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凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第25章 合宿費盗難事件(2016年6月20日月曜)
145/486

145手目 抜け目のない美男子

 なんとかしてって言われても――困ったわね。

 私と松平は、理学部棟へ移動中。いいアイデアが思い浮かばない。

 というか、なにをどう切り出せばいいのやら。

 すれちがう学生たちを横目に、私は鬱々と考え込んだ。

「ま、ストレートに行くしかないだろうな」

 松平はあっけらかんと、そう言い切った。

「ストレートって?」

「冤罪の証明に協力する、と持ちかける」

 いやいやいや、私は即座につっこみを入れた。

「そんなの星野ほしのくんがびっくりするでしょ」

「俺はそうは思わない。というか、俺と裏見うらみの訪問を受けた時点で気づくぞ」

「なにに?」

「俺たちが入部関連で派遣されてるってことを、だ」

「さすがにそれはなくない? 同じ大学なんだし、偶然ってことも……」

 松平は足をとめた。ゴミ箱にペットボトルを放り込む。

「あいつは気が弱そうにみえて、頭がキレるタイプだぞ。現に、あの夜はハメられた」

「あの夜って?」

「野球部との部員争奪戦だ。あれは星野の罠だったと思う」

 えぇ……にわかに信じられない。

 私はなぜそう思うのか尋ねた。

「単純だ。俺たちが将棋部だってのは、調べればすぐにわかる。大勢でグラウンドのまわりをうろうろしていたからな。でも、俺たちがだれを狙ってたのかは、わからないだろ? 野球部で将棋のできるやつが星野以外ゼロ、ってわけじゃないんだろうから」

「あ、そっか……つまり、『自分は将棋部に入ろうとしていたけど、廃部になりそうだからやめた。狙われてるのは自分だ』って、星野くんが他のメンバーに話したのね」

「俺の予想では、な。でないと、野球部の対応があそこまで早かった説明がつかない。それに、星野の指笛でみんな集まってきたのも妙だ」

 ということは、星野くんって、意外と策士なのでは。

 マネージャーをやってたのも、しっくりくる。

「じゃあ、うまく演技しないと見破られそうね」

「俺たちは演技に自信のあるメンツじゃないだろ? 正面突破で行こう」

 理学部棟に到着した。

 鳶色とびいろの建物に、パルテノンみたいな柱の回廊がついていた。

 経済学部棟とくらべても、規模が大きかった。

「さて、どうやって見つける?」

 そこは香子きょうこちゃんに任せなさい。

 私はポケットから一枚の紙切れをとりだした。

「じゃじゃーん、生命科学科のシラバスよ。1年生の必修を調べてあるの」

 ちょうど3限目。生物学概説。

 松平はパチリと指を鳴らした。

「よし、講義室のまえにはり込むぞ」


 *** 大学生、あやしげに張り込み中 ***

 

 終了のチャイム。学生たちが講義室からあふれだした。

「おーい、カフェ寄ってこうぜ」

「いや、レポートが……」

 2人組の男子が横を通り過ぎた。

 それを聞いた松平は、

「そ、そうだ……明日までのレポートがあったんだ……」

 と頭をかかえた。

「すまん、ちょっと離れていいか?」

「べつに私だけでも大丈夫よ」

「先輩から過去問をもらうだけだ。すぐもどる」

 それっていいの? 工学部、じつは闇が深いのでは。

 しばらくして、星野くんが出てきた。

 声をかけ――かけて、すでに先客がいることに気づいた。

 先日、実習場で会ったメガネのおじさんだった。

 おじさんはあいかわらず農家のひとみたいなかっこうで、首にタオルを巻いていた。

 星野くんは、やたら平謝りしている。

「すみません、次からきちんと出席します」

「べつにいいんですよ。出席なんて私が若いころはありませんでしたから……おっと」

 気づかれた。私は愛想笑いを浮かべる。

「こ、こんにちは」

「こんにちは……あなた、理学部だったのですか?」


  ○

   。

    .


 水槽のなかを、一匹のゲンゴロウが泳いでいる。

 私は次の手を待つあいだ、じっとその動きを追っていた。


挿絵(By みてみん)


「最近の若いひとは強いですね」

 メガネをかけたおじさん――安食あじき先生は、テーブルを挟んで私と対峙していた。

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………気まずい。

「あの……星野くんは、いつ頃もどってくるんでしょうか?」

 安食先生は盤を見つめたまま、

「事務室が混んでるのかもしれませんね。休んだコマ数も多いですし」

 とだけ返した。そう、星野くんは病欠届けを出しに事務室へ消えたのだ。

 さすがにこのチャンスを逃すわけにはいかないので、こうして安食先生の相手をしながら待っているというわけだ。松平と合流はできなかったけど、しょうがない。

 いちおうコーヒー付き。

「裏見さんはなにを勉強なさっているのですか?」

 安食先生は6二玉としながら、そう尋ねた。

「経済です」

「おもしろいですか?」

「はい」

 嘘じゃなかった。私は経済学部を選んでよかったと正直に思った。

 すると、安食先生は笑って、

「私はお金の勘定が苦手で、研究費の残額もわからなくなります」

 と言った。

 笑うところかどうか悩んだ。どうも萎縮してしまう。

「星野くんに連絡をしていただいて、ありがとうございました」

「え、あ……はい」

 べつに連絡をしたわけじゃないのよね。むしろスパイみたいな用件だし。

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………気まずい。

 私はコーヒーを飲んだ。水槽のゲンゴロウをもういちど観察する。

「裏見さんは、生き物に興味がありますか?」

「えーと、犬は飼ってます」

「アパートに?」

「いえ、実家です」

「そうですか……裏見さんは将棋をどこでおぼえたのですか?」

「おじいちゃんに教わりました」

「もしかして将棋部にご在籍とか?」

 うッ……微妙にプライベートな質問。どうしましょ。

 私は数秒だけ迷って、

「一応所属してます」

 という、曖昧な返事をした。

「なるほど、それで星野くんを勧誘しに来たわけですね」

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………バレてるぅううううう。

 な、なんで? 安食先生、これで会うの2回目よ?

 私が困惑していると、安食先生はもうしわけなさそうな顔で、

「すみません、『将棋部があちこちで勧誘している』と聞きまして」

 と弁解した。

 うわぁ、先生たちのうわさになってるのか。これは困った。

「べつにいいんですよ、元気があって」

「あの……安食先生は、どこでその情報を?」

「将棋部の顧問の先生から聞きました」

 身内に裏切られてて笑う。そういえば、顧問の先生ってどんなひとなのかしら。

「私は顧問の先生に会ったことがないんですが、どういうかたですか?」

「今年で定年退官されるかたです。工学部の先生ですよ」

 あれ、そうなんだ。だったらもうすぐ交代ってことよね。

「裏見さんは、次の顧問にどういうひとを希望しますか?」

 いきなりそういう質問をされてもですね、はい。

「全国大会を狙っているので、バックアップしてくれる先生がいいです」

 無難に答えておく。嘘じゃないし。

 安食先生はやたら感心して、

「そうですか、全国大会ですか、それは凄いですね」

 と褒めてくれた。私は5二銀成とする。

「しかし、いまの星野くんは野球部だそうですね」

 また答えにくい質問。安食先生、星野くんが辞めたの知らないっぽい。

「えーと、私は勧誘に来たというわけではなくて……」

「すみません、遅くなりました」

 やっと帰ってきたぁ。私は内心で万歳する。

 安食先生は入り口のほうを見て、

「おつかれさまです。病欠は認めてもらえましたか?」

 と尋ねた。星野くんは「はい」と答えた。

「すみません、次からきちんと出席します」

「いいんですよ。出席なんて私が若いころはありませんでしたから」

 安食先生はパイプ椅子から立って、腰をひねった。

「さて、4限の準備をしますか……裏見さん、おつきあいさせてすみませんでした」

「い、いえ、こちらこそ」

 将棋は指しかけになった。まあ、ふつうに私の勝ちだと思う。

 私たちはお礼を言って、研究室から出た。やっとひと息。

「裏見さん、待たせてすみませんでした」

「いいのよ。安食先生が将棋好きだったから、ヒマつぶしになったし」

「裏見さんから誘ったんじゃないんですか?」

「安食先生からよ?」

 私の返答に、星野くんは首をひねった。

「僕が以前誘ったときは、断られちゃいました」

 むッ……もしかしてセクハラだった?

 若い女の子には甘い先生がいるってうわさだから、用心しないと。

 とはいえ、もう会うこともないだろうし、あんまり気にしてもしょうがない。

 私は本題に入った。松平のアドバイスに従って、ストレートに行く。

「ねぇ、このまえの合宿費がなくなった件について、詳しく教えてもらえない?」

「合宿費の件を? なぜですか?」

「星野くんはこれから大学で4年間過ごすわけでしょ。濡れ衣は晴らしたほうがいいわ」

「それってだれの入れ知恵ですか? 裏見さんのアイデアじゃないですよね?」

 うわ、一発で見抜いてきた。

 この男子、かわいい顔してまったく抜け目がない。松平の評価どおりだ。

「他の部員よ」

「そうですか……」

 星野くんは一瞬黙った。すわ交渉決裂?

「……詳しく教えて欲しいと言われても、僕もよくわからないんです」

「どうして? 当事者なのに?」

「僕がやったのは、部員から預かったお金をATMに入れて、あとで確認したら振り込まれてなかったというだけです」

「振り込まれてなかった……? 引き落とされてたんじゃないの?」

 星野くんは「えッ?」という顔をした。

「だれがそう言ったんですか?」

「あ、あくまでも推測。だって、お金をATMに入れたんでしょ?」

「入れたと思ったら入ってなかったんです」

 私は混乱してしまう。これってもしかして――

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