145手目 抜け目のない美男子
なんとかしてって言われても――困ったわね。
私と松平は、理学部棟へ移動中。いいアイデアが思い浮かばない。
というか、なにをどう切り出せばいいのやら。
すれちがう学生たちを横目に、私は鬱々と考え込んだ。
「ま、ストレートに行くしかないだろうな」
松平はあっけらかんと、そう言い切った。
「ストレートって?」
「冤罪の証明に協力する、と持ちかける」
いやいやいや、私は即座につっこみを入れた。
「そんなの星野くんがびっくりするでしょ」
「俺はそうは思わない。というか、俺と裏見の訪問を受けた時点で気づくぞ」
「なにに?」
「俺たちが入部関連で派遣されてるってことを、だ」
「さすがにそれはなくない? 同じ大学なんだし、偶然ってことも……」
松平は足をとめた。ゴミ箱にペットボトルを放り込む。
「あいつは気が弱そうにみえて、頭がキレるタイプだぞ。現に、あの夜はハメられた」
「あの夜って?」
「野球部との部員争奪戦だ。あれは星野の罠だったと思う」
えぇ……にわかに信じられない。
私はなぜそう思うのか尋ねた。
「単純だ。俺たちが将棋部だってのは、調べればすぐにわかる。大勢でグラウンドのまわりをうろうろしていたからな。でも、俺たちがだれを狙ってたのかは、わからないだろ? 野球部で将棋のできるやつが星野以外ゼロ、ってわけじゃないんだろうから」
「あ、そっか……つまり、『自分は将棋部に入ろうとしていたけど、廃部になりそうだからやめた。狙われてるのは自分だ』って、星野くんが他のメンバーに話したのね」
「俺の予想では、な。でないと、野球部の対応があそこまで早かった説明がつかない。それに、星野の指笛でみんな集まってきたのも妙だ」
ということは、星野くんって、意外と策士なのでは。
マネージャーをやってたのも、しっくりくる。
「じゃあ、うまく演技しないと見破られそうね」
「俺たちは演技に自信のあるメンツじゃないだろ? 正面突破で行こう」
理学部棟に到着した。
鳶色の建物に、パルテノンみたいな柱の回廊がついていた。
経済学部棟とくらべても、規模が大きかった。
「さて、どうやって見つける?」
そこは香子ちゃんに任せなさい。
私はポケットから一枚の紙切れをとりだした。
「じゃじゃーん、生命科学科のシラバスよ。1年生の必修を調べてあるの」
ちょうど3限目。生物学概説。
松平はパチリと指を鳴らした。
「よし、講義室のまえにはり込むぞ」
*** 大学生、あやしげに張り込み中 ***
終了のチャイム。学生たちが講義室からあふれだした。
「おーい、カフェ寄ってこうぜ」
「いや、レポートが……」
2人組の男子が横を通り過ぎた。
それを聞いた松平は、
「そ、そうだ……明日までのレポートがあったんだ……」
と頭をかかえた。
「すまん、ちょっと離れていいか?」
「べつに私だけでも大丈夫よ」
「先輩から過去問をもらうだけだ。すぐもどる」
それっていいの? 工学部、じつは闇が深いのでは。
しばらくして、星野くんが出てきた。
声をかけ――かけて、すでに先客がいることに気づいた。
先日、実習場で会ったメガネのおじさんだった。
おじさんはあいかわらず農家のひとみたいなかっこうで、首にタオルを巻いていた。
星野くんは、やたら平謝りしている。
「すみません、次からきちんと出席します」
「べつにいいんですよ。出席なんて私が若いころはありませんでしたから……おっと」
気づかれた。私は愛想笑いを浮かべる。
「こ、こんにちは」
「こんにちは……あなた、理学部だったのですか?」
○
。
.
水槽のなかを、一匹のゲンゴロウが泳いでいる。
私は次の手を待つあいだ、じっとその動きを追っていた。
「最近の若いひとは強いですね」
メガネをかけたおじさん――安食先生は、テーブルを挟んで私と対峙していた。
……………………
……………………
…………………
………………気まずい。
「あの……星野くんは、いつ頃もどってくるんでしょうか?」
安食先生は盤を見つめたまま、
「事務室が混んでるのかもしれませんね。休んだコマ数も多いですし」
とだけ返した。そう、星野くんは病欠届けを出しに事務室へ消えたのだ。
さすがにこのチャンスを逃すわけにはいかないので、こうして安食先生の相手をしながら待っているというわけだ。松平と合流はできなかったけど、しょうがない。
いちおうコーヒー付き。
「裏見さんはなにを勉強なさっているのですか?」
安食先生は6二玉としながら、そう尋ねた。
「経済です」
「おもしろいですか?」
「はい」
嘘じゃなかった。私は経済学部を選んでよかったと正直に思った。
すると、安食先生は笑って、
「私はお金の勘定が苦手で、研究費の残額もわからなくなります」
と言った。
笑うところかどうか悩んだ。どうも萎縮してしまう。
「星野くんに連絡をしていただいて、ありがとうございました」
「え、あ……はい」
べつに連絡をしたわけじゃないのよね。むしろスパイみたいな用件だし。
……………………
……………………
…………………
………………気まずい。
私はコーヒーを飲んだ。水槽のゲンゴロウをもういちど観察する。
「裏見さんは、生き物に興味がありますか?」
「えーと、犬は飼ってます」
「アパートに?」
「いえ、実家です」
「そうですか……裏見さんは将棋をどこでおぼえたのですか?」
「おじいちゃんに教わりました」
「もしかして将棋部にご在籍とか?」
うッ……微妙にプライベートな質問。どうしましょ。
私は数秒だけ迷って、
「一応所属してます」
という、曖昧な返事をした。
「なるほど、それで星野くんを勧誘しに来たわけですね」
……………………
……………………
…………………
………………バレてるぅううううう。
な、なんで? 安食先生、これで会うの2回目よ?
私が困惑していると、安食先生はもうしわけなさそうな顔で、
「すみません、『将棋部があちこちで勧誘している』と聞きまして」
と弁解した。
うわぁ、先生たちのうわさになってるのか。これは困った。
「べつにいいんですよ、元気があって」
「あの……安食先生は、どこでその情報を?」
「将棋部の顧問の先生から聞きました」
身内に裏切られてて笑う。そういえば、顧問の先生ってどんなひとなのかしら。
「私は顧問の先生に会ったことがないんですが、どういうかたですか?」
「今年で定年退官されるかたです。工学部の先生ですよ」
あれ、そうなんだ。だったらもうすぐ交代ってことよね。
「裏見さんは、次の顧問にどういうひとを希望しますか?」
いきなりそういう質問をされてもですね、はい。
「全国大会を狙っているので、バックアップしてくれる先生がいいです」
無難に答えておく。嘘じゃないし。
安食先生はやたら感心して、
「そうですか、全国大会ですか、それは凄いですね」
と褒めてくれた。私は5二銀成とする。
「しかし、いまの星野くんは野球部だそうですね」
また答えにくい質問。安食先生、星野くんが辞めたの知らないっぽい。
「えーと、私は勧誘に来たというわけではなくて……」
「すみません、遅くなりました」
やっと帰ってきたぁ。私は内心で万歳する。
安食先生は入り口のほうを見て、
「おつかれさまです。病欠は認めてもらえましたか?」
と尋ねた。星野くんは「はい」と答えた。
「すみません、次からきちんと出席します」
「いいんですよ。出席なんて私が若いころはありませんでしたから」
安食先生はパイプ椅子から立って、腰をひねった。
「さて、4限の準備をしますか……裏見さん、おつきあいさせてすみませんでした」
「い、いえ、こちらこそ」
将棋は指しかけになった。まあ、ふつうに私の勝ちだと思う。
私たちはお礼を言って、研究室から出た。やっとひと息。
「裏見さん、待たせてすみませんでした」
「いいのよ。安食先生が将棋好きだったから、ヒマつぶしになったし」
「裏見さんから誘ったんじゃないんですか?」
「安食先生からよ?」
私の返答に、星野くんは首をひねった。
「僕が以前誘ったときは、断られちゃいました」
むッ……もしかしてセクハラだった?
若い女の子には甘い先生がいるってうわさだから、用心しないと。
とはいえ、もう会うこともないだろうし、あんまり気にしてもしょうがない。
私は本題に入った。松平のアドバイスに従って、ストレートに行く。
「ねぇ、このまえの合宿費がなくなった件について、詳しく教えてもらえない?」
「合宿費の件を? なぜですか?」
「星野くんはこれから大学で4年間過ごすわけでしょ。濡れ衣は晴らしたほうがいいわ」
「それってだれの入れ知恵ですか? 裏見さんのアイデアじゃないですよね?」
うわ、一発で見抜いてきた。
この男子、かわいい顔してまったく抜け目がない。松平の評価どおりだ。
「他の部員よ」
「そうですか……」
星野くんは一瞬黙った。すわ交渉決裂?
「……詳しく教えて欲しいと言われても、僕もよくわからないんです」
「どうして? 当事者なのに?」
「僕がやったのは、部員から預かったお金をATMに入れて、あとで確認したら振り込まれてなかったというだけです」
「振り込まれてなかった……? 引き落とされてたんじゃないの?」
星野くんは「えッ?」という顔をした。
「だれがそう言ったんですか?」
「あ、あくまでも推測。だって、お金をATMに入れたんでしょ?」
「入れたと思ったら入ってなかったんです」
私は混乱してしまう。これってもしかして――