
「工学部の先輩に聞きましたが、コピペレポートで一発アウトは前例がないです」
「今年から厳しくする」
「そんな犠牲者第一号みたいなのは困りますッ!」
折口先生は書類をテーブルにほうって、松平にアイアンクローをキメた。
「おまえこそ、研究室に彼女なんか連れてきて、アラサー独身女を挑発してるのか?」
彼女……? もしかして私のこと?
「あの、私は彼女じゃなくて同じ部活のメンバーなんですが……」
「部活? 非公認サークルじゃなくて?」
私が将棋部だと名乗るよりもまえに、折口先生はパッと手をはなした。
「よし、じゃあ、ひとつだけ条件を出す。ふたりが得意なゲームで、私に勝ったら単位不可は取り消す。負けたらペナルティ倍」
松平は半分よろこびかけて、すぐに眉をひそめた。
「ペナルティ倍ってなんですか?」
「私の研究を手伝って欲しい」
「け、研究の手伝いって……卒研は4年生からですよ?」
「いや、正式に所属しなくても手伝いはできるだろう、松平くん?」
「も、もしかして、ノー単位で奴隷労働ですか?」
折口先生は、チッチッチと指をふった。
「奴隷労働とは人聞きが悪い。CADで製図したり3Dプリンタで型を取ったり、ハンダ付けしたり、できあがった回路に萌えてみたりする、やりがいのある職場(無給)だぞ」
「それを奴隷労働と言うんですよッ!」
「なんだ? 勝つ自信がないのか? ふたりは何の部活だ?」
「しょ、将棋です……っていうか、折口先生、将棋できるんですか?」
「多少はできるぞ」
ん、ほんとに受けて立つの? 松平はそんなに弱くないわよ?
ところが、ここで松平の悪い癖が出る。
「あの……一発勝負で研究室に強制参加というのは、ちょっと……」
弱気ぃ。松平、こういうときはガツンといきなさい、ガツンと。
私はこっそりハッパをかける。
「松平、せっかく先生が妥協してくださってるんだから、指してみたら?」
「でもなぁ、将棋はなにが起こるかわからんし……」
もうすこし押そうとしたところで、折口先生のほうからさらに妥協してきた。
「なんだ? もしかして初心者なのか? だったら2対1でもいいぞ?」
松平はきょとんとする。
「2対1というのは?」
「そっちの女子も入れて2対1だ。2連勝したら私の勝ち、1つでも負けたら、単位不可は取り消す。どうだ? それでもダメか? 女子のほうも初心者?」
ほらほら、松平、どんどん安売りになってきた。これは買うべし。
私は松平の肩に手をのせる。
「2対1ならさすがに大丈夫でしょ」
「そ、そうだな」
「よし、じゃあ……えーと、ふたりは将棋盤って持ってる?」
持ってるわけがない。私は、
「ネットでもできますけど、先生はアカウントを持ってらっしゃらないですか?」
とたずねた。先生は、
「持ってないけど、メアドはたくさん持ってるから2つ作れるよ」
と答えた。規約違反な気もするけど、背に腹は代えられない。
私はネット将棋のアプリを紹介して、スマホとパッドにひとつずつ入れてもらった。
先生はスマホとパッドを交互にフリックする。
「セット完了……じゃ、よろしく」