142手目 奇妙なアドバイス
「ということがあったわけ」
私が説明を終えると、松平はジュースのストローからくちびるをはなした。
「そりゃまたすごい事件だな」
「でしょ……って言いたいところだけど、なんか逆に安心したわ」
私の返答に、松平はけげんそうな顔。
「安心?」
「私たちのこと、ちゃんと仲間だと思ってくれたんだな、って」
風切先輩は、これまで私たちに過去をかくしていた。
それを明かしてくれたってことは、信頼を得たことの証だ。
ネガティブに考える必要はない。おそらく。
「ああ、そういう……たしかに、俺たちはウソをつかれてたことになるな」
「んー、その言い方はちょっと気になるけど……」
私は周囲をみまわした。カフェテラスに、大学生がたむろしている。
ここは都ノで一番人気がある空中テラスだ。
今日は天気がいい。青空。
私はそよ風に吹かれつつ、昨晩の月を思い出していた。
「とはいえ、いまいちしっくりこないのよね……」
「なにに?」
「……ううん、なんでもない」
「もしかして星野のことか?」
不正解。松平、私の心理読むのヘタよね――ん? 星野?
「星野くんって、野球部の星野くんよね?」
「ほかにいるのか?」
「いないけど……そういえば、彼、どうなったの? 入部しないの確定?」
松平は空になった紙コップをテーブルのうえにおいた。
「わからん。大学で一回だけ見かけたが、声はかけなかった」
「私もATMのところで会ったきりなのよね」
風切先輩は、将棋部への移籍を星野くんの選択にゆだねた。
その結果がこれなら、受け入れざるをえない。
「ま、なるようにしかならないわよね……」
「無策は法曹界のタブーよ」
私と松平は顔をあげた。クールなショートヘアの女性がこちらを見据えていた。
「は、速水先輩ッ!?」
「こんにちは。ここ空いてる?」
有無をいわさぬ口調で、速水先輩は4人席の一角をしめた。
なぜ他大のキャンパスにいるのか、理由をたずねる。
「都内で他の大学を訪問するなんて、普通でしょ」
私はタイミングが良すぎると思った。質問をぶつける。
「わざわざうちを選んだ理由がありますよね?」
「だってキャンパスが近いじゃない。もしかして、スパイだと思われてるの?」
「そ、そういうわけじゃないですけど……昨日のこともありますし……」
「冗談よ。たしかに、昨日のことと半分くらいは関係してるわ」
「半分?」
「都ノの内部で、なにか事件とか起こってない?」
……………………
……………………
…………………
………………
「起こってないです」
「今の間は、なに?」
「質問が唐突だったので、意味がわかりませんでした」
私はテキトウにごまかした。速水先輩はフッと笑う。
「それならいいんだけど……慶長の児玉くんから、ちょっと不穏なうわさを聞いたの」
しまった。慶長ルートで情報が流れてるのか。さっきの返事は失敗だったかも。
おそらくというか十中八九、聖生のことだ。
児玉さんに口止めするのを忘れていた。でも、あまり詳しくは話していない。
まだごまかす余地はある。
「すみません、そういう質問だったんですね。あれは、ちょっとしたイタズラです」
「ちょっとしたイタズラ……ね。大事件の予兆は、たいていそんなものだわ」
「逆に訊きますけど、速水先輩は聖生についてなにか知ってるんですか?」
「晩稲田の太宰くんがなにか調べてる、ってことくらいかしら」
うわ、そのことも知ってるのか。私は疑心暗鬼になった。
それを察したのか、速水先輩は追及の手をゆるめた。
「心配しないで。根掘り葉掘り訊きたいわけじゃないから。ただ、将棋界でなぜ急に30年前の話がもちあがったのか、それが気になってるだけよ」
「だったらうちに探りをいれられても困ります。太宰くんに訊いてください」
「彼、ああいう性格だから、なにも話してくれないのよね」
だからってうちに来られても困る。
それに、速水先輩の訪問の理由は、それだけじゃない気がした。
「先輩、ほかにもなにか訊きたいことがあるんじゃないですか?」
速水先輩は、コーヒーのテイクアウトに口をつけた。
「なかなかいい店が入ってるわね」
「ごまかさないでください。なにか目的があって来ましたよね?」
「大したことじゃないの。都ノ将棋部に、どれくらい人が集まったかな、と思って」
スパイじゃないですか。私と松平は顔を見合わせた。
ところが、速水先輩はいっこうに頓着しなかった。
「で、秋には14人そろいそうなの?」
「……なんとも言えません」
「余計なおせっかいかもしれないけど、最低10人いないとキツイわよ」
そんなことは分かっている。同学年なら反論しているところだ。
とりあえず、穏便にすませる方向で。
「ちょっとずつ、がんばってます」
「さっき、ホシノくんがどうこう言ってたけど、勧誘候補?」
ぐわぁ、このひと、やっぱり食えない。
これにはさすがの松平も口出しした。
「盗み聞きしてたんですか?」
「デートの邪魔をしちゃ悪いかと思って、立ち聞きになっちゃった」
「交流試合をしてもらったことは感謝してますが、これは都ノの問題です。日センにうちの情報を流す義務も義理もありませんよ」
そうそう、松平、ガツンと言ってちょうだい。
と、他人任せにしていたら、速水先輩も反論してきた。
「都ノの問題は日センの問題でもあるわ」
松平は眉間にシワをよせた。
「背のりは感心しませんね。どう関係があるんですか?」
「あなたたちが来年A級にいると予想しているから」
「へぇ……ライバルだから利害関係がある、と? スパイ宣言ですか?」
そうだ、松平、パンチパンチ。
「どう受け取ってもらってもかまわないわ。ひとつだけアドバイスさせてちょうだい。その星野くんがどういう子であれ、積極的に勧誘したほうがいいわよ。無策はダメ」
「それを決めるのは三宅先輩と風切先輩です。俺たちじゃありません」
「べつにあのふたりの独裁ってわけじゃないんでしょ。ただのアドバイス」
松平は、さらになにか言おうとした。速水先輩は席を立つ。
「それじゃ、来年のA級で待ってるわ。チャオ」
○
。
.
「もこっちが偵察に来た?」
風切先輩は、私の報告にすぐさま反応した。
あのあと、講義のある松平とは別れて、私だけ部室に駆け込んだのだ。
ちょうどいいことに、風切先輩と三宅先輩が今後の相談をしていた。
「は、はい……何人そろったかたずねてきました」
「なんて答えた?」
「がんばってます……と」
「それで? もこっちの返事は?」
「『来年のA級で待ってる』とだけ言われました」
先輩はあごに手をあてて、窓のそとをにらんだ。
三宅先輩が口をはさむ。
「お世辞を言いにきたとは思えない。なにかウラがあるんじゃないか」
「俺もそう思うが……もこっちは昔からあんな感じだからな」
世俗離れしすぎじゃないですかね。あんな女子高校生いたら怖いわよ。
「あ、それと、星野くんについてアドバイスされました」
私の追加報告に、風切先輩はおどろいた。椅子のうえであぐらをかく。
「アドバイス?」
「ええと……積極的に勧誘したほうがいいとか、なんとか……」
「星野のことを話したのか?」
「た、立ち聞きされました」
先輩はあきれかえる。
「ってことは、マジでうちの応援にきたのか? ありえないだろ」
「都ノとおなじリーグのほうがやりやすい、っていう意味じゃないですか?」
私は自分なりの解釈を提示した。
「……ありえるな。降級候補をつくりたいのかもしれない」
たしか、日センはAとBのあいだを行ったり来たりしてることが多いらしい。
だとすれば、自分たちより格下のチームを欲しがっているはず。
けど、やっぱりなんかしっくりこなかった。風切先輩も、
「しかし、それだけでわざわざ他大のキャンパスまでくるか?」
と、いぶかしげだった。ふたたび三宅先輩がわりこむ。
「変わった考えのやつをトレースしてもしょうがない。それより、ちょうど星野の名前が出たから、相談したいことがある」
「相談? ……まさか、積極的に勧誘しにいくつもりか?」
「ああ、そのまさか、だ」
風切先輩は、三宅先輩の方向へ椅子をくるりとまわした。
「星野の自由意志に任せる。これはおまえと話し合った結論だぞ?」
「事情が変わった。星野は野球部を退部したらしい」
私は喫驚した。風切先輩はパチリとゆびを鳴らす。
「だったらうちにくる気だ。勧誘するまでもない」
「俺も最初はそう思った……が、退部したのは今月の13日だ。もうすぐ1週間になる」
風切先輩の顔をがくもる。
「連絡は?」
「ない。将棋部のグループMINEも教えてあるのに、一度も投稿がない」
私は13日という日付を聞いて、妙な符号に気づいた。
「それって、私がATMで星野くんとすれちがった日じゃないですか?」
三宅先輩は私のほうへ顔をむけた。
「そうだ。正確にいうと、12日付で退部届けを出して、13日に承認されている」
変だ。風切先輩もそう思ったらしい。質問をかさねた。
「ちょっと待て……もしかして、聖生の件となにか関係があるんじゃ……」
「俺もそんな気がしてる。確認するために星野に会いたい」
風切先輩はむずかしい顔をした。
「こちらから積極的に勧誘しないと約束したからな……」
「いや、そう解釈する必要はない。あのとき隼人は『星野の判断を聞きたい』と言っただけだ。むしろ星野にはイエスかノーか答える義務がある」
私と風切先輩は視線をかわした。私はうなずき返す。
「よし、方針転換だ。星野に会う。のこりの部員も呼んでくれ」