143手目 病欠? 退学? 停学?
私たちは木々のあいだから、広大な敷地をかいま見ていた。
十数人の学生と教員が、花壇や畑の手入れをしている。
風切先輩はいったん体をひっこめて、私たちにむきなおる。
「ここが星野の学部か……1644055が星野の学籍番号であってるんだな?」
風切先輩は、三宅先輩にもういちど確認した。
「ああ、学科番号44は生命科学科だ。ここはその実習場だな」
都ノのキャンパスは、都内からややはなれたところにあった。
東京でもけっこうな敷地を確保できる、というわけだ。
私たちはあやしまれないように、手近なベンチに腰をおろした。
農作業の荷物置き場に使われているのか、泥があちこちに跳ねている。
風切先輩は気にせずに足を組み、私たちの顔をみくらべた。
「さて、どうする? 手分けして捜すか?」
「それしかないだろうな。実習場のまわりは休憩スペースが多い。うろうろしてもそんなにあやしまれないはずだ」
どうかしら。野球部のときは偵察がバレてたけど。
人手不足の問題もある。緊急招集に応じたのは、松平と大谷さんだけだった。
ほかのメンバーは学内にいないか、講義に出席していた。
風切先輩は、踏ん切りをつけるようにパンと手をたたいた。
「とにかく行動だ。1年生の前期は出席率が1番高い。捜せばなんとかなる。裏見と松平は、実習場をひとめぐりしてくれ。俺は理学部棟をまわる。三宅は図書館と学食。大谷は女子ソフトのコネで、情報を聞き出せないかさぐってくれ。1時間後に部室へ集合だ」
風切先輩は、てきぱきと役割分担をした。でも、おおざっぱだ。
あんまりスマートじゃないけど、がんばるぞぉ。
○
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いないわね。私と松平は、そろそろ実習場をひとまわりしそうだった。
ほかのメンバーは視界から消えている。広すぎて、なにがなにやら。
「ま、だろうな」
松平のそっけない返答に、私はふりかえった。
「どういう意味? まるで予想してたみたいじゃない?」
「風切先輩は数学科だから気づきにくかったんだろうな。1年生で実習は普通ない」
……………………
……………………
…………………
………………あのさぁ。
「なんでそれをさっき言わないの?」
「裏見とデートするためぐほぉッ!?」
そこのコンポストに捨てたろか。
「裏見さん、いわれなき暴力はやめてください……」
「いわれあるでしょ。私情で部員にめいわくをかけない」
松平は「いやいや」とひらきなおって。
「可能性はゼロじゃないからな。基礎ゼミで『今日は現場見学をしましょう』なんてのも考えられなくはない。星野がどういう履修をしてるのかもわからないんだぞ」
「ゼロじゃないっていったら、なんだってアリでしょ」
松平は真顔になる。
「そうだな。裏見と俺がここでいい感じになる可能性もゼロでは……うごごッ!」
私は松平のヒジ関節をねじあげた。
「折れる折れるッ!」
「これ以上ふざけてると、穂積さんにプロレス技かけてもらうわよ」
「待ってッ! 反省しますッ!」
「あのぉ、そこの学生さん」
私たちは声をかけられた。
しまった。大声を出しすぎたか。私は松平を解放して、とりすます。
「こ、こんにちは」
メガネをかけた無精髭のおじさん。首に手ぬぐいをかけている。
おじさんは静かに笑って、
「こんにちは……」
と小声でかえした。
「す、すみません、すぐに移動します……」
「いえ、声を出すのは元気でいいのですが……星野翔くんのお友達ですか?」
私と松平は顔を見合わせる。とっさの判断で、私は、
「はい」
と答えてしまった。すると、おじさんは、
「そうでしたか。じつは星野くんと連絡がとれないので、困っているのです。もうゼミを3回連続で休んでいて、病気だと聞いています。もし連絡先がわかれば、単位が危ないと伝えておいてもらえないでしょうか」
と、急なことを頼んできた。私たちが返事をしないものだから、おじさんは、
「あ、駄目ですか?」
と悲しそうな顔をした。
「あ、いえ、れ、連絡しておきます」
「よろしくお願いします」
おじさんはぺこりと頭をさげて、農作業にもどった。
私と松平はその場をいそいで去る。
「ハァ……ハァ……びっくりした」
「う〜ら〜み〜」
松平が、うらめしそうな顔でこちらをみている。
「どうしたの?」
「可能性はゼロじゃない(ボソリ」
ぐぬぬぬぬ。私は愛想笑いを浮かべる。
「おほほほ、ごめんあそばせ」
「しかし、さっきのはマズかったんじゃないか? 星野の友だちあつかいされたぞ」
うッ……たしかに。
「しかも単位がらみだから連絡しないわけにはいかないな」
「部のMINEから連絡がつくんじゃないの?」
「それもそうか……とりあえず三宅先輩と合流しよう」
○
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「ダメだ。反応がない。既読もつかない」
三宅先輩はスマホを確認して、ため息をついた。
「ってことは絶望的ですね」
松平のあきらめじみた発言に、三宅先輩はスマホの画面をぬぐった。
「……かもな」
ちょっとちょっと男性陣、あきらめが早い。ここは、たしなめる。
「先輩、まだあきらめるのは早いですよ。連絡もついてないのに」
「連絡がつかない時点でお察しだと思うんだが」
「おたがいに知り合って間もないんですし、進展がないと考えるのは時期尚早です」
「たしかに、松平もまだ芽があるかもしれないしな」
「なんで俺に厳しいネタをふるんですかッ!」
私はあきれかえる。
「先輩、いいかげんにしないとセクハラ認定し……」
「みなさん、いらっしゃいますか」
部室のドアが開いた。大谷さんが姿をあらわす。
走ってきたようで、すこしだけ息があがっていた。
三宅先輩は、ようすがおかしいと思ったらしい。眉をひそめた。
「どうした? 見つかったか?」
「星野くんが大学を辞めたといううわさを聞きました」
私たちは唖然とした。三宅先輩はうろたえて、
「辞めたのは野球部だろう?」
と聞きなおした。
「女子ソフトの大田原さんからの情報です。野球部を辞めたうえで退学した、と」
「そんなバカな、まだ6月だ。辞めるにしても、普通は夏休み明けだ」
三宅先輩は、大田原さんからの情報を信用しなかった。
大谷さんもそこまで自信がないのか、
「あくまでも、うわさです。退学の公表は普通されません」
と答えた。とはいえ、私たちは動揺してしまった。
だって、ゼミに来ていないという話をさっきされたばかりだからだ。
三宅先輩は口もとに手をあてて、その場でぶつぶつとつぶやく。
「たしかにゼミを休むのは変だが……でも両親だって許さないだろうし……」
「おい、三宅、大変だッ!」
こんどは風切先輩が飛び込んできた。
こちらも走って来たらしい。完全に息があがっていた。膝に手をついて呼吸をする。
「ど、どうした風切?」
風切先輩は顔をあげた。
「星野は停学になってるらしい」
……………………
……………………
…………………
………………停学?
三宅先輩は二重におどろいた。
「ちょ、ちょっと待て……さっき、退学したって情報が……」
風切先輩は眉間にしわをよせた。
「退学? だれがそんなことを言ったんだ?」
「大谷……じゃなくて、大谷の友だちの大田原だ」
風切先輩は大谷さんのほうへむきなおった。
「『停学』じゃなくて『退学』だと言ったのか?」
「拙僧の聞き間違いではないと思いますが……」
「退学の理由は?」
「自分のやりたいことと学部のイメージがちがったとか……」
風切先輩は、ますますいぶかしんだ。
「それは俺が聞いた理由とちがう。金を盗んだってうわさだ」
……………………
……………………
…………………
………………もうわけがわからない。
話がまったく噛み合っていないし、風切先輩の情報はかなり危ない内容だ。
三宅先輩は私たちを落ち着かせた。
「とりあえず真偽をたしかめよう。これだけ情報が喰い違っていると、全部疑わしい。それに、星野が退学したのなら、もう勧誘のしようがない」
風切先輩も息がもどってきて、冷静になった。
「たしかに……退学ならあせってもしょうがないな」
「窃盗で停学の場合もいっしょだ。さすがに入部は受け付けられない」
風切先輩はうしろ髪の位置をととのえながら、
「くそぉ、これで星野はロストか」
と嘆息した。三宅先輩はもういちど風切先輩をおちつかせる。
「真偽の確認が先だ。大学のうわさ話なんて、デタラメが多い」
「だが、どうやって確認する? 足取りがつかめないんだぞ?」
そうなのよね。風切先輩の言うとおりだ。
足取りがつかめないと確かめようがないし、足取りが消えている=退学したor停学になった可能性が高いのでは。しかも、私たちがおじさんから聞いた「病気」という情報もよくわからなかった。あのひとがゼミの担任の先生なら、星野くんが停学か退学になったことを知っているはずだ。
部室はてんやわんやになる。
「拙僧、大田原さんを呼んでまいりましょうか?」
「あのぉ……」
「それが一番な気がするな。風切、どう思う?」
「むしろ事務じゃないのか? 野球部が流したデマかもしれないぞ?」
「もしもしぃ……」
私たちは、ふとだれかに呼ばれていることに気づいた。
一斉にふりむくと、ドアのところから、女――顔の少年がのぞいていた。
おどおどと、半分だけ顔を出している。
「お取り込み中のところ、すみません……学籍番号1644055、星野翔です」