146手目 名探偵火村ちゃん
「犯人は聖生じゃないだと?」
風切先輩は、私の報告にけげんそうな表情をうかべた。
部室のなかに緊張が走る。
「聖生じゃなかったら、だれなんだ?」
「それはわかりません……合宿費は入金できてなかったそうです。将棋部の場合は、入金後に抜かれていたので、手口がちがいます」
風切先輩は椅子のうえであぐらをかいた。がんじえない、といった様子。
「手口がちがうから聖生じゃない、とはいえないだろう?」
「それはそうですけど……」
私は、同席していた穂積お兄さんにアドバイスをもとめた。
「入金されたお金を口座から消すって可能なんですか?」
穂積お兄さんはすこし考え込む。
「……さすがにないと思うよ」
「聖生は技術につよいみたいですし、なにかテクニックがあったりしませんか?」
「ハンコの偽造はできても、銀行システムからお金を抜くのは、ちょっとね。それこそ世界的な銀行の破綻になっちゃうよ。銀行システムはバベルの塔と呼ばれるくらい複雑で、何千人というプログラマが関与して作るものだから」
うーん、さすがにないのか。
私は反論の糸口を失ってしまった。
さらに、松平が追い打ちをかける。
「星野がウソをついてるんじゃないですか?」
私はびっくりした。さすがにそこまでは疑っていなかったからだ。
ところが、風切先輩もうなずき返した。
「星野は俺たちに一度ウソをついてるからな」
ちょっとちょっと、この風向きはなんですか。私は異議をとなえる。
「具体的にどの発言がウソだったんですか?」
風切先輩は即答した。
「3回連続で休んだってところだ」
「え、でも、それは安食先生に確認済みで……」
「3回連続で休んだ、っていう部分だけだろう。どの週を休んだか教えてもらったか?」
……あれ、そういえば。でもでも、私は記憶をさぐりあてた。
「星野くんは肺炎で2連休+『そのまえの週に寝坊』って言ってましたよ?」
「それはおかしい」
「どうしてですか?」
「星野が肺炎で休んだのは6月2日の木曜日から11日の土曜日までだろ? そのまえの週ってことは、5月末の授業を休んだことになる」
「それでつじつまが合いませんか?」
「合ってない。仮にそうなら、13日の月曜以降は休んでいないことになる。もし休んでたら3連休じゃなくて4連休になるからな。だけど、安食は星野が13日以降も来てないから心配してたんじゃないのか?」
……………………
……………………
…………………
………………あ、そっか。
「6月2日から11日までは肺炎で、3回目の休みはその次の週ってことですか?」
「そうだ。13日以降、午後の授業も含めて全部休んでいたはずだ。でないと退学のうわさは立たない。しかも、体調不良以外の理由で、だ。1週間全部寝坊ってこともないだろう。三宅ですらしないぞ」
いや、三宅先輩は1週間ぶっちしたことがあるような――とはいえ、星野くんは野球部だったわけで、そんなめちゃくちゃな生活をしているとは思えなかった。
風切先輩はタメ息をついて、後ろ髪をなおした。
「あいつが休んだ週をごまかした理由はわからない。とはいえ、星野が盗んだとも思っていない。仮にあいつが犯罪者なら、自分で預かった金を丸ごと持っていくんじゃなくて、経費をごまかすタイプだろう」
これには松平も同調した。
「ですね。安物のボールを買って、差額をポケットに入れるタイプです」
うーん、なんか流れがあやしくなってきた。
私はとりあえず仲介に入る。
「憶測でうたがうのはいったんやめて、トリックを考えませんか?」
私の提案に全員同調してくれた。
風切先輩は、
「で、くわしい経緯は?」
と質問してきた。私は順を追って説明する。
「まず、合宿は8月3日から1週間、S玉でおこなわれるそうです。毎年恒例の行事なので、ゴールデンウィーク前の4月22日には費用を集めたと聞きました。星野くんは、その日のうちにATMで入金したらしいです」
「通帳を預かったのか? どこの通帳だ?」
「三八です」
私の返答に、風切先輩は予想していたような顔で、
「やっぱり俺たちとおなじところか」
と言った。
「はい……ただ、さっきも言ったとおり、入金がそもそも反映されてなかったんです」
「そこが聖生のトリックなんだろう。もうすこし詳しく説明してくれ」
詳しく、と言われましても。
星野くんは普通にATMを操作しただけらしい、と私は答えた。
「通帳が持ち出された形跡があるとか、そういうことは?」
「星野くんは『なんともいえない』と言ってました。入金後に通帳を預かっていたのは部のほうで、星野くんはあくまでも出納係だったそうです」
風切先輩は、しばらく考え込んだ。
「……やはり犯行が似すぎてるな。聖生が犯人だという線で動こう」
○
。
.
「その推理はまちがってると思うなぁ」
火村さんはテーブルにひじをついて、ストローを吸いながらそう答えた。
ここは渋谷の有縁坂将棋道場。
大谷さんも同席して、今回の事件を相談している最中だった。
ついでに将棋も。
「火村さんは、どうしてまちがってると思うの?」
「だってさ、合宿費がなくなったのは4月なんでしょ?」
「そうよ。でも、銀行は一致してるし……」
「だからこそおかしいじゃない。4月の段階でお金を跡形もなく抜き取れるなら、なんで6月のときは窓口送金なんて危ない手口をとるの?」
……………………
……………………
…………………
………………そうか。
「一理あるわね」
「百理ぐらいあるわよ。それに、えーと、だれだっけ、団体戦のときに来てた男」
「松平? 三宅先輩?」
「なんかシスコンっぽいやつ」
「穂積お兄さん?」
「そうそう、そいつが言うとおり、銀行からお金を抜けるはずがないでしょ。そんなことできるなら億万長者だし。今回のケースはもっと原始的なんじゃない?」
「例えば?」
火村さんは答えずに、盤面を見下ろした。
「そうね……うーん……あ、この手があったか」
パシリ
将棋の手を訊いたわけではなくてですね、はい。
思いつかなかったパターンだと認識し、私も4二桂成と返した。
先手で中飛車をしたら、火村さんのほうが居飛車にしてくれた。
舐めプされてる気もするけど、勝てばいいのよ、勝てば。
現に火村さんは長考が多い。
「んー……ところで、そこの仏教系女子は、なんかコメントないの?」
火村さん、どんどん慣れ慣れしくなってるわね。
とはいえ、そんなことを気にする大谷さんなわけもなく。
「拙僧、推理小説のたぐいは読みませんが、火村さんのご意見はご尤もだと思います」
「でしょ」
「しかし、トリックがわからなければ、星野くんの冤罪を晴らすことにはなりません」
火村さんはひとさしゆびを振って、
「チッチッチッ、四半世紀も生きてない人間は、社会経験が足りないわね」
と毒づいた。いや、あなたも生きてないでしょ。
火村さんは右腕をテーブルのうえに置いた。持ち駒がズレるほど身をのりだす。
「いい、星野が自主退部だけで済んだのは、なんでだと思う?」
私は一寸考えて、
「……証拠があがってないからじゃないの?」
と答えた。火村さんは4二同金とする。
「それもあるでしょうね。でも、時系列が変じゃない?」
「時系列?」
「13日の朝にいきなり電話がかかってきたんでしょ。『ATMから合宿費をおろしてきてくれ』って。おろす必要性ってなに? ふつうは合宿先の口座に振り込まない?」
あれ……たしかにそうだ。合宿費を現金で支払う必要はない。
仮に防犯目的で通帳にいれたなら、そのままネット送金したほうが早い。
火村さんはニヤリとしながら、9八飛と打ち込んだ。
「それともうひとつ、退部の申請は12日なのよ。これが意味するところは?」
私はアッとなった。
「そっか、合宿費の紛失は12日の段階で発覚してたんだわ」
「正解。ATMから合宿費をおろして来いって指示があったのは、星野に責任を押し付けて辞めさせる算段がついてたからよ。12日に上層部で相談したんでしょうね」
「だけど、推理が最初にもどってるだけだわ。けっきょく証拠がないから星野くんを退部処分にして、穏便に済ませたってことしかわからなくない?」
火村さんは肩をすくめた。
「ハァ〜、やっぱり天才火村ちゃんの推理にはついて来れないのかぁ」
「大谷さん、そろそろ帰りましょうか」
「左様ですね。拙僧も、しぃちゃんと遊びたくなってきました」
「待ってッ! まだ指し終わってないでしょッ!」
まったく。態度がなってない。0点。私たちは、いきどおりながら座りなおした。
とりあえず4四銀と置く。
「で、火村さん、なにが言いたいの?」
「星野に責任を押しつけるだけなら、ATMへおろしに行かせる必要がないでしょ。星野が金を預かった以上、『通帳が空っぽだ。盗んだな』ってその場で言えば終わり」
「……そう言われてみると、そうね」
火村さんはひとさしゆびを立てて、私たちを威嚇した。
「つーまーりー、野球部はそのままだと星野を告発できない理由があったのよ」
「理由……?」
私は頭がハテナマークになった。すると、大谷さんがパンと手を合わせた。
「もしや指紋のことをおっしゃっているのですか?」
「正解ッ!」
指紋? 指紋がどうかしたの?
……………………
……………………
…………………
………………んんッ!?
「まさか入金のときの通帳と下ろすときの通帳がちがった?」
「それしか考えられないわ」
うッ……つじつまは合う。12日に退部が決まっていたことも、13日にいきなり呼びつけてATMへ行かせたことも、入金記録が消えたことも説明がつく。それに、野球部が今回の件であまり騒いでいないこととも整合的だ。
「さすが火村さん、名探偵」
「でしょッ! 次回から名探偵火村ちゃんを連載しましょうッ!」
自慢げな火村さんにお礼の一手。
パシリ
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……………………
…………………
………………
「香子、これもしかして詰んでる?」
「詰んでると思うわよ」