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凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第25章 合宿費盗難事件(2016年6月20日月曜)
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148手目 積み重なる憶測

 バッティングセンターから大学へもどった私は、部室に急いだ。

「たいへんですッ! 星野ほしのくんが……」

 あれ――私は、室内の空気がおかしいことに気づいた。

 風切先輩が、部屋のまんなかで悩ましげな顔をしている。

「どうかしましたか?」

 声をかけると、風切先輩はようやくふりかえった。

「これを見てくれ」

 先輩は、テーブルのうえを顎で指し示した。

 のぞきこむと、1枚のハガキが置かれていた。

 

 ワタシ ハ ハンニンデ ハナイ

 

 新聞の切り抜きで作られた、あやしげな文面。

 私は差出人をみておどろいた。

聖生のえるッ!」

「今朝、うちのポストに投函されてた」

「部のポストですか?」

「いや、俺のアパートだ」

 私は二重におどろいた。と同時に、疑問が芽生えた。

「やっぱり聖生は犯人じゃない……ってことですか?」

 風切先輩は即答しなかった。手近な椅子に腰をおろす。

 足を組んで、パンとひざを叩いた。

「さっきまで三宅みやけと話し合ってた。三宅は『フェイクだ』と言ってる」

「フェイク?」

「俺たちを混乱させるための偽情報って意味だ。三宅は犯人が聖生だと断定してる」

 いや……でも……私は反論した。

「いろいろと辻褄が合いません。合宿費を星野くんが預かったのは、偶然なんです」

「ん? どういうことだ?」

 私は、バッティングセンターで仕入れた情報を先輩に伝えた。

 入部をすすめたのは新任のコーチで、最初は星野くんも選手として参加したこと。それを藤田キャプテンが変更して、合宿費の担当にすえたこと。このふたつを知った風切先輩は、態度がぐらついた。

「マジか……だとすると、聖生が介入する余地はあまりない……」

「だから、今回は別人の犯行だと思います」

「いや、待て……もしかして、野球部のだれかが聖生なんじゃないか?」

 その可能性は考えていなかった。

 こんどは私が動揺する。

「それは……ちょっと可能性として低すぎるような……」

「なぜだ? むしろ身近にいるほうがありえると思うぞ?」

「トリックに使った機械は、どこで調達したんですか? 都ノみやこのの校内ですか?」

「工学部棟じゃないか?」

「工学部には松平まつだいらが出入りしてますよ?」

 風切先輩は肩をすくめてみせた。

「松平は聖生のえるの顔を知らない。すれ違ってもわかんないだろう」

「野球部プラス工学部なら、範囲がしぼられます。数人しかいないんじゃありませんか。部内で工作をするなんて、リスクが高すぎます」

 こんどは風切先輩がひるんだ。自信なさげになる。

「それはそうだが……だからこそ、こんな怪文書を送ってきたんだろう。もしかすると、俺たちは聖生のえるをあと一歩のところまで追い詰めてるのかもしれない」

 私はそれ以上、反論しなかった。

 水かけ論になるというのもあった。それに加えて、もし風切先輩の推理が正しいなら、ここで見逃すことはできないとも思った。

 先輩は椅子から立ちあがる。

「三宅が帰ってきたら、野球部の練習場へ行こう。じかにたしかめる」


  ○

   。

    .


 うっすらと汗の匂いがする部屋。

 室内を照らすのは、窓からそそぎこむ光だけ。

 そのなかに、体躯のいい20代男性のシルエット。

 彼が野球部の大熊おおぐまコーチだった。

 丸刈りで野球部のユニフォームを着た姿は、まだ大学生でも通るかもしれない。

 太い眉毛が印象的だ。

星野ほしのかける? ……たしかに、うちの部員だった」

 それが、大熊コーチの第一声だった。

 風切先輩は質問を投げかける。

「星野が辞めた経緯を、コーチは知ってますよね?」

「ああ、知ってる。だから僕が辞めることになった」

 この答えに、風切先輩はけげんそうな顔をした。

「星野が辞めることとコーチが辞めることとのあいだに、どういう関係があるんです?」

 コーチは古いスコアファイルをたたんだ。ほこりが宙に舞う。

「どういう関係もなにも、星野を誘ったのは僕だ。だから責任をとって辞める」

「スカウトにそんな責任が発生するんですか?」

「ま、いろいろあるんだよ。いろいろ、ね」

 大熊コーチは苦笑いを浮かべた。

「野球部内での責任のおしつけあい、と理解していいんですか?」

 大熊コーチは、スコアファイルで風切先輩の頭をかるくはたいた。

「あまりおとなを困らせるな。以上だ」


  ○

   。

    .


「おまえたちに話すことなんかない」

 ベンチに座った藤田ふじたキャプテンは、吐き捨てるようにそう言った。

 ここは学食のテラス。夕暮れどきで、風が出始めていた。ひとけは少ない。

 私はハラハラする気持ちでなりゆきを見守る。

「合宿費の件について、くわしいことを教えて欲しい」

「だからおまえに話す義理はない」

「星野が大学を辞めると言ってる」

 藤田キャプテンは表情を固くした。風切先輩を見つめ返す。

「……辞めたきゃ勝手に辞めればいい」

「星野が冤罪なのは、おまえも分かってるんじゃないのか?」

「うるさいな。そもそもおまえは2年生だろ。タメ口で質問するな」

「俺は大学進学が遅かったら年下じゃない」

「大学は学年制だ。俺のほうが先輩だぞ」

 待った待った、変な方向で揉め始めてる。

 私はむりやり割り込んだ。

「先輩たち、すこし落ち着いてください。今は星野くんの進退が先です」

 ヒートアップしていたふたりは、おたがいに引っ込んだ。

 風切先輩が先制攻撃をする。

「星野は冤罪だ。トリックは単純で、野球部の連中もわかってるんだろう?」

「……」

「真犯人を捕まえれば、おたがいにWin-Winだ。ここは共闘しよう」

「……」

 沈黙――風切先輩は、もうひと押ししかけた。

 すると、藤田キャプテンのほうから口をひらいた。

「いいか、これはだれにも言うなよ」

「わかってる。やっぱり星野は冤罪なんだな?」

「俺はだと予想してる」

 風切先輩は眉間にしわを寄せた。

「おい、藤田、いまさら冗談は……」

「よく聞け。たしかに今回の事件は冤罪にみえるし、リーダー陣の大半もそう思ってる。だけどな、仮に星野の自作自演で、そう思わせるのが目的だとしたら、どうなる?」

「自作自演? ……自作自演するメリットは? 退学になったら元も子もないぞ?」

「最近、近所の政法せいほう大学でも窃盗事件が起きてるんだ」

「!?」

 風切先輩は口をつぐんだ。私も息を呑む。

「野球部か?」

「いや、サッカー部だ。無人の更衣室から財布をとられたらしい」

「だったら、今回の件とは関係ないだろう?」

「もちろん証拠はない。だが、調べてみると、どうやらうちと政法だけじゃなくて、東京のあちこちで似た事件が起きてる。手口はそれぞれ違うが、犯人は同じかもしれない」

「どうやって調べた?」

 藤田キャプテンは大きく息をついた。

「星野を合宿係にしたのは俺だ。俺も多少疑われたんだ。ネットで調べたり、知り合いのツテで、方々ほうぼうに探りを入れた」

「つまり……こういうことか? 藤田の推理だと、星野は窃盗の常習犯?」

 藤田キャプテンはうなずき返した。

「そうだ。東京の大学は荒らし終えたから、退学してトンズラするつもりなんだろう」

「さすがにバレるだろう? ほかの大学だってセキュリティは甘くない」

「協力者がいるはずだ」

 唐突な断定。風切先輩は、証拠があるのかとたずねた。

「ある。星野は合宿費が消えたあと、どこかに電話をいれて相談していた」

「……盗み聞きしたのか?」

「それは答えられない。ひとつだけ言えるのは、電話の相手が女だったことだ」


  ○

   。

    .


 太陽が山の端に消えかかった頃――私たちは部室に集合していた。

 全員で状況を整理する。

 まっさきに意見を述べたのは、三宅先輩だった。

「それでも星野は冤罪だと、俺は思う」

 風切先輩もうなずいた。

「俺もそうだ。藤田の推理はもっともらしいが、根拠がうすい。状況証拠しかない」

 穂積ほづみさんが口をはさむ。

「状況証拠しかないのは、聖生のせる犯人説もおなじですよ」

 風切先輩は顔をむけて、

「穂積は星野が犯人だと思うのか?」

 とたずねた。

「そうは言ってません。ここまでの推理は、どの説も状況証拠しかない、って意味です。つまり、どの説もあやしいんです。聖生のえるが犯人だという決め手も、星野が犯人だという決め手もない以上、だれがクロかなんて言えません」

「いかにも法学部っぽい回答だな……大谷おおたには、どう考える?」

「拙僧も穂積さんに賛成です。疑わしきは罰せず、が肝心かと」

「ララは?」

「うーん、星野が犯人っていうのはイメージとちがうかなぁ」

重信しげのぶは?」

 穂積お兄さんは、即答しなかった。腕組みをして考え込む。

「……なんか違和感があるね。これまでの聖生のえるは将棋部を狙い撃ちにしてたのに」

「じゃあ、星野が犯人だと思うか?」

「それもなんとも言えない。世の中には、犯罪をしそうにないのに犯罪者、っていうケースがある。ジョン・ゲイシーは資産家の名士で、ボランティア活動にも熱心だったけど大量連続殺人犯だった。いわゆるサイコパスだね。でも、サイコパスは自己中心的で行動が粗暴なのが特徴なんだ。星野くんはあてはまらない」

「重信、ずいぶんくわしいな」

「いや、こんなのは耳学問さ。僕は犯罪心理学者じゃないからね。ただ、シロウト感覚でも今回の事件はこれまでのトラップと別ものに思えるよ。むしろ……」

 穂積お兄さんは、なにか考えあぐねているらしい。言葉につまった。

「むしろ?」

「むしろありえるのは……星野くんが聖生のえるという可能性なんじゃないかな」

 室内がざわついた。風切先輩は、

「それこそありえないだろ」

 と否定した。

「そうかな? 聖生のえると星野くんには、インテリタイプという共通点がある」

「星野には動機がないし、俺たちはあいつの顔を知ってる。聖生のえる=星野なら、どこかで見かけたのを覚えてるはずだ」

「たしかに……」

 穂積お兄さんは、すこしばかりトーンダウンした。

 すると、妹の穂積さんが挙手した。

「星野くんが聖生のえるじゃない間接事実が、もうひとつあります」

 全員の視線が穂積さんに集中した。

「聖生が残した最後の一文、Das Account wurde gesperrtは、『このアカウントは閉鎖されました』というドイツ語だと判明しました。星野くんの第二外国語はフラ語です」

 穂積さん、すごい。きっちり探偵してる。

 万事ひっくり返って、風切先輩は天をあおいだ。

「星野が窃盗犯の証拠もない……聖生のしわざだという証拠もない……か」

 部内に静寂がおとずれる。それを破ったのは、やはり風切先輩だった。

「よし、わかった。今から星野を呼ぼう。ここで決着をつける」

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