144手目 推理のタイムリミット
ぼうぜんとする私たち。
星野くんは、おずおずと口をひらいた。
「あ、お取り込み中でしたか……?」
「取り押さえろッ!」
三宅先輩の一声で、私たちは星野くんに飛びかかった。
星野くんは悲鳴をあげる。
「ルール違反ですよッ! 入部は強制しないって言ったじゃないですかッ!」
おっとっと、そうだった――けど、べつに入部させるつもりで捕まえたわけじゃない。
私たちは、ひとまず星野くんをはなした。
風切先輩が代表して、
「今までどこにいたんだ? 返事がないから心配したぞ」
と質問した。
「い、家で寝込んでました……」
「寝込んでた?」
「雨の日に練習から帰ったら、体調が悪くて……お医者さんに肺炎だ、と……」
重病じゃないですか。風切先輩も心配そうな顔をして、
「大丈夫か? 家で寝てたほうがいいんじゃないのか?」
とたずねた。
「も、もう大丈夫です。完治しました」
風切先輩はホッとして、
「そうか……ってことは、退学とか停学っていうのはデマだったんだな」
と言って、安心したような表情を浮かべた。ところが――
「あ、いえ……それは半分くらいほんとというか……」
え? どういうこと? 風切先輩も混乱して、
「とりあえず事情を説明してくれ。こっちはいろいろ情報が錯綜してる」
と催促した。星野くんは恐縮して話し始めた。
「えー、まず退学については、5月頃『退学したい』ってゼミの子に言いました……それがうわさのもとだと思います……」
「本気で言ったのか?」
「なんかこう……自分が思ってたのと大学生活が全然ちがってて……」
これはあれですね、尾ひれがついて退学したことになったパターンですね。
ゼミに3回連続で休んだなら、そう思われても仕方がない。
「で、今もそう思ってるのか?」
風切先輩の質問に、星野くんはあわてて否定した。
「い、いえ、今は思ってません」
「そうか……あせって辞める必要はないぞ」
風切先輩の言葉には、いちまつの重さがあった。
けど、星野くんは先輩が奨励会退会者だと知らないから、ただのアドバイスだと思ったらしい。「はい」とだけ答えた。風切先輩は微笑んで、先を尋ねる。
「停学は? そっちもうわさってことだよな?」
「……」
星野くんは、急にだんまり。風切先輩は、やんわりと言い方を変えた。
「じっさいに停学になったわけじゃないんだろ?」
星野くんは涙目になって、
「じつは……部のお金を盗んだんじゃないかと疑われてるんです」
と答えた。一同、びっくりする。
だけど、この情報は風切先輩が聞いたうわさ話と一致していた。
「ほんとに盗んだわけじゃないんだろ?」
「ち、ちがいます。僕はあずかっていただけなんです」
うわぁ、タッチはしてたわけか。ややこしくなってきた。
同時に、私はあの日、ATMですれちがった理由がわかった気がして、
「もしかして、通帳であずかってたとか?」
と尋ねた。
「は、はい……よくわかりましたね」
似たような事件があったから、と言いかけて、私は口をつぐんだ。
風切先輩も、例の事件のことは言わなかった。ただ、聖生のことは思い出したらしく、根掘り葉掘り、くわしく聴き始めた。
「とりあえず、時系列を整理してくれ。肺炎になったのはいつだ?」
「6月の頭に大雨が降ったときです。傘をささずに道具を片付けたもので……」
「正確な日付は?」
「6月2日です」
「木曜日か。で、いつからいつまで休んだ?」
「次の日に熱が出て、そこから11日まで休みました」
つじつまは合ってるわね。私がATMで星野くんと会ったのは13日だ。
つまり、病み上がりでひさしぶりに大学へ来たときに出くわしたことになる。
「11日は金曜日か……ちょっと待て、ゼミを3回連続で休んだっていうのは?」
「あれ? なんで知ってるんですか?」
風切先輩は一瞬、しまった、という表情をした。
私が事情を説明する。
「生命科学科の実習場で、メガネをかけたおじさんから教えてもらったの」
「メガネ……安食先生ですか?」
「名前はわからないけど、どういう関係?」
「僕のゼミ担任です」
そういうことか。どおりで欠席回数を正式に把握してるはずだ。
「あじき先生は、3回連続だって言ってたわよ?」
「それは……じつはそのまえの週に寝坊しちゃって……」
ふむ。ありえなくはないけど、なんか微妙な言い訳。
私はあまり深くつっこまないことにした。ふたたび風切先輩が質問をつづける。
「三宅の話だと、12日に退部届けを出して、13日に承認されたって聞いたぞ? 12日が日曜日だから即日承認されなかったのはわかるが、そもそも退部届けを休日に出したのはなぜだ? 今回の病気と関係があるのか?」
星野くんはうなだれて、
「退部届けは出してないんです……」
と答えた。風切先輩は眉間にしわを寄せた。
「届けを出してない……? 退部してないってことか?」
「13日の朝に『ATMから合宿費をおろしてきてくれ』と言われて、おろしに行ったら通帳が空だったんです。部に報告したら『合宿費の管理は星野の仕事だから、責任をとって辞めてもらわないといけない』と言われました」
私たちはおたがいに視線をかわした。これって――私は口を挟みかける。
「ねぇ、それって……」
「わかった。ようするに濡れ衣をかぶせられたんだな」
風切先輩が急にわりこんできた。
「そうです」
「だったら、ひとつだけ確認させてくれ。野球部を一方的に追い出されたってことは、もともと野球部を辞める意思がなかったと解釈していいのか?」
「……わかりません」
「そんなはずはない。俺が訊いてるのは星野の意思だ」
「争奪戦の翌日に風邪をひいてしまって、考える時間がありませんでした」
「つまり、将棋部に入るかどうかは、まだ決めてないんだな?」
「……はい」
風切先輩も深くうなずいた。
「よし、だったら時間をやる。どのくらい欲しい?」
星野くんは真剣な顔で、
「今週の金曜日までにはお伝えします」
と答えた。
「金曜日か……それなら、金曜日の午後6時、この部室に来てくれ」
「はい」
星野くんは固く約束をして、部室を出て行った。
足音が遠ざかるなか、三宅先輩はホッと息をつく。
「助かったな……とはいえ、1週間も時間を与えたのはマズかったんじゃないか? ああいうのは時間があるほど悩んで、踏ん切りがつかなくなるぞ」
「逆だ。2、3日だとかえってこっちが困った」
風切先輩の返しに、三宅先輩は怪訝そうな顔をした。
「困った? なぜだ?」
「あいつは今、窃盗犯として疑われてる。このまま部で受け入れるとマズい。冤罪を晴らす必要がある」
三宅先輩はハッとなった。
「ってことは……金曜日の午後6時までにか?」
「そうだ。さすがに星野のまえで『おまえは窃盗容疑があるから、入るのはちょっと待ってくれ』とは言えなかった。俺自身は気にしてない。星野がそういうタイプには見えないからな。問題は野球部だ。あそこはうちに恨みがある。疑われた状態で入部を認めると、あいつらがどういううわさを流すかわからない」
三宅先輩は舌打ちした。
「1週間もじゃなくて1週間しかないのか」
「ただしヒントはある。重大なヒントがな」
「ヒント?」
三宅先輩は、風切先輩のほのめかしがわからなかったらしい。
私が助け舟を出す。
「聖生ですよ。通帳から現金が消えたのは、うちの事件とそっくりです」
「あ、そうか……ってことは、もしかしてトリックは同一?」
「可能性はあると思います。だから、野球部に事情を話してみるのが……」
風切先輩は「ダメだ」と言った。
「なんでですか? 一番てっとり早いですよ?」
「聖生と名乗る愉快犯が3Dプリンタでハンコを偽造して金をおろした、なんて言って信じると思うか?」
「……証拠をみせればいけませんか?」
「証拠はない。MINEのIDは自作自演を疑われたら終わりだ。そもそも聖生がなんで金を盗んだのか、動機を説明できない。ヘタしたら俺たちが疑われる」
私は意気消沈した。
三宅先輩も困惑する。
「手の打ちようがないじゃないか」
「そこを1週間で考えるんだ。三宅、とりあえず全員に今の件を通知して、アイデアを出してもらってくれ。あと、穂積妹に例のドイツ語を訳してもらうんだ。なにか手がかりになるかもしれない」
「了解」
「大谷は大田原から、野球部の内情をもうすこし探ってもらえないか?」
「はい、できる限り」
風切先輩は、最後に私と松平のほうを向いた。
「ふたりは星野のケアを頼む……あいつも、いろいろとツラいと思うからな」